上田城水攻戦周り。
上田城で三成の背中を見つけて、制止する幸村を振り切って、家康は必死で追いかけた。
三成、と声をかければ、立ち止まって振り返った。憎々しげな視線が向けられる。
追いつくために随分走ったので、家康の呼吸は上がっていた。
三成に、ずっと会いたかった。
「今ここで殺されたいか」
鞘に収めたままの刀で家康を牽制する。
家康が軍を率いて上田城に来ていたのはわかっていたが、
その目指すところは武田家の代行、真田幸村のはずである。
三成としては、この地の主である盟友の顔を立ててこの場は大人しく退いてやったのだ。
それなのに家康が軍を置いて、わざわざ己を追ってきたことが理解出来ない。
「三成、ワシの話を聞いてくれ」
「貴様と話すことなど何もない。去れ」
家康は自分に向かって突き出された刀をそっと脇に押しやって、刀を握る手に己の手を重ねた。
「なあ、ワシは」
「真田の領地内で事を起こすのを避けてやったというのに」
「ワシは、おまえが好きだ」
「……」
「おまえの気が済むなら、おまえに殺されてもいいとそう思ってい」
「嘘だ」
言葉を遮り、重ねられた手をはらいのけた。ぱし、と軽い音がした。
「そうやって貴様はいつも心にもない言葉をわたしに向ける。心底、虫酸の走る男だ」
「三成、ワシは」
「貴様は天下が欲しかったのだろう?だから秀吉様を殺したのだろう、それが貴様の本心だ」
「それは……」
「そうして手に入れた天下を、貴様は無責任に投げ出すと?嘘だな」
家康は言葉に迷った。
天下が欲しいわけではない、と言い切れば確かに嘘になる。
戦乱が続き疲弊していく日ノ本を見て、このままではいけないと考えた。
誰かが止めなければ、天下に新しい何かを築かなくてはと。
他の誰でもない、己がこの手でそれを成そう、と思ったのは事実。
戦いではない新しい力を、人とのつながり、絆がそれを成せるのではと。
笑顔の満ちた、やさしい国を、作れるのではないかと思ったのだ。
だが、三成が家康の命を奪って本当に満足だというなら、それもまた良いと思っている。
それを三成にわかってほしかった。
「ワシは、戦乱を終わらせたいだけだ。武器のない戦いのない平和な世を。
おまえにも、武器を持って欲しくなかった。いつも笑顔でいて欲しかった」
そう言い切る家康に、三成の顔が怒りのあまり紅潮した。
「貴様と…いう奴は!どこまでこのわたしを…愚弄するつもりなのだ……っ!!」
「三成、おまえは強い。だがワシはそれが哀しい。
おまえが繊細で傷つき易い心の持ち主だということを、ワシは良く知っている。
だからその強さは」
「だまれええええええええぇぇぇ!!!!」
三成が振り下ろした刀を家康の手は難なく掴み、捻って奪うと投げ捨てた。
暴れる身体を引き寄せると、両腕で抱きすくめて抵抗を封じる。
天下人を打ち倒した腕から逃げ出せるはずもなく、三成は抵抗をやめて至近距離から睨みつけた。
「おまえは力を尊ぶ。ワシが掲げるのも絆という名の力だ。それでは駄目か?」
「わたしの絆は貴様が奪った!わたしに残ったものなど何もない!」
「おまえにはワシがいる」
「……貴様が、わたしに一体何を与えられるというのだ?命などというのは上っ面の嘘っぱちだ。
貴様は天下を投げ捨てられるような男ではない!それはわたしが一番よくわかっている!」
三成はそう一息にまくしたてると、返答を待つかのように黙った。
家康は真正面からその視線を受け止める。憎しみに燃えたその眼がとてもいとしい。
この真っ直ぐな目が好きだ。自他共に嘘を許さぬその真っ直ぐな烈しい心が眩しかった。
傷ついても貫くその矜持が好きだ。
そしてその傷を、この手で癒したいと思った。
家康は笑んでいた。
「見せられるものならこの胸を切り開いて見せてもいいくらい、ワシは三成を本当に好いている。
嘘いつわりのない本心だ。ワシはおまえが欲しい。ワシの築く泰平の世で、ワシの隣に欲しい。」
気持ちを伝えれば伝えるほど、三成の怒りは、お互いの溝は深くなっていく。
何故伝わらないのだろう。どうしたら伝わるのだろう。
ずっとそればかりを考えてきた気がする、と家康は思った。
「ならば奪え。わたしから秀吉様を奪ったように、何もかも力づくで奪うがいい」
そう言いながら三成から唇を重ねてきた。かと思うと唇に噛みつかれて痛みが走り、家康は眉を寄せた。
「……っ」
噛みちぎるほどの強さではなかったが、鉄の味が口内に広がって噛み切られたのだけはわかった。
刺すような視線をそのままに、痛む箇所に三成の舌が這う。
家康はその舌を口内に絡め取って、舌先が痺れるほどに吸い上げる。
がり、と嫌な感触だけがして痛みがなかったことをいぶかしむと、今度は三成は己の舌を噛んでいた。
「なっ……三成、何をして……!」
「欲しいと言うなら、この口をふさぎ――耳をふさぎ目を喉を潰して思うままに貪れ」
少し呂律の回らない声でささやくように言う。
その口元に血が滲み、唇を艶めかしく彩る。吐息は熱かった。
「違う、そんなことは望んじゃいない、……ワシは」
「ここまで来てまだ綺麗事を言うか。本当に腹のたつ男だ、家康。貴様はそうやって」
友の顔をしてわたしの心に入り込んできて、内側からわたしを切り裂いたのだ。
そうささやかれて、家康は目を見張る。
「貴様の目には情欲が浮かんでいるぞ。友を見る目ではない。
友として近づいてきながら、貴様はわたしをそういう目で見ていたのだろうに」
「……」
そうなのだろうか。そうかもしれない。
果たしていつから自分は三成をそういう目で見るようになったのか、家康には思い出せなかった。
(それでもワシはおまえを、綿でくるむように優しく大切に大切にしたい。
望まぬ行為を強いて傷つけるような真似は自重せねばならない。)
そう家康は自分を戒める。三成本人がその想いを許容していることに気がつかずに。
「隣に、など、それは貴様の本音ではないだろう? 何故に本心を言わぬ。
舌先だけで騙せると思うほどにわたしを馬鹿にして、見下しているのか?」
「三成をそんなふうに思ったことなどない」
家康は慈しむような目で三成を見ながら、さらさらとその髪をなでている。
優しいしぐさだった。
それが三成を苛立たせる。
いつもそうだ。
雄の欲望をにじませた目でこちらを見ておきながら、決して紳士面を崩さない。
決して自ら手を伸ばしてこないこの馬鹿を一体どうしてくれよう。
友と思ったこともあった。
その視線に気がついて、友ではなかったのかと苦く思うこともあった。
そしていつの間にか、その手がこちらに伸ばされるのを待っている――そんな己の馬鹿さ加減に嫌気がさす。
家康の腕からは抵抗を封じるほどの力は抜けて、やわらかく抱き寄せられるかたちになっていた。
大きな手が髪や背をなでるのが心地よい。
こうして三成が大人しく腕の中に抱き込まれている理由なんて、家康にはわかるまい。
人を不器用だのなんだの言うこの男の方こそ、不器用で鈍感な大馬鹿者だ。
「ここで奪わねば、いつかわたしは貴様を殺す。後悔することになるぞ。」
「ああ。わかった。ワシはいつでも待っている。」
にこり、と、どこか切なそうに家康が笑う。
その腕の中で笑顔を見て、三成は絶望的な気分で唇をかんだ。
三成の涙をこらえる目尻が桜色に染まってきれいだなと、目を細めて家康は頬を寄せる。
三成は、寄ってきた顔を両手で自分に向かせると、自ら唇を重ねた。
家康の目が驚きに見開かれるのを至近距離で見つめる。
やさしく回されていた手が少しの逡巡のあと、三成を激しく抱き寄せた。
深く浅く角度を変えて、何度も何度も貪られる。
息苦しさを感じて逃げる身体を、いつもは優しいばかりの手が捕らえて離さない。
身体の奥に熱がともってくらくらする。
だが家康はそれ以上のことはしようとしなかった。
そういう男だとわかっていた。わかってはいたが。
三成は屈辱を感じて腕を振り払うと、目の前の身体を突き飛ばした。
家康はそのまま尻もちをついて倒れこんだ。その顔は紅潮して、びっくりしていた。
おそらく自分の顔もこんなふうに紅潮した驚きの顔をしているに違いないと思うと
三成の心は激しい羞恥と、しなければよかったという後悔に襲われる。
「三成……その、すまん。無理矢理こんなことをして……ワシは……」
「な……っだまれ!!この腑抜けが!!!!!したのはわたしだ!!!!」
「あー……す、すまん……」
情けない顔をして、それでも嬉しそうに笑う男の胸倉をつかむと力いっぱい殴りつけた。
「貴様は馬鹿だ!どうにも救えぬ愚か者だ!」
「ああ、ワシは馬鹿者だ。すまんな……」
「謝るな!!ここで死にたいのか!」
「ああ、三成がそう望むならそれもいい」
この男との会話はどうにももどかしい。
やりきれなくて思うさま蹴りをくれてやるが、堪えた様子のない家康に、思わず溜息が出た。
「消えろ。貴様と話していると疲れる。」
「三成……ワシは」
「これで最後だ、わたしの前から消えろ」
これ以上会話を続けても堂々巡りの予感がして、三成は話を聞かずに駆け出した。
その背中に家康の叫びが聞こえる。
「ワシは、三成が好きだ、本当に好きなんだ!」
そんなことは、とっくの昔に知っていた。
そして三成も家康の事が好きだ。ずっと好きだったのだ。
そう口にしたことも、一度や二度ではないというのに。
何故こうなる。
どこまでも平行線で相容れないのは一体何故なのだ。
もし、もしも。
家康が秀吉様を手に掛ける時に。
わたしに向かって手を差し出してくれていたら、わたしはその手を取っただろうか。
そうしたら、二人はもう少し違った形で居られただろうか。もう少し近づけていたろうか。
ありえない、と三成は薄く笑った。笑いながら、涙が流れた。
「わたしも貴様が好きだ、家康……」
(2010.09.01)
***
「おまえは力を尊ぶ。ワシが掲げるのも絆という名の力だ。それでは駄目か?」
今、殿に言わせたい台詞No.1。三成の本音の返事が聞きたい。なんていうだろ。