子供のころ。史実背景を適当に織り交ぜた捏造。
竹千代と佐吉。








夕暮れの道を、手をつないで一緒に歩いていた。
ひとりは足取り軽く、ひとりは下を向いて。

佐吉はうつむいて、地面ばかりを眺めて歩く。
殴った手も殴られた頬も痛いけどどうでもいい。
止めに入った無関係の彼を殴ってしまったことだけが気になって気になって、どうしようもなかった。





世は未だ織田信長の天下。
その天下で着々と力をつけていく豊臣秀吉を、やっかみ半分で農民出と揶揄するものは多かった。
親の言葉を真に受けて、子供たちの間にもそんな空気が流れている。
その空気は自然と秀吉子飼いの者たちにも、そしてまだ幼い佐吉にも向けられていた。
むしろ子供なぶんだけ残酷に。
生真面目な佐吉が、悪童たちに「秀吉様」のことでからかわれて殴りかかるのは日常茶飯事だった。

佐吉は子供たちの中でも特に体格に恵まれず、最初はいつもこてんぱんに負けていた。
だがその負けず嫌いの性格で子供なりに力をつけ、今はもうケンカで負けることなどほとんどない。
今日だって止めに入られなければ、自分に絡んで来た悪童たちを叩きのめして追い返すはずだったのだ。

そのいつものケンカに、今日は闖入者があった。

子供たちの中に割って入ったその子を、頭に血が上っていたのでそのまま殴りつけてから
つい先日、半兵衛様に伴われて来た子だと気がついて手が止まった。
お客様の連れで、年頃が近いからしばらく一緒に遊んでおいで。そう言われて。

三河の竹千代。確かそんな名前だったはずだ。

織田家配下の良家の子倅。大切なお客様の連れ。それを殴ってしまった。
秀吉様や半兵衛様のお立場を悪くしたのではないか、そう思うと途端に足が竦んだ。

竦んでる間に悪童から二、三発殴られた。
そうしているうちに、周囲を取り巻いて囃し立てていた他の悪童たちが止めに入ってきた。
「三河の竹千代」は随分と有名であるらしい。

子供たちが竹千代に頭を下げ、走り去っていくのを茫然と見ていたら、
その子供が振り返ってにこりと笑った。おひさまのような笑顔だった。
その顔に、自分が殴った頬のあとが痛々しくて思わず俯いた。

「何故止めた」

あいつらは秀吉様のことを悪く言ったのだ、殴り倒して何が悪い。
自分は悪いことなどしていないはずだ。そう思うのにどこか気まずい。

竹千代は黙って佐吉の手を取った。手の甲には紫や青のアザがいくつも出来ている。

「殴ったら殴った方も痛ぇだろ。かわいそうに」

細ぇ手だ。そう言う竹千代の両の手のひらにはたくさんの胼胝があった。
覚えずそれを指で辿ると手を離され、恥じるように身体の後ろに隠される。

「あー槍術でな、みっともない手ですまん。なかなか忠勝のようにはいかんでな」

何が恥ずかしかったのか照れたように笑い、つられて佐吉も笑顔をうかべる。
今まで佐吉の周囲に、このように笑う者はいなかった。

「城に戻りたいんじゃ。案内してくれんか?」

竹千代はにこにこと笑顔のまま佐吉に頼んだ。
が、それは気を使って言われた言葉だと即座にわかった。
城下の道はどれも城に通じている。案内などなくとも見える城を目指せばいい。
理不尽に殴られて怒りたいだろうに笑顔で気づかいまでされて、佐吉は途方にくれた。
謝る機会をなくしたのだ。
竹千代の頬には殴られたあとが残っていて、このまま帰れば必ず何があったか問われるだろう。

「日が暮れるまでには帰りたい。なぁ、駄目か?」

だが客人を放置するわけにもいくまい。小さく頷くと礼を言われる。
そして佐吉の視線から隠すように竹千代の背中に隠されてる手を取った。

「あ……」

竹千代は手を引きかけたが、佐吉は手をはなさなかった。

「武士の手だ。蜻蛉切の忠勝の動きを傍で見るのだ、貴様は強くなるだろうな。」

だからこの手を恥じずとも良い。胸を張れ。そういうと竹千代は嬉しそうな顔をした。
武器よりも筆を執ることの多い自分の手と比べて、その手は硬いが温かい。
嬉しそうな顔でぎゅ、と手を握られて、思わず自分も握り返す。
その手を引いて、城への道を歩き出した。



竹千代には謝りそびれ、帰れば間違いなく叱責が待っているだろう。
自分が怒られるのはいいが秀吉様や半兵衛様にご迷惑をかけると思うと気が重かった。
自然とうつむきがちになり、佐吉は地面ばかりを眺めて歩く。

「なぁ」

竹千代が足を止めた。手をつないでいたので佐吉も同じく足を止める。

「せっかく仲良くなれたのに、こんな暗い感じじゃつまらんぞ」

佐吉は顔をあげずに黙って話を聞いていた。

「なぁ佐吉。ワシのほうを向いておくれ」

言葉の意味は理解してて、でもどうしても振り向く気力がなくてうつむいたまま。

「ワシがきらいか?」

首を横に振ると、手をつないでない方の竹千代の手のひらが促すように頬に触れてきて、
佐吉は仕方なく顔をあげた。心配そうな顔と目があっていたたまれなくなる。

「泣いてるのか?」

再度首を横にふると、竹千代が途方に暮れた顔をした。

「何故しゃべってくれないんだ。どこか痛いのか?」

違う、と言う代わりに手をぎゅっと握った。手のひらが汗ばんでて少し恥ずかしい。
もう片方の手で竹千代の頬に触れる。佐吉が殴ったあとが痛そうなので、そっと。

「これを気にしてるのか。じゃあ、そうだな、仲直りしようか」

いいか?と問われてよくわからないまま小さく頷くと、竹千代がにこりと笑う。
まだ知り合って間もないけれど、このおひさまのようなあったかい笑顔は好きだ。
佐吉の好きなものは多くない。
秀吉様の笑顔と半兵衛様の笑顔と、その次くらいにこの笑顔は好きだ、と思った。

その笑顔が近づいてくる。
くちびるに吐息を感じて、次にやわらかい感触が重なった。
感触は一瞬で、くちづけされたのだと理解する間もなくすぐに離れていく。

ぽかんとしている佐吉のくちびるを、竹千代の指がそっとなでた。

「佐吉からもワシにしてくれ」

その言葉に頭が混乱する。
頬が熱くなり、つないだままの手に、汗がさらににじむ。
そういえば彼は織田家と親しいのだった。織田家は海外の文化に近しい。

「……織田信長公は南蛮好みと聞くが、これも……そのひとつか……?」
「いや、信長公は関係ない。ワシ流だな」

目の前の笑顔と言葉に、今度は何か違う感情がこみあげた。それはどこかほの苦い。
自分では理解できないその感情のままに問う。

「貴様は、こんなことを誰とでもするのか……?」

竹千代はきょとんとした。少しの間があって、竹千代は力強くこたえた。

「佐吉としたのがはじめてだ。佐吉が望むなら今後も佐吉以外にはしない」

くちづけとは想い合う者がするものなのではないだろうか。
それ以前にわたしたちは男同士ではないか。
そんな疑問が頭をぐるぐると回ったが、竹千代に好意を感じてるのは間違いなくて。

震える手を必死に止めて竹千代に顔を寄せた。
息を止めて、軽く触れるだけのくちづけをする。それが精いっぱいだった。

離れる間際に、嬉しそうに笑う顔が目に入った。
この顔はとても好きだが、同時にとても恥ずかしい。

結局、佐吉はまたうつむいたまま、軽い足取りの竹千代と手を繋いで城へと歩いて行く。
己の手も握った手も熱くて、握り返されるのがただ無性に嬉しかった。






(2010.09.18)