部の設立経緯

大学入学と同時に空手に出会った松原英男先生は一目でこの空手を通して「強い信念を持った、次世代を担う若者を育成する」という強い使命感を持たれ昭和35年4月本校の社会科教諭として、母校に赴任され、間もなく生徒に校庭空手を教え始めたのでした。部室も無く、着替えは柔道部を拝借していた状況だったが、空手というものを見たことがなかった生徒には大きな衝撃だった。設立当時のメンバーは、3年生3名、2年生3名、1年生2名の8名で発足した。
 当時空手は世間に知られておらず、大きな偏見があり、高校生などの精神的に未成熟な若者に腕力を身に着けさせることは好ましくない、精神的に成熟した大学生からという風潮があり、県下には、福島大学経済学部空手部があるのみだった。そうした中、松原先生の情熱と強い熱意が学校首脳部に通じて、同好会として設立を認められたが、会員が不祥事を起こせば即解散の条件付きだったことは後から知らされた。せっかく苦労して設立にこぎつけた空手道の灯を消してなるものかとあらゆる障害をじっと我慢して乗り切ろうと誓い合い、部旗に「忍」の一字をあてた。忍の字はは現在の旗にも引き継がれ、その精神も永く継承され伝統となっている。当時は競技会がなくひたすら精神を鍛えるため苦しい稽古に明け暮れ基本技の鍛練と、型や約束組手などに重点をおいた鍛練だった。しかし学業に目標を見いだせぬままに無為な日々を過ごしていた若者に大きな夢と希望を持たせてくれたことは間違いない。大自然の中での合宿や、大地を踏みしめた極限までのハードな稽古は、恩師と子弟、会員同志の絆を強固なものにした。その後時代の趨勢に従い競技としての空手で数々の優秀な選手を輩出し空手界の名門といわれるように飛躍したのは、松原光先生という親子2代にわたる顧問の卓越した指導力部員のたゆまぬ努力の賜物である。