美朱考察、まとめ ここまで考察して、少し出た結論があります。 これは、個人的には大きな発見でした。 これを書きたくてこの文章作りました。 それは、 美朱というキャラクターは、人間ではなく人形ではないかと。 そう考えると、色々合点が行くのですよ。 つまり、操り人形です。 分かりやすくたとえるなら、ゲームのプレイヤーキャラクター。 コントロールしているプレイヤーの、操り人形です。 美朱の身体は、危機迫る大冒険の真っ只中にあります。 ですが、 対して心は、何故かいつも安全圏にいる。 この心と身体の剥離感は、丁度ゲームのプレイヤーとプレイヤーキャラに酷似しています。 失明したのに、大したショックを受けないのも、それなら頷けます。 プレイしているゲームのプレイヤーキャラが失明しても、 プレイヤー自身は、痛くもかゆくもないので、さほどのショックを受けない。 ただ、見えなくて不便だなーと思うだけ、正に美朱の反応です。 貞操観もそうです。 プレイヤーキャラが妊娠しようが、病気になろうが、 プレイヤーはなんともないのですから。 端からそんなこと考えません。 だったらむしろ、好きなキャラとのラブシーンを見たいと思う気持ちなら分かります(笑) 家族を平気で捨てられるのも、ゲーム的に考えると、 プレイヤーキャラの家族よりも、旅で出会った登場人物の方がよっぽど思い入れありますね。 そして、ゲームでもそうですが、 出会う人物や出来事には、時としてとても感銘を受けたり、別れが辛かったり、 そういった感覚は、ちゃんと味合えます。 美朱もそういった意味では人間的反応もします。 でも、自分自身の危機には、本当に反応が軽い。 一人安全な場所で、コントローラーを操っている立場。 こういったスタンスで美朱の言動に着目すると、驚くほどに納得が行くのです。 そう考えると、乙女の妄想活劇(待てその煽り)として、 ふしぎ遊戯が秀逸だったわけも分かる気がしました。 つまり、乙女ゲームの主人公そのものなわけですよ、良くも悪くも。 そういった意味で、少女漫画としては、読者に最も近い主人公、だったのかもしれない。 そう思うと、長年理解できなかった、美朱が好きという方も、少し理解できる気がします。 つまり、物語にどっぷりと浸らない人ですね。 主人公を介して自分がその世界に入った気分にはならないタイプは、美朱に疑問を持たないんじゃないかなーと。 いちいち起こった事に関して、そこまで深く状況を想像しなければ、 余計なことで悩まず、話がサクサクと転がる、とても都合の良いキャラなんです。 むしろ、そういった感覚の人は、人間的に悩む主人公を、じれったい、と批判するタイプかもしれません。 そして、主人公に感情移入して、物語をいわば仮想体験のように楽しむタイプ。 こちらには、美朱はとても向かない主人公なわけです 感情移入すればするほど、状況を想像すればするほど、美朱の反応との距離が広がっていきます。 美朱の心はいつも安全圏なのですから、危険ど真ん中を想像したら、どんどんかけ離れるのは当然です。 そして、結果的に、美朱という存在に、たまらない嫌悪感を抱くことになるのかなぁと、そう思いました。 ※ブラウザバックでお戻り下さい 追記 ふと思うと、乙女ゲーム界でも、この手の主人公は増えている気がします。 人間的でない、「プレイヤー的思考」の主人公。 意識的に行っているなら、趣向の問題もありますが、 もしかしたら、根本的な想像力が無い人が増えているのかもしれません。 つまり、もしも自分がそんな目に遭遇したら…、という仮定での想像ですね。 自分そのものを置き換えずとも、どこかしかに必要なものです、物語を楽しむなら。 それがあって始めて、ハラハラドキドキとするはずなのですから。 あくまで、安全圏でその物語を楽しむ自分、という立場からしか物語を見られない。 それってなんだか個人的には、淋しいことな気がします。 |