豊臣傘下の同僚時代妄想。
敵軍と内通していたという男が死体となって横たわっていた。
報告を聞いた三成は即刻身を翻して城を駆け抜け、自らの手で躊躇なく男を処断した。
周囲の兵たちは三成の剣幕に、蜘蛛の子を散らすように逃げて行き、
家康が追いついた時には、その場には三成と哀れな男の死体だけが残っていた。
一瞬の出来事だった。
「……三成、殺さなくても良かったのではないか?」
ぎらり、と三成の鋭い眼が正面から家康を睨んだ。誰もが怖れて竦むその怒り。
眼光に射抜かれて、家康の胸の奥が苦しくなる。
家康のそれは他の者たちのように怖れではなく、別の何かだったが。
「秀吉様に背いた者を生かしておくわけにはゆかぬ」
家康、お前は甘い。
最近よく三成に言われる言葉だ。
家康はただ、殺さずに理由などを問えば……と思うのだが、
殺さないことが甘いと言われればそれまでだ。
三成配下の情報網は三成の几帳面な性格を反映して正確だ、内通は事実だろう。
敵対していた者を従順な臣下と成すことは難しい。
従順なように見えても、その胸の内にどんな爪や牙を隠してないとは限らない。
(ワシのように。)
そんな家康の胸の裡を見透かすように、三成は続ける。
「家康、秀吉様を……裏切るな」
家康はそれにこたえることが出来ない。
小牧で豊臣軍に敗れた時から既に、頭を垂れながらもこのままではいない、
三河のため臣下のためにいつか…と、そう心に決めていたのだ。
それは徳川に生まれ育った自分のなすべきことだった。
秀吉や半兵衛はそれを理解していた。家康が豊臣に心から屈したわけではないことを。
それでも、強兵と名高い三河の徳川を打ち破り臣下として従えることは、豊臣の名を広く知らしめる
手段たりえると判断したからこそ彼らは、反乱の可能性を秘めたままの「徳川家康」の臣従を許したのだ。
またそれだけの価値が「三河の徳川」にはあると家康も自負していた。
しかし目の前の彼は違った。
三成にとって、秀吉は神にも等しい存在であり、その臣下は秀吉のもとに等しく頭をたれる存在。
三成は家康に対等な立場の者として接した。
家康にとってそれは新鮮な体験だった。
幼い頃から多数の臣下に囲まれて育った。生まれた時から家康は三河を背負う一国の将だったのだ。
友と呼べる者もいるが、初めて会った時からお互い国を部下を率いる身であり、
将としての誼はそのまま国同士の付き合いでもあった。
だが三成は家康に対して、国も部下も、徳川家、徳川という名前にすら気に掛けなかった。
家康、と臆せず声をかけ、意見があわなければ怒り怒鳴った。ごくまれには穏やかに話せることもあった。
家康はそれに対して最初は驚き、そしてそれを受け入れた。
部下は口々に、失礼な、軽んじられていると不満を漏らしたが、家康は笑って諌めた。
徳川は負けた、負けて豊臣に臣従したのだ、この悔しさをもって強くなろう、と。
そして、対等な友を持ったのははじめてだ、ワシはこの状況が楽しいのだ……と付け加えた。
不謹慎だが、家康はこの状況を楽しんでいた。
かつて武田騎馬隊に負けて武田の軍略を学んだように、豊臣からも徳川にないものをたくさん学ぶ。
良いものは吸収し取りこみ、悪い部分は反面教師と戒めにする。
ワシの三河はますます栄えて強くなる。なにもかもがワシを大きくするのだ。
そしていつか、豊臣の下から抜け出し一国として返り咲いてみせる。
その心に別の望みが芽生えてきたのはいつからだろう。
豊臣は力で圧倒する軍だ。逆らう者には容赦しない。
軍師の半兵衛をはじめ、三成や他の武将たちも後顧の憂いを絶つためには皆殺しも厭わない。
だが同じ傘下となっても戦い方まで真似る必要はないと家康は考えていた。
彼らは彼ら、我らは我らで、徳川流の戦い方自体を変えるつもりはない。
同じく、彼らの戦い方や生きざまに口を挟むつもりもなかった。
そのはずだった。
だが三成を前にすると、家康自身にも理解出来ない思いがあふれて
抑えが利かなくなりそうになるのだ。
彼の生き方に口を出したくなる。しかし何と言って良いかわからない。
「三成、お前はお前自身のために生きろ……」
ようやく絞り出した言葉に、三成はかすかに首をかしげるのみ。
この胸に渦巻く気持ちをどう表現したらいい、どう言えばお前に届く。
自分自身にもわからないこの気持ちはなんだろう。
形にするなら、手を伸ばして掴んで近くに引き寄せたいような衝動。
その衝動のままに腕を掴んで引き寄せてみたが、ちっとも近くなった気がしない。
白い顔を間近で見つめ、線の細い頬に指を触れてみる。
振り払うことなくされるがままになってる三成に、家康は小さな満足感を覚えた。
三成は友に対して無防備すぎるほど無防備だ。
(ならばワシは友と認められているのだな)
ふと、その身体を強く抱きしめたい衝動にかられた。それは友としてではなく。
(ワシは何を考えている)
「秀吉様を、裏切るな」
真っ直ぐに家康を見つめて、三成は繰り返した。それは彼のたったひとつの真理。
裏切らない、と嘘をつくのは簡単だ。
だが三成にはそれを言うわけにはいかない。
彼は裏表がなさすぎて、世辞や相手に合わせた言葉すら言えない男だ。
当たり障りのない世間話すら出来ないのだ。
その不器用さゆえに理解されず、裏切られたことも多々あるのだろう。
身内からの嘘や裏切りは彼のもっとも嫌うところだった。
嘘など言えば彼は決して相手を許さない。
それは嫌だ、と家康の心は思うのだ。
裏切られたこともある。心ならずも裏切ったこともある。
それはどうしようもない戦国の世の倣い。
同盟国の事情が変わればお互いに敵対せざるを得ないこともある。
約束が嘘になる。同盟国への協力が別の友への裏切りとなることもある。
国とはそういうものだ。仕方のないことと割り切ってきた。
ましてや豊臣への臣従は最初から一時的なものと思い決めて、ひそかに牙を研いできたのだ。
豊臣臣下との交流も、そのつもりのはずだった。
何故、これほどまでに彼を気にかけてしまったのだろう。
そう遠くない将来に、裏切ってしまう相手を。
大事な部分をあいまいにして、先延ばしにして。
彼に嫌われたくない。
彼に好かれたい。
彼を手に入れたい。
(ワシは三成の生き方を枉げてしまいたいのか?)
(2010.08.18)
***
三成が内通者のとこまでまっすぐ行けたのは
部下たちの顔と名前と部隊をみんな把握してたから
っていう有能さを表してみたかったんですが文の中に盛り込めませんでした。