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↑短いが手入れの行き届いた松と石畳の参道。右手に仙台三十三観音札所を示す石柱があります。 ←山門は三間一戸の薬医門。上部が白壁。 モノトーン風で清潔感と重厚感が共存していい感じ。 ![]() |
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↓保春院の灰塚。(2006.7.8撮影)![]() |
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| 清楚で落ち着いた雰囲気のお寺。この並びのお寺群はどれも裏手に結構広い墓地を取っていて参道は短め。限られた前庭ではありますが,石畳の管理もしっかりしているようでした。 | |
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浄土宗。慶長9年(1604)開山で成覚寺末寺。当初は国分町にあり,火災のため寛永5年(1628)当地に移転した。(杜の散歩道) |
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←現代風のスレンダーな山門。薬医門で背が高い。 |
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←本堂前の綺麗に刈り込まれて門のような樹木は なんだろう? ↓門前にある樹齢400年というクロマツ。 市の保存樹木。姿がいい。市の標柱には 樹齢395年とかいてある。少しこますぎ。 ![]() ※クロマツは2010.11.21撮影 |
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浄土宗。慶長6年(1601)元材木町に念仏堂として開山。寛永13年(1636)現在地に移転(杜の散歩道)。観音堂は仙台三十三観音第五番札所で本尊は聖観世音菩薩。 ![]() |
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![]() 山門は一間一戸の四脚門。門の高さは開口部の倍。重厚な上部を四脚が支える。重そう。屋根の両端部の太い丸瓦?は何と言うのだろう(無知)。これが太いのも特徴的。全体は小ぶりなのに随分と造り込んでいる感じです。市指定文化財。 山門の屋根下,袖塀の上に小さな竜。 山門の組み物も厚い。↓ ![]() ![]() 観音堂も市指定文化財。江戸時代末期の建築。→ 本尊の観音像は室町時代の作といわれています。 (写真は2010.11.21再撮影。まだ下手です。) |
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浄土宗。慶長6年(1601)熱心な佛徒であった本材木町(今の春日神社付近)の鬼同庄兵衛が町屋敷に佛堂を設け,京都法林寺に請うて寺山号を申し受け開山。 |
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| ↑本堂。左には観音堂。 ↓さすがに威厳を感じる三間の門。 参道と山門。→ とても「逆さ」とは思えない。市指定有形文化財。 ![]() |
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| 本堂裏・墓地方面に真新しい弁天堂。弘法大師作といわれる弁財天像が安置されています。↓ ↓古めかしい観音堂。第6番札所。 |
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境内に門の方を向いて座るお地蔵様。→ 「逆さ門弔い地蔵」と呼ばれる。 門を見ていると威厳を感じるのと同時に悲壮感も。そんなに無理しなくてもという現代とは違う江戸時代の家老の大変な立場がなんとなく解る感じ。伊達家が守られて,伊達の仙台という現代まで一貫して続くアイデンティティを生み出してくれたのが,この門のかつての持ち主だったんですね。 |
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浄土真宗本願寺派。建長2年(1250)親鸞高弟24人の内の一人,無為信房が会津若松に創建し,伊達政宗が会津を征服後,仙台に築城した際に招かれて当地に移転した。現在地創建は定かではないが,寛永元年(1624)には当地での火災の記録がある。本尊は慈覚大師作の阿弥陀如来像。山門が赤く塗られており,通称「赤門寺」と呼ばれる。本堂は仙台市登録文化財。文化年間(1804〜18)建造。 |
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山門に額がありません。山門・参道とも真南が正面と思えるところを斜めに南東向きなのは何故?山門は平成7年再建。赤門とはいえ,赤塗り柱と梁だけです。木の色との色合わせがいいですね。![]() |
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浄土宗。慶長8年(1603)市内立町に「太子院」として開山。政宗が寛永13年(1636)江戸藩邸で亡くなった折,伊達家の慣わしに依り仙台の経ヶ峯に埋葬された後に,原野であったこの地で葬礼が行われた。大願寺はその跡地を寺地とし移転したもので,本堂裏手に政宗の灰塚がある。山門は宝永6年(1709)に四代藩主綱村夫人仙姫(万寿院)の墓所の門として建てられた向唐門。桟唐戸に夫人の実家稲葉氏の家紋「隅切角に三の字」が入り,漆塗りで飾り金具に金箔が施されている。明治11年頃,市内小田原高松の万寿寺から購入移築された。平成11年に解体修理で完全復元。山門入って右の観音堂は仙台三十三観音第七番札所。 山門は全面黒漆。市の指定有形文化財。→ |
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![]() 山門扉の家紋→ ←本堂扁額←本堂。正面屋根も唐破風。 ↓政宗公の灰塚。 ![]() ←観音堂。第7番札所。(2010.11.21再撮影) 黒塗り金細工付きの向唐門って瑞鳳殿と同じ。仙姫のための門であって政宗には直接関連しないけれど,いかにも華やかで政宗らしい。 |
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浄土宗。はじめ市内肴町(現大町)にあった。寛永9年(1632)現在地に移転した。 |
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昌繁寺を開山した良覚袋笈和尚の隠棲の寺として開山したお寺とのことです。 ↓参道入口にある2代藩主忠宗お手植えの松は ホントに大きな赤松です。樹齢360年。
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浄土宗。慶長13年(1608)大町に開山。万治2年(1659)伊達2代藩主忠宗公灰塚を祀るため当地を賜り移転した。本尊は寛政10年(1798)作の阿弥陀如来座像。当初は律宗で,寛政11年(1799)には増上寺から「大法律寺」の扁額が贈られている。明治3年(1870)律寺廃寺。昭和14年(1939)浄土宗として中興再建。現在の本堂は平成7年(1995)新築。境内に天保10年(1839)建立の天保4年(1833)飢餓餓死者供養の叢塚がある。同じ叢塚が光寿院(連坊),桃源院(河原町)にもあり,仙台の三叢塚といわれている。 |
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↓叢塚。 光寿院,桃源院とも,大きさ,型,文字が全て同じ だそうです。
↓本堂の扁額。律寺の痕跡。増上寺の文字が見えます。 これは新しそうな気もしますが,もしかすると何代目 かなのかもしれません。(違っていたらごめんなさい)
忠宗公の灰塚は隣接する三条中学校建設地となり今はないそうです。本堂前にはなぜか解説板つきで七福神像が並んでいました。 |
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参道から山門。境内の杖銀杏が大きく見えます。→ |
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| ↓杖銀杏 やはり戦災で焼けたそうですが,再び芽吹いて 今は元気な大木です
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臨済宗。弘安6年(1283)伊達4世政依が初代朝宗の菩提寺として伊達郡桑折に創建。伊達五山の一つ。元和3年(1617)仙台北山に移転し「満勝庵」と号した。寛文7年(1667)伊達4代綱村から寺地を賜り現在地に中興開山,再び満勝寺と号した。仙台藩一門格寺院。満勝寺十景と称された伽藍群を擁したが,文化元年(1804)の火災で焼失し,その後荒廃。昭和10年(1935)本堂等が再建されている。 |
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![]() ↑すばらしい並木の参道です。また来たくなりますね。→ |
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![]() ←松並木の参道に似合う山門。
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![]() 本堂。(2008.11.01撮影)→ ![]() ↑本堂の扁額には「無畏」とあります。 どのような意味なのでしょうか。 参道を奥に進むほどに緑が濃くなっていきます。本堂前はこれ。写真を撮るのに苦労します。これでもイマイチだなぁ。機会があればまたチャレンジします。 |
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浄土真宗大谷派。京都東本願寺の末寺。永禄11年(1568)岩手県西磐井郡五串村に開山。慶長8年(1603)現在地に移転した。天和2年(1682)本寺より寺号と本尊阿弥陀如来像を授与されている。 小振りですが山号に相応しい清々しい感じのするお寺です。 ![]() |
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曹洞宗。輪王寺末寺。元和元年(1615)七歳で亡くなった三男竹松丸の菩提を弔い伊達政宗が開基。母の愛姫が不動明王像と童子像を寄進,不動明王像を本尊とした。当時の伽藍は仙台城築造の残材を用いた総檜造であったが,昭和20年(1945)の戦災で全てを焼失。現在の伽藍は戦後の復旧。うち本堂は平成20年(2008)再び新築された。 |
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![]() 愛姫と竹松丸は当寺の本寺・輪王寺に仲良く葬られています。 |
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