美朱の恋愛観の変化と、価値観の刷り込み


貞操観念としてもうひとつ、
美朱の言動でドン引きしたのは、

「あたし、つまんなくない?」
というセリフ。

巫女が処女でなくてはならない設定が、突然湧いて出てから、
何故か美朱はいきなり、コンプレックスを抱き始めました。

ちなみに、美朱と鬼宿は、サクっと両思いになったもんだから、
コミックスだと、2巻あたりから、うざったい程に、イチャイチャしまくってます。
キスもハグも、日常茶飯事です。「愛してる」って言葉も常に大バーゲンです(笑)

でも、満足してましたよ、確かこの二人。

巫女は処女で。そう言われるまで、
全然、それまでの関係に満足してたように見えました。
好きだ、愛してる、あなただけだ、お前だけだ、イチャイチャ、イチャイチャ。
もう、バカップルです。 誰がどう見ても。
完全なバカップルです。 
いーじゃないですか、幸せそうで。

でも、ある村で、なしくずしで同じ部屋に泊まることになった時に、
鬼宿に向かって美朱が言ったセリフです。
肉体関係を持てない女と付き合っていて、嫌にならないのか、そういう問いかけです。


ちなみに当時、戦いの真っ只中で、
戦いが終わり、巫女の務めが終わったら、結婚しようとまで約束してるんですよ。

一体どのへんに、鬼宿の気持ち疑う余地があるんですか?
一体どのへんに、肉体関係急ぐ理由があるのかも分かりません。
将来巫女じゃなくなったらOKなんだし。

巫女は処女の設定が、恋の障害とは、全く思えないのですよ。
そもそも、巫女は処女での設定が出てくるまで、
本気で、イチャイチャバカップル状態で満足してたじゃないですか。

ちょいと裏読みすると、この設定出た頃くらいから、
少コミ編集側が、そういう路線を求めてたのかなぁ、とも思ったりもしますよ。
そのくらいの、とってつけた感でした。 
前後の帳尻がホント合わないです。 
だって、その後の二人(主に美朱)の恋愛観だと、
処女でいろと言われるシーンが出るよりずっと前に、
とっとと関係持ってなかったのが、むしろ奇跡に見えますよ(笑) 

私的には、この時期に流行っていた、いわゆるトレンディドラマで、
身体を許さない固い女を「つまんない女」とか言うの、結構流行ってことを思い出し、
視聴当時、美朱とほぼ同年代だった自分は、
この子トレンディドラマの真似して、マセ過ぎてて変、と感じたのを覚えてます。

でもこれもまた、もしも美朱より年下の子が見たら、マセてる、ではなく、
これが、中学3年という年相応の恋愛観、という刷り込みが行われてしまったかと思うと、
なんだか、とても怖く感じました。
あくまでフィクションとはいえ、やはり思春期に得た情報って、
心の根っこの価値観にすごく影響を与えてるものなんです、自覚のありなしはありますが。
現に、その後の恋愛と性のあり方への価値観は、見る間に変わっていきまいたし。


にしても、この世界での性描写って、本当に全く、妊娠考えてないですよね。
少コミの全体とした流れでもありますが、
単なる愛情表現として性を扱っている。これが終始腑に落ちないのかもしれませんね。

性は単なる愛情表現じゃないです。
性交渉は、生殖行為。
つまり、子孫を残す為の行為。

子供を産むことも育てることも出来ないうちは、好きだからする行為とは、もう少し一線を画すべきです。
…まぁ、これは、少コミ作品全体に言えることなので、
もしかしたら、作者ではなく編集の意向だった可能性も高いですけど。

でも、その後の少コミのさらなるエロ化路線で、ふしぎ遊戯は少し影は薄いのですが
ちょっと待ってください。
ふしぎ遊戯は大ヒットしたからこそ
こういった、性を単なる愛情表現とした価値観の刷り込みは、
すごく一役を担っていると思います。
好きでも無い相手とはもってのほかですが、
好きだからと言うだけで、していい行為でもないはずです。



大体、最後のお楽しみは、最後までとっておけばいいと思うのですよ(笑)
今まで通り、好きなだけイチャイチャしてればいいんですよ。
読みながらいつも思っていことですが、
愛を伝える方法なんて、他にも山ほどありますって。





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