痛み
「きゃぁ!!」
瘴気渦巻く怨霊の目前で、ひときわ大きな金切り声が響き渡った。
「神子殿!」
それに続いて、響く低い声。
「だ…大丈夫だから…」
ゆらりと身を起こしながら、花梨は静かに息を吸った。
「…めぐれ…天のこえ…、ひびけ…ちの……」
「花梨!?」
パタリと、音も無く崩れ落ちる花梨の姿に、もうひとつの声が重なった。
「それで、花梨は大丈夫なのか?」
「落ち着いてくださいませ勝真殿、今診ていただいております」
「これが落ち着いていられるか! おい頼忠、お前もなんとか…」
そこまで言って、勝真は言葉を失った。
視線の先には、
先程まで花梨を抱えていた、腕を、
真っ赤に染まった己の腕を見つめ、ただただ小刻みに震える頼忠の姿があった。
「ん…あれ…?」
数時間後、花梨が初めて発した言葉は、そんなたわいも無いものだった。
そして数瞬後に、今自分が横たわっているということに気付き、
何の気無しにその身を起こそうとしてみる。
「痛ッ」
思わず声を上げ再び床に身を落とす。
そこで、花梨はようやく、自分のおかれた状況を理解していた。
鮮やかな痛みを発していた己の腕を、花梨は静かに握り締める。
改めて辺りを見ると、
うっすらと差し込む朝焼けの光を感じた。
ふと、ぶり返した痛みに顔をしかめると、
花梨は再びまどろみの中に身を委ねていた。
「神子様、お加減はよろしゅうございますか?」
「紫姫…、うん、少しは痛みも引いてきたし…」
昼の日が差し込んできた頃、
意識が戻ってからというもの、何度となく訪れる紫に、
花梨は優しい笑みを浮かべて見せていた。
「それはようございました…」
にっこりと答える紫に、花梨はふとあたりを見まわす。
「ねぇ、さっきまでいた八葉のみんなは?」
「皆様もうお帰りになられました。
あまり長居して、かえって神子様をお疲れさせては、と言われまして」
紫の言葉に、花梨は小さくため息をもらす。
気を使われるのは、確かに嬉しいことなのだけれど…。
「そっか…」
花梨は言葉少なく、少し無理に微笑んでみせた。
紫はそんな花梨に少しいぶかしみつつも笑みを見せ、
そしてほどなく再び表情を曇らせた。
「どうしたの? 紫姫」
花梨が思わず尋ねると、紫は困ったような顔をしていた。
「頼忠殿のことなのですが…」
口篭もりつつも出たその名前に、花梨は思わず目を見開いた。
「頼忠さんが、どうかしたの!?」
声を上げる花梨に、紫は咄嗟に尻込む。
だがそれよりも、
花梨の胸中には、傷を負った瞬間のことが、
あの時、自分をかばっていた頼忠のことが、
今更のように鮮明によぎっていた。
何度と無く八葉からの見舞いはあったが、
頼忠の姿はあれから一度も見てはいない。
「いえ…、頼忠殿に大事があったわけではないのです、ただ…」
「ただ、何?」
紫の言葉に、少し落ち着きを取り戻した花梨は静かに問う。
「…神子様が戻られてより、ずっと、屋敷の隅に控えているのです」
紫の言葉に、花梨は目をぱちくりとさせた。
「…それって、何か問題なの?」
思わず間抜けに問う。
「…神子様が戻られてから、もう3日ですわ。
それなのに頼忠殿は、不眠不休で屋敷の警護をしているのです」
心配そうな紫を見つめ、
「3日…?」
呟きながら、花梨は初めて、
自分には一昼夜ほどにしか感じられなかった間に、
それ程の時が経過していたという事実を知った。
「頼忠さんを、ここへ呼んで来てくれる?」
花梨が紫にそう頼むと、紫は表情を曇らせる。
「神子様が意識を取り戻されてから、もう、何度も言っておりますわ
でも…、神子様の元へ会わせる顔が無いとおっしゃって…」
紫のそんな言葉に、花梨は思わずため息をついていた。
なんとなく、
やっぱり、と言う気がしたのだ。
「…頼忠さん?」
既に闇に染まった縁側に響いたその声に、頼忠は思わず己の耳を疑った。
そして、慌てて辺りを見まわすと、
「神子殿!?」
片手を押さえ、痛みを堪えていることが露わな姿に、思わず声を上げていた。
「こんな所で何をしておられるのです? …夜風でお身体を冷やしては傷にも障りましょうに!」
立ち上がり慌てて近づきつつ告げる頼忠に、花梨は思いっきり視線を向けた。
「その言葉、そっくりそのまま、頼忠さんに返します」
「…え…?」
頼忠は、思わず硬直する。
そして、沈黙が数瞬続いた後、
「…こんな所で、何しているんですか?」
静かな花梨の声が、人気の無い縁側に響いていた。
「頼忠さんも、入ってくればいいのに」
「いえ、私はここで」
花梨が寝床に腰を落としながら声を出すと、襖の向こうから頼忠の声が響いた。
もぞりと、花梨が布団にもぐった音の後、
しばしの沈黙が続いていた。
そして、
「ねぇ…」
花梨の漏らした声にに、頼忠はちらりと目を動かす。
「なんでしょうか?」
勤めて静かに、頼忠は答えた。
「頼忠さんの傷も、…寒いと…、痛むの?」
小さなその呟きに、頼忠は目を見開いた。
無言になってしまった頼忠に構わず、花梨は静かに息を吐く。
「あたし…今まで生きてきて、こんな大きな傷は初めてで…、
すっごく驚いたし、凄く痛くて…、それでね、思ったの
…頼忠さんも、…痛かったのかなって…」
花梨は、小さな音とともに、傷を負った腕を出していた。
そして、手当てされた腕を見つめ、目を細める。
「…でも、頼忠さんの傷と比べたら、小さな傷だけど、
それでも、…凄く、凄く痛かったから」
しばしの沈黙の後、頼忠のため息が響いた。
「…申し訳ありませんでした…」
思い詰めたその声に、花梨は襖をじっと見つめる。
「…違う、謝って欲しいわけじゃないの、
これは頼忠さんのせいでもないんだから!」
思わず声を荒げた後、花梨は静かに息を整え、
「ただね、…思っただけなの、痛みを感じながらずっと、
頼忠さんと、話したいなって、…ずっと、思ってた」
勤めて静かな口調で呟いた。
そして、花梨は再び腕を見つめた。
「痛みっていうのは、傷だけじゃなくて、
心配してくれる紫姫の顔も、お見舞いに来てくれる皆の姿も、
何より、何も出来ない自分の状態も、
全部が、痛くてたまらなかった」
いつのまにか、花梨の声は震えていた。
「それで、思ったんだ。
…頼忠さんは、どれくらい、痛かったのかな…って」
花梨は言葉を止め、想う。
あの時、頼忠に聞いた言葉を。
己の傷跡を晒し、静かに語った、彼の過去。
目の前で大切な人を失って、
自らの過ちをただ責め続けて、
身体の傷は、同時に心も切りつけてくる。
それをここ数日に、それこそ痛い程に感じていた花梨は、
改めて、頼忠の過去の凄惨さを噛み締めていた。
「神子殿…」
頼忠は、沈黙してしまった花梨に、それ以外の言葉を発することは出来なかった。
そして、しばらく黙していると、
ふと、ぽたりと落ちた雫を己の手の甲に受け、
そして初めて、それが己の瞳から零れ落ちたものだと悟った。
頼忠はただ、静かに俯いていた。
そして、静かに想う。
どうして、
どうして、この方はいつも、
こうなのだろうと…、
武士として、主を守れなかったことを、ただ責められるほうが、
きっとどんなにか、楽なことだろう。
だけど、それでも、
己の主たる者が、
この少女で良かったと、
頼忠は心から想っていた。
「頼忠さん?」
花梨は、黙ってしまっている頼忠に、ふと声をかけた。
「神子殿…、それで…傷の具合は…いかがなのですか?」
思いのほかさらりと言葉が返ってきて、花梨は思わず面食らう。
そして、微笑みを浮かべながら、
「もうほとんど良くなってますよ、跡も多分残らないだろうって
痛みも、大分引いたみたいです。
頼忠さんと話が出来たたおかげかな…」
語尾に照れを浮かべながら、そう言った。
すると、頼忠も静かに笑みを浮かべる。
「私も、……私の痛みも、…もう、大分引きました」
噛み締めるような言葉に、
花梨は一瞬驚き、そして静かに笑みを浮かべた顔は、少し紅潮していた。
「あたし、もう寝るだけですから、頼忠さんどこかで休ませてもらって下さいよ。
…3日も寝てないんでしょ、聞いたんだから」
花梨の心配そうな言葉が響く。
「…今夜は…、いえせめて、神子殿がお休みなられるまでは、
こうして控えさせていただけませんか?」
頼忠の少し困ったような、しかしとても穏やかな声が返ってきた。
「じゃあ、そこは寒いから、部屋の中ならいいですよ」
さらにいたずらっぽい口調の花梨に、頼忠は静かに俯いていた。
しばし後、
花梨の部屋の、
これでもかという程隅で、
刀を抱え、座り込んでいる頼忠の姿があった。
花梨はそんな姿にクスクスと微笑みつつ、
静かにまどろみに身を任せていた。
いつのまにか、
傷の痛みも、
心の痛みも、
嘘のように、感じなくなっていた。
「おい、おいコラ、いい加減に起きろよ!」
「ん…? 勝真…か?」
「勝真か? じゃねぇだろ」
頭をはたかれ、頼忠は思わず目を見開く。
「あー、もう、折角頼忠さん、気持ち良さそうに寝てたのに〜」
酷く残念そうな声に、頼忠は改めて辺りを見渡した。
目の前には勝真の姿。
そして、布団は片付けられたその部屋には、
いつもの姿で、元気そうに紫姫を並んで座っている花梨の姿がある。
瞬間的に事態を察し、頼忠は軽い眩暈を感じていた。
「もう、頼忠さんは3日も寝てなかったんだから、しょうがないって、さっきから言ってるじゃないですかー」
必死に弁明する花梨の姿に、勝真はやれやれと微笑を浮かべている。
「まったく、…いつからミコドノの警護しながら眠りこけられるほど、柔軟なヤツになったんだ、お前は」
勝真の言葉に、頼忠はひたすら青ざめて俯いているばかりだった。
そしてふと、元気そうな花梨に目を移し、
瞬間的に向けられた満面の笑みに、頼忠は静かにバツの悪い笑みを返していた。
「…お加減は、宜しいのですか?」
「うん、…まだちょっとは痛いけど、動いて平気って言われたから」
「しかし…、あまりご無理をされては…」
にっこりと笑みを浮かべる花梨に、頼忠は心配そうな表情を見せる。
すると、
「大丈夫ですよ、だって、頼忠さんがついてるもの」
目いっぱい微笑みながら、花梨は言った。
隣でやれやれと笑みを浮かべる勝真と、いつものように微笑む紫姫の姿を見て、
頼忠は、ただ俯きながら紅潮した顔を隠していた。
それから、傷が完治するまでの数日、
神子の供には、毎日頼忠が指名されたことは、言うまでも無い。
また、
その数日間、もっぱらこのネタで頼忠は勝真からからかわれ続けたのだが、
それはまた、別の話である。
……、というわけで、
なんとも書ききれてない感は多々あるのですが(汗)
久々の創作、そして初の頼忠×花梨話でした。
…………、
いや、なんというか、
書きにくいですね、頼忠は!(滝汗)
書いていてホントビックリでしたよー。
…本当は、もっとサクサクと甘い方向にいかせるはずだったのですが…。
なんというか、こういう状況で、頼久なら神子の隣にずっと貼り付いて居られそうなのですが、
どうにも、頼忠は、神子の目の前には姿を現さなくなってしまうんじゃ…、
というイメージがありまして。
結局、傷ついて横たわる花梨の手を取り、熱く見つめ合ってしまったり…、
という、コレが書きたくて書き始めたはずのシーンは実現出来ませんでした(←だからココに書いてみた(爆))
あと、冒頭で負傷した花梨を運んだ手段は、もちろんお姫様だっこですので(←結構コレもポイントだったらしい)
ホント、ここまで煮詰まったのは久々で、グチっぽくてスミマセンです(汗)
…とにかく、ここまで動かしにくいとは思っていませんでしたよ、頼忠、…いやはや奥が深いです…。
とりあえず、またリベンジ目指して登場させてみたいと思っておりますので!(←何だか意地になりかけてる模様)