鬼、と呼ばれし者
〜9〜
「…神子……」
神仙苑のほとりにて、その姿を目にした瞬間、アクラムは思わず呟いていた。
久しぶりに見る、その姿。
淡い桃色の髪を風になびかせ、真っ直ぐに立つ小さな少女。
胸の奥が、ひどく熱い。
何かがそこからこぼれだしそうな、そんな感覚を受ける。
何故かは分からない。
ただ、その姿を見た瞬間、心の奥底がひどく安堵していることに気付いた。
「……、アクラム…」
あかねは思わずその名を口にしていた。
ずっとずっと、頭から離れなかった姿。
今は思う、
素直に、愛しいと。
隣に居る頼久と天真は、
何も言わず、静かに二人を見守っていた。
「…久しぶりだな、神子…」
口を開いたのはアクラムだった。
「ええ」
あかねは静かに答えた。
そして、小さく息を吐く。
胸の内で何度と無く息を整え、
そして、真っ直ぐとアクラムを見つめた。
「ずっと…、あなたに会いたかった…」
あかねははっきりと告げた。
「……会いたかった?」
アクラムは怪訝そうな顔をした。
彼女の言葉を容易には理解しがたかった。
彼女の命を狙い、その周りに居る者を狙い、
苦しめつづけていたのは、他でもない、自分だ。
なのに、
何故?
「………!?」
瞬間的には、声は出なかった。
アクラムは、唐突に目前に迫った顔に、思わずたじろぐ。
気がつくと、あかねはアクラムの懐まで近づいていた。
静かに、あかねはアクラムの仮面に手をかけた。
アクラムがあらがう間もなく、
カラン、と
澄んだ音を立て、それは地面へと転がった。
同時に、仮面にひっかっかり、烏帽子までもが風に飛ぶ。
さらりと、金糸の髪が風に乗り波を打った。
蒼い瞳が、驚きを隠せずに見開いている。
頼久は、その姿に、密かに息を呑んでいた。
「…もぅ、こんな、仮面ごしでいるのはやめましょう」
あかねは、にっこりと言った。
しかし、瞳はまるで笑っていない。
「……何を…」
何とか、アクラムは声を絞り出していた。
「…私は、あなたと戦いに来たんじゃない。 …話が、したいの、…アクラム」
何一つ、曇りの無い、真っ直ぐな瞳。
アクラムは思わず見入っていた。
そして、ふと我に返る。
「……貴様等のような愚民と、話すことなどないわ…」
搾り出すように呟き、あかねを睨みつける。
一瞬、躊躇しようとする己に戸惑い、
そして、静かに呪を唱える。
「いでよ、黒麒麟!」
声と同時に、漆黒の巨体があかねの前に立ちはだかった。
「あかねっ!」
思わず駆け寄ろうとする天真を、頼久は黙っていなめた。
「これでも、戦わぬと申すか? 神子」
にやりと笑みを浮かべ、アクラムは黒麒麟をけしかける。
あかねは表情一つ変えずに、立ちはだかっていた。
「……っ!?」
黒麒麟の術が炸裂し、あかねは小さな呻きと共に自らの肩を抱いた。
無数の傷が、体に散乱する。
だが、それでも、微動だにしようとせず、あかねはただ、そこに立っていた。
「……あたしは、戦いに来たんじゃない…」
必死で、よろめく体を支えながら、あかねは言った。
「……っく…!?」
アクラムは戸惑いをあらわにし、それでも黒麒麟はあかねへの攻撃を緩めなかった。
「……きゃっ!」
迫り来る圧力に、思わずあかねは目を閉じる。
しかし、足はやはり微動だにしなかった。
桃色の髪は、散り散りになり艶を失い。
羽織っていた水干も、見るも無残に破れ落ち。
あかねはその場にうずくまるように膝を落とした。
苦痛をこらえながら自らを抱きしめ、
そして、ゆっくりと顔を上げると、
力強い眼差しで、アクラムを見据えた。
「…こんなことしたって、……あなたは救われない…」
力強い、
だが、優しさに満ちた、瞳。
アクラムは、瞬間的にその眼差しに射貫かれた気分だった。
何と言った?
この少女は今、なんと言った?
自らが、ともすればあとものの数分で、意識をも失いそうな傷を受けながら、
……この少女は、何と言ったのだ…?
黒麒麟は、アクラムの葛藤など知るべくもなく、あかねへの攻撃を続けようとしていた。
穢れに満ちた障気が、今あかねに振りかぶろうとしたその時。
何だろう…。
あかねには、分からなかった。
いや、アクラムにすら、己の行動が理解できなかった。
ただ、あかねの目の前には、立ちはだかり、全身に黒麒麟の吐いた障気を浴びている、アクラムの姿だけが、その瞳には映っていた。
「……アク……ラム……?」
あかねが思わずその名を呼ぼうとしたその時、黒麒麟はもう一度攻撃を加えようとあかねを睨みつけた。
思わずアクラムをかばおうとして前へと出て、たまらずあかねは目を閉じた。
「神子殿、ここは我等におまかせ下さい」
「……怪我人はさっさとすっこんでな!」
「頼久さん、天真くん…」
いつのまにか立ちはだかった二人は、揃って構えを取り、黒麒麟に立ち向かっていった。
「……アクラム…、アクラムっ!」
呼ばれた声に、アクラムはたまらぬ心地よさを憶えて、ゆっくりと目を開けた。
「……っ、 …良かった……」
目が合った瞬間、涙ながらに呟くと、覆い被さるように抱き着いてくる姿。
小さな、力弱い、
だが、たまらなく心地良い感覚。
何故、気付かなかったのだろう…。
この世には、
こんなにも、心地の良い場所があるということに…。
アクラムは、朦朧としながら、抱き着いているあかねの背に手を回していた。
しばらくして、アクラムは静かに体勢を起こし、辺りを見まわした。
黒麒麟の姿は、既に無い。
その代わり、天地の青龍が肩を抱えながら立っている。
その傷だらけの姿からは、おそらく先程まで繰り広げられていたであろう、激戦を伺わせた。
そして、良く目を凝らせば、
地の青龍、その隣には…。
長い黒髪をなびかせた少女の姿に、何故かアクラムは安堵を感じた。
「………私を、どうする気だ…。 龍神の神子よ…」
静かに、アクラムは言った。
気の抜けてしまったような姿に、あかねは小さく苦笑を浮かべ。
「…どうも、しない。 …するわけないじゃない…」
にっこりと微笑を、アクラムへ向けていた。
そして、そのまま、再びあかねはアクラムの懐に飛び込み、
アクラムは戸惑いながらも、あかねを受けとめる。
あかねは、そのまましばらくじっとして、その温もりを感じると、
ふいに、顔を上げ、アクラムを真っ直ぐと見据え、
「ねぇ、アクラム…。 …私達の世界へ来ない?」
ずっと、ずっと思っていたこと。
あかねは笑顔のまま呟いた。
「あっちの世界では、鬼なんていないんだよ。 …でも、あなたみたいな外見の人もたくさんいるの」
あかねは目線をはずさず、言い続ける。
「皆、仲良く暮らしてる…。 …そりゃ差別とか、無いとは言えないけど…、でもここよりは、ずっと住みやすいと思う…」
アクラムは、静かに聞いていた。
「…詩紋くんも、きっと力になってくれるよ」
言いながら、再び顔をうずめ、
ぎゅっと、アクラムに抱きつく力を強めると、
あかねはぽつりと、
「……あなたと一緒にいたいの……」
呟きながら、体は小さく震えていた。
アクラムは、何も言わず、ただじっとしていた。
少女は、自らの胸の内で早鐘を打ちながらしがみついている。
胸の奥で、心がうずく。
やっと、分かっていた。
どうして、こんなにも、この少女の声が心に響くのか。
こんなにも、この少女の肌が暖かく感じるのか。
……壊したいと、思っていた。
この世の、全て。
こんな世界、無い方が良いと、思っていた。
だが、この少女がここにいる。
それだけで、たまらなく愛しく感じる。
今になって、初めて分かった。
この世を守りたいと言った者たち。
自らを滅しながらも、自分を慕っていた部下たち。
全ての者の思いが、溢れそうなほどに伝わってくる。
今、自分に、共にあることを望む、愛しい少女。
だが、自分には、あるのだろうか…。
そんな幸せを、手にする権利が。
アクラムは、何も言わず、ただじっとしていた。
すると、
ふと、自らの目を疑う。
神仙苑の周りの木々、その木陰に、
確かに、見えたのだ。
亜麻色の髪をなびかせる白拍子。
とても幸せそうな、少し寂しそうな、
そんな顔を見せると、シリンは満足そうに立ち去って行った。
アクラムは、その姿に、しばし見入り、
そして、そのまま視線を落とす。
桃色の髪の少女は、まだ、自らの胸のうちに居た。
静かに、アクラムはあかねを受けとめていた手に力を込める。
それに気付いて、あかねは思わず顔を上げると、
何も言わぬまま、
静かに、二つの唇は重なっていた。
それからほどなく、
次元の狭間は静かに開かれ、
それをくぐる、5人の人影が見て取れた。
頼久は、静かにそれを見送り、
あかねは、切ない笑みを見せ、
開かれた扉は、すぐに再び閉じて行った。
鬼と呼ばれし者達の引き起こした騒動は、
龍神を呼ぶことも無く、
静かに、静かに、終わりを迎えていた。
P.S
「あれ? あかねちゃんどうしたの?」
詩紋はきょとんとしながら自宅の門の前で言った。
にっこりとするその姿に、詩紋は、あぁと笑顔を見せる。
「アクラムさんなら、中にいるよ」
うながされるままに、あかねは門をくぐり、詩紋の家に入っていった。
あれから、数週間。
アクラムは、詩紋の家に世話になりつつ、
今では、外国語の勉強をしているらしい。
長いこと行方知れずだった身で、色々と騒動はあったのだけど。
皆で、知らぬ存ぜぬを通し、アクラムは何故かその恩人ということになり、
以外にもすんなりと、元通りの生活が始まった。
ただ、色々と前とは違うこと。
たとえば、蘭と天真がそろってクラスメイトになっていたりだとか。
あと、彼の存在。
切り落として、今では肩にも届かぬ長さの金の髪。
すらりとした長身に、洋服はよく映える。
京にいたころでは、信じられない姿。
最初はよく吹き出していたものだ。
「アクラム!」
姿を見つけ、その名を叫びながら、あかねは駆け寄った。
アクラムはその姿に静かに微笑を浮かべる。
鬼と呼ばれていた、その頃からは考えられぬ、穏やかな、蒼い瞳。
もう、彼を鬼と呼ぶ者は、どこにも居ない。
そのことが、嬉しいのか、寂しいのかさえも、良くは分からない。
ただ。
アクラムは目前に居るあかねを見つめ、再び微笑を浮かべる。
ただ、
この少女に呼ばれるべき、自らの名。
それさえあれば、他にはなにもいらない。
そんな気がしていた。
鬼の首領は、この世から消え、
一人の、アクラムと言う名の男は、愛しい少女を見て目を細め、
鬼と呼ばれていた者たちのこと、そして、鬼と呼ばれていた頃の自分に、
静かに思いをはせる。
窓の外に見上げた空は、京と同じ色をしていた。
……………、…終わりました…。 …次回までかかってしまうかと思って書き始めたら、何やら一気に書きあげてしまいました。
とにかく、なんとか終われて良かったです…。 UP、遅れまくってしまってすみません…。
読まれてお気づきかもしれませんが、元々、アクラムを現代に連れて来たいがために始めたシリーズでした、これ(笑)
だって、ゲーム中で、ほんと救いが無いですから、彼。 いや、彼等。
鬼についての、色々な不満により生まれた話でしたが、ここまで読んで下さってどうもありがとうございます。
長編は、いつも続きが遅れて妙に長いこと時間がかかってしまってスミマセンです。(汗)
でも、書いててかなり楽しいシリーズでした。
天使のようなあかねちゃんとアクラムは、ホントこういう形だけでしか存在できないカップリングですし(苦笑)
本当は他の鬼にも、もう少し見せ場が欲しかったのですが…、まぁ、そこは、文才の問題、ということで(汗)
…とにかく、
長々とお付き合い下さり本当にありがとうございました。
次回の長編は、今度こそ、頼久を幸せにしようかと(笑)