三成・赤ルートからたったひとりで本能寺への捏造妄想。








三成、と、誰かが己を呼んだ気がして、つい気を逸らせた。

刀の握りが返り血で滑った。
取り落とさぬよう握り直すが、手のひらについた血のりがぬめり、先ほどまでのようにしっかりと握れなくなった。
今の今まで身体の一部のようにふるっていたはずの刀が、急にひどく重くなったように感じた。
刀だけではない、着なれた胴丸も小手もすね当ても身体も、何もかもが重い。
赤い空が、暗い空が、重苦しい空気がのしかかって来るようだ。

今まで我を忘れて斬り続け、意識してなかった疲労が、どっと三成を襲う。
刀をふるう腕が重い。地を蹴る足が重い。だがここで刀をふるうのをやめれば、己が死ぬ。
こちらにむかって銃を構えた敵の一隊が視界に入り、一気に間合いを詰めて斬り伏せる。
横から繰り出された槍をぎりぎりかわしながらもう一隊をさらに斬る。
足が腕が肩がもう動けないと悲鳴をあげた。その声を捩じ伏せ、気力だけで刀をあげた。
敵の数はずいぶんと減ったが、ここまでの消耗が激しすぎた。
何百何千と斬り伏せてきた間に既に体力は尽きており、ただ気力のみで彼は戦い続けていた。

 まだ死ねない。まだ死ぬわけにはいかないのだ。
 わたしには、やるべきことが残っている。

 だがここはどこだ。
 何故わたしは戦っている?
 わたしのやるべきこととは一体なんだったろうか。

疲労と敵の攻勢が思考力を奪う。考えは浮かぶたびにすりぬけて行き、散漫でカタチにならない。
それでも、気の緩みは死を招く。
寄り来る敵を薙ぐことに集中しながら、現状を認識しようとまずは己の姿を省みた。
己の手も胸も顔も刀も血にまみれてひどい格好だった。
疲れた手でふるう刀は太刀筋もにぶく、斬るというより叩きつけるような有様だ。
鍛えた刀技も足さばきも活かせていない。まるで己の戦い方ではない。

 なんという無様な。

だが敵兵はそんな己の姿に恐怖しているようだった。
三成はいつでも主君の名を背負って戦っている。
主君の名に傷をつけぬために最後まで立ち続けなくてはならぬ。
どれほど無様であろうと、決してここで倒れるわけにはいかなかった。

ああでも、その敬愛する主君の顔が、今は思い出せない。
その強さに憧れた、父とも兄とも慕った大きな背中。その後ろ姿が思い出せない。

思い浮かぶのは、かつての友の、小さな子供の頃の後ろ姿ばかり。
誰にでも好かれるだろう明るい笑顔をした、懐かしい友。
小さかったあの少年もいつの間にか己の背丈に追いついた。
追いつかれ、そしてあっさりと追い越されていった。
同じ豊臣の臣下の身から、己が敬愛する主君に並ぶほどにも強くなり、そしてもうすぐその手は天下に届く。
今見えるのは、遠い遠い背中ばかり。

 お前はわたしを置いていった。

「家康」と小さく呼んでみる。今やその響きのなんと苦く、甘美なことか。

 わたしは、お前を追いお前を憎みお前を殺すために、お前のために生きているのか。
 わたしにはもうお前しかいないのか。
 お前を殺したら、わたしには一体何が残るのか。
 わたしは一体何をしてるのだ。
 今お前は、何をしてるだろうか。
 ああそうか、わたしは。



関が原に辿り着けなかったのか。



各勢力を西軍に降して、敵対するものを斬滅しつくして、関が原の地でお前と決着をつけるはずだった。
そのために今頃は、東西どちらの軍も関が原に集結しているはずだった。
主君の名を汚すわけにはいかない、死ぬわけにも負けるわけにもいかない。

だが己が勝利したあとのことも想像出来ないことに気がついた。
永遠に戦い続けることも夢想したが、それももう不可能だった。
天下は既に真っ二つになり、決着がつくのをただ待っている。
この戦で死ねればいい。だが主君のためにそれは許されない。
己のこの手で家康を殺したあとがおそろしい。天下など欲しくはない。
戦いが終わったあとの平和なぬるま湯の世の中で生き続ける己の姿など、何よりもおぞましかった。
それに思い至ったとき、三成の心は生まれて初めて、迷いに迷った。
誰かの為に戦い続けたかった。それが三成の生きる証だった。それしか知らなかったのだ。



そんな三成の心が扉を開いたのか。
関が原に向かう途中のはずが、気づけば焼け落ちたはずの「本能寺」に三成はひとり立っていた。
付き従ってきていたはずの自分の軍の姿もない。来たはずの道もない。
死んだはずの軍勢がいるその地はどこにも通じておらず、死者を屠りながら進む以外に道はなかった。

斬って斬って斬り続け、時間の感覚は既にない。
どのくらい経ったのか。戦の勝敗は決したろうか。
刑部は、毛利は、雑賀は、島津は、部下たちは、どうなっただろう。
己はどれほどのものを投げ出してしまい、喪っただろうか。
忸怩たる思いのなかに、家康との決着が遠ざかったことをほっとする気持ちがどこかにあった。
ただ先延ばしになったのか、それともその機会を永久に失ったのかは今はまだわからない。

たどりついた崖から見下ろす、眼下の広場には死んだはずの男が立っている。かつて魔王と言われた男。
何故ここにいるのか、何のために、どうやって蘇ったのかは知らぬ。
だが死んだ者が生き返る手段があるというのなら、その手段で己は家康と永遠に殺し合えるだろうか。
ふたりで未来永劫に。
それはどこか甘美な夢想だった。





(2010.08.25)

***



本能寺は、真ん中の広場の作りから、
行っちゃうと戻ってこれない異世界ラストダンジョンのイメージ。
三成赤ルートでは分岐がなく、家康のもとに一直線なあたりに家康への愛を感じます。