残していくべき遺構たち

FZR250Rという個体

俺のところにいるこの個体は、俺の目が届く限りはずっと面倒を見ていくつもりである。

やはり所有する責任ということもあるわけ。

捨てるのは簡単。

それをどうにかして維持していくのがプロなわけで。

何も硬くなる必要はないのかと最近は思うようになった

以前リアリズムが強いと言ってくれたバカがいたからね。

今は、そいつは誰にも相手にされない。人のことを小馬鹿にする人間の末路ってやつだな。

ああ、良かったと思う俺様である。(何のことか詮索しなくてよろしい)

機械は嘘をつかないからね。そして裏切らない。ここが人間とは違う。

こいつらから聞こえてくる言葉

それは3Dの世界に存在し続けたいという気持ちが伝わってくる以上、それに応えるのがプロってものさ。

断っておくが俺様がいる周りで存在し続けたいということということを付け加えておくことにする。

だから、維持できるよう勉強して技術、技能を磨いていくいくだけなのさ。

今後も、これからも飽きなんてまったく、絶対的に来ないから。俺様が触ってきた機械達にはね。

だから俺様はプロで居られるのだと信じる。

FZR250Rという個体は、現代にはない資質と感動を備えていると言ってよい

2気筒世代、高排気量になれば4発5バルブといった高次元マシンも登場してはいるが横置き4バルブ4シリンダーは異次元の存在であることは間違いない。

2ストも速いのは確かだが、速いだけでは面白くもクソもない。排ガスも極端にNGだし

古い低年式車両となると色々と制約は出てくるのは分かる。しかしその少しは簡単で、少しは高リスクな肯定と否定が入り混じる昭和のバイクは、手をかけていて訴えかけてくる何かが存在する。それだけで機械に触っているという感覚が鋭くなる。

現代の電子化されたバイクと比べ昔のバイクは良かったとは思わないが、アナログなところはやはり人間の感性に近い存在といえるだろう。だから無理を承知で直してきたのだから。

現在はVer.3.0作成のため作業開始となっており、何時かはアップロードできるだろうと考えております

無論テキスト形式のチンケなHPであることはお分かりだろうが、このスタンスは変える気はない。

俺は文字、文章、本が好きだからだ。見た目綺麗なHP?

いらんわ。スマホで見れない?

そんなもん、見る人が調整すりゃいい。

なんでもかんでもサービスしてまで載せる必要はないと俺様、私は思っております。

まだまだ製作時間が足りなくて本当の完成は何時になるのかわからんでございますが

機械に触れる幸せをかみしめながら時間を有効に使っていければと思う所存でございます

YAMAHA FZR250R 復活記 

−懐かしいあの頃へ−

マジボロ・・・
     
しかし

コレがいいのだ!

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