『屋台にかける青春』
このドキュメントは1962年に制作された。
カメラ、キャノンVT、ニコンF、レンズは21mm、24mm、35mm、58mm、105mm、200mm使用。
フィルムはトライ]、現像処方D−76D使用。

荒川区南千住


1977年に取り壊された東京スタジアム(後方)南千住

駒形のドヤ街での仕込み。

オデンだね(種)

積み込み。 吾妻橋(隅田川)

駒形橋?

浅草橋交差点を行く

昭和37年の日本橋上

京橋付近

昭和通りから新橋方面を望む

浜松町駅前(貿易センター)

火器、七輪の準備

開店前の腹ごしらえ

昭和37年の物価は?

檜の屋台、6時開店

銀座通り、夜中1時半

駒形ドヤ(宿)の二畳間

休日、有楽町映画街
私達は小、中、高の同級生である。彼は野球部のキャプテン、私はラグビー部のキャプテンであった。
彼はプロ(巨人)を目指し、凍てつく雪明りの中で懸命にバットの素振りをしていた。
当時の世界遺産「知床」は温暖化した現代とは違い5ヶ月間、グランドはほとんど使えなかった。
高校卒業後、芦別炭鉱の野球部に入社。都市対抗野球などで活躍。
企業が炭鉱から引き上げた時、突然失職した人々と共に上京、27才であった。
田舎の料亭の子息だった彼は屋台を引く決意をした。
仕事の暇な私は三日間、彼の後を追った。
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