― 今にして想えば、
あれはきっと、
初恋と、いうものだったのだろう、と。
それは、今から幾年も前のこと。
そのころ、私は、藤姫と呼ばれ、
龍神の神子様に付くこととなった。
星の一族として、それは運命であり、大いなる至福であった。
神子様と、そして八葉の方々とともに、
京を守るための日々が始まり、そして、。
慌しくも、楽しい日々を私は過ごしていた。
そんな、時、だった。
「…あれ? 藤姫ちゃん、何やってるの?」
突然、話しかけてきた満面の笑顔。
金色の髪がひらりと風に舞う。
微笑んだ瞳の青さに、しばらくは時を忘れていた。
「……藤姫ちゃん?」
「……あっ…、すみません、詩紋殿…」
思わず見入っていた瞳をそらし、私は顔をそむけた。
「いいよ、別に。 …僕の顔…そんなに珍しい?」
微笑みながらも、少しだけ寂しげに、詩紋殿は問い掛けてきた。
「いえ…、その、…そういった外見の方を、直接目にする機会は、なかったものですから…」
おずおずとつぶやいてみて、自分の言葉の拙さを思い知る。
この京に来てから、詩紋殿が最も気になさっていたこと。
それを、どうして、そんな風に言ってしまったのか。
しばらく黙していると、詩紋殿はそんな私の態度に気付いたのか、
にっこりと微笑みを返し、何も言いはしなかった。
そしてふと、私の前に目を落とし、
「…ねぇ、それは何なの?」
微笑みながら、聞いてきた。
「え、絵巻物です…。 以前お母様に頂いた物で…」
やり場が無くなんともしどろもどろと発した言葉に、詩紋殿はまた、にっこりと微笑んだ。
そして、絵巻物を熱心に見つめ、
「……へぇ、面白いね…。 ねぇもしかして、ここにはほかにも、本とかあるの?」
興味津々といった感じに向けられる、少し幼げな瞳。
「え、えぇ…。 屋敷にも書庫はありますわ…」
答えると、詩紋殿は益々瞳を輝かせた。
私は思わずくすりと笑みを洩らし、
「…よろしければ、今度ご覧になります?」
一言言ってみたら、詩紋殿はそれは嬉しそうに微笑を返した。
詩紋殿は、書物がお好きなのかしら?
その時思ったのは、それくらいのこと。
「まぁ、詩紋殿。 それ、全部お読みになりましたの?」
両手に抱えた書物の束に、私が驚いて声を掛けると、詩紋殿は廊下を歩く足を止め、振り向いた。
「うん、これか返しに行くところ」
「……あの、お手伝いいたしましょうか…?」
呟いた私の言葉に、詩紋殿は苦笑いを返した。
「でも、すごいですわ。 こんなにたくさんの書物をもう読まれてしまったなんて…」
「……元々好きだから、本は。 …あ、でも、ここの本はみんな達筆で、聞かないと何て書いてあるのか分からないけどね」
書物を持たせた侍女達の後を付いて行きながら、詩紋殿は笑いながら話していた。
「…僕、留守番が多いいから、時間があまっちゃってね」
言いながら、詩紋殿の表情は、いつのまにか少しだけ、雲っていた。
「まぁ、そうでしたかしら?」
「うん…。 でも、僕なんかと行くより、もっと強くて、頼りになる人のほうが、きっとあかねちゃんも安心だよね…」
力なく呟くその顔が、ひどく切なげに見えたのは、
きっと、気のせいではなかった。
「まぁ!? 詩紋殿がご病気?」
ある朝、突然聞かされた言葉に、私は思わず声を上げていた。
「えぇ、…でも軽いようだから、じきに良くなるだろうと、薬師が言っていましたわ」
とんと興味も無さそうに呟く女房の顔に、私は少しだけ不快感を覚えた。
「お見舞いに、行ってもよろしいでしょうか?」
小さな声で言うと、女房は顔色を変えて、睨むように私を見据えた。
「何をおっしゃるのです。 もしも、藤姫様に病の気がお染りになったらどうなさいます!?」
「…でも…、先程症状は軽い、と…」
咄嗟に言い返すと、女房は益々怪訝そうな顔をした。
そばに居た侍女達も、いつのまにかこちらを見ている。
「一度、申しておかねば、と思っていたのですが…。 藤姫様はどうしてあの者をそこまで気にかけるのですか?」
「え? だって、あの方は八葉ですわ。 私のお仕えする神子様にとっても大切な方ですわ」
私は、女房達の態度をとても不可思議に思い、思わず言った。
すると、侍女の一人が、
「…しかし、私はどうにも、あのお姿には馴染めませぬ…」
ぽつりと言った。
すると、それを皮切りに、
「…そうですわ…、いかな八葉と申しましても、…あれはまさしく、鬼そのもの…」
「…本当に、あのようなおぞましき姿の方が、八葉なのですか? 私、今も信じられません…」
口々に囁かれる言葉に、私は、言いようの無い不快感を感じたことを、良く憶えている。
確かに、私自身、最初は戸惑った。
あの外見ですから、無理はない。
だけど。
私は知っているから。
あの方の、とても優しい笑顔。
切なそうな瞳。
無邪気な瞳。
金の髪も、青の瞳も、
気がつけば、何一つ気になら無くなっていた。
だから、皆、同じなのだろうと…。
勝手に、
そう、思っていた。
「詩紋殿?」
「…あれ…、藤姫ちゃん…?」
襖の向こうで、力無い声が聞こえた。
屋敷の一角。
病に伏せられた為、療養にとあてがわれたと言う部屋。
だが…、
これではまるで、座敷牢のようだ。
ゆっくりと襖を開けると、狭く暗い、およそ心地よいとは言い難い部屋に、一人具合が悪そうに横たわる詩紋殿の姿があった。
「……どうしたの…? 藤姫ちゃん…」
かすれた声で言う詩紋殿に、私は歩みよった。
すると、詩紋殿ははたと気付いたように、
「あれ…、侍女の人達は…?」
不思議そうに呟くその言葉に、私は顔すら向けず、
「…目を盗んで…振り切ってきました…」
ぽつりと、呟いていた。
「…そんな…、ダメだよ、心配してると思うよ…」
慌てる詩紋殿に、私は言いようの無い憤りを覚えた。
だって、
詩紋殿のことを、あんな風に言った人達なのに…。
どうして、詩紋殿はそんなに気を使われるの?
私は、段々と腹立たしくなってきた。
「…良いのです…。 あんな…人を外見だけでしか見れない方達のことなど…」
思わず呟くと、
詩紋殿は、とても、とても寂しそうな顔をしていた。
そして、ふと黙り込み、
「……もしかして、何かあったの? 僕のことで…」
ぽつりと発せられた呟きに、私ははっとなった。
どうして、ばれてしまったのだろう。
「……知ってるよ。 ここの人達が、僕の事をあまり良く思ってないってことくらい…」
小さな声で、寂しそうな声で、
でも、何故か微笑みながら、
詩紋殿は言った。
「…だから、藤姫ちゃんが気にすることないよ…」
詩紋殿は、とても優しげな笑みを見せた。
「……でも、」
「藤姫ちゃん…」
何を言おうとしたのかも分からず呟こうとすると、詩紋殿は真っ直ぐと瞳を向けて言った。
その瞳に、私はとても切ない気分になった。
どうして、詩紋殿は、そんな目で見られている事を知りながら、
そんなことを、言うのだろう。
分からなかった。
ただ、
ただ、切なかった。
「藤姫ちゃん」
「詩紋殿? もうお体はよろしいんですの?」
その翌々日のこと、すっかりいつもの微笑みをたたえながらいらした詩紋殿に、私は思わず驚いてしまっていた。
「…貰った薬が効いたみたい。 心配かけてごめんね」
にっこりと微笑み、少しだけ寂しげな顔。
そうか、とふいに思った。
詩紋殿の優しい笑顔は、いつも少しだけ寂しげで、
その理由はきっと……、
どうして、今まで気付かなかったのだろうと、少しだけ悔やまれた。
それから、神子様は大事を取り、病み上がりの詩紋殿はしばらくお屋敷に居る時間が多くなった。
そして、私の所へ来てくださることも何とはなしに多くなって、
気がつけば、毎日のように、共に書物を楽しむようになっていた。
「藤姫ちゃんはすごいな〜、色んなこと知っていて」
無邪気にそんなことを言いながら微笑み詩紋殿の顔を見るのは、とても楽しく。
その時間は、まるで一瞬のようにも思えた。
そんな、ある日だった。
「なんですって?」
私は思わず金切り声を上げ、何が何かも分からず、部屋を飛び出していた。
詩紋殿が、お怪我をされたと。 ただ、それだけを聞かされて。
確か、久しぶりに神子様とお出かけをなさると、大変張り切られていたはずだ。
屋敷の入り口まで付くと、少しだけ外が見えてきた。
そこには、3名の人影。
神子様と、天真殿、
そして…。
詩紋殿は、具合が悪そうに、天真殿の肩をかりながら歩いていた。
思わず駆け寄ろうとした、その時、
「大丈夫だよ、大したことないから…」
「そんなことないよ詩紋君、酷い怪我じゃない」
「先輩も、ありがとうございまず。 もう一人で歩けるから…」
いくつかの声が聞こえた後、詩紋殿はお一人でこちらに向かってきた。
その姿に、私は無意識に身を隠していると、
詩紋殿は、玄関へ入られ、神子様達から見えない場所に隠れ、
バシッ と、鈍い音が響いた。
それが、壁に打ちつけた詩紋殿の拳から発せられたものだと気付くには、少しだけ時間がかかった。
拳を壁につけたまま、詩紋殿は俯いていた。
俯いたまま、小さくうめく声が聞こえる。
いつもとは、想像も出来ぬほど違う姿。
悔しさを滲ませた横顔に、私はしばらく目を離せなくなっていた。
「お怪我の具合はどうですか?」
しばらくして、詩紋殿のお部屋を訪ねると、
いつもどうりの笑みで、詩紋殿は戸を空けてくださった。
「…ごめんね、藤姫ちゃんにも心配かけちゃって…」
目を反らしながら、呟くその顔に、先程の玄関での顔が一瞬よぎった。
「どうしたの?」
不思議そうに訪ねる詩紋殿に、私は、思わず首を振っていた。
「…情けないね…僕…」
詩紋殿は、ぽつりとそう言った。
「……ごめん、……なんだかね…、悔しいんだ…」
心配そうに見つめた私に気遣いつつ、詩紋殿は言葉を続ける。
「……僕だって、…僕だって、あかねちゃんを守ってあげたいのに…。 結局、足手まといにしか、なれてない」
歯を噛み締めながら言う詩紋殿の顔は、先ほど玄関で見た、あの顔と、同じ顔をしていた。
「僕だって、八葉なのに…」
呟く詩紋殿に、私はかける言葉がみつからず、しばらくそのまま沈黙していた。
多分その時、
詩紋殿の、神子様への密かな想いを、
何となくだけれど、感じ取ったのは。
それから、さして大事も無く時は過ぎ行き、
神子様は着実にお務めを果たされていた。
その頃、ふと女房達の噂話を耳にした。
どうも、天真殿と神子様の仲を噂しているらしかった。
もともと、あのお二人は最初から仲がお宜しかったはずでは、と問うと、
それとは違うと、小さく笑われてしまった。
ふと、詩紋殿の神子様を見ていた眼差しが胸によぎる。
そういえば、ここのところお会いしていない。
ふと女房に詩紋殿のことを問うと、やはり嫌な顔をされたので、それ以上は聞かないことにした。
そして、それからしばし、
「…あれ? どうかなさいましたか? 神子様…」
いつもと少し様子が変わられた気がして、思わず問いかけると、神子様は少し慌てたご様子でこちらを振り向いた。
「え…? …あたし、いつもと違う?」
何かしどろもどろに、神子様は言った。
私が思わずきょとんと眼差しを向けると、神子様は少し照れくさそうに瞳を向けられた。
「…藤姫はさ、…好きな人とか…いないの?」
「……え……」
突然な問いに、私は思わず声を上ずらせ、硬直してしまっていると、神子様はクスクスと微笑んでいた。
「やっぱり、藤姫にはまだ早いのかな〜」
にこにこと言うと、神子様はふいに真剣な顔をなさった。
「…昨日さ、…天真君に…告白されちゃった…」
俯き加減で言う神子様の顔は、ほんのり紅く染まっていた。
その顔で、神子様のお気持ちも容易に察しられた。
その表情に、ふと、しばらく前に見た、詩紋殿のお顔が思い出された。
その時は、良くは分からなかった。
何とも言えない、その気持ちの正体が。
ただただ、やりきれない思いが胸のうちに充満して、
その場にいることさえ、億劫に思えていた。
重い気持ちを抱えたまま、時は風の如く流れて行った。
もう少しで、神子様のお務め終わる。
京に平和が戻る、夢にまで見た日。
それなのに、心は無償に重かった。
良くは分からない。
ただ、自然に、
お会いしたくなった。
詩紋殿に。
女房達が嫌がるので、少し控えていたのだけれど、
我慢できぬほど、あのお方のお顔を、見たくなった。
瞬くような金糸の髪が、青い澄んだ瞳が、たまらなく恋しかった。
そのまま、ぼぅっと庭を眺めていると、
「あれ? 藤姫ちゃん」
夢でも見ているのだろうと、瞬時に思ってしまった。
だって、つい先刻まで考えていたこと、思い浮かべていた顔。
にっこり微笑むその顔は、やはり少し寂しげだった。
唐突にお会いできた喜びで、私は思わずそのまま硬直してしまっていた。
しきりに高鳴る鼓動がとてもうるさく、何が何やらも良くわからなかった。
「もしかして、藤姫ちゃんも眠れないの?」
押し黙ってしまった私に、詩紋殿はとても優しい口調で話しかけてきた。
その心遣いが嬉しくて、私はますます頭に血が上るのを感じる。
「…し、…詩紋殿も、眠れませんの?」
しどろもどろに、上ずった声で何とか発した言葉に、詩紋殿は笑顔を返してくださった。
そして、ふと寂しげなお顔をなされた。
「もうすぐ、この京とも、お別れなのかなって」
空を見上げながら、詩紋殿は言った。
その言葉に、ふいに胸が絞まる。
詩紋殿も、寂しさを感じておられたという事実が、少しだけ嬉しかった。
でも、
「僕…、ここへ来てから、何が出来たのかな…、あかねちゃんの為に」
呟かれたその言葉に、
胸の奥で、
言い知れぬ何かを感じた。
何なのかは良く分からない。 ただ、漠然と、それが良いものでないことは分かった。
「…あかねちゃんの為に、何かしたいって、あかねちゃんを守ってあげたいって、そう思っていたのに、…結局僕、何も出来てない…。 何も出来ないまま、皆終わっていっちゃった…」
言葉を続ける詩紋殿の横で、私は正体の知れぬ思いに、ただ戸惑っていた。
詩紋殿は、私の重苦しい表情に気付いてか、ふとこちらを向かれて苦笑いをされると、
ひとつだけ、ため息を洩らされた。
「……ごめん、…変なこと言っちゃって…。 …きっと、話したかったんだ、誰かに…」
ぽつりと言うと、少し空を見つめ、その目を反らさぬまま、
「…今日、…僕ね、…あかねちゃんに…振られちゃった…」
小さく小さく呟き、尚も空を見つめる。
小刻みに震えた肩が、痛々しかった。
風に舞う金の髪は、いつものようには輝いていない。
胸のうちにもどかしさを抱えたまま、静かに時は過ぎ、
とうとう、神子様の最後のお務めの日がやってきた。
神子様は、笑顔で、天真殿を指名され、戦いへと赴いた。
そして、
全てが、終結を迎える。
神子様は龍神を召還され、
そして、天高く上っていく神子様を呼びとめたのは、天真殿の声だった。
その傍らで、詩紋殿は静かに微笑んでいた。
いつもの、寂しげな微笑みで。
神子様のご無事は嬉しかったけれど、
詩紋殿のお顔を見るのは、少し切なかった。
「藤姫ちゃん」
神子様と共に、次元の向こう側に帰られる間際、
皆と共に見送りに来ていた私に、ふいに詩紋殿が駆け寄ってきた。
きょとんと顔を上げると、詩紋殿は微笑んで、
「今まで、いろいろありがとう」
青い瞳でまっすぐと見つめながら、詩紋殿は言った。
私が何も言えぬままでいると、詩紋殿はにっこりと微笑んで、
「…僕、藤姫ちゃんがいたから、今まで頑張ってこられたんだと思うよ」
いつものように寂しさを纏った、
それでいて、満面の笑み。
そのお顔を見られるのは、これで最後だと、
その時、初めて、心から理解した。
「詩紋殿…っ」
思うより早く口をついて出た言葉と同時に、笑顔で、手を振りながら霞のように消えて行く、詩紋殿の姿がそこにはあった。
たまらぬ切なさだけが胸に残り、
気付かぬ間に溢れ出ていた涙に、しばらくその場に立ちすくんでいた。
風に舞う涙が光に照らされ、
まるで、詩紋殿の煌く髪のようだと、虚ろに想っていた。
―それは、今から幾年も前のこと。
今にして想えば、
あれはきっと、
初恋と、いうものだったのだろう、と。
……マイナーもここに極めり、といった感じのカップリングですね…(滝汗)
しかし、密かに好きなカップリングなんですよ。 …そのわりに失恋してますが(爆)
どうも、藤姫の王道は友雅、というふうに、定着していますが、こんなのもありかなと思ったもので…。
年の差もいい感じですし、何より、星の姫と鬼と同じ外見の少年という、ちょっと禁断っぽい感じが漂うところが気に入っているのですよね。
そのへんを書きたかったはずなのに、あまり書き切れなかったのが、ちょいと悔いであります…。
でも、藤姫一人称って、面白いですね〜。
あの言葉遣い、クセになりそうでした♪
機会があったら、またしてみたいものです。