嘘
「よぉー、殿下。 まーた真剣な目ぇして、お仕事ご苦労さん♪」
「……用が無いなら帰ってくれないか?」
ひたすら気楽な宮廷魔道師の声と、聞き慣れた若き皇太子の声。
ふとした用で王宮に来ていたシルフィスは、そんな声にぴたりと足を止めた。
…ただ、なんとなく、嬉しかったのだろう。
不意に聞くことの出来た、彼の声が。
きっととても、嬉しかったから。
ただそれだけで、別に進盗み聞きだとか、そういう気は毛頭なかった。
だけど。
「……最近富に忙しいんじゃねーの? …ちっとは休めよ、…体、もたねーぞ」
打って変わったシオンの低い静かな声に、シルフィスは無意識に壁に耳を近づける。
「……このくらい、当然だ」
凛とした返答は静かに聞こえた。
少しだけ、胸が高鳴るのを、シルフィスは感じた。
何とはなしに、ため息をもらす。
きっといつものように、
彼はとても毅然として、完璧に己の役目を果たしているのだろう。
中途半端な自分とは、まるで正反対の存在。
だからだろうか?
…そんなところに、自分は惹かれたのだろうか?
気が付けば、理由など分からなかったけど。
ただ思うのは、やはり、違うのだと。
シルフィスは、ため息をつきながら、壁から離れ、一歩前進した。
その時である。
「ま、確かに当然か。 『王子様』ならな」
「……何が言いたい?」
二つの、いつもと雰囲気の違うの声に、シルフィスは再び足を止める。
「あの、くだらない糾弾……まだ気にしてるのか?」
「…………」
「…ンな無理しまくらなくったって、お前は充分立派な王子様だと認められてるだろうが」
「……………」
「どうぜあんなもの、元々ただの口からでまかせの、単なる脅しだ、踊らされてどうする?」
「………………」
「そんなものにいちいち構うほうがよっぽど……」
「……うるさいっ!!」
あまりに大きな声に、シルフィスは思わずのけぞった。
…初めて聞いた。
そして思った。
殿下でも、あんな声が出るのだと。
「………セイル…」
部屋からは、小さく、シオンの声が響いていた。
「………怒鳴ってすまない。 …分かっている、分かってはいるんだ…」
セイリオスの声は、何故か震えていた。
「…だが、どうにも収まらない。 何かをしていないと、……落ち着かない」
弱い声は、誰か別の者のようにも思える。
「正直、自分でも滑稽に思うよ」
セイリオスは低く笑っているようだった。
「…どこまで、重たいのだろうな。 …王家の血、というヤツは……」
呟く声は、何故か悲しそうで、シルフィスは思わず耳を澄ませる。
すると、小さく。
「…最も、私には元々微塵も流れてはいないものなのだがな」
苦笑混じりに呟いた声が耳に入り、シルフィスは一瞬自らの耳を疑った。
………どう言う意味なのだろう?
微塵も流れてはいない?
だって、彼は、まごう事無き皇太子ではないか。
それなのに、何故?
そしてふと、数ヶ月前にたまたま居合わせた、教会でのある事件を思い出す。
そう、…あの、糾弾とは…。
なにか、パズルのピースが組み合わさるように、静かに思考が固まって行く。
紡ぎ出される結論は、酷く簡単で、とても明白なこと。
シルフィスは、そのまま、足早にその場を後にしていた。
「殿下?」
ある日、騎士団近くにて、
いつものお忍びスタイルのセイルに出くわし、シルフィスは思わず声を上げた。
「……しーっ! …道端で『殿下』は勘弁してくれ…」
セイルはバツが悪そうに呟いた。
「どうかしたんですか?」
シルフィスが問うと
「………ん、いや…。 …最近、会わないなと思って…」
セイルは口篭もりながら言った。
その言葉に、シルフィスは思わず顔を反らす。
確かに、
あの日以来、何となく気まずくなって、王宮や教会。
殿下と良く出会う場所には赴かなくなっていた。
それまでは、毎日のように行っていたのから、おかしく思われて当たり前と言えば当たり前だ。
「……何か私は、気に触るようなことをしたかな?」
セイルは気まずそうに言った。
シルフィスはそんなセイルに思わず顔を上げる。
だって、これはただの自分の我侭で、顔を見づらかった、それだけで。
それなのに…。
「そ、そんなことはありません! …ただ…ちょっと…」
真っ赤な顔をして言うシルフィスに、セイルはくすりを微笑むと。
「……それなら良いんだ。 …あ、今から時間はあるかな?」
いつもどうりの口調に、シルフィスはなんだか拍子抜けしてしまっていた。
それからしばし。
段々に夕闇に染まる丘の上。
セイルと良く来る場所だ。
ここは、王都からそう離れてはいないのだが、めったに人が来る事は少なく。
また、王都全体を見まわせて。 つまり一番落ち着ける場所、という所であった。
「…会えない間、私なりに色々考えてしまってね」
セイルは静かに呟いた。
ここに来ると、大抵彼は饒舌になる。
「きっと、君は自分の目的が果たせたら、王都からこんな風に、居なくなるのだろうな、とか」
寂しげに瞳を向けたセイルに、シルフィスははっとなる。
そう、
いつかきっと、遠かろうが近かろうが、必ず来る未来。
シルフィスはおずおずとセイルの方を向くと、
ふたつの瞳は静かに交差した。
「…君は、王宮は嫌いかな?」
静かに、セイルは言った。
「…い、いえ…そようなことは…」
声を上ずらせて言うシルフィスに、セイルはクスクスと微笑む。
「…少々言い方が回りくどかったかな…」
一言呟くと、少し真剣な眼差しを向け、
「王宮に、…いや、私の元に、…来る気はないかい?」
あまりと言えば、あまりな言動に、
シルフィスはしばし硬直していた。
今、殿下は何と言ったのか。 理解するには、少し時間がかかった。
そしてふと、シルフィスは我に返ると、
俯いて、顔を真っ赤に染め上げる。
「そんな…私など、そんな…」
自分でも何を言っているのか分からず、シルフィスはただ、それを繰り返し呟いていた。
「…も、もっと、殿下にふさわしい方はたくさんおります。 それに……、私はまだ……」
シルフィスは、しばらく口篭もり、
そして、
「……私は、…女ですらありません…」
そのまま、シルフィスは押し黙った。
…それは一番、触れたくないところ。
中途半端な自分の、最も恥ずべきところ。
出会って、惹かれて、そして、
惹かれ合って。
身分違いの想いと同時に、苛む痛み。
彼の側に在る。
その根本的な資格が、無い自分。
俯いたまま、黙るシルフィスの頬に、何かがサラリと触れた。
くすぐったいような、優しいような。
澄んだ空のような色のそれが、目の前をよぎった時。
不意に振り向いたシルフィスの口には、静かに暖かな感触が触れた。
そして、静かに顔を離すと同時に、はらりと空色の髪はまた風に舞う。
「…私は、君に…来て欲しいのだ。 シルフィス=カストリーズに、ね」
セイルは静かに呟く。
「ただの女など、それこそ掃いて捨てるほど居る。 でも、…君は一人しかいないだろう」
セイルの、見なれぬ不敵な笑みに、シルフィスは思わず瞳に涙を浮かべていた。
「でも…、でも、それでは、…殿下が…」
呟くと、セイルはやはり不敵に微笑み、
「……大丈夫、そういう嘘には、…もう慣れている」
意味深にそう、呟いた。
「それとも、…それが嫌ならば、いっそ私が王宮を捨てようか?」
意地悪っぽく、セイルは微笑む。
「そんな、そんなこと!」
シルフィスが思わずたじろぐと、
「…皇太子でない私は、嫌かい?」
「そ、そんなことじゃありません、殿下は、殿下です。 皇太子であろうがなかろうが、私はそんなことは…」
シルフィスの心からの言葉に、セイルは静かに俯く。
しばらく黙していた瞳には、涙をこらえた形跡が見えた。
「……だから、…私も、そうなんだよ。 シルフィス」
言いながら、セイルはシルフィスを強く抱き寄せていた。
「……皇太子でない私を見てくれる人というのはね、本当は驚くほどに少ないんだ。
そんなこと、自分が一番知っている。 でも君は、あの日の後だというのに、変わらぬ瞳を向けてくれた…。
だから…君なんだよ」
静かに、ぽつりぽつりと、セイルは呟く。
「殿下…、まさか、…あの時…」
「…君は相変わらず、隠し事が下手だ…」
小さく微笑むセイルに、シルフィスは小さく頬をこずいていた。
「でもやはり、殿下にご迷惑では? こんな私などが…」
しばらくして、シルフィスがそう呟くと、
「大丈夫。 言っただろう。 そういう嘘には、…もう、慣れているんだ」
思いっきり不敵に微笑んで見せるセイルに、シルフィスは少しだけ面食らっていた。
それからほどなく、クライン王家には新たな名が刻まれることになる。
アンヘル出身の異例の妃。
皇太子の一存により周囲を押し切って決まったとはいえ、婚礼時の妃の美しさは、しばらく人々の噂から消える事は無かった。
ただし、シルフィスが完全に女性に分化したのは、
婚礼から1年は過ぎてからのことだったと言う。
………突発、セイルシル話。 …なんというか、妙に攻めな殿下は書いていてむしょうに楽しかったです(苦笑)
なんだか、久々にファンタが書きたくなって、浮かんだキャラがたまたま殿下で、
×ディア以外では、ちらつきつつも結局出てこない出生の事を、もし相手に知られたら…とか思ってふと出来た話です。
…実は当初はセイルメイネタだったりもしたのですが(汗)
なんとなく、メイが相手だと、ケロっと済みすぎそうな気がしまして(笑)
折角だし、シルフィス書きたいなー、とふらふらと書いていました。
…ファンタ2の情報も待ち遠しい今日この頃。
やはり無印のキャラ達にも末永く元気で居て欲しいなぁと思ってしまいました。
…また、反則カップリングあたりで、シリーズでも書きたいなぁ、とか(爆)