夜
「ふぅ…」
かすかに開いた窓の隅から覗く月を見上げながら、あかねは何度目かのため息をついた。
― 京の夜は静か過ぎる。
時折吹く風以外、なんの音もしない空間で、またひとつため息が響いた。
自分でもらしたため息だと分かっていても、音が立つだけで多少落ち付く。
「今、何時くらいなんだろう―」
ぽつりともらす呟きは、すぐに沈黙にかき消された。
時計の無い生活には、大分慣れたつもりではいたが、なんとはなしに落ち着かない。
こんな風に、意味も無く寝付けない夜は、一層静寂の重さがのしかかってくる。
辺りを見れば、小さな行灯の光が落ちた室内は、1歩前すらも見えないほどの闇に包まれている。
暗闇と沈黙は、いらぬ不安を掻き立てる。
あかねは、ともすれば大声で泣き出したいような気分になり、思わず部屋の襖を開け放った。
すると。
「神子殿?」
「頼久さん?」
二つの声は、見事に重なって発せられた。
「…頼久さん、なんでこんな所に…?」
「…その、神子殿のお部屋から、風が吹いてきたように感じたので…」
頼久は気まずそうに述べた。
「あ…、ちょっと窓を開けてたんで…」
あかねもつられて気まずそうに答える。
「…こんな時間に、何をなさっておられたのですか?」
「……その…、…ちょっと月を見ていて………、すみません…」
「…? なにをあやまるのです?」
しどろもどろに言うあかねに、頼久はいぶかしげに問いかけた。
「え? あ…、だって夜更かしって良くないし…」
あかねはさらに気まずそうに答える。
そんなあかねに、頼久は優しげに微笑みかけた。
「眠れぬ夜は、誰にでも等しく訪れるものです」
あまり見ることのない頼久の笑顔に、あかねはつられて顔をほころばせた。
考えて見れば、
頼久も、こんな時間にうろうろしていたということは、おそらく似たような理由からなのだろう。
そう思うと、自然とあかねの表情にも笑みが浮かんだ。
「…神子殿のお部屋からは、月が見えるのですね」
ふいに頼久はぽつりと呟く。
あかねはきょとんとして、
「頼久さんのところからは、見えないんですか?」
「ええ、ちょうど方向が逆でして…」
「…そうなんですか…」
あかねが答えると、頼久は再び微笑を浮かべた。
「…眠れぬ夜は、月の光を追い掛けると、心に忍び込む邪を祓えるのだそうです。 …私も、月を見ながらよく夜を明かしたものです」
どこへ知れず視線を向け、頼久は懐かしそうに話した。
そんな様子を見て、あかねはにっこりとひとつ笑い。
「じゃあ、一緒に見ませんか? …今日はとっても綺麗な三日月ですよ。」
無邪気な笑みをたたえながら、あかねは言った。
京の夜に明かりを照らすものは、月以外何一つない。
一人眠れぬ夜、気晴らしに明かりを求めるのは誰も同じようで、あかねはなんだか嬉しくなっていた。
「…しかし、神子殿…」
なにやら反論しようとする頼久をよそに、あかねはさっさと頼久を部屋の窓辺に引き込んだ。
少し寝乱れた布団の上に並んで腰掛け、思わず顔を染める頼久に、あかねはまったく気づいていないようだった。
開け放った窓から月を見上げ、二人はしばし雑談を交わした。
その中でも、頼久の興味をそそったのは、あかねの元の世界の話だった。
頼久の持つ知識ではとうてい想像もつかない世界。
普段どうしてもは「龍神の神子」としての意識が強いが、そんな話を聞くと、彼女は本当にただの女子だと思えてしまうから不思議だ。
…いや、ただ今まで、考えないようにしていただけなのかもしれない。
「龍神の神子」でない、彼女のことなど…。
ふと横を見ると、彼女は切なげに月を見上げている。
いつのまにか白み始めた空を見つめ、二、三度あくびをもらす姿に、頼久は思わず微笑みかけた。
「龍神の神子」になる以前の彼女。
それは、遠く想像すら及ばぬ世界の話。
しかし、こんなにも興味が湧くのはなぜなのだろう…?
頼久はしずかにため息を付くと、ふいに肩にもたれかかる何かに気づいた。
「…神子殿…?」
思わずその名を紡ぐが、返事は返ってこない。
代わりに、小さな寝息が耳に届いた。
思わず慌て、姿勢を崩すと、あかねはそのまま、小さな吐息を漏らしながら倒れこみ、
丁度、頼久に膝枕をされている形になっていた。
気持ち良さそうに眠りにつくあかねを起こすわけにもいかず、頼久はため息混じりに、そのまま押しとどまることに決めた。
時折つく小さな寝返りが妙にくすぐったい。
頼久はそのたび、顔を染めてはあかねの寝顔に見入っていた。
もし、京に平和が戻り、龍神の神子の役目を終えたら…。
今目の前にいるこの少女は、自分には想像もつかぬ場所へと去っていくのだろうか…。
頼久は静かにあかねの寝顔を見つめた。
「役目を終えたらどうするか?」
そういえば、以前彼女に問われたことがあった。
…そんな先の事など、あまり深くは考えてはいなかったが…。
来るべき未来。
その時自分は、
彼女のいなくなった世界で、
一体、どうしろというのだろう…?
「………ん……」
あかねの漏らした小さな声に、頼久はふいに我に返った。
何度目かの寝返りをつくあかねに、頼久の顔は自然にほころぶ。
再び寝息を立てるあかねを見て、頼久は思わず微笑をもらした。
― 悩む必要など、なにもない…。
頼久は決意に満ちた眼差しで、あかねを見つめた。
…彼女のいない世界など、ありえないではないか。
「…あなたは、私のたった一人の主…。 …どこまでもお守りいたします…」
頼久はそっとあかねの髪に手を触れた。
「……そう、たとえあなたが、私の知るべくもない場所へと旅立たれるその時も、……必ず、お供いたします…。」
小さな声で呟きながら、頼久はそっと、あかねの頬をなでた。
「きゃっ!? …よ、頼久さん、やだ…すみません……、あたし…寝ちゃってた?」
唐突に目を覚まし、あかねは真赤になって大慌てしていた。
「…いえ、お気になさらず…」
しどろもどろとするあかねに、頼久は小さく微笑んだ。
そんな頼久の態度に、あかねはますます顔を染め上げた。
「…本当にすみません…、あ、もしかして頼久さん、寝ずにずっと…」
「…ええ、まぁ…」
「…ああああ」
恐る恐る尋ねるあかねに、頼久が答えると、あかねは思わず声を上げた。
「あの…ホントごめんなさい…。 あぁ…もう朝になっちゃた…。 …今日はゆっくり休んでいて下さいね」
あかねの部屋の前で、今だばつが悪そうに、あかねは頼久に話し続けていた。
「…その、どうかお気になさらないで下さい、…私が勝手に居ただけですので…」
「そんなことないですよ…、元々誘ったのは私だし…」
そこまで言って、頼久の顔を直視していたあかねは、突然視線をそらし、何やら嬉しそうな顔をした。
「神子殿…?」
思わず頼久が尋ねると、あかねはすこし恥ずかしそうな顔をした。
「…あ、その…ちょっと、頼久さんの顔見てたら、思い出しちゃって…」
「思い出す…?」
不思議そうに、尋ねる頼久に、あかねは心もち赤面しながら、
「夢を見たんです…、さっき。 …それがね、変なの。 …あたしの世界に、頼久が来ちゃってるんです」
あかねは微笑みながら言った。
「…それで、洋服なんかも着ちゃってて、…それがまた良く似合ってて…」
嬉しそうに話すあかねに、頼久は少し驚きながら、静かに聞いていた。
「…素敵な、夢ですね…」
「え…?」
頼久のもらした呟きを、あかねが聞き返すと、頼久は静かにあかねを見つめ返した。
…来るべき未来。
それはいつでも、
あなたと共にある…。
頼久は静かに空を見上げた。
漆黒に染まっていた空は、いつのまにか朝焼けに照らされている。
夜の闇に落ちてきた不安は、
夜と共に胸の内から消え、
そして、
不安は一つの決意となり、
胸の内へとしまわれた。
「きっと、叶えて見せます。 あなたのその夢を…」
呟く頼久に、あかねは一瞬戸惑い、そしてうつむき、
そのまま、頼久の胸に身を委ねた。
…遥か初書きです…。
…頼久って、…難しいですね…(爆)
最初は、使命と想いの狭間で悩める頼久…、なイメージだったのですが…、
なんだか頼久って、葛藤もあまりせず、そんな想いを抱くなんてしてはいけない…と、勝手にしまいこみ、勝手に自己完結しちゃいそうで……。(汗)
結局、多少そんな感じはあるものの、あまり盛り上がれなかったです…。
…それはそうとこの話、あかねちゃん警戒心なさすぎですね〜(笑)
夜中に部屋に男を引っ張り込むなよ〜という感じで…、そもそもゲーム本編でも、あかねの警戒心のなさっぷりには笑えます(笑)…だって、あの開けっぴろげな部屋で、時々八葉に起こされたりしてるし…(^^;
…それでいいのか、嫁入り前の女の子!という感じで…(爆)
にしても、この話でも分かるように、私はやはり「帰る」派ですね…(^^;
元々、帰れるという選択肢の存在にも大感動でしたし。
主人公はただの行方不明のままですが、相手が京からこっちへ来ちゃうぶんには、回りはみんな事情分かってますし。
一番平和な気がするんですが…。
「故郷を捨てる」というのも、ドラマチックではあるんですが……。
やはり好みは「帰る」です。
…まぁ、そんなわけで、
へっぽこにはなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。
遥か創作は、とりあえず短編でちらほら書くつもりなので(とか言いながらいきなりシリーズな可能性もなきにしもあらず(爆))、これからもよろしくです。