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「教育課程」 
「国家100年の計は教育にあり」とも言いますが、最近つくづく実感しています。人的資源以外にない我が国の場合、科学技術の遅れは国の衰退に直接つながります。
長く理科教育に携わり、最近の子供たちや指導者の様子を見てみるに、理科教育のありかたに不安を覚えます。
私が子供の頃を振り返って見ますと、米ソの宇宙開発競争を伝えるラジオや新聞のニュースに胸を躍らせていた記憶があります。南極観測船「宗谷」の悪戦苦闘にハラハラした覚えもあります。エナメル線を巻いてモーターやベルを作った記憶。捨ててあった碍子から硫黄を取り出し燃やしたり、夜店の照明に使われていたカーバイトの破片をもらいアセチレンを発生させて遊んだ記憶も、臭いと共に思い出します。
また当時の担任の先生から沢山の実験をして頂いた記憶もあります。水酸化ナトリウムと塩酸から食塩ができたのに驚きました。牛脂から石鹸もつくりました。セロファンしか知らない時、初めて見る変な名前の透明の袋「ポリエチレン」に驚きました。科学史の話もありました。カロザースのナイロンや合成ゴムの話もして頂いたかと思います。「君たちがおじさんになった頃、ハレー彗星が来るからね」とも話されました。やはり、理科を教える教師自身が理科の面白さ、自然の美しさ巧妙で整然たる仕組みに目を輝かせ、子どもたちに熱く語る人にならなければと思います。そんな体験や指導者が少なくなってしまいました。
その上、中学校の理科の授業時数にしても40年前は1,2,3年生すべて週4時間あっていましたが少しずつ減らされ、この前まで1,2年生が週3時間、3年生に至っては2.3時間にまで減らされました。この10年は「交流電流」も「イオン」も「動植物の分類」も「日本の天気」も教えていませんでした。やっと危機的状況になって3、4、4時間に戻されました。
私は現在大学で理科教育も担当していますが、高校では昔のように物化生地の全分野を学ぶようにはなっていません。分野によっては昔の中学生以下の知識で大学に入学しています。高校でも24年度から新教育課程になりますがこの状況は当分続くでしょう。学ぶ機会を奪われた学生が可愛そうです。
理科教育だけではありません、これまでの安易に安易に流れる風潮、そして厳しさに耐えることを経験させ ない教育に歯止めを利かせなければ日本の将来は危ういと思っています。
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