ホームページ「賢治先生がやってきた」の履歴


東日本大震災や原発事故をテーマにした三本の脚本

2011.12.1
3.11の東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故、それらをどう捉えればいいのか、 暗中模索のその過程から、 半年ばかりの間に、三本の脚本が生まれました。
まずは、一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」 。宮沢賢治が晩年に経験した昭和三陸大津波と 今回の大震災を一人芝居の中に盛り込んだものです。そのために劇でのみ許されるある仕掛けを 施しました。どのようなものか、それは、お読みいただくしかありません。
つぎに、プチ狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」。放射能による食品汚染といった問題を 短くまとめて狂言風に仕上げました。
最後に、二人の朗読劇「被災写真」。これは私の個人的な経験を踏まえて、 その一点でのみ被災者につながれるのではないか、 という私の思いを劇化したものです。 どうしても書きたいテーマであり、思い入れは三作の中でもっとも強いものがあります。
震災をテーマにした脚本は、まだまだそんなに多くはないはずです。 これらの脚本、上演できるものかどうかは分かりませんが、 お読みいただいて震災を考えるきっかけにしていただければ、これにまさる喜びはありません。

いじめを考えるための三つの脚本

2010.12.1
昨年から今年にかけて、いじめをテーマにした劇を書いていました。
高等支援学校(高等養護学校)の生徒たちの多くが、小学校や中学校でいじめを経験していました。 そのこともあり、現代の最たる病理であるいじめについて、一度は書いてみたいと考えていたのです。
「学ランの兵隊」「教室の壁は回し蹴りで」、 および腹話術台本「星にならなかったよだかと賢治先生」の 三本が、それです。
私のこれまでの経験を元にしていますが、新聞記事やいじめに関する著作も参考にしました。
腹話術台本は、自分で演じるために書いたものです。 いつか実演できればと、まだ夢想している段階です。

原爆をテーマにした脚本

2009.8.1
短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」−原爆三景−をあらたにラインアップに加えました。
原民喜の詩に詠まれた風景、よだかが空から見た原始雲、 銀河鉄道の駅から宮沢賢治の見た原爆の閃光、それらを原爆三景として劇化したものです。
三幕ものですので、そんなに長くありません。もしできましたら、どこかで上演していただけたらと思います。

最近(2009.1.7)、原爆をテーマにした劇『竃猫にも被爆手帳を』をあらたに載せました。
いま、現在、原爆をどのような観点から劇化するかは、なかなかむずかしいところがあります。
これまでに、原爆を扱った劇の脚本を三本書いています。
二人芝居『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、地球から六十四光年離れた銀河鉄道の駅で、 宮沢賢治が望遠鏡を覗いていて地球から発せられたかすかな光を目にした、 という状況からはじまります。 原爆の光が、ようやく、今この駅に届いたのです。 そういった想定によって、過去に遠のいた原爆をいま現在に引き寄せようというのです。 賢治が目にした光が巻き起こすドタバタを、二人で演じます。シテは賢治、 ワキは扮装をとっかえひっかえしていろんな人物を演じわけます。 賢治によって話題にかかわる人物が呼び出されることで、原爆が製造されヒロシマに落とされるまでの 経緯が検証されていきます。歴史認識に関係した問題などもあり、 内容的にはかなりむずかしいものになっています。
一人芝居『水仙の咲かない水仙月の四日』は、核戦争が勃発した後の世界を描いています。 たまたま賢治先生の引率で銀河鉄道の修学旅行に赴いていた三年寝太郎は、 人類のほとんどが滅びた地球に帰還します。 核の冬を跋扈する雪女(雪婆んご)、寝太郎は生きのびることができるのか、 といった状況をめぐる一人芝居に なっています。
『パンプキンが降ってきた』は、太平洋戦争末期、原爆完成を目前にしたアメリカが、原爆投下の予行演習に 「パンプキン爆弾」を各地に投下した、という事実を戯画化して劇にしたてたものです。 当時、小学校の校庭は耕されて畑にされていました。藁を敷き詰めた畑に、 ある朝、空から巨大な「どでカボチャ」が降ってきたから、大変です。 そのカボチャをめぐって、ドタバタ劇がはじまります。世間は食糧難、そのどでカボチャが食べられるかどうか、 とりあえずは、削って 煮てみることに……。この劇は、唯一小学校でも上演可能なものではないかと考えています。 1クラス、30〜40人でも演じることができます。 パンプキン爆弾は、あちこちに落とされたようですから、どの地方でも上演できます。 六年生くらいの生徒たちといっしょに原爆について考えながら取り組むことも 可能なのではないでしょうか。
ただ、劇中歌に曲がついていません。 どなたか、作曲していただけませんでしょうか。
今回の朗読劇『竃猫にも被爆手帳を』−原爆をあびた猫−は、副題にもあるように原爆の被害にあった猫の物語です。 語り手は、竃猫(かまねこ)。彼は、宮沢賢治の童話『猫の事務所』に登場するあの竃猫(かまねこ)なのです。 8月6日、ピカドンが炸裂したとき、彼は竈(かまど)の中で 寝ていて、九死に一生を得ます。この竃猫、実は原民喜が居候している家の居候猫だったのです。原民喜といっても、 知らない人が多いかもしれません。 あの『夏の花』を書いた小説家、詩人の原民喜です。竃猫は、疎開しているご主人一家の子どもたちの無事を確かめるために、街を さまよいます。そして、事務所に来てみると、そこはもぬけのカラ。他の猫はどうしたのでしょうか。一人事務所の留守番を していると、そこに電信が入ってきます。鉱石ラジオのイヤホンからカリカリとモールス信号が聞こえてきたのです。 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』にあったように、遠く離れた銀河鉄道の駅から宮沢賢治が、 何が起こったのかと問い合わせてきたのです。 竃猫は、原民喜がノートにしたためた詩を電信で送ります。……
この劇は、最初一人芝居で、 と考えていたのですが、一人で演じきるにはあまりに負担が大きすぎるということで、 朗読劇ということにしました。

「チャップリンでも流される」上演

2007.11

先日、私の勤める学校の文化祭で「チャップリンでも流される」が上演されました。
これまで、私の書いた脚本は、ほとんど自分が演出するという形で舞台にのせてきたのですが、 この「チャップリンでも流される」は例外的で、 以前(2001年)に一度同僚の先生の演出で上演されています。 その時は、演出の過程で、筋はかなり簡略化されたようです。 「ようです」というのは、舞台そのものを私は見ていないからです。
そして、今回、ふたたび上演の申し出を受けました。以前に舞台にかけた形をさらに書き直して、 今の生徒に合わせた形に改めて上演するということでした。
なんて幸運な脚本なのか思いました。自分では一度も取り上げたことがないのに、 他の先生たちに選んでもらって 二回も上演されることになったのですから。
舞台の出来はすばらしいものでした。詳細は「うずのしゅげ通信」に書きました。
退職をひかえた最後の年に、また賢治先生に舞台で会えるというのは、とても幸せなことだと、 生徒や同僚の先生方に感謝しています。


これまでの履歴

2006.9.1

「賢治先生がやってきた」は、1997年に私が勤務する高等養護学校の2年生の生徒たちで 上演しました。
「ぼくたちはざしきぼっこ」は、次の次の年(1999)に3年生が舞台に載せてくれました。
その余勢をかって、2000年にこのホームページを立ち上げました。 当初は脚本が5本しかありませんでした。
性教育で読み合わせをしたことがある「イーハトーブへ、ようこそ」、 就労の問題を扱った「チャップリンでも流される」、 そして死というものをテーマにした「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」などです。
このうち「チャップリンでも流される」は、2001年に、一部改作して上演されました。
開設後しばらくして「うずのしゅげ通信」も発足させました。
それから6年、掲載作品はどんどん増えて、現在は19作品にまでなっています。
2004年には、ミヒャエル・エンデの童話にヒントを得た「モモ」を、 さらに次の年(2005)には「ぼくたちに赤紙がきた」を上演しました。
脚本が増えるにつれて、小学校でもやれるものがあるのに気がつきました。 それで、わかりやすいように適正学年の表示をつけてみました。そのこともあってか、 小学校からも上演の申し込みがくるようになりました。 (「賢治先生がやってきた」「ようこそ先輩、賢治先生」等)
その間、ろう学校の生徒たちを想定した脚本も書いています。 ろう学校で手話が禁止されていた時代があり、そんな時代を風刺した 「手話のなみだはつちにふる」という 作品もあります。
最近うれしかったのは、昨年(2005)、福岡高等学園で「ざしきぼっこ」を上演していただいた ことです。練習風景や本番の様子などビデオで見せていただいて、 生徒たちが楽しそうに演じているようすに感動しました。
また一風変わった劇としては、自閉症の生徒が登場する作品「白毫(びゃくごう)」、 いじめをテーマにした落語「銀河鉄道 青春十七切符」などもあります。
戦後60年のいま現在に原爆がたちあらわれる 「地球でクラムボンが二度ひかったよ」という劇もあります。 銀河鉄道の宮沢賢治なればこそ可能な状況設定だと考えています。 書くのに苦労したこともあって、わたしにとってはもっとも愛着の深い作品です。
つい最近(2006)、障害がより「重い」生徒たちのための脚本を書きあげました。 「ぼくたちはざしきぼっこダッシュ」です。 以前からそういう思いはあったのですがなかなかむずかしく実現しなかったのです。 それが、やっと一歩を踏み出したといったところです。

以上、ホームページ「賢治先生がやってきた」の来歴を簡単にまとめてみました。
【追伸】
下にホームページを立ち上げた当時の解説を載せておきます。 順を追っての履歴がわかります。興味のある方はお読みいただけたらと思います。


はじめに

2000.1.1

これらの劇は、表題にもあるとおり、最初は養護学校(高等部)の生徒を想定して 書き下ろしたものです。もっと正確に言えば高等養護学校の生徒に照準をあわせています。 「賢治先生がやってきた」「ぼくたちはざしきぼっこ」は、 すでにわたしが勤務する高等養護学校の文化祭で上演しています。上演時間は 40分から50分といったところです。 もっとも、それは高等養護学校だったからできたのかもしれません。
どちらの劇も一つの学年の生徒、五十人ばかりが全員で演じてくれました。
演じる生徒たちが楽しく、また見るものに癒しを与えるような、そんな劇が目標なのですが……。
実際にやってみた経験から言えば、高等養護学校でもすこしむずかしく、 上演には条件があるように感じています。 セリフをよく覚えられる生徒が一人はいることです。 だから、養護学校(高等部)では、なおさらむずかしいという感じをもたれるかもしれません。 生徒と教師が共演するなり、手を入れてやさしくするなりの工夫が必要です。
「イーハトーブへようこそ」は、おなじ高等養護学校で、 性教育の時間に数人の男子生徒で読み合わせをしたことがあります。 部分的には十分使えるのではないかと考えています。
残念ながら「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」「チャップリンでも流される」の二つはまだ上演できていません。 「チャップリンでも流される」は、上演できるでしょうが、「「銀河鉄道の夜」 のことなら美しい」の方は、はたして上演できるものやら、それさえわかりません。 働く意味、あるいは死の教育、どちらも必要なことなのですが。 「賢治のイフはめんだうだ」にいたっては、 上演など思いもよらない劇になってしまいました。 しかし、そのことも含めて感想を聞かせていただけたら幸いです。
これらの六つの劇は、一部に手を加えることで、小学校や中学校でも上演できるはずです。 本質的な資質という点で言えば、小学校や中学校のこどもたちは、養護学校生徒と通じるものを、 まだ失いきってはいないはずだからです。 技術的には三十名から五十名くらいの生徒が出演することができます。
だれか養護学校生徒に見せる劇として取り組んでくれないか、という淡い期待もあります。
さて、もしこれら賢治劇のどれかをでも上演してみようと思われる奇特な方がおられましたら、 まずはご一報ください。 その上で脚本を使っていただく方向でご相談したいと思います。
著作権を放棄したわけではありませんので、ご了承ください。

なお、これらの脚本は、同人誌「火食鳥」(堺市)に順次掲載しています。

「賢治先生がやってきた」:「火食鳥」季刊 第23号 1997・春
「イーハトーブへようこそ」:「火食鳥」季刊 第25号 1998・夏・秋
「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」:「火食鳥」季刊 第26号 1999・冬・春
「賢治のイフはめんどうだ」(前編):「火食鳥」季刊 第27号 1999・夏・秋
「賢治のイフはめんどうだ」(後編):「火食鳥」季刊 第28号 2000・春・夏
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(前編):「火食鳥」季刊 第30号  2001・春・夏
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(後編):「火食鳥」季刊 第31号  2001・秋・冬
「水仙の咲かない水仙月の四日」:「火食鳥」季刊 第32号  2003・春・夏
のこりの脚本も引き続き掲載してゆく予定です。

[追伸1]
このホームページ「賢治先生がやってきた」を立ち上げたのは、2000年1月です。
「うずのしゅげ通信」は、2000年3月より発刊しています。毎月一日発刊です。 ご意見をいただけたらと思います。(2000.3.24)

[追伸2]
「落語『銀河鉄道 青春十七切符』」は、いじめを話題に乗せた落語です。 結論のでない問題でもあり、この台本は、聞き手に養護学校の生徒を想定していません。 (2000.9.1)

[追伸3]
二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」−賢治先生がピカを見た− を、新世紀のはじめにホームページに掲載することができました。 原爆をテーマにしたこの劇もまた 養護学校の生徒を想定していません。(2001.1.3)
「火食鳥」季刊 第30号 2001・春・夏に「地球でクラムボンが二度ひかったよ」 (前編)を掲載しました。(2001.6.24)

[追伸4]
「チャップリンでも流される」が、今年(2001年)の文化祭で、一部改作して、 わたしの勤務する高等養護学校で上演されました。 はじめて、作者の手を離れて、他人の手で演出、上演されたのですが、 やなり羅須地人協会の場面などむずかしすぎるということで、 よりやさしくする方向で手を入れてどうにか上演にこぎつけられたようです。 とにかく感謝、感謝です。 (2001.11.4)

[追伸5]
手話人形劇「手話のなみだはつちにふる」 を上梓しました。(2003.2.25)

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