街がまるごと世界遺産のヴァレッタ (後編)
前方に見えるフェリー乗り場に向かって歩いた。ときおり観光馬車にすれ違ったり追い越されたりするほかは物音一つ聞こえない昼下がりの道‥‥。一日ずっとゆっくり歩いたけど、海を眺めながらだと尚一層のんびりした気分になる。距離にして300m、ほとんど乗り場の真上までやって来た。フェリーが停泊している。"この辺で降りられないのかなあ" と通りから身を乗り出して下を見ていたら、地元のおじさんが「フェリーに乗るのかい? 降り口ならここだよっ!」 10mほど先から大声で教えてくれた。ここまで人っ子一人いなかったのになんてタイミングがいいんだろ。「ありがとー!」 と後ろ姿に向かって叫びながら、おじさんの居た場所まで行くと、果たしてそこに降りる道があった。
ちょうど下に着いた時、フェリーは水しぶきをあげて出ていくところだった。でも、おあつらえ向きにジュース・スタンドがある。前にはパラソルで日陰になったテーブル席。ここで次の便を待とう。
スタンドにはジューサーもオレンジもあった。それを見たら迷わず"スプレムータ・ディ・アランチャ(フレッシュ・オレンジジュース)"でしょう。ジュースを作ってもらっている間にお兄さんに次の船の時刻を聞いた。「今のが 3:45だから、次は 4:15、それが最終だよ」 「えっ?最終?」 「そうだよ、今日は日曜だからね」
¢70を払ってグラスを受け取り、席につく。真っ先にバッグからフェリーの時刻表を出した。ホントだ。てっきり 6:15が最終だと思っていたら日・祭日の注釈が‥‥。危うくまた上に戻ってオペラ座の方まで戻らなければならないところだった。
フェリーに乗る。¢35。今度は西日の当たるヴァレッタを背に進む。私と私の後ろの男性と、二人で譲りあいながら写真を撮った。そのあと彼の奥さんも交えてちょっとカメラの話で花が咲いた。
ホテルのHPに 『レストランでは昼はカジュアルでよいが男性はタンクトップ禁止。夜はもう少しフォーマルに』 とドレスコードが書かれていたので、簡単なワンピースに着替えた。昨日よりさらに早く、6時ちょうどに部屋を出てレストランへ。でも一番乗りではなかった。みんなイン・ガーディアを見に行くのかしら? 昨晩とはパスタもメインも違うものが並んでいた。赤ワイン、前菜やパスタを2〜3種類ずつ、メインはラムの網焼き。今日はマルタ料理ではなくワインに合いそうな料理を選んでしまった。
7時頃にはバス停に向かった。方向さえ合っていればどのバスもヴァレッタには行くはずだ。念のため待っていた女性(ブロンドの長い髪をなびかせたお洒落なマダム。実は私ぐらいの年かも?)に聞くと、たぶん大丈夫とのこと。そしてお母さんと二人、ごそごそお金を用意しはじめた。私も財布を見ると小銭は8セントっきり。お札じゃ断られるだろうなあ。「料金はいくらだか分かりますか?‥‥私、小銭はコレしか持ってないんですけど‥‥両替できます?」 すると彼女は¢13をかき集めて「これを足せば間に合うと思うわ、使って」 と言ってくれた。え〜そんな〜!見知らぬ人からお金をもらうなんて。でも背に腹は代えられない。心からお礼を言って頂戴することにした。「残ったらお返ししますね」 彼女たちはドイツ人。島の南部にあるリゾートに宿泊していて、これからヴァレッタ経由で帰るのだそうだ。私が8時から始まる砦のパレードを見に行くことを話すと、へえ、そんなのがあるのー、知らなかった、と言っていた。
なかなかバスが来ない。マダムは「ちょっと見てくる」 とお母さんと私を残し、通り沿いに並んでいるバス停を先の方へ歩いていった。
しばらくすると小走りに戻ってきて「こっちみたいよー」 と叫んでいる。お母さんと一緒に彼女を追いかけて移動した。そこには中年のご夫婦がいた。マダムが彼らに「‥‥パレードがあるっていうのは彼女から聞いたのよ」 と説明していた。それから私に向かって「この人たちもパレードに行くんですって」。それじゃあ一緒に行きましょう、ということになった。彼らはボブとアイリーン。スコットランドから来たそうだ。ボブが「フォルティナに泊まってるでしょう? さっきレストランで隣の席だったんだけど、気付かなかった? あまり食べないで早々に出てったから、パレードに行くんだろうなって思ってたよ」 とにっこり。「まあ、貴方たちでしたっけ? でも私、しっかり食べましたよ」 確かにパレードのことが頭にあって脇目もふらずに食べていたかもしれないが‥‥。
バス代はいくらか聞いてみた。「¢15だよ」 「それじゃあ返さなくちゃ。小銭が足りなくて彼女に貰っちゃったんです。でも多すぎる」 そして¢6をマダムに返そうとしたら「そのくらいいいわよ」 と受け取ってくれない。ボブも「○×▲□‥‥好意は有り難く受けるものだよ、もらっておけば?」 みたいなことを言う(前半は理解不能)。「うーん‥‥では、もらっておきます。ホントにありがとう」 37円のうちの17円を返しても仕方がないかもしれないけど、やっぱり気が引ける。その後は、旅行や仕事の話で時間をつぶしていた。私一人だったらとっくにめげて、ホテルでタクシーを呼んでいたことだろう。もう30分は待っている。「来ないねえ」 「日曜の夜は少ないのかなー」 我々5人以外も皆、観光客なので不安顔。
「来たっ!」 誰かが叫んだ。しかし既にすし詰めのバスはスピードも落とさず目の前を通過してしまった。次も同じ。
続けてもう1台。今度は止まってくれた。まず最初に来ていたらしいカップル。次にアイリーン。ボブは私とお母さんを先に乗せる。そこで運転手からストップがかかってしまったようだ。料金を払って奥へ押し込まれているとき、マダムはお母さんを降ろしてボブを乗せ、大声で何かしゃべっていた。いいのよ、急がないから‥‥たぶんそんな感じ。彼女たちほか数名を残してバスは発車した。さよならを言うどころか窓の外も見えず、手も振れなかった。
おかげでバスは急行となった。それでも降りる人のいる2〜3ヶ所では停車。そして降りた人数だけ乗せてもらえる。
ヴァレッタのバスターミナルに着いたのは 7:55だった。ターミナルから砦までは1km強。「急ごう」 ボブは早足、身長がそう変わらないアイリーンと私は競歩のような勢いで歩いた。夜とはいえ汗がじわじわ。「Keikoはトーキョーで慣れてるだろうけど、私たちには辛いよ。スコットランドはこんなに暑くならないからねー」 色白のボブは顔を真っ赤に染めている。「私もエアコンの利いたところにばかりいるから、暑さには慣れてないんですよ」 アイリーンからは大学生のお嬢さんの話を聞いた。お友達と1ヶ月のヨーロッパ旅行に出ていてる‥‥心配で仕様がないようだ。いずこも母親は同じなのね〜。坂道になった。「下り坂で良かったね」 「ほんと」
イン・ガーディア (In Guardia)
砦に到着。数分遅れだ。もう受付は係員がいるだけ。ML1,5を払って広場に出る。
入場行進。この写真は兵士の一団。
将校たちはもっとゴージャスな衣装です。
大勢の観光客が広場を囲んでいたが、パレードはまだ始まっていなかった。やれやれ。ベンチや地べたに座っている人、その後ろに立つ人‥‥アイリーンと私はその隙間に視界を確保した。ボブは私たちの頭越しにも見えるはずだけど、もっと先の方へ行った。日本語が耳に飛び込んできて、ふと見ると、ベンチに座っているのは日本人のグループだ。5〜10人ずつ、3ヶ所ぐらいに分かれているけど、1つのツアーかな。そういえば昼間、リパブリック通りで日本人らしき女の子2人組も見かけたっけ。ヴァレッタではもう日本人はそう珍しい存在でなくなってきたのかも知れない。
間もなく太鼓の音と共に騎士たちが登場。違う衣装の幾つかのグループが順番に行進してくる。アイリーンが「暑そうねー」 と言った。私「ええ、まったく」 アイリーン「見てみて! あの靴下はニットよ!」 私「だから夏は夜、パレードをやるんじゃないかしら」 アイリーン「昔は一年中こんな格好してたのよ。タイヘンだったでしょうね」
みんな出揃うと、衛兵の交代、旗の掲揚などのセレモニーを再現する。そして一個小隊が行進して上にあがり、何やら準備を始めた。何が起きるのかと見守っていると、広場にいる団長の指揮の下に大砲が鳴り響いた。予想以上の大音響!思わずビクッとしてしまった。Wow !! パチパチ、辺りもどよめく。火薬の臭いが立ちこめ、煙いっ‥‥。そしてもう1発。分かっていてもまたビクッ! 上の小隊が広場に戻ってきて、またセレモニーがあり、出てきたときと反対に行進しながら去っていく。
大砲を撃った直後。中央に団長、右は音楽隊。
こうしてイン・ガーディアは終わった。
ボブを待ってから人の流れに混じって表へ出る。「全部見れたね」 「お二人と会えて良かったです。一人じゃ間に合わなかったでしょう」
観光バスやタクシーが前で待っていた。私たちは今度は上りの坂道をゆっくりバスターミナルに向かった。
ターミナルは人でごった返していた。スリーマ行きは60番台のバス。ボブとアイリーンはどこに乗り場があるかを熟知していたので、迷うことなくスリーマ行きの所へ行くことができた。そうだ、小銭!「ちょっと待っててもらえませんか? 両替してきます」 まだバスが発車しないことを祈りながら、すぐ前のスタンドでミネラルウォーター500mlのペットボトルを買った。部屋にはタダのがあるんだけど、持ち歩き用にあってもいいか‥‥と。いくらだったかまたもや不明。でも¢15かなあ。¢50出してバス代の¢15が出来たことは確かだから。大急ぎで戻ってバスに乗り込む。すぐにバスは満員になり、2〜3分ほどして発車した。
行きに乗った停留所でバスを降りた。アイリーンが心配顔でボブに何かを言っている。ボブが「今日は娘が帰って来る日なんだよ。アイリーンが一刻も早く電話したいって言うからここで‥‥」 アイリーンは電話ボックスを見つけたのだ。「ええ、じゃあお休みなさい」
9:30、そろそろ良い子は寝なくちゃという時刻‥‥。