「………え………」
口をついて出た声は、まるで自分のものではないようだった。
自らの声帯から発せられたとは信じたくも無いほど、低く、そして澄んだ声、
恐る恐る両手で体のあちこちに触れてみる。
動かしただけで違和感が走る、大きく硬い、自らの手。
体全体も、今までなかった場所に筋肉がみなぎるのを感じる。
がっくりと肩を落としながら、意を決し、シルフィスはベットを降り、手近な鏡の前に立つ。
「…………」
声は、出るはずもなかった。
いつもと同じ、金の髪。 緑の瞳。
それは何も変わらないのに…。
いつもよりも、頭一つ分は大きな、自らの体格が、どうにも落ち着かない。
元々整った顔は、前にも増して、凛々しさと精悍さを増していた。
そう、それは、どこから見ても…。
「………どうして……こんなことに……」
うずくまりながら、
男性化した自分の体を持て余し、ぽつりと呟いた言葉は、それだけ、だった。
…正直、思っても見なかった。
こんな日が来ることなど。
いつの頃からだろう。
自分は、女になるものだと、
そう思いこんでいた。
そう、
その人を、特別だと感じた。 あの時から…。
なのにどうして、
今目の前に写る自身の姿は、
こうも克明に、男性の姿をしているのだろう。
うずくまり、自らの両肩を抑えながら、
シルフィスは低いため息を洩らしていた。
「あれ? シルフィスではありませんの!?」
唐突にかけられた甲高い声は、良く見知ったものだった。
部屋に居ても落ち着かないし、
第一、服のサイズがまるで合わずに着る物も無く、
シルフィスは渋々と街に出て、
適当な洋服屋から出て来た瞬間の出来事。
…出来れば、知り合いには会いたくなかったのだけど。
まぁ、彼に出くわすよりはマシだった、と。
シルフィスは苦い笑みを浮かべると、
シルフィスは賢明に作り笑いを浮かべて振りかえった。
「…こんにちは、姫」
言いながら振りかえった顔が、途中で凍り付く。
シルフィスの姿に驚いている幼い姫。
その後ろ。
目を見開いたまま、呆然とこちらを見る、背の高い魔道士姿。
無意識に交差してしまった視線を、シルフィスは慌てて反らしていた。
「わぁ…、かっこいですわ〜シルフィス!」
しきりにはしゃぎたてる姫の声は、
何故かとても遠くの声にも聞こえた。
「これで、シルフィスも胸を張って、立派な騎士を目指せますわね」
にこにこというディアーナに、シルフィスは呆然としたまま会釈を返す。
……立派な、騎士。
確かに、この街に来たばかりの頃は、
騎士になるために、男になれれば、と思っていたものだ。
だけど。
「前例が無いなら、お前が打ち崩せばいい」
隊長の言葉は、大きな支えになった。
だから、それからはこだわらなくなっていたこと。
「………そっか…。 …良かったじゃねぇか。 シルフィス…」
いつもの彼からは考えられないほど、力無い口調。
「…もーシオンったら、もっと気持ちのこもった言い方は出来ませんの!」
隣に居るディアーナに突っ込まれ、ヘラヘラといつものように受け流して見せるその姿は、
少しだけ、痛々しかった。
一番、会いたくなかった。
見られたくなかった。
こんな姿の、自分を。
シルフィスは居たたまれなくなって、
軽く会釈をすませると、早々にその場を去っていた。
部屋に戻り、明かりもつけぬままうずくまるようにしゃがみこむ。
泣きたいのに、涙も出ない。
…どうして、こんなことになったのか。
シルフィスは必死で頭を巡らせていた。
アンヘル族の体は、思春期に、その心の動きにより変化をきたす。
つまり、男女、どちらに恋愛感情を抱くのか。
それが条件だったはず。
だったら何故、自分は、
彼と同じ、男性になってしまったというのか…。
一度変化してしまった体は、もう戻らない。
もう一生、自分は男性のままだ。
その事実が心に突き刺さって、シルフィスは絶望の淵に立たされていた。
思えば、最近は稽古をつけていても、今までとは意気込みが変わっていた。
今までは、
騎士になりたいと、
ただそれだけだった。
でも、今は、
彼に、近づきたいと。
彼に見合うような自分になりたいと。
立派な騎士になりたいという夢の目的は、大きく変わっていた。
強くなりたかったのも、
騎士と言う地位に憧れたのも。
その向うに居る、彼のためだった。
「おい、シルフィス、大丈夫か?」
ふと気付くと、窓から差し込んでいたのは、月明かりだった。
ドアの向うから、心配そうなガゼルの声が聞こえる。
だるそうに立ち上がり、ドアを空けると、ガゼルは心配そうに見上げてきた。
「大丈夫か? お前…。 男になったって話は聞いてたけど、…アンヘル族って性別決まる時体力使うのか?」
的外れな、でも親身になって心配してくれる眼差しは、とてもありがたかった。
そしてふと、その横にある見慣れた顔に目が行く。
「はろはろ〜」
力無く呟きながら手を振るメイに、シルフィスは思わずきょとんとした。
「どうしたんですか、メイさん」
ガゼルが去った後、手近な椅子にメイを促して、ふと訪ねるシルフィスに、メイは得意げな顔をして、
「いや〜、なんかシルフィスがついに分化したってんで、これは一目見ねば! と情報通のメイさんとしては思ったわけよ」
にこにこと呟くメイに、シルフィスはたまらずため息を付く。
そんな姿に、メイはふと表情を曇らせ、
「……でも、…まさか、男…だったとはね…」
ぽつりと呟かれたその声に、シルフィスははっとなって顔を上げた。
「……メイさん……知ってたんですか…? その、私の……」
「ん……まぁね。 …で、シオンは何してるわけ?」
おずおずと言うシルフィスに、メイはやれやれと肩を落として言うと、シルフィスは俯いたまま黙り込んでしまった。
そのまま、肩を震わせる姿に、メイがたまらずシルフィスの名を呼ぼうとした時、
ぽつりと、膝に乗せられたシルフィス自身の手の甲に、小さな雫が一粒だけ落ちていた。
その夜、シオンは自室でぼんやりと月明かりを追っていた。
昼間見た、あれは、
やはり、事実だったのだろうか、と。
今思っても、まるで真実味が欠けている気がしてならない。
だって、シルフィスはいつも、
いつでも、自分を見つめていたと、知っていたから。
珍しく、気になっていた相手。
気が付けば、本気になりかけていた気持ち。
いや、
「もうとっくに、本気…だったのかもな…」
ポツリと呟いた声は、すぐに風に溶けていった。
だって、こんなにも憂鬱になっている自分が、ひどくおかしくて、
シオンは小さく含み笑いをした。
その声は、押し殺した泣き声にも似ていた。
つい先日まで、『彼女』と認識していた相手の
『彼』としか呼べないあの姿が、いつまで眼の奥から離れなかった。
そしてふと、シオンは思った。
そう言えば何故、シルフィスはあんな表情をしていたのか。
ずっと焦がれていた日。 やっと性別が決まったと言うのに……。
そして、はっとなる。
もしかして、と、シオンは口元に手を当てていた。
その瞬間。
トントンと、ドアが叩かれる。
慌てて駆け寄って開けて見ると、
「姫さん?」
まるで予想していなかった姿に、シオンはきょとんとする。
「シオン、なんだか昼間から元気がなかったみたいだから、…その、ちょっと心配になって…」
似合わないほどモジモジとするディアーナに、シオンは思わずクスクスと笑い、
そしていつものように、にやっと微笑むと、いつものようにディアーナをからかい始めた。
しばらくしてぷいと出て行くディアーナの後姿を目で追いながら、
…やっぱり、会って、聞いてみるかな…。
シオンはふと、意を決し、そしてそのまま、パタンと部屋のドアを閉めた。
一夜が開けても、何も変わらない。
ただ、あの時、ただの一粒だけ流した涙のおかげで、少しだけ気持ちが晴れていた。
だから、
…決着は、付けなければ、と、
シルフィスは王宮へ行こうと、決心していた。
そして、騎士団の扉を開けた、その時。
「……シルフィス…?」
「シオン…様?」
いきなりばったりと遭遇してしまった二人は、思わずそのまま硬直してしまっていた。
そのまま、とりあえずシルフィスは自室にシオンを案内することにした。
そして、なんとはなしに入れたお茶が置かれたテーブルに腰をかけることもなく、二人は何も言えずに立ちすくんでいた。
「……あの」
ぽつりとシルフィスが何やら口にしようとすると、シオンはやれやれとため息を付く。
「やっぱりな…」
呟いた言葉に、シルフィスは思わずきょとんとしてしまった。
「……お前、その姿。 なりたくてなったわけじゃ、ないんだな」
静かに言われた言葉に、シルフィスは思わず表情を曇らせ。
そして、小さく頷いた。
「ま、なっちまったもんは仕方ねーやな…」
短い沈黙のあと、シオンはふっと呟いた。
「でもま、一応、はっきりさせておくべきことは、はっきりさせたいわけ、俺は」
ふいに真っ直ぐシルフィスを見据え、シオンは言った。
「……でも、私にも何が何だか……」
俯いて小さな声で言うシルフィスに、シオンはふとため息を付く。
「何の要因も無く、アンヘ種の体が変化することはない。 良く考えろ」
その言葉に、シルフィスはぴくりと体を震わせる、
そして考え込むが、やはり全く分からなかった。
そんな様子に、シオンはたまりかねてふぅと息を吐く。
「じゃ、単刀直入に聞くが、…お前、俺に惚れてたか?」
「………!」
いきなりな問いかけに、シルフィスは思わず目を見張った。
「そ、それは………」
いまさら、どう言えばいいのか、シルフィスが戸惑っていると、
「…ちなみに、俺は、…惚れてたけどな…」
まったくもって何気なく、さらりと告げられたその言葉に、シルフィスは思わずシオンを真っ直ぐに見つめた。
シオンは、その目を反らそうともせずに立ちすくんでいる。
「……ったく、…だからわざわざ、こーして出向いてるんだろーが…」
頭をぽりぽりと掻き毟る姿に,シルフィスはいたたまれなくって、その場に腰を落としてしまった。
「……なんで……ど…して…今になって…」
ぽつぽつと声を発しながら、シルフィスは己の肩を強く抱きしめる。
そして、そのまま、シルフィスは募っていた想いが溢れ出すのを感じていた。
「……好き……でした、私も……。 いいえ、…今だって……」
震える声に、シオンは表情を曇らせる。
「なのに、どうして、こんな……こんなことに………」
シルフィスは、言いながら自らを抱きしめる力を強めた。
「……あなたが好きで、あなたに近づきたくて……。 強くなりたいと、…もっと、もっと強くなりたいと……。立派な騎士になろうと、毎日、そればかりを考えて……」
洩らされた声に、シオンは肩を落とす。
「…なるほどな……」
ぽつりと、シオンは呟いた。
…強くなりたいと、立派な騎士になろうと、
原因は、それだろう、と。
二人とも、感じていた。
しばらく、沈黙が続き、そしてふと、シオンはシルフィスの肩を叩いた。
初めて振れた広く硬くなった肩に、シオンは少しばかり戸惑ったが、それは顔には出さなかった。
「すみません………」
呟きながら、よろよろと立ちあがる姿に、シオンはふと笑みを投げかける。
「…なにあやまってるんだよ。 …立派な騎士になるんだろ」
肩を小突かれ、言われた言葉に、シルフィスはふとシオンを見る。
ふと気がつけば、立ち上がった二人の目線は、同じ高さになっていた。
真っ直ぐに見据えられ、シルフィスは思わず言葉を失う。
いつもの彼からは考えられないほどの真剣な眼差しで言われ、シルフィスは面食らっていた。
そして、そうかと、肩を付く。
そうだった、
自分の体の変化に動揺していたのは、自分だけではなくて、
改めて気がついたシオンの想いに、シルフィスははっとなる。
「あの、シオン様、私……」
何を言っていいのかも分からずに言葉を発すると、シオンはクスクスとしながら、
「…なにシケた面してるんだよ」
一言笑い飛ばすと、
「……強く、なれよ。 世界一の騎士に。 この俺を、振ってまで選んだ道だろーが」
ふと再び真剣な眼差しで言われ、
語尾のにやけた言いまわしにつられ、シルフィスはそのままにっこりと笑顔を見せる。
「はい」と力強く答えたシルフィスに、シオンは満足げな笑みを返してきた。
シルフィスは、何となく感じていた。
もしかしたら、自分が望んでいたものは、これだったのかと、おぼろげに想う。
彼に追いつきたいと、
同じ目線で、同じ方向を向いて、
共に笑って語らえたら、と。
今はまだ、気持ちの奥が疼いているけれど、
この気持ちの行きつく結末にあるものが、友情であっても、
それはそれで悪くは無いと。
シルフィスの胸の内にあった想いは、静かに色を変えていた。
…そして、この話には、少しだけ続きがある。
「ねぇシルフィス、どうしてもダメなわけ?」
「そうは言いましても、騎士と言うのは王家の方のスケジュールに準じているわけでして…」
騎士団の小窓からひょいと顔を出しているメイに、シルフィスはバツが悪そうに微笑みを返す。
「でも、明日あたしの誕生日なんだよ」
「ですから、埋め合わせは必ずしますから…」
困った顔のシルフィスに、メイがずずいと詰め寄る、すると。
「おやおやお暑いねェ〜」
「ほーんと、うらやましいですわ♪」
突然脈略無く、いつのまにやらそこにいる二つの影。
「恋人の誕生日に共に夜を過ごせないなんて、男がすたるぜ、シルフィス」
何やら意味も無くウィンクを交えつつ言うシオンに、シルフィスは肩を落とす。
「あら、でもたしかシオンも、私のお誕生日にはなーんにもして下さいませんでしたわ」
「だから、あれはたまたま隣国へ出張しててだな〜、ちゃんとアイシュに頼んで、花だけは贈っておいただろうが」
「ふん…ですわ」
必死で弁解するシオンに、ディアーナは面白がっているかのようにそっぽを向いていた。
そんな様子に、シルフィスとメイはクスクスと二人を見つめている。
そんな光景は、いつのまにやら騎士団の日常茶飯事となっていた。
…まぁ、それもまた、ひとつの結末、ということで。
……なにやら、暗めなうえ、へぼへぼな出来ですみません(汗) かなり以前に出来ていたネタだったにもかかわらず、ずっと書きそびれていて、いざ書き出したらいきなり収拾がつかなくなってしまいました(爆)
とりあえず、好きな相手がいたのに、何故か男になったシルフィス、というのが書きたくなった、ということで。
それで、相手を考えたところ、まず第一候補であがったキールは、というと。 まず収拾つかなくなる、ということで没になり(苦笑)セイルやら色々考えた結果、一番なんとかなりそうなシオンに落ち着いた、というわけです(笑)
それにしても、あまり収拾ついてませんね(汗)
でも、男同士の友情というのも、中々に良い関係なのでは? と思うのは正直なところだったりします。
これもまた、シルフィスの特権ですしね〜。
ま、とりあえず、本気で拙い話ですみませんでした(汗)
とりあえず、ファンタはまたぼちぼち書きたい短編がちらほらしていますので、どうぞよろしくです(^^;
ではでは。