家康・赤ルート前提。
豊臣秀吉 9月18日没。その少し前。
夜半に突然、目が覚めた。
いつもは朝まで熟睡する性質の家康には珍しく。
自分が何故に目を覚ましたのかわからず、身体を起してぼんやりと部屋を見回すと、
庭に面した障子が開け放たれたままになっていて、ひやりとした夜気が入って来る。
しんと静まり返るその向こうには臥待月。
茫洋とした心持ちのまま、自分にとっては珍しいその月を見に起き上がる。
こんな時間に空を見上げたことはない。
寝ずの戦場は経験があるが、そんな時には空を見上げる余裕もなく。
季節は既に初秋。
昼はまだ暑さが残るが、こんな夜更けは肌寒い。
そんな時期だから、障子を開け放したまま寝た覚えはなかった。
身体を動かしたことと、ひやりとした空気とで、寝ぼけていた頭が徐々に冴えてくる。
と同時に、息をひそめる誰かの気配があるのに気がついた。殺気はない。
ああ、と腑に落ちた。自分はこの気配で起きたようだ。
縁側まで出ると、ひそやかに声をかける。
「三成。寝ないのか。」
返事はなく、その気配は身動ぎもしない。
「ワシに用があるのか。」
重ねて問うても動かない。だが去るつもりもなさそうだ。
話す気になるまで待つしかないのか、と、家康は心の中で溜息をついた。
成長期を気を使う他家で過ごした家康は、心を取繕うことにも待つことにも慣れていた。
しかし今は夜着一枚、この時期に外でじっと待つには不向きな格好である。
寒いな、と考えるまでもなく、くしゅん、とくしゃみがひとつ出た。
「……貴様は馬鹿か。早く部屋に入れ。」
隠れていた人物が、やっと声をかけてきた。
「お前を待ってるんだぞ? 三成こそ早く出てこい。」
「先に入っていろ。」
その言葉を最後に、姿をあらわすことなく気配が去っていく。
言われたとおりに部屋に入って待っていると、間もなく三成が戻ってきた。
暗い中でなにやら硬いものを渡されるが、はっきりとは見えない。
特に明かりのことは考えていなかった。灯しておいた方が良かっただろうか。
三成も明かりは持って来なかったので部屋は薄暗いままだ。
障子紙越しの仄かな月明かりに、動く輪郭だけがぼんやりと見えた。
とぽとぽ、と水音がして、手のひらの中の入れ物がじわりとあたたかくなり、
立ち昇る芳しい香りで茶とわかった。気配が無言で飲めと言うので口をつける。
熱すぎないそれを一気に飲み干すと、腹の中からあたたまって、ほう、と息が漏れた。
「で、何の用だ?」
「……」
三成は黙して答えない。
そうして問うてはいるものの、家康には三成の目的が何であるか見当が付いていた。
最近、家康の元にもたらされるたくさんの書。
それは豊臣のやり方への不満と不安と翻意の詰まった、家康への直訴状だった。
書だけでなく直接会いに来る者ももちろん少なくない。
何より、幼いころから周囲に居た陪臣たちからも同じ言葉があがっていた。
家康はある決断を迫られている。
そのことに、人心に鈍い三成もさすがに気がついたのだろう。
誰よりも身近に居るのを、他ならぬ家康が許していたのだから。
障子は閉めたが、既に冷えた室温に体温が徐々に奪われていく。
寒さを意識して身体を震わすと、三成が手を伸ばして触れてきた。
いつもは冷たい手のひらが今日はあたたかい。おそらくその手の急須の温みだろう。
その仕草が愛しくて、寄ってきた身体を抱きしめると、しっかりと具足を
着込んでいるのがわかった。伸ばされた腕だけが、防具を外してある。
まるで今の三成の心のようで切ない。腕の中にいるのに拒絶されてるようで、切ない。
「ワシをあたためてくれぬか」
闇の中、己が腕の中の愛しい存在に囁きかけるが返って来るのは無言ばかり。
最近の三成は無口だ。責めるでもなく、ただ真っ直ぐに見つめてくるだけ。
何か言いたそうにしているのに、それを言葉にはしてくれない。
だから見せる。家康のもとに届くたくさんの書を、たくさんの来客を。
三成の口から引き留める言葉が聞きたくて。
そんな言葉が聞けたことは、ただの一度もないのだけれど。
「三成はひどい。もっと素直に甘えてくれてもいいだろうに」
「……馬鹿が……」
そうやって触れてくる手のように、甘えてひきとめてくれてもいいんだぞ。
そうしたらワシはおまえのそばから離れない。
なんて自分勝手な期待をする。
もちろん、それが出来ないのが三成なのも、よくわかっていた。
(2010.09.07)
***
「裏切るな」は引き留めの言葉に入りません。
(バナナはおやつに入りません風に)
絶縁直前の三成は、自分の感情の柔らかい部分を言葉に出来ずに持て余してるイメージ。
なかなか話してくれないので扱いづらい。
罵倒なら立て板に水状態だろうけど、好意を自覚してるのでそれも少なめ。
家康は若いなーって感じです。かっこよくてかわいいひとです。
彼は見た目に騙されますが、精神的にはかなりの不器用な人と思ってます。
なのでなかなか書けないのですが、一度は書いてみたいな真っ黒な黒権現。