愚痴その3 その1の補足なのですが、ノベルゲームのモノローグについて。
プレイしていて、どうも他人事になって読むだけ状態なものの特徴は、 過剰と言うより、 当事者ではない目線のモノローグ、なのかな、と思いました。 つまり、ちょっと再現すると、 例えば、綺麗な青い目の人と初対面のシーン。 * * * 主人公 「誰?」 ふと見ると、そこには人が立っていた。 (青い目の人物の立ち絵) 主人公 「――…」 私は思わず声を失ってしまう。 その人の透き通るような青い目に、 しばらく見とれてしまっていた。 * * * …こんな感じが、 当事者でないモノローグです。 で、次に、 * * * 主人公 「誰?」 (青い目の人物の立ち絵) え? 人間? 人がいたの? 主人公 「――…」 すごい、透き通るみたいな、青い瞳…。 見ているだけで時間を忘れちゃいそう。 綺麗だな…。 * * * って感じでしょうか、 これが、当事者目線のモノローグです。 つたない再現で、分かってもらえるかは不安ですが(汗) つまり、モノローグの文章量の問題ではない、ということで。 視点の問題なんですよね。 主人公は、そこにいるはずなんですよ。 目の前の人と対峙しているはずなんです。 なので、 その時、私はこう思った。 ってのは、やはり変な表現だと思います。 そこにいる人間の思考じゃないので。 あと、過剰なものってのは、これとは別に、 私は駆け足で○○に向かった。 とか、 ○○さんは嬉しそうに笑ってみせた。 とか。 画面と音で表現出来る部分ですね。 駆け足で向かうのは、 駆けているSEと場面転換。 嬉しそうな顔は、 立ち絵の表情で。 どちらも十分に描写しているのに、何故か語る。 これを、個人的に過剰モノローグと読んでます。 で、 過剰モノローグと、 語り部目線モノローグ。 この合わせ技の作品ってのが、ほんと最近多いのです(汗) ちょっと面白そうと思っても、 雑誌掲載のテキストとか見て、 がっかりして買うのためらうソフトも多いです。 ゲームなんだから、 もっと当事者目線で描いて頂きたい。 心底思います。 情景描写のために、語り部目線の部分が必要な時とかは、 遙か3や三国みたいに、 ウィンドウごと語り部モードだと良いんですけどねー。 |
愚痴その2 最近の乙女ゲームレビュー文などを見ると、
よく見る単語が、糖度です。 よくよく考えると、これはなんだろうか、と思いまして。 ずっと、攻略対象とのラブラブ度かと思ってたのですが、 最近はどうも違うニュアンスを感じたのですよ。 なんというか、 いかに、イチャイチャシーンがあるか。みたいな。 で、思ったのですが。 乙女ゲー。 というか、 恋愛ゲームに、 イチャイチャしてるシーンって、そんなに重要かなぁ、と。 考えてみると、 乙女ゲー創世記の、私的にもこのサイトの三本柱。 アンジェ、遙か、ファンタ。 ほとんどキスシーンすら無いです。 でも、そこいらのイチャイチャしまくってる作品よりも、よほどハマった(笑) 無粋な例えかもですが、ちょっと思い出したことで、 かなり前に、何かのコラムで、 美少女アダルトゲーム(純愛系)と、 アダルトビデオを比較してた文章がありました。 そのテのシーンだけが目的なら、 アダルトビデオを見れば手っ取り早い。 じゃあ何故わざわざ純愛ものをプレイするか? というと、 メインの目的は、そこまでの過程を楽しみたいから、だそうでした。 なんかこのあたり、ちょっと考えさせられました。 乙女ゲーだってそうだと思います。 男と女がイチャイチャしてるシーンってのは、 キャラ関係なく、一瞬ドキっとするもんです。 もー、本能だから仕方ない(苦笑) 糖度とよく言われるのは、そういうものな気がします。 でもそれって、恋愛的な萌えとは違うような気がします。 そういった刺激物的なものでなく、 そのキャラクターと、やっと仲良くなれたなって言う感慨深さ、 そのキャラの表情が、ちょっと変わっただけで感じる何か。 そういうものが、恋愛ゲームの大事な部分と思っています。 萌えというか、ロマンチックラブというんですかね。 身体がくっつくより、心でくっつくって感じです。 考えてみると、初期の乙女ゲームのEDスチルは、 二人が仲良さそうに微笑んでるってのが主流でした。 別に、べたべたとかしてなくて、普通に一緒にいる感じ。 それで十分に、恋愛の描写は出来ていた気がします。 最近のゲーム、やたらキスシーン増えたなぁ、と思います。 まぁ、あればあるで、嬉しい時もありますが(笑) なくても、勝手に二次創作でさせたくなるくらい愛しいキャラを描写して欲しいです。 …乙女ゲーには、一時の少女漫画みたいに、性愛表現に走って欲しくはないものです(遠い目) まぁ、ゲームは規制が厳しいから、一般作では無理ですが(苦笑) |
愚痴その1 最近の乙女ゲームで、無尽蔵に増えているのが、ノベル形式のゲームです。
まぁ、もともとギャルゲーの流れで、キャラゲー萌えゲーには、とても合う形式ですし、 個人的にも大好きなのですが、 ちょっと最近気になることがあって、ちょっとまとめた文にしたくなりました。 というのも、最近の乙女ゲーで増えていて、 レビューとかでも、散々愚痴っている、 過剰なモノローグのことです。 たとえば、 まぁ、お約束的に、お姫様抱っこされるシーンがあったとします。 ちょっと再現してみます。 あ、()内が画面、音の効果です。 * * * (ガバッ!って感じのSE) (画面暗転) 主人公 「きゃっ!?」 (抱っこされてるスチル表示) 主人公 「え…?」 これって、お、お姫様抱っこ…? 恥ずかしい! * * * って感じでしょうか。 で、これを過剰モノローグ風ににすると、 * * * (ガバッ!って感じのSE) (画面暗転) 主人公 「きゃっ!?」 (抱っこされてるスチル表示) 気が付くと私の身体は宙に浮いていた。 ○○さんの両腕が、私の身体を支えている。 そう、これはまるで…、 主人公 「え…?」 つい口から声がこぼれてしまった。 だって、これって…。お、お姫様抱っこ…? 恥ずかしい! どんどん顔に熱が溜まっていくのが分かる。 * * * …みたいな感じでしょうか。 ここは文だけの場所なので、もしかしたら後者のが映えて見えるかもですが(汗) 画面効果の存在価値はほぼないです。 ようはスチルを見れば、分かるんです。 宙に浮いてることも、両腕で抱えられてることも。 勿論主人公赤面してることも(笑) そして、それをあえて、 プレイヤーが自分の目で見て、自分の頭で理解する。 という工程が、ゲームにおいて大切なことだと思います。 これってお姫様抱っこ!? というのだって、 プレイヤーの脳内の方に先に浮かんでこそ、です。 プレイヤー自身が自分の頭でわー恥ずかしいとか思ったからこそ、身悶えられるわけで(笑) 過剰なモノローグだと、 プレイヤーではなく、主人公さんというキャラクターが、 画面の向こうで勝手に盛り上がっている感じになりがちです。 それだと、プレイしている人間は、 ゲームをやっている、という満足感があまりない気がします。 個人的にはあまり好きな傾向ではありません。 ゲームというのは、色々な意味で、疑似体験の遊びです。 アクションだろうがシューティングだろうが、そうです。 アドベンチャーっていうのは、その物語の当事者を疑似体験するのが醍醐味だと思っています。 なんていうんですかね、 当事者の物語を読むのが、小説で、 当事者に「なったつもり」で疑似体験するのがゲーム、というか。 その場にいたとして、普通に浮かぶ心の声以上のモノローグは、何か変なんです。 臨場感に欠けるというか。 …ちょっと考えれば分かると思いますが。 「その時私は○○をした。」 とか、フツーはいちいち心で語って生活してない。 なので、その文体が現れると、疑似体験ではなく、一気に読み物になってしまいます。 それはもう、アドベンチャーゲームではないのでは?とも思います。 …あと、文体が過去形なのもあるのかもです、臨場感のなさ。 サウンドノベルのように、圧倒的に文章に情報特化した形ならとにかく、 一般的なアドベンチャー画面でやられると、 すごく、プレイヤーの置き去り感が強くて、 見ているだけ、というゲームになってしまって、 もうゲームなのか何なのか…。 このへんは、サジ加減上手いライターさんだと、あまり気にならないのですが、 …いかんせん、乙女ゲーではあまりお目にかかりません(汗) 乙女ゲーも、創世記のゲームには、あまりこういう文体は無かったんですけどね、 ここ数年、すごく増えました。 …ふと、遙かの1とか2を思い返すと、 流石というか、そのへんのゲームの文体はよく出来ていて、 プレイヤーへの配慮はさすがだったと思っています。 |