八色の想い 一つの恋
〜4〜
―初めてお会いした時より、その儚げな表情には、心惹かれていた気がする―
「神子、もう少し気を整えろ、そんなことでは、怨霊は祓えぬ」
「……あ、はい」
共だった地の玄武の言葉に、神子は一瞬ビクッと表情を強張らせ、そして再び、目の前の怨霊へと向き直った。
その横で、そんな少女の姿を悲しげな瞳で見つめる、天の玄武の姿があった。
「……神子、大丈夫ですか? あの…お怪我は…」
戦いの後、多少ではあったが負傷した神子に、永泉は急いで駆け寄った。
「…だ、大丈夫ですよ。 ごめんなさい、あたし足引っ張っちゃってるみたい…」
「…自覚しているのなら、精進することだ」
「…………」
痛みをこらえ微笑む姿に、地の玄武は冷たく言い放つと、そのまま歩みを進め始めた。
「…泰明殿…そのような言い方は……その…いかがなものかと…」
おずおずと呟かれた言葉に、泰明は不機嫌そうに振り返る。
「その娘は、龍神の神子として、ここに居る。 …役目を果たせねば意味は無い」
さらりと言いながら、またすぐに歩き出すその姿に、永泉は思わず言葉を失っていた。
「……あの、永泉さん…。 気にしないで下さい…」
無意識に拳に力を込めていると、そっとその手を撫でられ、神子の囁く声を聞いた。
年端もいかぬ、小さな少女。
自分とさほど変わらぬ年、いや、自分よりも幾つか下だと聞きうけている。
突如着せられた、神子という役目。
己の意志とは関係無く、架せられる使命と言う名をした鎖。
優しい目をした少女。
いつも静かに、微笑を絶やさない少女。
いつからなのかはすでに忘れていた。
だが、永泉は確かに、そんな彼女に少しばかりの親近感を感じていた。
玄武の札を探す事になり、彼女と同行する事が多くなった昨今、
永泉の神子に対する想いは、日に日に募るばかりだ。
だけど、
大抵共に連れられる、地の玄武である彼。
安部泰明。
彼はいつでも、あんな風で、
神子はそのたび悲しそうな顔をする。
そして言うのだ。
自分がもっと、しっかりしていなきゃいけないのだから、と。
そう言って、決まって、微笑む。
その微笑みは、とても悲しそうで、
時に消え入ってしまいそうなほど、儚い。
そんな彼女を見ると、つい、思い出す。
まだ自分が、皇子と、呼ばれていた頃の事を。
あの時の自分も、確か、
いつも、…微笑んでいた。
微笑んでさえいれば、全ては丸く収まるのだからと、
何があっても、何を感じても、
ただ、微笑んでいた。
そしていつしか、それ以外の表情を無くした自分に気付く。
一人落ちこむ顔と、そして、作った微笑。
それ以外の表情を、忘れていた自分に、気がついたのだ。
今の彼女を見ていると、つい、
思い出してしまう。
「あら、永泉様。 どうなさいましたの?」
神子が役目を休むと聞いたその日、
いたたまれず屋敷に行くと、藤姫はにっこりと笑顔で出迎えてくれた。
「……あの、神子は…。神子はどうされたのですか? もしやどこか具合でも…」
慌てて問うと、藤姫は少し驚いた顔をして、そしてクスクスと微笑んでみせた。
「…いいえ、違いますわ。 神子様は今日もお元気でしたわ」
「……え?」
面食らった顔の永泉に、藤姫はますます微笑む。
「…今日は、ちょっと息抜きをして頂こうと思いまして、…頼久と一緒に、桜を見に出かけていらっしゃいますの」
静かに言われたその言葉に、何故か胸の奥が動揺する。
「……そうですか……、頼久と…」
「ええ。 ですから、ご心配なさらないでくださいまし」
心の奥で、何かが震える。
それは、彼女の身を案じての、先ほどまでの気持ちとは、まるで違っていた。
永泉は、もどかしい思いを抱えながら、何とか平静を装い、藤姫に挨拶をすると、
気がつけばそのまま、
足は、二人が向かったと言う、墨染の地へと、向かっていた。
純白の桜が舞うその地は、永泉にとっても多少なりとも心休まる地であった。
そして、
そう、いつからだろう、
いつか、そこには、
彼女と行ってみたいと、
確かにそう、思っていたのだった。
「わぁ…、綺麗ですねぇ…」
聞きなれ甲高い澄んだ声。 永泉はそこで初めて、我に返っていた。
どうして、こんなところまで、来ていたのだろうか?
気がつけばそこには、純白の桜が舞っていた。
「…喜んで頂けて、幸いです」
もうひとつ聞こえた、低く、良く通る声。 永泉は知らぬまま、心に揺らぎを感じる。
ふと、少しだけ目を凝らし、見を隠しつつその姿を探してみる。
すると、
永泉は、目を疑った。
だって、
あんなに清々しく笑う彼女は、
見たことが無かったから。
今まで、一度だって…。
そして、その微笑みが向けられた先に居るのは、
予想にたがわぬ、その人物。
永泉は、そのまま、いたたまれずに早足でその場を去っていた。
そう、今になってやっと分かった。
神子が頼久と連れ立ち、ここへ向かったと聞いた、その時より、
胸を支配していた、この気持ち。
やっと理解できた。 ずっと胸の奥にあった、この暖かな想いの正体が。
彼女が気になるのは、僅かばかり感じる親近感の、そのせいだと、すっと思っていたのだけれど。
どうやらそれは、少しばかり間違っていたらしい。
だって彼女は、自分とは違う。
そう、彼女は自分よりも遥かに…。
…強いのだ。
ずっと感じていた事、そしてそれを感じるたび、高まっていた心。
どうして、気付いてしまったんだろう。
どうして、
今ごろになって…。
「……あの、……永泉さん?」
夜の闇が辺りを覆った頃、響いたその声に、永泉は耳を疑った。
だって、こんなところに、
彼女が、居るはずかない…。
半信半疑で振り向くと、
そこには、確かに、神子の姿が見て取れた。
「……ど、どうして、このような所に…?」
永泉は思わずたじろいで問う。
仁和寺と呼ばれる場所。
永泉が寝食を過ごす修行の場である。
何故、そんな所に、わざわざ、しかもこのような時間に神子が訪れたのか、
永泉は皆目見当がつかなかった。
「……あの、これ…」
おずおずと差し出されたそれは、永泉の愛用している、笛であった。
「あ……」
それを見て、永泉は初めて、それをいつのまにか紛失していた事実に、気がついていた。
「…今朝、永泉さんが来たって、藤姫に聞いて、それでこれを落として行っちゃったって、藤姫がとってもあせっていたから…、つい。 …ごめんなさい、こんな時間に…」
おずおずと謝る姿に、永泉は戸惑い、
「……い、いえ、私こそ、…そのすみませんでした」
言いながらおずおずと笛を受け取った。
「あの、…あたし、心配かけちゃったみたいで」
神子は申し訳なさそうに呟いた。
その姿に、朝、自分が駆けつけた時の様子を藤姫より聞いたのだろうと、永泉は納得し、
「い、いえ、そんなことは…、私の早合点でしたから」
バツが悪そうに言う永泉の姿に、神子は少し微笑みを浮かべた。
「……でもあたし、ホントいつも心配掛けちゃってばかりですから」
静かに言うその姿に、永泉は俯いていた顔を上げる。
「…もっとしっかりしなきゃって、…思ってるんですけど…」
呟く少女の姿に、永泉はたまらぬ気持ちになる。
「……しっかりしなくてはならないのは、…私のほうです!」
いたたまれず、思わず叫んでしまっていた自分に気付き、永泉ははっとなる。
顔を上げると、おそろいた顔の彼女が目に入った。
「……あなたは、慣れぬこの地で、神子と言う大役を架せられておられるというのに、…立派に務めを果たしていらっしゃる…」
永泉は、まるで次ぎから次ぎへと思いがこぼれ出すように、言葉を発していた。
「それに比べて私は、八葉でありながら、何のお役にも立てず…、今だって、神子のお心を痛めることしか、出来ていない…」
呟いたその姿に、神子は少し悲しそうな視線を落としていた。
「……そんなこと、ないです」
「……え…」
ふいに、厳しい顔をした彼女に驚き、永泉は顔を上げた。
「…あたし、立派になんか、全然してない…っ!」
怒鳴るように彼女は言った。
こんなに感情を表に出した姿は初めてで、永泉は心底驚いて、その瞳を見つめる。
「……神子になんて、龍神の神子になんて、なりたくてなったわけじゃないっ! ……神子なんてもう沢山、こんな場所も、もうやだって、帰りたいって、…逃げ出したいって…、何度思ったか分からない…」
いつのまにか、彼女の瞳には、一滴の涙が浮かんでいた。
「……いつも、思ってる。 なんで、あたしがこんな目に…って」
真っ直ぐに向けられた瞳に、永泉は言葉を失っていた。
「……でも」
ふと視線をそらし、神子は言った。
「それでもあたしは……、……あたしが、神子なんです、その事実は変わらない。 …だから、頑張るしかないって…」
空を見上げながら言う姿は、思わず魅入られそうなほど、美しく見えた。
「……ごめんなさい……、なんだか興奮しちゃって…。 …でも、あたし、ホント……立派じゃなんか、ないです」
静かに、神子は言った。
その姿に、永泉は思った。
やはり、彼女こそ、神子なのだと。
いや、彼女以上に神子ふさわしい者など、居ようはずもない、と。
似ている、と感じていたことが、おこがましくも思える。
だって、
重責の中から、逃げ出すことしか出来なかった自分と、
架せられたその全てと、真向から立ち向かおうとするその姿とは、
まるで、違う。
儚く、小さな少女。
何が、そんなに彼女を変えたのだろう。
するとふと、神子は微笑んで
「そういえば、永泉さんは、墨染桜って、見たことあります?」
小さな声で呟いた。
彼女はいつのまにかいつもの微笑を取り戻し、
「あたし、実は今日初めて見てきて、…綺麗だけど、少しさびしい花…」
静かな声で呟くと、何かを思っているかのように、神子は空を見上げた。
「…あたし、まだ全然だけど、…でも、頑張らなきゃって、…こんなあたしでも、信頼してくれる人が…心から心配してくれている人がいるんだから…って、そう思ったんです。 今日、その花を見ながら」
少し照れ笑いを浮かべる彼女を見て、永泉はやっと分かった。
そうなのか、と。
架せられた重責。
自分は、そこから逃れる事しか術を持たなかったのだけど。
彼女には、別のものが存在していた。
支えとなる、そんな存在。
それが自分でないのは、少しもどかしいのだけど、
それを大きな支えとして、少しづつ、強くなっていた彼女に、
初めて自分は惹かれたのだから。
だからそれは、仕方のないこと。
「あの……神子」
「え…?」
「……少々、笛を奏でても、構いませんか?」
「……えぇ」
叶わぬ想いを笛に乗せて、
…せめてその音色だけでも、彼女に伝えられたなら。
今宵こうして、彼女と過ごせた事に感謝を抱きながら、
永泉は静かな音色を奏で始めた。
…というわけで、第4話は永泉さんでした。
しかし、…弱気内気神子ちゃんだったはずが、今回ちょっとキレてます(汗)
でも、始めから、こういうイメージなあかねちゃんなお話なんですけどね、実は…。
それでも、基本的にウジウジと口には出さない子、という感じで。
しかし、今回相手が永泉だったりしたものだから、それに輪をかけてウジウジとしている相手に、ちょっとキレてしまったらしいです(苦笑)
とりあえず、次回は軌道修正目指して、内気神子全開でいきたいものです(笑)
ちなみに、次回キャラは天真予定です。 (←つまり4枚目の札は青龍しか残ってないと(爆))