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四郎丸は中世に藤原秀衡(1122~1187)の家臣名取四郎がこの地に居城したことが地名の由来といい,その城郭は四郎丸館(だて)と呼ばれた。 この付近では最も古く8世紀頃から荘園として開けていたともいわれる。 四郎丸館は現在の善徳寺周辺にあり,東西300m南北400mに及ぶ大きな城であった。 名取四郎が文治の役で源頼朝に破れた後,宝治元年(1247)宝治合戦の恩賞として曽我氏が領有し,更に天文元年(1532)伊達14世稙宗の家臣菅井内膳景国が戦功により賜った。 以後,四郎丸は菅井氏が代々統括し,天正6年(1578)からは袋原も領有した。 明治22年4月の町村制発布により前田村・柳生村・四郎丸村・袋原村の4ケ村が合併し中田村となり,昭和16年(1941)仙台市に合併。昭和30年代以降宅地化が進んでいる。
真言宗。無畏山落合寺。慈覚大師作と伝わる名取三観音の一つで中木使用の十一面観世音菩薩像を祀る。 はじめ袋原下谷地の河原にあったが,寛永4年(1627)伊達政宗が落合に移し,別当を修験の大善院とした。 仙台三十三観音の第31番札所。 昭和26年(1951)堤防工事のため旧地やや南方の現在地に移転した。宮城県指定有形文化財。
★名取三観音
慈覚大師(794~864)が一本の木から造ったとされる三体の観音像。
根元(本木)の像が日辺の両全院に,末木の像が長町の常蔵院にある。
素木造三間四方で屋根は茅葺入母屋造。大きくて威厳ある佇まいの観音堂です。
観音堂がかつて袋原の河原にあった頃,名取川の大洪水で観音像が流されそうになったが多くの蟹に守られ流出を免れたと言い伝えられています。
以来,信者は蟹を食さず,観音堂には蟹の絵馬も奉納されているそうです。
本堂左にある小堂。奥が梵鏡不動明王堂,手前右が地蔵堂。
12月ともなり寒くなってきました。寺社巡りも今年は最後でしょうか。
今日は天気は良かれど風冷たしでしたが,年内に仙台三十三観音を全て巡回できたのは幸でした。
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昔此の地袋原に24ヶ寺在り。小平囲には三海院なる寺があった。
寺の境内には子育地蔵尊と地蔵菩薩を祀り三間四面の堂宇と三権現を祀る堂宇があったとの言い伝えあり。
寛弘年中(1004~12)恵心僧都本木地蔵尊を信奉しこれを…。後の世に至り大日如来尊を合祀,寺の本尊となせり。
明和7年(1787)別当権大僧都袋原院清海上人が当山本尊堂宇を再建…
由緒は境内説明板より。字が消えていて読めない箇所がありました。正面が大日如来堂。手前左に子育地蔵尊の小祠があります。
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延暦14年(795)坂上田村麿が奥州平定の帰途に勧請したと伝わる。後に四郎丸領主菅井氏が再建した。 旧四郎丸村社。明治43年(1910)中田神社に合祀された。
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円墳である城丸古墳の上に建つ。昭和21年(1946)大崎市古川荒谷の斗蛍(とけい)稲荷神社の分霊を勧請して創建された。足尾山への道標がある。
古墳は東北地方でも8世紀末頃には造られなくなったといいますので,それ以前からこの付近は開けていたことになりますね。
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曹洞宗。はじめ慈覚大師(794~864)開山の天台宗寺院と伝わる。 大永3年(1523)菅井和泉守実国が再興,宗禅寺第4世海印舜巨和尚をもって中興開山とし,曹洞宗に改められた。 この時,善応寺と号したが,享保4年(1719)3代藩主綱宗の霊廟が善応殿となったため,寺名を善徳寺と改めた。 四郎丸領主菅井家の菩提寺。
(右)南門から一直線に北の本堂に向かう参道
(左)二本の松が個性的な本堂前。
菅井氏が四郎丸館を賜ったのが天文元年(1532)とすると,菅井実国が当寺を再興した大永3年(1523)当時は四郎丸は誰が知行?とか,
この付近が四郎丸館だったとすると,当寺再建の時は館内?…など,正確なところはわかりません。
矛盾ですが当サイトの調査はこんなもの…ということで流してくださいませ。
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浄土宗。成覚寺の末寺。 元和3年(1617)の開山ではじめ長福寺と号し,その後に蓮迎寺,明治43年(1910)から現寺号。 本尊は阿弥陀如来。境内に歓喜天(かんぎてん)堂,名木「舞鶴の松」がある。
参道脇の「舞鶴の松」は鶴が羽根を伸ばして飛び立つ様を表しているそうです。見事な姿です。
(左)歓喜天堂。
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蓮光寺から東に少し歩いた畑の中にあります。由緒等わかりません。袋原の子育地蔵と何らかの関係があるのでしょうか。
畑の向こうの犬に吼えられてしまいました。
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真言宗。元和2年(1616)開山。本尊は不動明王。万治3年(1660)菅井市右エ門重国が父母の菩提を弔うため屋敷内に建立したという。 境内に仙台市指定樹木で樹齢推定350年の黒松がある。
黒松の写真はありません。ごめんなさい。
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曹洞宗。大安寺の末寺。正保年中(1644~47)玉祝和尚の開山で,はじめ熊林寺と号した。 天保3年(1683)大安寺通岩補天和尚が中興し現寺号。本尊は釈迦如来。昭和41年(1966)本堂改築。(境内記念碑)
鮮やかな朱色瓦の山門。目立ちます。
新しそうな本堂。平成19年に再度新築されたそうです。(読者情報です。ありがとうございました。)
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由緒等不明。明川寺と隣接。参道も並行しています。明川寺の山号から見ても,神仏分離以前は一体だったのでしょう。
中田町誕生時に中田神社に合祀された前田の熊野神社と思われます。
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浄土真宗大谷派。称念寺の末寺。 文亀3年(1503)開山と伝わり,慶長年中(1596~1614)称念寺11世無為行釈道順和尚が中興した。
長い歴史があります。あまり広くはない境内ですが,緑が濃くてしっとりした感じがする落ち着いた雰囲気があります。
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文治5年(1189)この辺りで流行した悪病の平癒祈願のため勧請されたと伝わる。旧袋原村社。 明治43年(1910)中田神社に合祀された。昭和十年代(1935~44)に現在地に移された。
岩切の八坂神社と同年の勧請です。
一方で流行病平癒のため勧請されたのは富田の八坂神社と同じ理由です。
スサノオ神は病平癒に霊験があるのでしょうか。
合祀されても残っている神社は多くあります。簡単に整理整頓というわけにはいかないのが道理です。
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