問題篇
@登場キャラクタ一覧 A第1章 B第2章 C第3章 D第4章 E第5章
F第6章 G第7章
解決篇
H第8章 I最終章
J図版

第4章:フィッツジェラルド夫妻の悩み


 千代市総合動物水族園の象は2頭。少ないといえば少ないけれど、まだイタリアのローマ動物園よりは多い。あそこではたった1頭だけ雌象がいて、お客さんが来ると寂しそうに見つめるその眼がひどく悲しい、という逸話が動物園業界の一部に根強く伝わっているそうだ。
 ぼくらと別れてから、池田さんは、その2頭の象のいる方角に足を運んだ。酒匂さんの控え室に向かった。控え室は象の家の一部をなしているのだ。これから続く話は、すべての謎が一応解明した後になって、池田さん本人からセイコちゃんと一緒に聞いた話だ。
 池田さんは、なによりもまず、酒匂さんを疑っていたのだという。
 聖子ちゃんによれば、酒匂さんは確かにしばしば武井さんを訪れていたようだけれど、アシカショーの直前、緊張の時間に来たことはなかったそうだ。そこに怪しさを感じたのだという。
 ぼくだって実を云うと、酒匂さんにある意味で疑問を持っていた。それは池田さんとは違う方向性だったけれど。それについてはピカソの事件と関係ないので省略したい。
 さて、セイコちゃんから話を訊いていた間はおくびにも出さなかったけれども、近代日本文学を愛しているというわりに、実は池田さんの趣味のひとつがミステリ小説なのだ。それも、大雪で外部との接触が立たれた別荘の密室殺人事件などが好きなのだという。
 「カヲルくんには解らないだろうね」と云いながら、たまにミステリの話を一方的に語って行く。外国ではディクスン・カーという作家がいちばん好きで(ぼくが冒頭で、その名前を出したのを覚えているだろう)、日本では小グリムシ太郎『黒死館殺人事件』とサカ愚痴アンゴウ(?)『不連続殺人事件』が好きだそうだ。
 ぼくはそのどれも読んだことがないし、これからも読まない気がする。
 それはともかく、池田さんはミステリ小説の知識を総動員して、素人探偵を買って出たのだ。
 それは単に趣味的な遊びではなく、ピカソの死をなんとか理解したいという切実な行動だったと、ぼくは信じている。ただ変わっているのが、彼の捜査方法だ。彼はただ単に直接酒匂さんに会うのではなく、その前にこっそり覗き見して様子をうかがおうと思った。無防備な状態で酒匂さんがなにをして、なにを考えているのか、知りたかったというのが本人の弁。ぼくとしては、かなり回りくどいし、ちょっとやりすぎだと思ったけれども、結果として、ほんとに結果にすぎないんだけれども、一応は重要な成果を得ることが出来た。でも池田さん自身はその重要性を理解しなかったというのは、問題だと思う。
 池田さんはとりあえずシャガールを檻(嫌な言葉だ)に戻し、「シボーカンシボーカンシボーカン」(池田さんは以前、なりかけたことがある)と連呼する九官鳥を無視して、象の家に向かった。
 象は、表に出ていなかった。どうやら、ねぐらに戻っているらしかった。そこで今度は、象の家内にある飼育係控え室を探索することにした。ここには窓がひとつだけあって、裏手から潜りこむと覗く事が出来る。
 さすが、この総合動物水族園の仕切り役、細かい情報はチェック済みなのだ。
 ところがそこにも誰もいない。
 今日も開園はしているわけで、こんな午後の一番いい時間に、子供に人気のある定番君であるはずの象を出しておかない、というのは普通じゃない。ますます怪しさでいっぱいになった池田さんは、今度はこっそり象の家内部に入りこんで、少しうろうろして後、象のねぐらに辿りついた。
 すごい物音、象の「ぱおー」という叫びが聞こえてきたそうだ。少しドアが空いていたので、こっそり覗いたという。
 2頭の象がいて、なんと長い鼻をぶんぶん降りまわして喧嘩しているのだった。狭いので大変な騒ぎのように感じたという。酒匂さんは、大声で怒鳴っていた。
 「おいおい、お前たち、少しは仲良くしてくれよ。一応夫婦なんだからさ! なんでお前たち、夫婦仲が悪いんだよ。アシカたちを見習えよ。あいつら喪に服してるんだぜ。オットセイたちだってそうなんだぜ。それを、お前たちときたら・・・」。
 象のスコット(♂)とゼルダ(♀)は夫婦だ。一応そういうことになっているが、子供はまだない。スコットは気のいいのんき者だったけれども、ゼルダは行動派で、しょっちゅう喧嘩するのだ。ぼくは独身だし(ご存知の通り片思い中だ)、しかもまだ象になったことがないので(当たり前か)、彼らの気持ちはちょっとわからない。
 酒匂さんは続けた。
 「お前らときたら、作家のフィッツジェラルドと一緒なんだもんな。憎しみで結び付いた夫婦ってやつかよ。ほんとにアシカたちを見習ってくれよ。だいたいお前たち子供がいないからいけないんだよな。フィッツジェラルド夫妻だって、子供がいたからなんとか危機を乗り越えたそうだけどな」。
 そういって、酒匂さんは暴れる2頭の象の間に入って、長いものを振り回した。
 「好い加減にしろよ! まったく、あいつみたいに刺されちまうぞ! この刀だったら痛いぜ。あいつだって泣き叫んでたろう? でもまあ、あいつの場合は」。
 ここまで聞きとってから、池田さんは改めて驚いた。
 そう。酒匂さんが持っていたのは、全長40cm位の長い刀。柄は象牙色。宝石飾りもついている。今では夫婦仲のせいで取りやめになっている象の曲芸ショーで使ったものらしかった。ふと見ると、隅っこのほうに数本の同じ刀が立て掛けてあった。もしかして、あの刀、セイコさんが云っていた刀なんじゃ・・・あれでピカソは・・・・
 池田さんはこっそり離れた。そして、あわててぼくとセイコちゃんらのいるオットセイ部門に戻ってきたのだった。あまりに慌てて、途中、間違って爬虫類館に入ってしまい、食事中で血だらけになったクロコダイル界の貴婦人ビリンダに遭遇して、ショックのあまり昏倒してしまったという。
 それもそのはず、ビリンダは、鶏をぱくついていたのだ。
 鶏だって、カー系だもの。