Child day
その日は、朝から天気が悪かった。
ガシャ−ンッ!
真昼の午後、研究院中に響き渡った、この大きな音が、すべての始まりだった。
「メイっ! 大丈夫か!?」
離れの一室に、キールが血相を変えて飛びこんできた。
一人で、新しい魔法の実験をやってみる。
そう言って、キールが止めるのも聞かず、意気揚々と部屋にこもって、数十分。
轟いた騒音に、キールは、やっぱり…という表情で掛け付けた。
もうもうと立ちこもる、正体不明の七色の煙の中に、
メイはうずくまっていた。
「…ふぅ。 怪我はないか…。 ったく、だから無茶だって言ったんだ…」
安堵のため息をもらしつつ、ブツブツと文句を言いながら近づくキールに、メイははたと気付き、
突然、瞳に涙をため、キールのほうをまじまじと見つめた。
その眼差しに、一瞬、キールはのけぞる。
「……な、…なんだよ…」
何故かバツが悪そうに、キールが言うと、
メイは、ますますうるうると瞳を腫らし、
「…お兄ちゃん……誰?…」
呟いた言葉に、キールはただ呆然としていた。
「……なになに、…そうか、この試験薬の作用で脳が一時退化して…、なるほど、確かにこの理論では可能だが…」
しばらく後、キールの部屋にて、
天井までも積み上げられた魔道書にうもれながら、キールはやっきになって、メイが実験に使っていた物を、あらいざらい調べ上げていた。
「…ねーねー、何やってんのぉ〜」
舌たらずな声が、後ろから聞こえる。
キールは、冷や汗ひとつたらしつつ、振り向きもせず、書類に目を走らせた。
「ね〜ね〜ね〜ね〜っ!」
後ろから、執拗に騒がれる声に、キールはこめかみをピクピクさせつつ、やはり視線をずらさない。
「おぉ〜〜い!」
「…なんだっ! うっとぉしい!」
いきなり髪を引っ張られ、キールはげんなりと振り向いた。
「なにやってんの?」
憮然としたキールにおかまいなく、メイはにっこりと問いかける。
顔も身体もいつもと変わらない、ただ、表情だけが不似合いに幼い笑みに、キールはため息をついた。
「…見れば分かるだろう。 調べものだ」
「なんの?」
「お前を、元に戻すためのだ」
キールがめんどくさそうに言うと、メイはきょとんした顔で見つめ返した。
「戻すって何? メイはメイだよ」
キールはやれやれと呟き、また書類のほうに振り返ろうとした。
「ねぇ、お兄ちゃん、ここどこなの? メイ、お家帰りたいよ」
メイの何気ない言葉に、キールは一瞬息を詰まらせる。
「…分かってる」
一言言って、キールはまた、魔道書をあさり始めた。
「だめだ、…やっぱり分からない」
窓の外に闇が広がり、昼から曇っていた空から、ぽつぽつと雨音が立ち始めた頃、
キールは頭を抑えながら呟いた。
「…一時脳が退化現象を起こし、思考が幼児化したまでは分かる。 問題はどうやってそれを戻すか…」
いつものクセか、ブツブツと独り言を言いながら、キールは考え込んでいた。
そして、しばらく唸った後、ひとつため息をついた。
ふと、周りに目をやると、
ひき散らかされた部屋の片隅で、メイが丸まるようにして、眠りについている。
「……こら、こんなところで寝るんじゃない…」
やれやれと、キールが引っ張り起こすと、
メイは眠そうな目をこすって、よろよろと立ちあがった。
「ママ…?」
ふらふらとしながら、キールにしがみつき、メイは寝ぼけ眼で呟いた。
キールは寂しそうな顔で肩を落し、
「…あぁ、そうだ」
一言、メイの耳元で呟いた。
なんとか、メイを部屋まで運び、
キールはまた、部屋で書類と睨み合いを始めていた。
何としても、元に戻さなければ。
いかに、メイが勝手にやったこととはいえ、
彼女の保護者を引き受けた以上、それは自分の責任なのだ。
もしこのまま、メイが元に戻らなかったら…。
そんなこと、考えたくも無い。
自分の不注意で、メイをこの世界に召還して、そのまま、この世界で、ヘタな魔法の失敗ごときで、メイの人生を台無しにするわけにはいかない。
メイは、必ず、この手で、帰してやる。
そう決めたのだから。
こうこうと灯りの灯ったキールの部屋の窓の外には、いつのまにかかすかな雷鳴が聞こえ始めていた。
キールが、書類の山の中で、しきりに落ちかける瞼を正し、こめかみを押さえていた頃、
ふいに、音がした。
キールは思わず辺りをキョロキョロと見まわす。
トントン…。
音は、扉のほうから聞こえていた。
そして同時に、
遠い空から、雷鳴が響く。
「キャァ!」
扉の向こうからは、良く知った声が聞こえた。
キールは、その声に、思わずため息を付いた。
そして、扉を開けると、
目をうるうるとさせ、こちらを一心に見つめつつ、手にはしっかりと枕を握り締めた、メイの姿。
つまり、
お決まりどうり、というヤツだった。
「……まさかとは思うが、…雷が怖いのか?」
キールは。冷や汗すらたらしつつ、メイに問いかけた。
メイは、小さく頷いた。
「…一緒に寝ろ、とか言うんじゃないだろうな…」
キールは、額に手を当てながら、そっぽを向いて呟く。
メイは相変わらず、うるうるとキールを見つめていた。
キールはまた、ため息を付いた。
「ベットはそこだ、寝たきゃ勝手に寝ろ。 今日はどうせ徹夜だしな」
顔すら見ずに呟くと、キールはさっさと机に向かった。
メイは、やはり瞳をうるうるさせたまま、とりあえずキールのベットにもぐりこんでいた。
そして、
「きゃぁっ!」
「キャッ!」
「うわぁ〜ん!」
雷がひとつ鳴るたび、それよりうるさい声が響く。
はっきりいって、たまったもんじゃなかった。
「お前な、少しは静かにしろ。 他の研究員にばれたらどうするつもりなんだ!」
キールは思わず、メイに近寄って、小声で怒鳴った。
メイは、ベットにもぐりこみ、顔だけこちらに覗かせたまま、さっきよりもうるうると瞳を向けてきていた。
思わず、キールはげんなりと肩を落し、
そのまま、ベットの脇に腰を掛けた。
ぽんぽんと、メイの背中を叩いてやる。 すると、段々に、メイの呼吸が静まるのを感じた。
幼い頃、アイシュに、よくこうされていたことを思い出す。
やはり、雷の響く、こんな夜だった。
メイの涙に腫れた瞳が、静かに閉じていく。
穏やかなメイの表情を見つめながら、キールは静かに、背中を叩き続けていた。
「ねぇ、お兄ちゃん…」
メイが、ふと瞳を開き、キールを見つめた。
「なんだ?」
キールは、やはり無愛想に答える。
「メイ、お家帰れないのかな…」
呟いたメイの言葉に、キールは一瞬言葉を詰まらせた。
「ここ…、良くわかんないけど、すごく遠いところなんでしょ」
メイは静かに呟いた。
キールは、メイの寂しそうな顔を見て、静かに息を吐いた。
おそらく、
心が幼児化したことで、今まで抑えていた感情が、表に出ているのだろう。
キールは、少しため息を付く。
普段、メイは一切口には出さないが、
やはり、故郷が恋しくないはずが無いのだから。
切なそうに、肩を落すキールの表情に、メイははっと気付き、身を起こした。
「どうしたの? お兄ちゃん…」
きょとん問いかけるメイを見て、キールは思わず顔を反らした。
「すまない、…俺のせいで…」
一言、呟くと、キールはまた、顔を反らし、俯いた。
「どうして、あやまるの?」
メイは不思議そうに尋ねた。
「お兄ちゃん、悪くないよ…、ねぇ、そんな顔しないでよ」
メイが必死になって、キールの肩を揺さぶった。
「メイ、大丈夫だよ。 お家帰れなくても、パパもママもいなくても」
そして、メイはキールの背中しがみつき、
「お兄ちゃんが居れば、メイ、寂しくないから…」
呟いたメイの言葉に、キールははっとなった。
ずっと、待っていたのかもしれない。
その、言葉を。
メイの口から、聞くことを。
メイを必ず帰してやる、そう思いながら、
メイの口から、帰らなくてもいいと、そう呟く言葉を。
まさか、こんな状況で、始めて分かるなんて、
自分の本当の願いが。
キールは、ぐったりと肩を落し、
そして、何故か微笑んでいた。
そのまま、メイの方を振り向くと、
メイは心配そうに覗きこんできた。
「お兄ちゃん…」
メイは、心配そうに見つめ、
「メイ、お兄ちゃんのこと、大好きだから…」
呟きながら抱きつくメイを、キールは静かに抱き止めていた。
気がつくと、窓の外からは朝日が差し込んでいた。
遠くから、鳥の声がいくつか聞こえる。
メイは、静かに瞳を開け、
何度か瞬きをすると、瞳をこすり、そして、辺りに目をやった。
見なれない魔道書が散らばり、
良くわからない実験機材に覆われ、
お世辞にも健康的とは言えない、小さな部屋…。
その部屋が誰のものなのか気付き、メイは慌てて勢い良く身を起こした。
すると、
「……う…ん…」
ベットの脇で、腰を下ろしたままうずくまるように、キールは寝息を立てていた。
その姿を見るやいなや、
「キャ―ッ!!」
メイの声が、研究院に響き渡った。
「な、何だ!?」
キールが思わず飛び起きると、
メイは、わなわなとこちらを見つめていた。
「何だ、じゃないわよ! アンタ、一体何やってんのよ! …ってゆーか、何、何なの、この状況はっ!?」
一気にまくし立てるメイの姿に、キールの表情が見る間に緩んで行った。
「メイ…、お前、元に戻った…!?」
「元って…何?」
メイにまじまじと聞かれ、キールは思わず頭を抱える。
「お前なぁ…、人にあれだけ反対されときながら実験やって、それはないだろーが」
メイを睨みつけながら言うキールに、メイはきょとんとした顔をしていた。
「つまり…実験の暴走で、パァになってたあたしを快方した、と」
「いや…、大分違う気がするんだが…」
事の次第をかいつまんで話そうとするキールに、メイがずずっと詰め寄って話していた。
そして、バツが悪そうに説明するキールを、メイは怪しげな目つきでじっと睨みつけた。
「な、なんだよその目は…」
「だって、さっきの状況から見たら、誰だって疑うっしょ」
怪訝そうにキールを睨みながら、メイはぼそぼそと言った。
「だから、さっきも言っただろう、あれはお前が…」
「だからって、何も同じベットで寝てること無いじゃん」
「それは…」
ぷぅ、と口を膨らませるメイに、キールは、昨夜のことを思い出し、言葉を詰まらせる。
幼児化していたときの、あの言葉は、
本当に、本心だったのだろうか?
ふと、俯きながら、キールはうかがうようにメイを見ると、
メイはますます疑わしそうにキールを睨みつけてきた。
「大体、一体全体、何の実験だったんだ、そもそも」
キールが、メイに睨み続けられるのに嫌気が差し、叫ぶように言うと、
メイはやおらきょとんとして、顎に人差し指をちょんと当て、
ふと、首をひねった。
「……あれ、何だったけ…」
呟くメイに、キールは思わず肩を落した。
それからしばらくの間、
研究院内で、キールとメイが噂になったことは言うまでも無いことである。
そのたび、しつこくキールを勘ぐってくるメイにげんなりしながら、キールは時々密か思っていた。
また、メイが一人で、何かの魔法実験をやらないか、と。
というわけで、キリ番14000をゲットされた、橘司様のリクエストによる、キール×メイでした。
…ストーリーに、何の規制も無かったもので、何やら一人で暴走して書き上げてしまったのですが…、
なんか、まるでラブラブ度がありませんね……(汗)
キルメイって、やはりギャグに走りやすくなるようです(笑)
ふっとネタが思いつき、勢いだけでかなり早いぺースで書いてしまいましたが、書いててとても楽しかったです。
実は、最初は、キールが幼児化(体ごと)する話、というつもりだったのですが、
それじゃ、メイに遊ばれて終わりだろう、と対象をメイに変えてみたのですが……、まぁ、結局あまり収集ついてないですね(爆)
お待たせしたわりに、こんな出来で申し訳ないのですが…、
橘司様、よろしければ貰ってやってくださいませm(_ _)m