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伊達政宗によって奥州街道が整備されるまで,陸奥への基幹道であった東街道は名取川を渡ってから大年寺山を東から北に廻りこみ, 鹿落坂を下って今の霊屋橋のあたりから米ヶ袋を経て田町方面へ抜け,東進して陸奥国分寺や多賀城に通じていたという。 仙台開府当時もこの道筋が城下への導入路であった。愛宕山,越路山などのいわゆる向山が広瀬川に迫り,いかにも越える路(みち)の名に恥じない狭く急峻な道である。
古くは米沢にあったが伊達政宗と共に天正19年(1591)岩出山に移り,更に慶長8年(1603)政宗仙台入府に際し,当初国分荒牧村(現元寺小路)に仮遷座し, 同年,当地に遷座した。軻遇土神(かぐつちのかみ)=火の神を主祭神とし,火坊鎮護,武勇長久の祈願所として歴代藩主の崇敬を受けた。 また,仙台城から辰巳の方角に鎮座したため,十二支の辰年,巳年生まれの生涯の守護神とされ,今も市民に親しまれている。
(右)入口。ここから210段の階段を登る。
(上)2番鳥居。
(左)3番鳥居。
(下)4番鳥居。やっと随身門です。
(左)随身門。
右に大天狗,左に烏天狗が配されています。文化元年(1804)の棟札があり,江戸後期の建築。
(左)拝殿。七五三の時期で賑やかな垂れ幕です。
(左下)本殿。平成13年に修復された。
(上)
境内からの市内眺望。仙台随一の眺めです。天気も良くて最高の眺めに出会えました。
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慶長5年(1600)愛宕山山麓の当地に米沢から覚範寺が移転したが, 慶長7年(1602)いわゆる小人騒動により炎上し,覚範寺は北山に移転再建した。 その跡地に建立されたのが天台宗誓願寺で,明治の廃寺まで愛宕神社の別当を勤めた。現在,当地にはこの妙見堂だけが残っている。
江戸末期に閖上(ゆりあげ)で魚網にかかった妙見像を祀っているといいます。
仔細はわかりませんが,妙見菩薩は密教の仏様で北斗七星を象徴とした天空の中心をつかさどる仏様と云われています。
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交通安全延命地蔵尊。石板に交通無事故と延命長寿を祈願して昭和54年に建立とあります。
仙台有数の交通量がある愛宕上杉通りの脇に子育て観音,水子地蔵とともに建っています。
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曹洞宗。龍泉院の末寺。青葉城築城以前,青葉山に龍川院の別院「大満房」としてあった。 慶長5年(1600)青葉城造営に際して独立し,当初は経ケ峯に移転した。 この時,本坊の龍川院は新寺に移転して龍泉院となり,もう一つの別院「玄光房」も通町に玄光庵として独立している。 万治2年(1659)2代藩主忠宗公の霊廟感仙殿造営のために当地に再移転し,忠宗公の位牌寺となった。 現在の本堂は平成11年新築。
(右)本堂。木造で本格的
(上)山門扁額。
(右)山門。四柱です。何形式?
奥州藤原氏によって約800年前に創建されたと伝わるお寺です。以来,隣接する虚空蔵堂や千躰仏堂の別当を勤めてきました。今の伽藍群は新しく壮大なものです。 上図は境内に掲げられた全景図。写真縮小(容量節約)で字は読めません。ここでは雰囲気だけ味わって下さい。詳しくはWebよりも現地で。 描かれてませんが左下枠外に山門があります。
慈母観音。これは大きくはないですが,諸堂と並んで優しくたたずんでいます。
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虚空蔵菩薩は虚空と蔵の二つの特性を併せ持ち虚空のごとく無量の智恵や功徳を蔵する菩薩とされている。境内の千躰仏堂とともに約800年前青葉山に創建され, 別当大満寺とともに経ケ峯を経て万治2年(1659)当地に遷した。千躰仏は仙台の名前の由来として知られる。虚空蔵菩薩は丑寅年の守本尊として信仰されている。
大満寺境内の東端から山門(上)を潜って196段の階段(右)を登る。山門は昭和55年の落慶。
(上)虚空蔵堂山門扁額 (下)虚空蔵堂扁額
(上)万治2年(1659)建立の虚空蔵堂。
本尊の虚空蔵菩薩と脇仏の日光,月光の菩薩が安置されており,丑寅の年に御開帳される。
写真左が千躰仏堂。戦災で大満寺とともに焼失し,昭和58年(1983)開基800年での再建。千躰仏は疎開で難を逃れ,今も約450体が残る。
そのうち約300体は800年前の原仏と見られるといいます。何ともすごいことです。
写真右は鐘堂。旧制二高明善寮からの戦後の寄贈。
梵鐘はもと大年寺にあったもので,5代吉村が4代綱村の供養のため享保5年(1720)に造らせた。
明治に大年寺からここに移された。
千躰仏堂とともに昭和58年(1983)開基800年に落慶した八角堂。十二支の守本尊が奉安されている。
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曹洞宗。寛永元年(1624)開山。創建当時は経ケ峯にあったが, 寛永13年(1636)藩主政宗死去に伴う霊廟瑞鳳殿造営のため現在地に移転。 戦災で山門を除き焼失。本堂は昭和41年(1966)再建。
戦災にも生き残った山門。いつの建立でしょうか。屋根が大きくて立派です。天気が良すぎてオートでは下手な写真になりました。
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長徳寺方面から来て,鹿落坂を下る手前,南に入ったところにあります。由緒等わかりませんでした。
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曹洞宗の経部山大蔵寺にあった観音堂。大蔵寺はかつて青葉山にあり, 慶長2年(1597)昌伝庵(荒町)の末寺として中興開山。 青葉城造営で経ケ峯に移り,万治2年(1659)感仙殿造営で再び越路に戻った(現在の東洋館の場所)。 宝永2年(1705)4代綱村が再建。明治21年に昌伝庵と合併し廃寺となった。本尊の正観音像は満海上人の護持仏であったという。 仙台三十三観音第33番札所。
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