「どういうことだ?」
「ですから、先程から申し上げているとうりに御座います」
「だから、それをどういうことなのかと、私は問いているのだ!」
謁見の間では、一際荒げた皇太子の声が響き渡った。
「何が騎士団の人員削減だ…、これでは、魂胆は丸見えじゃないか…」
セイリオスはぽつりと呟く。
脳裏をかすめたのは、いつも浮かぶあの金の髪。
不機嫌な瞳を嘆願書に落とすと、そこには、
クライン国騎士団の規律について、というタイトルの文が続いている。
そしてそこには、
騎士となる資格として、クライン王都にしかるべき縁者がおり、
貴族以上の身分を有すること、という項目が太字で記されていた。
王家と接触のある職業であるから、見の証が必要なことは理解も出来ることではある。
しかし、既に騎士団に属している者を見ると、大抵がこれにあてはまっているのだ。
そして、唯一当てはまっていない人物と言えば…。
「そんなに、私がアンヘル種族と親しくすることが気に食わないのか?」
セイリオスはつまらなそうに言葉を吐く。
嘆願書を提示した大臣は、何も言わず敬服していた。
「いえ、…決してそのような…、ただ、騎士団に女性が所属した前例は無く、
彼女の今後処遇について、戸惑っていることは事実にございますゆえ…」
重々しく遠まわしに言われた言葉に、セイリオスは腹立たしく顔をゆがめた。
まったく、
どうしてだろう?
どうしてこんなにも、何もかもが煩わしいのだろう、
……権力というものは…。
その日、
謁見途中にして退席した皇太子は、
夕暮れを過ぎても城に戻ることは無かったという。
「シルフィス、シルフィス…、居るかい?」
「………て、殿下!?」
騎士団の自室にて、シルフィスは文字通り目を丸くして叩かれた窓を開けた。
「ど、どうしたのですか、こんな時間に…、それも、このような所で…」
空を見ると、既に無数の星々がきらめいている。
「とりあえず、…中にいれてくれないか?」
「え、えぇ…」
シルフィスはおずおずと言い、セイリオスを室内へと促した。
「……それで、一体どうしたのですか?」
シルフィスに聞かれ、セイリオスは思わずバツが悪そうに頭を掻き、
「……その、…ちょっと……、家出というか…」
「…は?」
そのまま、
きっかり10秒間、
時間が止まったようにシルフィスは硬直していた。
そして、
「ひ、姫様じゃあるいまし…」
呆けながら出た言葉に、セイリオスは思わず苦笑する。
「そうだな、なんとなく今なら、あの子の気持ちも分からなくもないよ」
静かに、セイリオスは言う。
その姿に、シルフィスはふと何かを悟り、
じっと、セイリオスを見つめると、
もういちど、ゆっくりと言った。
「一体、どうされたのですか?」
その声があまりにも澄んで優しく響き、
セイリオスの胸は思わず熱く高鳴る。
「…君は、騎士になる為に、ここへ来た。
そして、それを私も全力で応援したいと思っている」
そう呟くセイリオスの様子から、シルフィスは少し寂しげに肩を落とす。
そうか、と、静かなため息を洩らし、シルフィスはセイリオスを見る。
「…私のことで、…何かあったんですね」
真剣な瞳を向けられ、セイリオスはそのまま深く頷いてだけ見せた。
目の前で暗い表情を見せるその姿は、克明に女性らしさを感じさせ、
思わずセイリオスは、顔を逸らしていた。
「……国の偉方の策略でね、どうあっても君を騎士団から除籍させたいらしい」
その言葉に、シルフィスは小さなため息をつく。
「やはり、…女に分化した以上、騎士は諦めるべきだったのでしょうか…」
寂しそうな声で言いながら、シルフィスは己の身体をそっと抱きしめていた。
「いや、…そうではないんだよ」
セイリオスは重々しく口を開く、
「え…?」
シルフィスは思わず聞き返していた。
「…その理由は、…私だ」
驚愕していたシルフィスは、セイリオスのその一言に、はっと我に返る。
「殿下が? 何故、私の騎士団在籍と関係があるのですか?」
「……私との接点を絶つ為。 …理由はそれだけだ。
まったく、馬鹿馬鹿しいにも程がある…。
君がアンへルで、私が皇太子で、…それだけの理由で
君の夢まで奪ってしまおうなんて」
吐き捨てるような言葉の、語尾は酷くかすれていた。
「それは、どういう…?」
「…先日、レオニスからの知らせでは、
君に正式な騎士の称号を与えられることになったということだった。
…性別以前に君には多大な功績があるから、交渉はいたって簡単だったそうだ。
初の女性騎士の誕生は、宮殿内ではちょっとした話題でもあった。
でも、今日になっていきなりだ。 おかしいと思わない方がおかしい」
咳を切ったようにセイリオスは言った。
そして、静かな声で、
「君が、分化した本当の理由が、…どこからか露呈したそうだ」
シルフィスはその言葉に一瞬はっとする。
……時は、
数ヶ月前に遡る。
ダリスの陰謀を暴く任務を果たしたその後、
ある朝、苦い顔の宮廷魔道師が現れ、
そしてその後、大きな花束と供に現れたその姿。
まだ未分化の自分、
…騎士としての自信がようやくつきかけていたその時だから、
答えは、すぐにはだせなかった。
そして、その時、
ひとつの約束を、彼は残して行った。
シルフィスは、己の左手に光る小さなリングに目をやる。
随分前に、メイから教わった、変わった風習。
約束を交わしてから、数ヶ月、
そして、訪れた体の変化。
それは、セイリオスへの答えの猶予の終結も意味していた。
今でも脳裏に貼り付いてやまない言葉。
目を閉じると、その時の光景がすぐに浮かぶ。
『でも、…私はまだ、…騎士の道への未練もあります、それなのに…』
『構わないよ、君は君の望む道へ進むと良い』
『しかし、それでは…?』
『未来の王妃が騎士だというのも、君らしくて良いしね』
『そ、そんなこと、無理に決まって』
『前例がなければ打ち壊せば良いと、前にそう言っていたのは君だ』
『でも、私はまだ…分化すらしていません』
セイリオスは、
静かに微笑むと、そっとシルフィスの左手をつかみ、
小さなリングをつけ、微笑んだ。
『君が女性へ分化したその日に、必ず向えに来る』
「まったく。 私は今ほど、王族という立場が煩わしいと思ったことはないよ」
セイリオスは、低い声で呟いた。
シルフィスは、何も答えられなかった。
騎士への夢も、
そして、…もうひとつの夢も、
種族差別。 それは昔からあったことなのだけど、
こんなにもそれを実感したことは、初めてのことだった。
そして、シルフィスは、勤めて平静を装い、静かに微笑んで見せた。
「元々、身にそぐわぬ夢だったのです。
そもそも、分化した時点で、当初の希望を果たせた時点で、
私は、村へ帰るべきでした」
にっこりと、そんなことを言ってのけるシルフィスに、セイリオスは驚愕していた。
「何を言うんだ? 君には騎士になる資質も、
そして、私の元へ来る資格も…!」
そこで、セイリオスの言葉はシルフィスの手により妨げられる。
「…宮殿へ、お戻りになって下さい。
きっと、皆心配しています」
「シルフィス、私は、君を…、君と一緒に…」
「殿下!」
シルフィスの怒声に、セイリオスははっとする。
気がつくと、新緑の瞳は涙に濡れていた。
「…殿下は、…殿下です。
このクライン国で、ただひとりの、皇太子殿下です」
力強いその眼差しに、セイリオスは何も言えずに押し黙ってしまった。
全てを見抜かれたような、その瞳に。
そう、
このまま、
国さえも捨てようと、そう思っていたことも。
「私は…」
シルフィスは静かに呟く。
「私は、この国が大好きです。
殿下の愛していらっしゃるこの国が、
この国を愛している、殿下が…、だから」
その先は、言葉にはならなかった。
「分かった」
セイリオスは、俯いたまま答えた。
そして、静かに顔を上げる。
それは、今日初めて見る、
いや、これまで見たこともないほど、
あまりに凄然とした微笑み。
セイリオスは、そのゆっくりと笑みを向け、
「今までは、私が君の答えを待っていた、だから、
今度は君が待っていてくれ」
「……え…?」
シルフィスは思わず間抜けな声をだす。
セイリオスは、静かにシルフィスを見据える。
…目先の情に押し流され、安易な道を選ぼうとしていた己を、酷く恥ずかしく思う。
このまま、
全てから逃げ、彼女を連れ去るような自分なら、きっと彼女は振り向いてくれなかった。
そしてそんな自分に惹かれるような彼女なら、自分もまた、惹かれはしなかったはずだ。
改めて思う、確信。
やはり、彼女しかいないのだと。
そう、…既に彼女と呼べる姿になったその存在。
何を迷うことがあるのだろう。
「前例は、私が打ち立ててみせるよ」
セイリオスは、晴れがましい笑顔で、そう言って、
そっと、シルフィスを抱き寄せる。
2度目の約束を誓った後、
セイリオスは宮殿へ、
シルフィスは、訓練場へ、
二人はまた、それぞれの場所へと戻って行った。
それから、
セイリオスがどのように国の偉方を説き伏せたかは、シルフィスは知らない。
だが、数日後、シルフィスには、正式な騎士の称号が渡されることとなり、
王国始まって以来の女性騎士の誕生に、国はちょっとしたお祭り状態になっていた。
そして、騎士の称号授与のその時、
その後、もうひとつの王国始まって以来の大騒ぎが起こることになる。
…王家の婚礼衣装に身を包んだ女性騎士剣舞は、
その後クラインの伝説として語り継がれることになったと言う。