− 謳 −
遠く果てなく届く声。
澄み切った言葉。
癒す言葉。
けれど。
貴方の心を癒してくれるのは、誰…?
「神子様っ!?」
藤姫の声が耳に届く。
巻物から目を離し、翠蓮は簾を潜った。
「どうかしたんですか?藤姫…。」
「神子様がいらっしゃらないんですっ!私が薬湯を頼みに行っている間に出て行って
しまわれたらしく…。」
「…え!?そんな…心当たりは?」
「桜が見たいと仰られてました。案朱かと思いますが…。」
翠蓮は慌てて巻物を棚に戻す。
「翠蓮様?」
「私が見て来ます。もし暫くして帰って来なければ誰かを向かわせて頂けますか?」
「はい…宜しくお願いします…。」
翠蓮は濃紺の髪を靡かせて、足早に去って行った。
「あかね様!あかね様ー!?」
桜の木々のざわめき。
花弁が、舞う。
「…いらっしゃらないのでしょうか…。」
翠蓮は、ふと足を止めた。
桜の色に混じった、赤い色――。
「…!!」
見覚えのある、姿。
「貴方は…」
「誰かと思いきや…神子の側仕えか。…翠蓮。」
「…!私の名前を呼ばないでっ!!」
翠蓮は荒々しく言い放つ。
いつもとは全く違う気迫。
「我が名を忘れたか?」
「忘れるはずがないでしょう?…アクラム。」
睨み付けるような視線。
桜が、強風に舞い上がる。
服の裾も。
髪も。
同じように風に乗った。
「何をしに来たと言うの…この場所に…。」
「さあ…。本来ならば、今すぐここを穢しても良いのだがな。」
「…!私は、何をしに来たのと聞いてるの。…貴方の考えなんて解らない。
ただ穢れを増やそうと言うのなら…」
翠蓮は自分の手を固く握る。
この場所は穢させない。
…絶対に。
「神子を探して来たのだろう?私に構っていて良いのか?」
「…神子様がここにいると言う確証も、いないという確証もない。
貴方がここで何かをするつもりなら、私は貴方を止める方を優先するだけ。」
アクラムは、嘲るように高く笑った。
濃紺の髪が、靡く。
銀の双眸が、鋭く向けられている。
「良い身分だな。何がお前をそうさせる?神子か?それとも鬼に対する憎しみか?」
「貴方には関係ない!」
「そうか…?…お前の中には、私と同じ血が流れていると言うのに。」
「…貴方とは同じじゃない!貴方なんて、私は知らないっ!!」
翠蓮は振り切るように叫ぶ。
違う。
「…お前の母は鬼の血を引いていた…。お前の母は人間と鬼との間に生まれた者。…
そうだろう?」
「だから何だって言うの!?譬え私の中に鬼の血が流れていても、貴方達と目的を同
じにする理由にはならない。
…私はどんな事があっても、貴方達の味方にはならない!」
アクラムが、ふと何かの気配を感じた。
「…神子か。」
「え…?」
翠蓮が振り返ると、そこには。
木の幹に手を当てて、呆然としているあかねの姿。
「あかね…様…。」
「翠蓮さん…。」
呆然とした声が、静かに交差した。
「…これでもお前は、神子につけると言うのか?神子も翠蓮を信じられるのか?」
微かな嘲笑を残して、アクラムは何処かに消えた。
翠蓮は、ただ手を硬く握り締めていた。
「翠蓮さん…今のって…」
あかねの言葉の続きを察し、翠蓮は数秒間、眼を閉じた。
――そして。
「…少しだけ、昔話に付き合ってもらえますか?あかね様――…」
静寂が、空を包み込み始めた。
一瞬の強風で、木々が大きく音を立てた。
「私の母は、道端で倒れているのを大臣である父に拾われました。
名前しか明らかにしなかった母は、すぐに不審な者として忌わしがられました。
けれど、父はそんな母にも優しく接してくれたのです。
母もそんな父の優しさに触れて、だんだんと心を開いて行きました。
ただ、自分が誰なのかは、ずっと明らかに出来なかったのです。
…母は、父親を鬼に持つ、言わば混血児でした…。
父がそれを知ったのは、母が息を引き取る寸前…。
私が、生まれて一年が経つ頃です。
その時、既に父は母を妻として迎えていました。
けれど周りは母が亡くなったのをいい事に、父に言い寄るようになったのです。
ですが父は私という子供を抱えていました。
まだ幼い私を、醜い大人の争いに巻き込みたくないと父は言いました。
…その中で、私を育ててくれると行った女性がいました。
それが今の父の妻の女性です。
高い地位の貴族の末娘と…そう聞いています。
けれど私は先妻の子。
身分を持つ訳には行きません。
…絶えられなかったのです。
貴族の私を見る眼が。
母が鬼の血を引いているというのは、私と父しか知りません。
…ただ、素性の知れない女を母に持っているのなら、譬え父親が大臣でも、誰も受け
入れようとはしない…。
そんな私を見兼ねてか、父は私に仕事を下さいました。
神子の侍女…。あかね様、貴方を守る仕事です。」
「翠蓮さん…。」
「私を軽蔑しますか?
鬼の血が流れる人間など、傍には置きたくないと思いましたか?」
翠蓮の髪が風に乗る。
あかねは、そんな翠蓮を見ているしか出来なかった。
「…何時死んでも良い命だと思っていました。
辛い思いをするくらいなら、死んで楽になりたいと願っていたのです。
…私は、とても弱い人間で…あかね様、貴方に使えられるような者じゃない。
…自分すら必要としない人間を、他人が必要としてくれるはず無いでしょう…?
私は、あかね様の優しさに付け込んだんです。」
「そんな…翠蓮さんは優しいですよ!」
「…優しいのはあかね様です。私は優しくなんか無い。
一番楽な道に逃げているだけ…。」
あかねの桃色の髪が揺れる。
桜が舞う。
夕暮れが近づく――。
「…翠蓮さん、自分を嫌わないで下さい。
…私は神子としてじゃなく、元宮あかねとして…翠蓮さんが好きなんです。
皆、そう思ってます。絶対に。
翠蓮さんが自分自身を嫌いでも、私は翠蓮さんを嫌えないから…。」
「あかね様…」
「…帰りましょう…?皆、待ってます。
私が、一人で出歩いた所為で、心配掛けちゃいましたね。
翠蓮さんの事も心配してます
…皆、翠蓮さんの事が好きなんです。…これだけは信じてください。」
戸惑いも無く差し伸べられた手。
翠蓮はゆっくりと歩く。
あかねの隣を。
「…翠蓮さん、私は鬼を…倒す訳じゃない。救いたいんです…。」
「…はい。」
橙色の空。
桜の花弁が空に消えていった――…。
橘司様より頂いた、オリキャラ創作第三段。
オリキャラ、翠蓮ちゃんの過去のお話です。
なんとも切ないお話で、とっても感動してしまいました(^^