コンプレックス・ハート
…それを最初に気付いたのは、
いつのことだったのだろう―。
ただ、その時は、あまり気にはならなかった気がする。
それならそれでかまわない、と。
だけど、
その瞬間を、見てしまった、あの日からは…。
「…大分疲れてるみたいだね」
セイリオスは静かに、隣に居る細身の人影に囁く。
「…まぁ、王宮のしきたり等には、私はまるで素人ですからね。 …仕方ないです」
にっこりと答える金色の髪の美女。
シルフィスが女性へと分化を遂げ、
そして、この王宮へとやってきた。
それはもう、随分と前のこと。
そして、
そのことに最も驚いたのは、ディアーナだった。
だって、つい先日まで、知らなかったから。
シルフィスとも、
セイリオスとも、
それなりに仲良く、普通に接していたはずだったのに、
二人の仲が、そうなるまで、
ディアーナは、
何も知りはしなかったのだから。
でも、
相手がシルフィスならば、まぁ良いかなと、
だって、
分化前も綺麗だったシルフィスは、完全に女性になった今、さらに磨きをかけて美しい。
あの姿を見たら、
同性である自分だって、時々どきっとする。
だから、まぁ、
仕方ないのかな、と。
それでも、
どこかに気持ちはわだかまる。
どうして、と、
心がどこかで告げている。
どうして、
あんなに仲良く接していたのに、
どうして、
自分には、何も言ってはくれなかったのだろう、と。
シルフィスが、来るべきその日に備え、宮廷教育を受けている最中、
そう、
それは、そんなある日の、出来事だった。
「殿下は、もう御公務は終わったのですか?」
「……あ……いや…」
「だめですよ、こんなところで油売っていては…」
「……全く、式も挙げる前から、私を尻に敷くつもりかい?」
にこやかに話して、クスクスと笑い合う二人。
たまたま通りかかったディアーナは、少しつまらなそうに壁に背をもたれかける。
どうして居合わせてしまったのか、
どうして、自分はこんな所に立ち止まっているのか。
すぐ横には、ちょうど窓から夕日が差し込んでいるのだろう、
二つの人影が伸びている。
良くは分からない、
でも、落ち着かない。
これじゃあ、まるで盗み聞きだ。
分かってはいるのだが、
足は、言う事を聞かない。
「……でも、…本当に、私で良かったのですか?」
シルフィスの不安そうな呟きが聞こえる。
「今さら何を言うんだい?」
セイリオスは静かに答える。
「でも、…やはり私など、殿下と釣り合うのかな、と…」
力ない声が響く。
「ただでさえ、アンヘル種が王家に入るなんて、きっと嫌に思う方々も多いと伺っ…」
か細い声は、そこで途切れた。
衣擦れの音と共に落ちた沈黙は、しばらく続いた。
すぐ側に伸びた、二つの人影は、重なり合って時を止めていた。
そして、
人影がふっとまた二つに分かれ、
あわてて大きく息を吸う、シルフィスの声。
チクリ、と
ディアーナは胸に何かを感じた。
そして、再び衣擦れの音。
重なる人影。
「………殿下…?」
何かに覆われたようにくぐもった、シルフィスの声。
「私が愛しているのは、君だけだ。 …それだけじゃ、不服かな?」
落ち着いた、静かな声。
「…周りの者の言う事なんて、気にしなくて良い。 する必要もない」
セイリオスは、静かに言った。
「…私は、私の持つ全ての力で、君を守るから…」
しばし、黙したあと、重なったの人影は、微妙に蠢く。
「私はいつでも、君の、君だけの味方だ…。 それを忘れないで…」
しばらく、重なり合った影は、動かなかった。
ズキン、ズキンと、
何かが痛む。
先程から、足元は酷く震えている。
分からない、
何もかも分からないまま、
涙が、こぼれた。
「ん? よぉ、姫さん!」
「……!!」
唐突に掛けられた声に、ディアーナは血相を変えて、その場を全速力で離れた。
何が何やら、自分でも理解できず、
ただただ、無我夢中で、走っているだけだった。
走り去るディアーナの前で取り残され、
シオンはふと横を見て、
ふぅ、と、
一つだけ、ため息を洩らしていた。
…君だけ、だから、
私が、愛しているのは…。
君だけの、味方だから……。
頭の中で、何度も繰り替えさえれる言葉。
ディアーナはベットに突っ伏して蹲ったまま、微動だにしない。
君だけだから………。
「……それじゃあ…」
ディアーナは、突っ伏しながら言葉をこぼす。
「それじゃあ、わたくしは………、一体、…何なんですの…?」
そのまま、ディアーナは再び沈黙した。
今になって、ようやく分かった。
余りに幼い、この気持ち。
「……お兄様…」
静かに呟いて、ディアーナはまたひとつ、涙をこぼしていた。
「よ、姫さん」
「……へっ!?」
唐突な呼びかけに、先程まで涙に暮れていたディアーナは、思わずマヌケな声を上げた。
「し、シオン、なんなんですの一体!?」
慌てて顔をくしゃくしゃと拭き、ベットから飛び降りる。
シオンは、ふっと小さく息を洩らすと、そのままずかずかとディアーナの部屋に入ってきた。
「ほれ、忘れモン」
ぽいっと、どうやら先程走ったひょうしに落ちてしまったらしい、お気に入りの帽子が投げ渡された。
「出場亀とは、またイイ趣味じゃねぇか?」
シオンはわざとニヤついていって見せた。
ディアーナは何も返さない。
そんな姿に、シオンはたまりかねたようにクッと息を付き、
次の瞬間。
「きゃっ…」
唐突に抱き寄せられた体を持て余し、ディアーナは思わず叫んだ。
「……泣きたい時は、…泣いちまうのが一番だ」
ディアーナをきつく抱きしめたまま、シオンは呟いた。
「……わめきたい時は、思いっきりわめいたって、いいんだぞ」
耳元で囁かれる、その言葉。
「大丈夫。 …今は、俺しか聞いてない。」
胸のうちから、次から次へと、気持ちが溢れ出す。
「わ、わたくしは………」
「………ん?」
「……わたくしは…おにいさまの…ことが……」
そこまで呟いて、ディアーナの中で、何かがはじける、
「……お兄様、お兄様、お兄様ぁ…」
ディアーナは、ただそれだけ、何度も何度も呟きながら、しばらくシオンの胸のうちで、涙を流し続けた。
「……どうして、…なにも言ってくれなかったんですの?
どうして……わたくしだけ…何も知らなくて……
わたくしだけ………」
ヒックヒックと喉を鳴らしながら、ディアーナは涙声で呟いた。
「わたくし……」
「……寂しかった……、ずっとずっと、……寂しかった……」
やっとの思いで外へ出せたその言葉。
シオンは何も言わずただ頷いて、ディアーナを抱きとめ続けていた。
しばらくして、大分落ち着いたディアーナは、少しばかりバツが悪そうに、シオンと二人で立ち尽くしていた。
「……ご、ごめんなさい…わたくし……」
俯きながらぽつぽつと何かを言おうとするディアーナに、シオンはにこっと満面の笑みを浮かべ、
「いいっていいって、気にすんな」
くしゃくしゃと、ディアーナの頭を掻きまわしながら呟いた。
そして、ふとディアーナが呟いた。
「……わたくし…変なのかしら…」
「は?」
その呟きに、シオンは思わず問い返す。
「だって私……お兄様のことが、好き…だったんですわ、きっと…」
「……………」
「だから、こんなに苦しくて…、こんな…」
続けようとした言葉を遮るように、クニッと捕まれた頬にディアーナは顔を歪める。
「な、なにするんですの!?」
「……なーに言ってるんだか」
シオンは真っ赤になって怒るディアーナに、ケラケラと笑いかけた。
「…姫さんは、恋なんてしたことねーよ。 …まだ、な」
さらりと、シオンは呟く。
「で、でも、すっごく切なくって苦しくって…」
「そりゃそうだ、大好きな兄貴を取られちまったんだからな」
「……………、で、ですから、その好きっていうのが…」
「だから、大好きな、『兄貴』だろ」
つんと、鼻先をつつかれ、ディアーナは思わず黙する。
「じゃあなにか、姫さんは、殿下とあーんなこととか、こーんなこととか、本気でしたいってか?」
「…………へ?」
シオンの言葉に、ディアーナは思わず声を洩らす。
ふと浮かんだのは、先程目撃した、セイリオスとシルフィスの場面。
ディアーナは見る間に真っ赤に染まった顔を思わず手で抑える。
「………な、……何かが違いますわ……」
おずおずと呟く言葉に、シオンは笑顔で、「……だろ?」と答えた。
そして、ふとディアーナはきょとんと表情を止める。
「じゃ、じゃあ…」
「…要するに、姫さんの殿下を好きな気持ちと、セイルのシルフィスを好きな気持ちは、全然違うってこった」
はっきりきっぱり言って、シオンはディアーナの肩をぽんと叩く。
「…………………」
あっけにとられているディアーナに、シオンはにっこりと笑う。
「ま、しゃーねーやな、セイルはずっと、姫さんにべったしだったわけだし。 それをいきなりだもんな」
そして、にこっとほくそ笑むと、
「ここだけの話、アイツ、姫さんにシルフィスのこと、どう切り出そうか、一番悩んでたからな〜」
にっこりと言って、ウィンクひとつ。
悩んでいた…、
それはつまり…、
「シルフィスと婚約後も、なんか姫さんによそよそしかったのは、そのせいだろ、きっと」
それで、
だから、
ディアーナだけが、そのことを、知らなくて…。
「………も、もぉ、…お兄様ったら…」
ディアーナはクスッと微笑みながら呟く。
この世には、色んな、色んな『好き』があって。
だからそれは、ひとつだけとは限らなくて。
ディアーナは、にっこり微笑みながら、
最後の一粒の涙をふき取った。
そして、ふと思い出したようにシオンは笑って、
「…そういえば、前に聞いたんだけどさ、…姫さんのこと、メイの世界じゃこう言うらしいぜ」
「……え?」
ディアーナは思わず聞き返す。
シオンは、にっこりと微笑み、
「…ブラコン、ってな♪」
その意味がわからずきょとんとするディアーナに、シオンはますますクスクスと微笑んだ。
思わずぼーっとしているディアーナの頭を、またくしゃりと撫で、
「まぁいいや」
呟くと、シオンはそのまま、部屋の出口へと向かった。
そして、呆然と見送るディアーナに、ふと振り返ると、
「また、寂しくなったら呼べや、…いつでも胸貸してやるから」
呟き、きびすを返し、
「…だから絶対、俺以外の野郎の胸は借りるなよ」
ふと真剣な声で呟くと、シオンはその場から立ち去って行った。
シオンのそんな後姿に呆然としながら、
ディアーナはふと、先程返された帽子を、クシャっと掴む。
その胸には、確かに、
今までに感じたことのない、温かさを感じていた。
…なにやら、自分でつけたタイトルに薄ら寒いほどの恥ずかしさを感じます(爆)
しかし、他に浮かばなかったのでつい……。
なんだか、恋としてではなく、純粋にブラコンしてるディアーナが、無償に書きたくなりまして。
とりあえず、セイル婚約後のヤキモチネタということで、相手は……と考え、
なんとなく、シルフィスになっていました。
…メイだと、なんだかあまりディアーナが思いつめそうなエピソードに持って行くのが辛そうだったもので(笑)
そして、じゃあディアーナを慰めるのは誰? とか思ったら、唐突にシオンしか頭に浮かばず(苦笑)
ま、こうなりました。
なんとも、突発的で拙い出来ですみませんが…(汗)
ここまで読んでくださってありがとうございます。(^^;