秘密の薬♪
…初めてこの気持ちに気がついた時、もう何もかもが手遅れだった。
許されるはずが無い想い。
分かっているはずなのに、この気持ちは、もう止まらない―。
「……まったく、…これからどうしろというのだ…」
王宮に程近い大通りの一角で、青年は何やらブツブツと言いながら、一人ウロウロとしていた。
無造作に束ねられた亜麻色の長髪が、風に舞いヒラヒラと踊る。
青年はふいにため息をつき、立ち止まり呆然と空を見上げた。
日の光に照らし出され、切れ長の翡翠色をした瞳は、キラキラと輝きを放っていた。
「きゃーっ! だ、大丈夫、殿下!?」
数時間前。
魔道研究院の入り口前で上がる甲高い叫び声。
すべてはここから始まった。
「殿下だって!? メイお前なんてことを…!?」
「お説教は後にしてよキール、殿下が大変。 殿下、ちょっと殿下ったら大丈夫?」
もうもうとたつ煙の中で、メイは必死にセイリオスの名を呼んだ。
クライン国皇太子、セイリオス=アル=サークリッド。
彼はその日、ちょっとした公務の帰りにふと、野暮用を思いだし研究院に向かった。
そして研究院の扉を開けた途端、爆音と共に視界を煙にまかれ、甲高いメイの声が響き渡った。
何が起こったのかまるで分からないが、ただ先ほど吸い込んでしまった煙のせいで、無償に胸が苦しい。
何度もメイの呼び掛けに答えようとするが、どうにも息苦しくてかなわない。
…そうこうしている間に、あたりの煙は次第に消え、ようやく胸苦しさが和らいだ時、目の前には呆然とした顔のメイとキールが立っていた。
「で……殿下…?」
こちらを指差しながら、口をぱくぱくさせるメイに、セイリオスはいぶかしげな顔をして立ちあがった。
先ほどの衝撃でほどけた髪が、肩口にふわりとかかる。
ふいに目をやると、いつものライトブルーではなく、澄んだ亜麻色の長髪が、さらりと揺れていた。
「……つまり、メイが調合した魔法薬と、先ほど行っていた魔道実験の暴走により…」
「理屈はいい。 …とにかく、早く元に戻してくれないか…このままではどうにもならない」
研究院の応接室で、セイリオスは、とりあえず無造作に束ねた、亜麻色の髪をかきあげ、切れ長い翡翠の瞳を見据え、キールに言った。
「…そ、それがさ殿下。 言いずらいんだけど…、元に戻す方法分からないんだ、あたし…」
メイが俯きながら瞳だけをこちらに向け、申し訳なさそうに言った瞬間、セイリオスの顔はまともにひきつった。
「なんせ、はずみだったし…。 …あ、でも髪と目の色が変わって、ちょっと人相変わっちゃう以外は、何の害も無いらしいから…」
尚もひきつったままのセイリオスにそう言うと、メイは思わずキールの顔を伺っていた。
「その…殿下。 速効法…といのは無いのですが、使用された薬からみて、おそらく効果は、丸1日程度で切れるという可能性が高いと…」
「ほ、本当か?」
しどろもどろに言うキールに、セイリオスはすがるようなまなざしを向けた。
「…ええ、おそらく…」
キールはバツが悪そうに呟いた。
そして数時間後。
キールに、『不安定な魔法にかかったまま研究院にいて、他の魔法に影響をうけたらいけないので…』と言われ研究院からも追い出され、どこへともなくセイリオスは街をうろついていた。
すでに何度目かも分からなくなったため息をつき、ふいに立ち止まりあたりを見まわしてみる。
その時だった。
「きゃっ!」
高い声と共に、何かが脇腹あたりに激突してきた。
セイリオスはあわてて振り向くと、ふいに淡いピンク色の髪の毛が目に付いた。
「ディアーナ…!?」
思わず呟くと、ディアーナは不思議そうな顔でセイリオスを見つめた。
「…ど、どうしてわたくしの名を…!?」
うろたえまくるディアーナに、セイリオスはしまったと思った。
考えて見れば、今の姿ではディアーナに、自分が判別できるはずもない。
「…あ、えーっと…」
思わず口ごもるセイリオスに、ディアーナはひたっと瞳を見据えた。
「…と、とにかく、このことはご内密におねがいしますわ。 …わたくしがお忍びでこんなところをチョロチョロしているのがばれたら、大変ですわ!」
…もしや、今までバレてないとでも思っていたのだろうか。
セイリオスは思わず頭を抱えた。
はっきりいって、毎日届く報告書の一割は、街中で王女らしい人を見掛けた、という知らせなのだが…。
俯いて言葉を失っているセイリオスを尻目に、ディアーナはそそくさと立ち去ろうとしていた。
その時。
「んきゃっ!」
「え?」
ドシーン!!
大きな騒音と共に、二人は見事にいっしょくたに転んでいた。
どうやらディアーナが、慌てたあまりスカートの裾に足をひっかけ、横転したひょうしにセイリオスの服を掴んだ結果らしい。
「…あたた…、あ、だ…大丈夫ですの!?」
ディアーナは、置き上がりざまに叫ぶとあたりを見まわした。
「つつぅ……、まったく、なんなんだ一体…?」
ほどなくして、セイリオスはだるそうに体を起こした。 …不意打ちなぶん、どうもこっちのほうが重症らしいが。
「す、すみませんでした。 あの…大丈夫、ですわよね」
「…え? …あ、あぁ一応……」
心配そうに除きこむディアーナに、セイリオスは痛そうに二の腕を押さえながら言った。
「良かったですわ。 …じゃ、じゃぁ、申し訳ありませんが、わたくしはこれで失礼しますわ。 …今の音で人が集まって来てしまいましたの、騒ぎになったら大変ですわ! じゃぁ。 ………え? …んきゃぁっ!!」
ドス!
一気にまくしたてながら、きびすを返そうとした瞬間、丁度後方にあった街路樹に、ディアーナは思いっきり顔面衝突していた。
セイリオスは、声をかける間もなく、ただあっけにとられてディアーナを見つめていた。
「…ったた…」
痛そうに鼻を押さえながら、木から離れるディアーナの顔は、多少腫れてはいるものの、擦り傷の一つもついてはいなかった。
…以外に頑丈にできているもんだ。
セイリオスはなぜか感心していた。
…しかし。
セイリオスは尚もディアーナを見つめながら、ため息をついた。
以前鼻を押さえながら、ふらふらと歩くディアーナに、何人とも知れず通行人が衝突未遂をしている。
…ディアーナは、こんなにドジだったか…?
セイリオスは再び考え込んでしまった。
「…あー、気持ち良いですわ。 まったく、こ〜んなお天気の良い日に、王宮の中でくすぶってたら、もったいないですわ!」
「……たしかに、一利あるな」
セイリオスは、気持ち良さそうに背筋を伸ばすディアーナを横目に呟いた。
あれからほどなく、町外れの一角で、ディアーナとセイリオスは二人連れ立って歩いていた。
というのも、セイリオスがディアーナを一人町へ放つのを、どうにも不安になったからだった。
…それにしても。
セイリオスはふっとため息を漏らした。
一緒に行くという申し出に、ディアーナは一も二もなく承諾した。
…いつも、こんな簡単に、見ず知らずの男について行ってるのか?
なんとも複雑な思いのセイリオスだった。
「…さて、これからどこへ行きます?」
「…え? もしかして何の目的も無しに街へ出て来たのかい?」
にっこりと話し掛けるディアーナに、セイリオスはうろたえた。
「あら、目的はこのぽかぽかのお日様ですわ、目的地なんて後で決めれば十分ですわ」
さも当然のごとく胸をはるディアーナに、セイリオスはまた俯いてしまった。
「あなたはどこか行きたいところはなくて?」
ディアーナはおかまいなしにセイリオスに話しかけた。
「え、私が?」
困惑した顔で答えるセイリオスに、ディアーナはやおらぽんっと手を叩く。
「そうですわ、まだあなたのお名前も、伺ってませんでしたわ!」
「へ?」
瞳をキラキラさせながら聞いてくるディアーナに、セイリオスは思わずのけぞった。
「…それで、お名前はなんですの?」
「……だから、セイリ……、あ〜…」
そこまで言って、セイリオスははっとなった。
…やはり本名ではまずいだろう。
唸りながら考え込むセイリオスを、ディアーナは不思議そうに見つめ続けている。
「……セイリア…、でよろしいんすの?」
そう尋ねてきたディアーナに、セイリオスはしめたものと顔をほころばせた。
「そう、セイリア、私の名はセイリアだ」
「…なんか、ちょっと面白い名前ですのね。 ではあらためて、よろしくですわセイリア」
ディアーナは言いながら右手を差し伸べた、セイリオスは微笑みながらその手を取り、二人はにこやかに握手を交わした。
「セイリア〜、どうしたんですの? こっちですわよ〜!」
少し前を元気に歩きながら叫んでいるディアーナに、セイリオスは力なくついて歩いていた。
…正直、ディアーナの連れといもうものが、これほどハードだとは思わなかった。
あれから数時間。 二人はあっちの帽子屋、こっちのケーキ屋、はたまたそっちの洋服屋…と、とどまることを知らぬ勢いで、街中を駆けまわっていた。
当のディアーナは、まだピンピンとはしゃいでいるが、セイリオスはかなり限界にきていた。
…もしかしたら、ディアーナが意外に頑丈な原因はこの辺にあるのかも…。
真剣にそんなことを考え込むセイリオスだった。
「…どうしたんですの、セイリア。 …ん? きゃっ! …す、すみませんですわ。」
唐突にディーアナが叫ぶ、どうやらまた、通行人に激突したらしい。
数時間の間に慣れ親しんでしまった光景に、セイリオスは力なく、またため息をついた。
「…すみませんじゃねーんだよ、おぅ、嬢ちゃん!」
下品な声が響いた瞬間、人並みは止まり、セイリオスははっと顔を上げる。
そこには、いかにもガラの悪そうな連中に囲まれる、ディアーナの姿があった。
「な…なんですの!?」
「なんですのぉ〜? ったくスカしてんじゃねーぞ、コラ」
「おぅ、アニキ、なんかこの小娘、どっかで見たことありませんかい?」
「…言われて見れば…」
…まずい。
セイリオスは、思わず歯をきしませた。
ディーアナの身分が知れたら、その気になればいくらでも悪用ができる。
なにしろ、これほど人質にして益のある人物は、そうはいない。
…とは言っても、それは同時に国家そのものを敵に回す行為だ、相当いかれたヤツ意外は、そんな真似はしないだろう。
だが…。
「…思いだしまたぜアニキ、たしかこいつぁ、王家の末娘だ」
「なんだと? …するってぇと、こいつを隣国の組織にでも売りゃー、俺達は一生遊べるぜ」
…やはりこいつらは、十分にいかれているようだ。
「…な!? わたくしをどうするつもりですの!?」
「さっき言ったとおリだ、おとなしくしろぃ!」
ニヤニヤしながらのしかかってくる大男に、ディーアナはなす術もなく叫んでいる。
その瞬間。
「うぉ!!?」
「……え?」
男の悲鳴と、ディアーナの呟きが、あたりに響き渡った。
「…黙って見ていれば、王家への冒涜極まりない! おとなしくそこへ直れ!」
「せ…、セイリア!?」
崩れ倒れる男を目の前に、ディーアナは思わずその名を呟いた。
「このやろぅ!?」
すると突然もう一人の男が、怒りに任せて切りつけくる。
「くっ…」
刃はセイリオスの肩口をかすり、低いうめきが漏れた。
だが、セイリオスはすぐそれをかわし、男の首筋をとんっと叩くと、男はそのまま崩れ落ちた。
別に大した事も無い、初級の護身術だ。
「…まったく、…救いようの無い馬鹿だな、残念だがこんな連中が街も徘徊しているのが現実か……。 …だからいつも、護衛も付けずに外に出るなと言ってるんだ…!」
「……!?」
咳を切るように呟くセイリオスに、ディアーナははっとして、一心にその眼差しを向けていた。
「…念の為近衛兵を呼んでおいたから、今ごろやつらはすでに連衡されているだろう」
王宮に程近い大通りで、セイリオスは呟いた。
はるか西では、太陽がすでに落ちかかってる。
あれから、セイリオスはすぐに、ディアーナを連れ現場をはなれ、近衛兵をまわしておいた。
「…さ、そろそろ王宮にお帰り。 …皆も心配しているはずだ」
俯くディーアナの肩を叩きながら、セイリオスは言った。
「あ、あの…」
顔を上げ、ディアーナは言った。
「さっきは、その…ありがとうございました。 あなたがいて下さらなかったら。わたくし…」
「…別に気にすることはないよ。 …ただ、ああいう輩がいることを心にとめて、これからは気をつけるんだ、いいね」
微笑みながら言うセイリオスに、ディアーナは思わずめをぱちくりさせていた。
「……やっぱり…似てますわ…」
「え?」
ぽつりと呟くディアーナに、セイリオスはいぶかしげに聞いた。
「セイリア、あなたある人に、とっても似てるんですわ」
「…ある…ひと…」
思わず呟くと、ディアーナはにっこりとして答えた。
「ええ。 いっつも口うるさいことばかり言いますけど、本当はわたくしの事を、とっても大切に思っていてくださってる人、ですわ」
「………」
「…わたくしもね、分かってはいるんですのよ、その人の言う事に間違いはないって。 …でも、どうしても逆らってしまうの。 その人の気を…引きたくて…」
少し顔を紅潮させながら、ディアーナは言った。
そんなディアーナを、セイリオスは黙って見つめていた。
いや、言葉を失っていた、と言うのが正しいだろう。
「…な、なんか変なことを言ってしまいましたわね。 …今の、忘れて下さいね。 じゃあ、わたくしもう行きますわ、…今日は本当にありがとうですわ」
一方的に言って、きびすを返すディアーナ。
そんな彼女を、セイリオスは今だ呆然と見守っていた。
すると、ふいにディアーナがこちらに向き直った。
「…また、お会いできます? セイリア」
尋ねるディアーナに、セイリオスはふっと微笑み。
「…あぁ、いつでも」
その言葉ににっこりと微笑み、ディアーナは王宮へと姿を消した。
…もしかしたら私達は、同じ所で足踏みをしていたのかもしれないな。
許されるはずが無い、抱いてはいけない想い。
…初めてこの気持ちに気がついた時、もう何もかもが手遅れだった。
…だが、そんな気持ちを抱いたのは、どうやら自分だけではないようだ。
セイリオスは、上がり掛けた月を見上げ、ふっと微笑んだ。
その瞬間。
風が吹き抜けた。
長髪が風に巻かれ、ヒラヒラと舞う。
いつのまにかその色は、いつものライトブルーに戻っていた。
「殿下ー!」
向こうからキールの声が響いた。
「…やっと見つけた。 あれから色々計算した結果…今日の夕方から夜半にかけて…、って、もう…戻ってる…?」
困惑するキールに、セイリオスは尚も微笑んでいた。
「お兄様?」
「な、なんだい、ディアーナ」
キールと別れ、城へ帰るなり途端に、玄関先でディアーナの剣幕に会った。
「一体今まで何をしてらしたんですの!? いっつもわたくしのお忍びを叱るお兄様が、何の知らせもなく丸1日も城を開けるなんて…! もぅ、城中大騒ぎですわよ!」
ディアーナは涙目で言いながら、セイリオスに飛びついた。
…キールにうまくごまかし置くように頼んだのだが…、どうやらどこかでボロが出たらしい。
「…そうか、すまない心配かけて…」
ディアーナの肩をポンと叩きながら、セイリオスは優しく言った。
「…お兄様……」
涙をぬぐいながら、ディアーナは顔を上げた。
「あら……?」
ふと、ディアーナはセイリオスの肩口が目に付いた。
…服が破れていますわ、それも何か刃物で切られたかのように…。
思った瞬間、ディアーナははっとした。
セイリオスの着ている服が、先ほど別れたセイリアと、まったく同じなのだ。
信じられる事ではないが、こうまで状況証拠が揃うと、疑う方が不自然だ。
「…お兄様…?」
ディアーナは思わず呟いた。
そして、ふとセイリオスと目が合い、あわててまた顔をそらしす。
その顔は、いつのまにか紅潮していた。
セイリオスはそんなディアーナを見ながら、ふっと微笑み一瞬肩口の傷に目をやる。
そして、微笑みながら言った。
「ディアーナ、もしよかったらこれから私の部屋に来ないか?」
「え……?」
ディアーナは不思議そうに顔を上げる。
「君に、話したいことがあるんだ…」
優しく目を細めるセイリオス。
ディアーナは思わずまた顔を染めている。
そして二人は、いつのまにか、また見つめ合っていた。
3333番のキリ番を踏まれた、橘 杏樹様のリクエストによる、セイル×ディアの短編です。
…しかし、短編ってわりに長いですね…(汗)
実は、シリーズ化してやろうかというくらいまで、妄想は膨らんでいたんですが…なんとか抑えて、この程度です(^^;)
ストーリーの要望はほとんどされなかったため、勝手に突っ走ってしまいましたが…(笑)
そのままでラブラブもいいですが、なんかディアーナが他の男と接していて、やきもきする殿下が、個人的にかなりツボなのでいつのまにか、知らない男だけど中身は殿下…という構図ができてました(^^;
う〜ん、それにしても相変わらず、へっぽこな上にラブラブ度低いです…(汗)
こんなんですが、橘様どーぞもらってやって下さいなm(_ _)m