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本殿隣に「特殊鋼稲荷」というお稲荷さんが並んであります。 |
太白区役所北のSCザ・モール敷地北西の古墳上に建つ。明治23年(1888)まで舞台八幡神社があったところで,ザ・モールができる前,東北特殊鋼の工場が立地した昭和12年(1937)新たに会社で岩清水八幡宮を勧請した。金岡八幡という名は会社の名に由来する。 ![]() |
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康平2年(1059)開基の天台宗寺院常蔵院(現在は廃寺)から残る観音堂。開基当初は大年寺山の南麓にあったが,大年寺の建立に伴い元禄10年(1697)寺地を現在地に移した。仙台三十三観音の第32番札所。地元では十八夜観音と呼ばれ親しまれている。これは旧暦18日の夜に月待ちの講が開かれたことに由来する。承和2年(835)慈覚大師作と伝わる聖観音が本尊。一本の木から作られた三体の観音像(名取三観音)の一つで,残りは両全院(日辺)と大善院(四郎丸)に安置されている。現在の堂宇は寛政元年(1789)の建築。 |
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↑単独の観音堂としては大きい。常蔵院も大きなお寺だった のでしょうね。三間四面の宝形造。堂々としています。 |
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現在の広瀬橋は寛文8年(1668)に架けられた永町橋が初代である。橋建設の時,長雨で橋を架けられず「これは水神様のお怒りに違いない。心信深い娘を差し出さなければ」という噂が広まった。その時,根岸の長者の娘が名乗り出て十八夜観音に籠もり,雨がやんだ後に人柱になったという。この伝説にちなみ,文政6年(1823)橋姫明神として祠と橋供養碑が建立されたという。 今の広瀬橋は日本で最初の鉄筋コンクリート橋として明治42年(1909)に架橋されました。その後,昭和11年(1936)市電専用の橋を加え,更に昭和34年(1959)道路・市電供用の橋として架け替えらています。 |
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鶏塚の伝説が有名ですが,場所がわからず写真に納めることが出来ませんした。残念! 長い歴史を持つ古刹です。付近に幾つもの末寺を持っていて,布教に熱心に取り組んできたことがわかります。 |
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曹洞宗。七北田の洞雲寺末寺。文安元年(1444)現太白区郡山北目に開山。粟野大膳重国の菩提寺。当地に移転の時期は不明。天保8年(1837)火災で全焼,現在の本堂は明治31年の建立。 ![]() |
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黄檗宗。元禄9年(1696)4代綱村が自ら鍬入れを行い同10年(1697)本堂完成。若林の廃寺小蓬山仙英寺の遺址を移したことにして両足山大年寺と号した。網村公の牌寺。堂塔二十余宇に及んだ七堂伽藍は荘厳を極め,黄檗宗日本三叢林(そうりん)中の第一位に挙げられた。仙台藩一門格寺院。綱村公以後の霊廟を司る。明治維新後,廃仏毀釈により伊達家の庇護を失い,惣門を残し廃墟と化した。現在の大年寺は旧塔頭の撑月院(とうげついん)跡に昭和8年に復興されたものである。唯一の遺構である惣門は高麗門で享保元年(1716)の建築と推測される。昭和60年に仙台市指定文化財とされ,同年及び平成12年に修理が施されている。 ![]() ![]() 惣門と参道の石段は見事としか言いようがありません。これだけでも当時の威容が容易に偲ばれます。廃仏毀釈の趨勢とはいえ,全てまで撤去しなくても…。もったいないことです。 現在の大年寺本堂→ |
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曹洞宗。宗禅寺の末寺。明応5年(1496)開山。明治になって外護を失い頽廃した大年寺に祀られていた穴薬師瑠璃光如来を大正6年(1917)当寺に遷座し瑠璃光殿に祀っている。昭和59年(1984)から奥州仙台七福神の一つとされる布袋尊を祀る。
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祀られていた薬師如来を遷座した。 ↓本堂
↓本堂下にある小堂。双体道祖神が祀られている。
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| 由緒等わかりません。鹿野地区の住宅地,半間ほどの折れ曲がり通路を登って行きます。 | ![]() |
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曹洞宗。宗禅寺の末寺。永禄8年(1565)向山滝ノ沢に開山。元禄9年(1695)大年寺造営に伴い根岸に,更に元禄時代末(1700頃)現在地に移転した。現在の本堂は平成3年(1991)建立。
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残念ながら瀧澤寺参道は右上写真で赤いセーフティコーンが見えるように工事中で通れませんでした。コーンの手前から右に駐車場を通って上に登ります。階段のある参道は趣がありそうでした。 ←常源寺。由緒等は調べきれていません。長町商店街の裏手, 一般住宅地の中にあります。 |
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天喜4年(1056)陸奥の乱平定の勅命を受けた源頼義が河内の平岡八幡宮(枚岡,現東大阪市)を勧請して名取郡舞台の地(現金岡八幡の地)に奉り,そこを本営として勝利したことを受け,本社を造営し舞台八幡宮と称した。永禄2年(1560)北目城主粟野大膳重国が再興。明治18・9年頃火災で焼失し仮宮で祀られていたが,明治23年(1888)現在地の蛸薬師堂境内に遷座再建された。
頼義は同年に諏訪に諏訪神社も創建しています。 薬師堂右側奥に石碑群と比良岐大明神の社殿。→ <蛸薬師の伝説> 今の薬師堂の東側には昔,大きな池があった。ある時洪水が引いたあと蛸に吸い付かれた薬師像が流れ着いているのを見つけ,堂を建てて祀った。この薬師様に手のイボで悩んでいた若い娘が,蛸断ちをして願をかけたところ,きれいに直ったので,イボにご利益があるとされる。 |
建武元年(1334)権中納言藤原籐房が東国修行の際,京都西洞院蛸薬師に祈誓をかけ,仏像を勧請して名取郡平岡村二ツ沢の下流淵上に堂宇を造営し淵上蛸薬師如来とした。万治年間(1658~)当地の比良岐大明神境内に移し,その後文政3年(1820)村民挙げて大営繕を行った。(境内説明板)
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たいはっくるの国道挟んで斜向,地下鉄出入口の裏にあります。→ 由緒等,社号すらわかりません。m(_ _)m |
先出の穴薬師も変わった名前でしたが,この蛸薬師も劣らず面白い名前ですね。親しみが湧きます。但し,こちらのお堂の扁額は単に「薬師如来」となっています。 |
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