八色の想い 一つの恋
〜3〜
いつの頃からだろう、彼女を、強いと感じたのは―。
「詩紋くん、大丈夫?」
慣れない山道に足を取られている詩紋に、あかねはふいに手を伸ばした。
隣をすたすたと歩いているイノリは、そんな姿を不機嫌そうに横目で伺っている。
京に来てから、すでに2週間がたっていた。
なんだかんだと、一枚目の札を手にした彼女は、少しばかり八葉にも神子として認められだし、
それでも、儚げな笑みはそのまま、
今度は朱雀の二人と札探しに出かけていた。
詩紋は、時々思う。
彼女は、本当に凄いと。
こちらへ来てからしばらく、
いつも落ち込んでばかりいたと思っていたのに、
気がつけば、ちゃんと神子の務めを果たしている。
そして、周囲にも、
まだ、彼女を心もとないと言う気を持つ者も多いが、
それでも、彼女を神子だと、皆だんだんと認め始めている。
そして思う。 自分はどうだろうと。
ここへ来て、いきなり鬼と呼ばれたり、八葉と呼ばれたり。
戸惑いながらも日々は流れ、少しはこの生活にも慣れてきたと思っていたけれど。
今日、初めて怨霊退治に付き合い、詩紋は思い知った。
やはり、彼女は凄いのだと。
儚げな笑みはそのまま、いつも力無く落ち込んでいるけれど、
いつも、こんなことをしていたのかと、詩紋は心底驚いたのだ。
「……ったく情けねーな〜。 この程度の山道でふらふらしやがって…」
共に道を行くイノリに毒づかれても、詩紋は何も言い返せなかった。
だって、本当にそう思うから。
情けないと。
すると。
「イノリくん、そんな言い方無いじゃない。 詩紋くんだって頑張ってるんだよ。 …それに、あたし達の世界じゃ、あまりこんな所通らないから」
静かに言いながら、詩紋の腕を取って、
そしてにっこりと微笑む。
顔を近づけ、小声で、
「…あたしも、最初の2,3回は良く転んだんだ、この道…」
照れ笑いを浮かべて囁いたその言葉に、詩紋は思わずあかねを見つめ、
その笑顔にしばらく見入った後、ふと我に返るとバツが悪そうにあかねの手を離し、また一人で歩き始めた。
そして思った。
やっぱり、彼女は強い、と。
そして、
自分は、
情けない、と。
「あの……頼久さん…」
まだ明けきらぬ空の下、稽古の為に屋敷から出ていた頼久は、ふいに呼ばれた声に振り返った。
「詩紋殿? いかがされましたか?」
力無く笑みをこぼす、金の髪をなびかせた少年に、頼久は訝しげに問い掛けた。
「あの、天真先輩が…頼久さんに稽古を付けてもらってるって聞いて、…それで……」
おずおずと言う姿に、頼久はふと笑みを洩らす。
その姿に、詩紋はぐっと顔を上げた。
「僕、僕も、強くなりたいんです…、その、だって…僕だって、八葉…だから…」
気弱な少年の、熱心な瞳に、頼久は笑みのまま頷いた。
彼女を守りたいと、
そう願う者は、何も自分だけでは無いと、頼久は最近良く思う。
特に天真と詩紋の二人は、古くからの付き合いもあるのだろう。
良い友人に恵まれている彼女が、少しばかりうらやましい。
きっと、彼女を守りたいと思う気持ちは、
彼女が、心配だからとか、頼りないからとか、そういったことではなく。
彼女を見ていると思うのだ。
自分も、何かしなければ、と。
人を無意識に奮い立たせる、その儚げな笑み。
おそらく、いつも一人落ち込んでいたこの少年もまた、
彼女のそんな姿に奮い立たされた一人なのだろうと、
頼久はふっと笑みを詩紋に向け、
「剣技の道は奥が深い。 覚悟はできているのか?」
優しく問うと、詩紋は満面の笑みで答えた。
「ねぇ藤姫、最近、詩紋くんよく怪我してると思わない?」
数日後、帰宅後日の入りも間近に迫った時間に、ふとあかねは藤姫に話しかけた。
「あぁ、それは……」
事情を知っていた藤姫は、にっこりと微笑み、あかねは思わずきょとんとする。
「天真殿とご一緒に、頼久に稽古を付けてもらっているそうですわ」
「……へ……、詩紋くんが……?」
藤姫の言葉に、あかねは思わず声を上げた。
「神子様の為にお強くなりたいと、詩紋殿は申しておられました」
そう続ける藤姫に、あかねは少し照れ笑いを浮かべていた。
「詩紋くん」
「……あかねちゃん?」
稽古が終わり帰り道を歩き始めていた詩紋は、突然の呼びかけに驚いて振り向いた。
「さっきまで、稽古してたの?」
にっこりと聞いてくる姿に、詩紋はたまらずうつむく。
密かにトレーニングして驚かす…というほどおおげさなことを考えていたわけではないのだが、
なんとなく、知っていて欲しくは無かったから。
「でも、偉いよね詩紋くんは」
ふいに言われた言葉に、詩紋ははっとなる。
偉い?
どこが?
にっこりと言う彼女を思わず見つめる。
彼女のほうが、ずっと、ずっと……。
思考を遮るように、あかねは微笑を返した。
「あたしなんか、ただ流されるままで、…でも、天真くんも詩紋くんも、みんなそれぞれ自分で行動して、努力して、そういうのって、凄いと思うの」
儚げに、あかねは微笑んだ。
そんなことない。
詩紋は口元まで出かかった言葉を無意識に呑み込み、拳を握り締めていた。
その様子に、あかねは訝しげに詩紋を見つめる。
「詩紋くん?」
不思議そうに問いかけるあかねに向かって顔を上げた詩紋の顔は、
少しばかり、悲しそうにも見えた。
「……そんなこと……ない……、
僕…、あかねちゃんに誉めてもらえるような事、全然……ない……」
搾り出した言葉に、あかねは不思議そうな顔を向けた。
「どうして、詩紋くんこんなに頑張ってるじゃない」
あまりにも真っ直ぐに言うあかねに、詩紋は思わず感情がほとばしるのを感じた。
「…かなわないもの。 僕がどんなに頑張っても、あかねちゃんにはっ!」
叫ぶように言って、詩紋はそのままその場を駆け去って行った。
残されたあかねは、少し面食らったような顔のまま、しばらく動く事も出来ずにその場にいた。
…ずっと、思っていたこと。
彼女にはかなわない、と。
守りたいと思うのに、
支えたいと思うのに、
彼女に差し伸べることの出来る手を、自分は持っていない。
もどかしいこの想いを、彼女にぶつけてどうなるというのか。
詩紋はただ、何も考える事が出来ずに、走りつづけていた。
その時である。
「……っ!?」
声もなく目前で驚き身を避ける存在。
「…頼久、さん?」
詩紋は驚いてその名を呼んでいた。
そしてそのまま、詩紋は立ちすくんで、少しだけ涙をこぼしていた。
「…僕、本当にあかねちゃんを守るなんてこと、…自身ないです…」
しばらく、ぽつりぽつりと思いを語った後、詩紋は小さく呟いた。
頼久は、黙ってそれを聞いて、そして、ふとため息をつき、
「……神子殿とて、万能なわけはない」
ぽつりと、頼久は言った。
詩紋はふと顔を上げる。
「初めて、この世界へ降りたった夜、…あの方は、…泣いておられた、…たったお一人で…」
呟かれたその言葉に、詩紋は目を見開いた。
泣いていた……、
あかねちゃんが…
一人で……。
それは、考えもしなかったこと。
だって、彼女はいつも、
笑っていたから。
皆の前ではいつも、にこにこと儚く、優しい笑みを、絶やさなかった、から。
「…今も時折、夜回りをしていると、神子殿のすすり泣く声が聞こえる事がある」
頼久は、寂しげに言った。
実際、寂しいことだった。
誰にも頼らず、一人涙に暮れ、
そして翌日、何事も無いよう微笑む彼女が。
頼久はふっと詩紋を見つめる。
「…どうか忘れないで欲しい。 彼女もまた、一人の少女なのだということを。
…同じ世界から来た君や天真にしか、分からぬこともあると思う。
…だから、どうか、共に支えて行って欲しい、…彼女を…」
懇願するかのようなその眼差しに射貫かれたような気分で、詩紋はしばらくぼーっとしていた。
彼女の弱さを知って、詩紋もまた、少しばかり寂しかった。
それと同時に、胸のうちに密かに安堵し
ふと、頼久を見てみる。
そして少しだけ思った。
誰にも見せていないはずのその弱みを、どうして、彼は気付いていたのだろうと。
「あかねちゃん、何してるの?」
ある日の夕暮れ、あかねが部屋で何やら考え事をしているのを見かけ、詩紋はふっと声をかけてみた。
この間のことは少し気になったけど、あかねは思ったとおり、いつもの笑みを返してきた。
「…この間はごめんね」
あまりに優しく微笑まれたものだから、詩紋のほうからおずおずと言うと、あかねははにかんで、別に気にして無いよ、と呟いた。 そして、
「ねぇ、頼久さんって、何色が好きだと思う?」
唐突に聞かれて詩紋はきょとんとした。
「頼久さんの、好きな色?」
詩紋が問い返すと、あかねは少し照れたような顔をして、
「…あ、…えっと、この間いくつか紙を手に入れられたじゃない。 だから何か使ってみようかなーって…」
その言葉に、ふと、明日が物忌みであることを、詩紋は思い出していた。
「明日、頼久さんに来てもらうの?」
ぽつりと問うと、あかねはやはり照れたようにはにかんだ。
その表情に、詩紋は少しの喜びと、そして小さな胸の痛みとを同時に感じながら、
「たしか、紫苑色が好きだって、前に聞いたよ」
胸のうちの感情を抑え、詩紋はにっこりと言うと、そのまま部屋を後にした。
ちょっとだけ、切ない想いを感じながら、
それでも、嬉しそうな彼女を見るのは楽しいから。
彼女の弱さを知って尚、やっぱり、彼女は強いと、そう思えるのだから。
だから、いつか、
胸を張って、彼女を守れるよう、
この手の甲に埋まっている宝玉に見合えるよう、
今はそれだけを考えようと、
詩紋は静かに、自室へと帰って行った。
…なんだか嫌に遅れまくって、やっと3話です(汗)
というのも、次の話のメインキャラを決めてなかった、ということに原因があったような…。
現代組はあとにしようかとともおもっていたのですが、なんとなく、詩紋に白羽の矢が立ちまして、こんな感じになりました。
…ちょっと、弱々しいあかねちゃんに焦点を当てたかったはずなのに、あまり書ききれなかったことが、ちょっとだけ心残りではあります…。
そして、4話は誰にしようかと、先に決めたほうがよいかなぁと。
といらえず、次はイノリか鷹通あたり…と思っているのですが…、
白虎と朱雀の札の話はもう使っちゃったので、次は青龍か玄武でいきたいなぁとか…(滝汗)
となると、永泉とか…? ←結局収集ついてないし(爆)