アンソロジー「ショートショート」

[見出し]
「流星をとばして」

「わたしキスをしたんよ。」

「訴訟」

「プラネタリウム」

「百年たったら……」

「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」

「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」(続)

「賢治先生御用達、出前プラネタリウム」

「賢治先生との『虔十公園林』をめぐる対話」

「受容」

「不審者」

「中村選手の絵」

「船乗り込み」

「千年の樟」

「いけにえ」

「ふしぎな家」



2002.1.1
ショートショート「流星をとばして」

ダウン症ののぞむくんは星を見るのが好きでした。のぞむくんが高等養護学校に入学したとき、 お父さんがお祝いに望遠鏡を買ってくれました。首に負担がかかるといけないというので、 三脚に固定する普通の形ではなく、 床の上に台を置き、そこに鏡筒を載せて横から覗くといった方式の反射望遠鏡でした。 のぞむくんは、一目でその望遠鏡が気に入りました。 望遠鏡の前に胡座を組んで、両手で抱くようにしてのぞき込んでいると、鏡筒が温みをもってきて、 まるで生きもののようにむしょうに愛しくなってくるのです。星の見方はお父さんが手ほどきしてくれました。 高等養護学校では、理科の先生は賢治先生でしたが、 星の話しは教えてもらえませんでした。夜星を見ながら授業を受けることができないからです。 暗室にプラネタリウムの投影機の小さいのがありました。 星はパラソルのような仕組みの半円の中に入ってみるのでしたが、 一度もみせてもらったことはありません。
のぞむくんが、2年生になった初夏にお父さんが亡くなりました。肺ガンが見つかったときは、 すでに手遅れだったのです。父の葬式をすませて、のぞむくんが学校にいったとき、 賢治先生に理科室に呼ばれました。理科室にいくと、「たいへんだったね。」と、 それだけいって、あとはだまって、暗室に連れて行かれました。 暗室の中にはすでにプラネタリウムがセットされていました。
「そこに入りなさい。」と、賢治先生がいいました。
「お父さんを見送ろうか……。」
電灯が消されて、投影機のスイッチが入りました。目が慣れてくると、 パラソルの中に星がいっぱいひかっていました。天の川もはっきり見えたのです。
真っ暗な中から「見えるかい?」という賢治先生の声だけが聞こえました。
「はい。」とのぞむくんは、答えました。
「星じゃないよ。銀河鉄道だよ。」
「え?」
賢治先生にいわれて、もう一度目をこらすと、パラソルの星空に細い細い線路がかかっていて、 そこを窓ガラスに灯をともしたかわいい列車が、火の粉の煙を後ろに吐きながら 飛んでいくのが見えたのです。いまは天の川の白鳥座のあたりを過ぎて 地球に近づいてきています。
「見えました。」
「ちゃんと、見えているかな……いまどこらあたり?」
「白鳥座のあたりです。地球に向かって……。」
「ああ、たしかに見えているね。あの列車にお父さんが乗るんだよ。」
「いつ乗るんですか?」
「今夜、銀河ステーションからね……。信じられるかな?」
「……」
「じゃあ、家に帰ったら今夜きっと望遠鏡で空を見るんだよ。午前二時ごろだよ。 約束できるかな、お父さんとのお別れだからね。」
賢治先生はそれだけ言って、投影機のスイッチを切ってしまいましあた。満天の星も天の川も、 銀河鉄道も一瞬のうちに消えてしまいました。のぞむくんは、だまって暗室を出ました。
その夜のぞむくんは、お母さんにだまって、真夜中に起き出しました。 寝ないで布団の中で待っていたのです。望遠鏡を携えてベランダに出ました。 空の北の三分の一くらいが雲に覆われていましたが、残りの空は晴れていて、 かなりの星が見えました。賢治先生のプラネタリウムの星空とはいきませんが、 それでも目を凝らしているといつになくたくさんの星が見えました。 しばらく空を見上げていると、東の空を流れ星がスーと光を引いて流れました。 見上げ続けていると首が疲れるので、ベランダの寝椅子に寝ころびました。 また、星が流れました。ちょっと異様な気配がありました。のぞむくんは、 恐いような気がしましたが、お父さんとの別れだと思ってがまんしていました。
空にじっと目を凝らしていると、銀河鉄道の列車が見えて来ました。はっきりとは見えませんが、 線路は天の川のあたりから逸れて、東の空を抱き込むようにカーブして、 水平線のあたりまで続いていて、その軌道の上を列車は音もなく進んでいました。
そして、地球が近づいて来たためかブレーキをかけたようなのです。何しろ光速に近い速さ、 いや、もしかすると光速を超えているかもしれない 速さからブレーキをかけるのですから、車輪やレールから火花が飛び散るのはあたりまえです。 線路からキューと火花が散りました。車輪は火花をまき散らしました。 火花は東の空から飛び散るように四方に流れたのです。流れ星の乱舞でした。 のぞむくんは、あっけにとられて夜空を見上げていました。 キューというブレーキの音まで聞こえたような気さえしました。
しばらく流れ星の散乱が続いて、やがて、すこしおさまりました。
「銀河鉄道地球ステーションに着いたんだ。」と彼は思いました。
しばらくすると、北のそらからのぼってくる列車が見えました。
ふたたび、流星がさかんに流れました。こんどはブレーキではなく、 煙突から飛び出してくる火の粉のような気がしました。
のぞむくんは体を起こして、望遠鏡をのぞいてみましたが、なにしろ銀河鉄道は動いて いるのですから、なかなかつかまりません。でも、一瞬視野を横切った列車は、一列の窓に明かりが ついて、そこにお父さんの影が見えたような気がしたのです。
「お父さん、さようなら。」
のぞむくんは、望遠鏡をあきらめて、空を見上げながらこころの中で言いました。 銀河鉄道はますます遠ざかっていきます。彼は、東の空の流星が噴き出してくる あたりに目を凝らしながら、こころのどこかで納得していたのです。 お父さんが死んで、いなくなってしまったということを。
彼は、手際よく望遠鏡を片づけました。
しし座流星群の流星雨はまだ降り続いていたのですが、 彼はガラス戸を閉めて寝に行きました。
十一月の夜はますます冷えてきたのです。


2002.2.1
ショートショート「わたしキスをしたんよ。」

さくらさんがキスをしたのです。それも学校で。相手は、さくらさんが好きな男子生徒でした。
そしてそのことがその日のうちに発覚したのです。そういう学校なんですね。
これはまずい、ですよね。
特別指導ということになりました。一日中、別室で先生方からいろんな話しを聞かされました。
その次の日でした。賢治先生の理科の授業で糸電話を作りました。 音は振動が伝わっていくという内容でしたが、 そんなことは分からなくてもかまわないのでした。たくさんの糸電話ができたので、 賢治先生は、みんなで糸電話の樹をつくろうと言われました。
理科室に変なかたちをした観葉植物みたいな樹が持ち込まれてきました。 ちょうど教室の天井にもうすこしで届くくらいの背の高さの樹でした。 枝がツタのように伸びていました。
植木鉢のまわりに細い柱が立てられ、みんなが作った糸電話がつるされました。 糸電話が枝から枝に張り渡されるに従って、樹の上で糸が複雑にからんでいきました。
「なんか蜘蛛の巣みたいになってきたな。」
「果樹園のキウイの樹みたいだ。」
何かとんでもないものに見えるという、生徒たちはそれだけで、 興奮してきました。賢治先生は、ちょっととくいそうな表情で、 もったいをつけて咳払いをしました。
「さあ、できあがりだ。では、やってみようか?」
「何をするんですか?」
「電話をかけるに決まっているよ。すきな人に電話をかけられるんだ。 この糸電話の樹はね、ケータイよりすごいよ。自分が話したい人のことを思って話しかけると 、その人の声が聞こえてくるよ。」
「死んでしまったおばあちゃんの声も聞こえますか?」
とおるくんが、天井から垂れた糸電話を耳に当てながらたずねました。
「さあ、どうかな、やってみないと分からないな。」
賢治先生はちょっとこまったというふうに答えました。
「おばあちゃん、聞こえるか?いま、どこにいるねん。天国か?地獄か?」
「それを聞くなら極楽か地獄かと聞くんだよ。」
「えー、しー、だまって……」
とおるくんは、口に指をあてて賢治先生を制しました。
「なんか聞こえる……。」
とおるくんが、「なんか聞こえる」といったので、みんながいっせいに話し出しました。
「おかあちゃん、聞こえる?」
さくらさんも話していました。
「わたし、キスしたんよ。うん、学校のトイレの前で……。」
さくらさんが、キスの話しをしても、教室中で聞いている生徒はいませんでした。 ちょっと耳をそばだてたのは先生だけでした。
賢治先生は、さくらさんのお母さんは離婚して行方がしれなこと、 生死もわからないことを知っていました。
「わたし、キスしたんよ……。」さくらさんは、もういちど言って、 だまって糸電話を耳に当てました。そして、そのまま身じろぎもしなくなりました。
その時間が終わったあと、賢治先生はさくらさんを残して聞きました。
「お母さんの声は聞こえた?」
さくらさんは、ちょっと考えてから頷きました。
「キスとしたって言ってたね?それで、なんとおっしゃってた?」
「よかったねえって……。」
「ふーん、それだけ?」
賢治先生はもう一度うながしました。
「一生の宝やねえって……。」
さくらさんは、それだけ言って、急いでつぎの授業に行きました。
賢治先生は取り残された気持ちでした。
「あれは、一生に一度のキスだったのか……。」
その可能性もある、と思いました。
賢治先生は、天井からぶらさがっているキウイフルーツのような糸電話の中に、 さくらさんの名前が書いてある糸電話が目に入ったので、何気なくそれを手にしました。 そして、耳に当ててしばらく聞き入っていましたが、何も聞こえないようでした。


2002.3.1
ショートショート「訴訟」

賢治先生が訴えられた、と小さい記事が地元新聞に載りました。
商法違反ということでした。「宮沢賢治」という登録商標を無断で使用したということで、 その登録商標を保持している何者かから訴えられたらしいのです。 もちろん、宮沢賢治の著作権は、すでに死後三十五年以上経過しているのだから、 効力をもっていないのですが、 「宮沢賢治」という登録商標があって、それに違反しているというのです。 しかし、その登録商標が何の登録商標なのかは分からないのでした。 そして、その訴えを取り上げた検察が、調べている内に、彼は「宮沢賢治」と名乗っていたが、 実はそれが偽名であることが分かったというのです。
本名がなんというのかは書いてありませんでした。養護学校で教えているのですが、 養護の免許など持っていなかったらしいのです。
そう言えば、賢治先生はふしぎな先生で、何が専門なのか分かりませんでした。 農業を教えることもあるし、理科や国語を教えることもあるのです。 音楽や美術の教師でもありました。
今年は国語を教えていました。1学期は、 「賢治先生がやってきた」という劇の脚本を朗読したり、 あるいは文化祭での劇の公演を想定して読み合わせをしたり、 劇の真似事の振り付けをしたりという授業でした。
しかし、賢治先生が訴えられたことで、登録商標の一時凍結ということになったらしくて、 次の朝裁判所の人がやってきて、「賢治先生がやってきた」の脚本が 差し押さえられてのでした。生徒の分までみんな回収されました。
賢治先生の国語の授業を受けている生徒に草間君がいました。
草間くんは、学校でもちょっとかわりもので通っていました。 第一あまりしゃべることがありません。だから、賢治先生の朗読の授業でもセリフを 声を出して読んだことはありませんでした。いろいろ考えているのですが、 その考えを洩らすのは毎日付けている日記帳の中だけらしいのです。 昨日の球技大会のバスケットボールのトーナメントで彼のチームの高橋君が ボールをパスされるや、身方の方のゴールにむかって走っていってシュートしたのは、 点数が入らなかったからよかったけれども、もめるもとになるからはじめに もっと打ち合わせをする必要がある、とか日記に書いてくるのです。 また、ゴジラの映画が好きで、サウンドトラック盤のCDをよく聞いているとも書いていました。
そんな彼があるパフォーマンスをやってみたくてしかたがありませんでした。でも、そのことを 誰にも打ち明けたことがありません。それは、秘密だったのです。 その秘密は裁判と関係があるのです。あれはなんというのでしょうか、 よく注目されている裁判の結果が出たとき、「無罪判決」とか「全面敗訴」とかいう垂れ幕、 あるいは掛け軸のようなものをもって、 裁判所を取りまいている支援者に向かって駆けてくる、という場面がテレビで放映されますね。 あれなんです。あのパフォーマンスをしてみたい、あの掛け軸をもってみんなに向かって走りたい、 それが彼の夢であったのです。
賢治先生の裁判の結審の日、彼は、その夢を実現させました。
彼は、その日、登校すると、学校の事務室をちらちらと覗いていました。 もちろんそのことに誰も気がつきませんでした。
でも、賢治先生の裁判結果がでるというので、地元のテレビ局がつけてありました。
十時頃になって、裁判結果が出ました。有罪でした。賢治先生は登録商標を犯したと いうのが裁判所の判断でした。
詳しいことは草間君には分かりませんでしたが、裁判の結果が出たらしいことは分かりました。彼はカバンの中から準備してきた 小さい垂れ幕の巻物を持ってきました。そこにはたどたどしい墨字で 「無罪判決」と大書されていました。彼は、学校の玄関でその垂れ幕をするすると開くと、 上下にかざしながら校門を抜け出て、歩行者が往来する街中に飛び出ていったのです。
先生方は、テレビに見入っていて、そのことに気がつきませんでした。 たまたま学校に取材に来る途中の地元新聞の記者が、草間君に気がついて、 写真を撮って、それが三面に大々的に掲載されたのでした。


2002.4.1
ショートショート「プラネタリウム」

賢治先生と生徒たちが、校外学習でO市立科学館に見学に訪れました。
ここは、公営なので、賢治先生の学校の生徒たちのように手帳を もっているものは入場料がいらないのです。展示の内容はちょっとむずかしいのですが、 「それなりに楽しめるかな。」というのが、賢治先生の考えでした。
入口を入ったところで、Fさんという案内係のお嬢さんが生徒たちに、 館内の説明をしてくれました。賢治先生の生徒たちということで、 やさしいことばを選んでいる気配があり、その心遣いがうれしかったのです。
とりあえず、エレベーターで4階にあがり、そこから1階まで館内は 自由行動で展示を見て回ることにしました。
展示には宇宙食やパズルがあり、月面ジャンプの体験コーナーがあったりで、 いろんな遊びの工夫がなされていました。科学教室というのが開かれていて、 強力な小さい磁石で耳を挟んで、それにハサミをつるす実験を楽しんだりしました。
1時間くらい展示を巡ってから、受付ロビーに全員が集合しました。 つぎにプラネタリウムを見ることになっていました。案内係のFさんの案内で階段を上がって、 プラネタリウムに入りました。
「ぼくたちの専属かな?」と、しずおがこっそりと花子に言いました。
「星空を見た後、全天周の映画がありますが、大丈夫でしょうか?」と、 Fさんが賢治先生に聞きました。
「ときどき、酔ったようになって、吐かれるかたもありますので……。」
「まあ、だいじょうぶでしょう。」
「気分が悪くなったら、目をつむっておいてください。」
Fさんは生徒たちに言いました。
「だいじょうぶ。ぼくは、どんなこわいジェットコースターでもこわいことあらへんから……。」
と、けっして人見知りしないしずおが答えました。
丸天井の中は薄暗かったのですが、もちろんつまずくほどではありませんでした。
階段を上って、できるだけ高いところの席に陣取りました。ウイークデイでもあり、 彼らの他には客はいませんでした。
「もうすこししたらはじまります。しばらくお待ちくださいません。」
Fさんは、ホールの前の壇に立ってことば尻を飲み込むようなちょっと きどった言い方をしました。
ところが、プラネタリウムはなかなかはじまりませんでした。 Fさんは時計をちらちらと見ながら困ったという表情で立ち尽くしていました。 そこにもう一人の案内係の娘さんが現れて、何か耳打ちをしました。 Fさんは途方にくれたような顔をしましたが、きっと意を決したように 姿勢をただして立ちました。
「もうしわけございません。本日のプラネタリウムの解説者がいま解説室で突然倒れました。 それで、解説をすることができません。映写技師は倒れていませんので、 映写はできるのですが、解説はできません。どうしましょうか?」
Fさんは、賢治先生の方を困りきった顔で見上げました。
賢治先生は、ちょっとだけ考えてから、やにわに立ち上がって声を張り上げました。
「わたしが解説しましょうか……。ちょうどお客は内の生徒たちだけだから、 わたしが解説してもだれも文句は言わないでしょう。」
「それは……。」
Fさんはちょっとことばに詰まりましたが、「相談してきます。」とどこかに消えました。 「賢治先生の解説でも辛抱しといたるで。」と、しずおが憎まれ口をたたきました。
「星の話は得意やから……。」と、花子が応じました。
そこにFさんがもどってきました。
「先生にお願いできるでしょうか。了解をもとめてきましたので……。」
どこにあるか分かりませんが、Fさんは、賢治先生を解説室に案内していきました。 そして、彼女がもどってくるとすぐに館内が暗くなりました。丸天井が夕方の藍色を帯び、 だんだんと暗くなって春の夜空が浮かび上がりました。ほのかな銀河が夜空をよぎっていました。
「いまじゃあ、都会ではほとんど見られませんが、これが銀河……天の川です。」
ホールに賢治先生の声が響いて、レーザーポインターの赤い点が天井を行き来しました。
「ではみなさん、そういうふうに川だと言われたり、乳の流れたあとだと 言われたりしているこのぼんやりと白いものがほんとうは何かわかるかな?」
ホールに響く賢治先生の声の問いかけにしずおが勢いよく手をあげて答えました。
「目には見えないくらい小さい星がいっぱいあるのかな。」
「はい、正解です。ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、 その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にあたるわけです。」
レーザーポインターの赤い点が天の川から逸れて、春の星座の解説に移っていきました。
「では、以前話したことがある銀河鉄道はどのあたりを通っているのでしょうか?」
数人の生徒が暗い中で腕を伸ばして、「天の川のところ……。」と、 丸天井のそのあたりを指さしました。すると、「そのとおり。」という 賢治先生の声が降ってきて、それと同時に天の川の岸辺に沿って細い線路が 浮かび上がりました。
「これが銀河鉄道です。では、ちょうどきょうは他のお客もいないので、 みんなといっしょに銀河鉄道の旅にでることにしようか。」
遠くから喧噪にまじって「銀河ステーション、銀河ステーション」という放送が聞こえ 、星空を背景に一瞬何か文字のようなものがひらめきました。 青い地球の丸みが画面の下にのぞいています。ゴーというジェットコースターのような 音がホール全体を満たし、画面が揺れはじめました。気がつくと、 何かに向かって突進していく列車の運転席が天井に大写しになっているのです。 窓の外にはくっきりと夜空が広がり、それが途方もない速度で後ろに流れていきます。 さすがに全天周の映像。すごい迫力です。「ゴー」という音響とともにホール全体が震え、 身体から血の気が引いていくようです。もう幻覚なのか、ほんとうに銀河鉄道に乗っているのか、 分かりません。その迫力はどんなジェットコースターも及びません。 生徒たちは叫びをあげましたが、ジェットコースターはますますスピードを上げていきす。 天気輪の柱でしょうか、後方に流れていきました。いつか賢治先生が銀河鉄道の話を したときそのままです。やがて、すべての景色が見分けられなくなり、光だけが後ろに流れ、 ジェットコースターは目が回るような速度で宇宙に飛び出していきました。 ふーっと意識が遠のくような感覚がありました。そして、気がつくと宇宙空間に曲線を描いて、 銀河鉄道が進んでいました。きっと想像もできないほどのスピードなのでしょうが、 まわりの星が遠いためかさほど速度を感じません。
銀河鉄道は夜空を横切っていきました。生徒たちは白鳥駅で下車したり、 鷺を押し花にするおじさんに出会ったり、石炭袋の穴のようなブラックホールをみたりしました。 それはゆったりとして、全天周映画を楽しんだという雰囲気でした。
でも、ブラックホールの渦に巻き込まれる力を利用して、銀河鉄道が方向を変えて 引き返しはじめたとき、ふたたび身体から血の気が引いていったのです。 すでに、生徒たちは、どのくらい時間がたったのかもわからなくなっていました。 銀河鉄道は、大音響とともに大気圏に突入し、流星雨を飛ばして急ブレーキをかけながら 減速していきました。そして、徐々にゆったりとした速度になり、 最後にゴトンと列車が止まるとき、座席ガクンと突き上げてきて、 お尻を蹴飛ばされたような衝撃があったのです。まるで椅子の中に人が隠れていて、 お尻を突き上げたようなおかしさでした。生徒たちはその一蹴りで現実に 引き戻されたようです。
みょうなおかしさにふっと我にかえって、生徒たちは歓声をあげました。 どうして歓声なのでしょうか。なにかほっとしたということもあるかもしれません。 というより、宇宙旅行もかなり迫力はあったのですが、それよりも、さいごの一蹴り、 その突き上げが思いがけなくて、おかしくて、それで喜びの声をあげたようなのです。
案内係のFさんの表情には、いま上映された全天周映画から受けた衝撃がまだ残っていました。 全天周映画はいつも上映されているのとはちがっていたのです。 こんなフィルムは見たことがありません。信じられないという青い顔で、 それでもFさんは、「出口はこちらでございます。」とお客を誘導しているのでした。
「でも、あの座席にはあんなふうに突き上げるしかけがあって、 映画がおわったときいつも蹴飛ばされるのかな。」と、生徒たちはいまだにびっくりの 余韻を口にしたり、あるいは黙ってふしぎをかみしめながら、中にはお尻をさすりながら、 ぞろぞろとホールから出てきました。すると、まぶしい出口付近に賢治先生が待っていて、 にこにこ顔で生徒たちを迎えたのでした。


2002.6.1
ショートショート「百年たったら……」

賢治先生はふしぎな先生でした。何を教える先生なのか分からないのです。
「アメニモ負ケズ」という詩を書いているというので 、国語の先生かというとそうでもないのです。 「月夜のでんしんばしら」というふしぎな絵を描いているので美術の教師のようなのですが、 それもちがうようなのです。作曲もしますが、音楽の教師でもなさそうです。 農業にもめっちゃくわしくて、農業が専門のようなのですが、 それだけではなさそうなのです。星座や宇宙のことにくわしくて、 理科の教師でもあるようなのですが、そうでもないのです。
そんな賢治先生が、講師としてK養護学校にやってきたのです。
最初の日、校長先生の紹介があって、つつっと登場したかと思うと、 「みやざわけんじです、よろすく」と簡単な挨拶をしただけで、 ちょっと跳び上がるようなしぐさで身体を回して消えてしまったのです。
高等部3年生のみんなで春の遠足にでかけました。行き先は室生寺のちかくにある 花しょうぶ園です。雨が降りそうでしたが、どんよりした空は黒い雲におおわれてはいましたが、 どうにか持ちこたえていました。花しょうぶ園は、まだ花しょうぶは咲いていなくて、 紫陽花もまだのようで、てっせんの花だけが、生徒たちを迎えてくれたのです。
賢治先生は、あるクラスの生徒といっしょに休憩所で休んでいました。 木材でできた屋根がある吹きさらしの休憩所で、周りが見渡せるようになっているのです。 近くの牧場の搾りたての牛乳をたのみました。こくがあってたしかにおいしかったのです。
しばらくして若いウェイトレスさんが、カップを集めにきてくれました。
「おさげしてよろしかったでしょうか?」
ウェイトレスさんは近くにいた賢治先生に声をかけました。
賢治先生は、ちょっととまどいましたが、すぐに意味を理解して、 「おねがいします。」と返事しました。
「はじめは意味がわかりませんでした。」 ウェイトレスさんが片づけていったあと、賢治先生は、担任のM先生に話しかけました。 若いM先生はちょっと楽しそうでした。
「あの言い方でしょう。」と、いたずらっぽく笑いました。
「賢治先生は知らないんですか?このあいだ新聞にも載っていましたよ。 若者の中にあんな表現をする人もいるらしいですね。」
「未来と過去がまじりあっていますね。」と、賢治先生は考え込んだ顔でいいました。
「まだ片づけていないんだから、お下げするというのは未来、 それをよろしいと判断するのも未来、それが過去形になってしまっていますね。」
「賢治先生はえらくこだわりますね。」
「未来が過去になって、過去が未来になる。ここでは過去と未来がまじりあってるような……」
「そんなおおげさなことじゃなくて、たんに若い人のはやりですよ。」
賢治先生はあいかわらず考え込んでいました。
対面の丘の斜面に植わっている紫陽花を見に行こうということになって、 賢治先生のクラスが早めに出発しました。
「百年たったら、また会おう……」
花しょうぶの棚田を抜けて、丘にさしかかったところで、まだ休憩所にたむろしている生徒の声が 、かすかにこだまをともなった叫びが届きました。
「二百年たったらまた会おう」
賢治先生と前後して歩いていた女生徒が突然振り返って叫びを返しました。
花しょうぶの棚田を隔てた向こうの休憩所に手を振る生徒たちが見えました。
賢治先生は、内心ちょっとおどろいていました。
自分がやってきてから、養護学校にこの挨拶がはやりだしたのです。 どうしてだろうかと賢治先生は考えることがあります。宮崎駿のアニメにでもあって、 それをまねているだけかもしれないとも思うのです。でも、それだけではないように思うのです。 自分は百年前に岩手県に生まれて、七十年くらい前に地球を離れていった人間だ。 そして、ふたたび帰ってきた。賢治先生は、生徒たちに、 そのことを見抜かれているように思いました。
「五百年たったら、また会おう」
向こうの丘から、生徒の叫びが聞こえました。今回もすこしこだまがついていました。
「千年たったら、また会おう」
先ほどの女生徒が間髪をいれずに答えました。
「百年たったら、また会おう」
賢治先生は、口の中でつぶやきながら、斜面を一歩一歩踏みしめて登っていきました。
賢治先生は約百十年前に生まれました。明治29年、1896年です。 そして昭和8年、1933年にこの世界を離れて銀河鉄道の旅に旅立ったのです。
そして今、「百年たったら、また会おう」という約束が生徒からなされました。
そして、賢治先生には、「百年たって、また会いましたね。」と聞こえたのです。
いまや、未来は過去形で表現されるのですから。
「賢治先生、百年たって、銀河鉄道の旅から帰還して、またみんなに会えましたね。」 と生徒たちは言っているわけです。
「未来は過去形で表される。では、過去はどうなるのだろう。過去は未然形で表現される。 『百年たったら、また会おう』が過去、『百年たって、また会いました』が未来……」
賢治先生は、そんなふうな思考の堂々巡りにとらわれていました。未来と過去が脳裏で渦を巻き、 眩暈がしそうでした。斜面に立ち止まったとき賢治先生の身体が傾いたのでしょうか、 後ろの生徒が腕を掴んで支えてくれました。それでも軽い眩暈のようなものは続いていました。
「一万年たったら、また会おう」
目をつむっていると、丘の向こうからまたこだまをともなった叫びが脳裏に飛び込んできました。


2002.9.1
ショートショート「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」

H.A 「一月ほど前に、小惑星が、2019年に地球にぶつかるかもしれない、 というニュースをNASAが発表しましたね。」
賢治先生 「私にも初耳だったが……。」
H.A 「それがNHKの夜七時のトップニュースで流れたので、 よけいほんとう?という感じで……。何か、普段忘れている宇宙のほんとうが 気味の悪い顔をだしたような……。」
賢治先生 「なるほど……。」
H.A 「賢治先生は、そんなことはいつも感じておられるのでしょうが……。」
賢治先生 「まあ、銀河を眺めていたら、そんなことは始終目にすることではあるが……。」
H.A 「でも、二、三日してまた発表があって、 計算し直したら、地球に衝突する確率は20万分の1とかで、 ほとんど心配いらないということになりましね。」
賢治先生 「まあ、それで一安心ということかな。」
H.A 「でも、はじめの発表を聞いたときの驚きが余波を引いていますね。 最初は、なにしろわざわざNASAが発表するんだから、 だだごとじゃないと思いましたからね……。」
賢治先生 「NASAは、地球に接近するすべてのものを監視しておるからな。 ワシの銀河鉄道も監視網にひっかかっておるらしいが、 そこはなんとか見て見ないふりをしてくれているらしい。」
H.A 「その彗星の直径は2キロメートルぐらいらしいですよ。 それでね、2キロメートルでは、今の科学なら何とかならないのかなと、 考えてみたんですがね……たとえば、ロケットに水爆をいっぱい積み込んで ぶつかって爆発させれば、コースがかわるくらいの影響はあたえることができるんじゃないかな、 とか……」
賢治先生 「どうじゃろうな……で、君の結論は?」
H.A 「想像してみると、2キロメートルというのは、たとえば、 いま窓から見えている山で言えば、金剛山、大阪で一番高い金剛山、 あれが1125メートルだから、あの山を二つ重ねて、上も少し削って丸い岩石の惑星を 作ったと想像してみます。」
賢治先生 「ルネ・マグリットの絵にそんなのがあったじゃろう……、 巨大な岩が平野の上にぽっかり浮かんでいて、おまけに昼なのに三日月が出ているという……。 (注)」
H.A 「絵を描いているだけあって、さすがに詳しいですね。」
賢治先生 「いやいや、同じ年頃だし……。」
H.A 「そんな巨大な岩石の惑星が とてつもないスピードで飛んでくるわけで、……とても、 とても人間の力でどうにかできる限界を超えているような気がしますね。」
賢治先生 「君の直観はただしいような気がするよ。銀河鉄道でさえ、 まともに地球に突っ込めば原爆何個かのエネルギーを出すにちがいないからね。」
H.A 「銀河鉄道は、ブレーキをかけたときに流星群のような光のシャワーを飛ばしますね。 それくらいにしておいてくだされば、いいのですが……。」
賢治先生 「でも、小惑星の衝突の可能性はゼロになったわけじゃなくて、 まだ小さい確率ながら可能性は残ってるからね。この前NHKの子ども向けの番組で、 宇宙飛行士の毛利さんが解説していたが、地球はほんとうに偶然だが、 木星のおかげで小惑星の衝突が避けられる位置にいるらしいね。それは、 奇跡に近いほど幸運な位置だということじゃよ。」
H.A 「それでもこれまでにも恐竜を滅ぼすほどの衝突もあったわけですから……」
賢治先生 「そうじゃね。油断はできないが、それはわれわれの力でどうにか できるものではない。」
H.A 「祈るしかありませんね。」
賢治先生 「ほんとうにぶつかるとなったら、銀河鉄道をノアの箱船にしたてて、 地球から脱出していくかね。」
H.A 「問題はだれを選ぶかですね。」
賢治先生 「わたしは、そんなことはできないから、 だまって地球に通じるレールをはずすしかないかもしれないな……。」
H.A 「なんだか、歴史は繰り返すみたいな話になってきましたね。 今回の話、たるんだ精神にびっくり水をさしたようないい刺激をあたえてくれたような 気がします。……賢治先生、また、たまには話をしに来てくださいよ。待っていますよ。」

【追伸】、発表したのは、NASAではなく、アメリカのジェット推進研究所(JPL)かもしれません。 NHKのニュースで流されたのは、たぶん7月25日ごろだと思います。
なお、JPLの後日の発表では、この小惑星2002 NT7の衝突の可能性はないということです。 念のため。
この情報は、日本スペースガード協会のホームページを参考にさせていただきました。
(注) ルネ・マグリット「現実の感覚」


2002.10.1
ショートショート「小惑星が地球にぶつかるって、ほんとう?」(続)

HA「この『うずのしゅげ通信』の内容をどうするか考えあぐねていたら、 28日の朝日の夕刊に『2880年 日本《沈没》 小惑星が太平洋衝突』という 見出しで特集記事が載っていましたね。」
賢治先生「まわ惑星の衝突ですか?よほどおそれているのか、暇なのか……。」
HA「いや、惑星衝突だけなら、取り上げなかったんですが、惑星のエネルギーを TNT火薬に換算した表が載っていたので、つい……。」
賢治先生「それはかまわないが、で、その表というのは?」
HA「小惑星の直径が数十mならそのエネルギーは最新の核爆弾くらいで、 数十メガトンというところらしいですね。そんな惑星は数百年に一度くらいの確率で 地球に衝突してくるらしいです。」
賢治先生「ふーん、恐いもんだな。もっと大きくなるとどうかな?」
HA「直径が1kmくらい、この前に言ったように金剛山をまるく削ったような 小惑星の場合、エネルギーはおよそ十万メガトンで、世界の核爆弾の総量に匹敵するらしい。 この衝突は数十万年に一度。充分人類を滅ぼせるくらいでしょうね。」
賢治先生「おそろしいもんじゃな。小惑星もおそろしいが、人類がそれだけの核爆弾を 所有しているということもおそろしい。」
HA「そうですね。しかし、これまでが、われわれ人類の近づける 範囲じゃないでしょうか?」
賢治先生「もっと大きくなると人間の力を超えてしまうということかな?」
HA「そうらしいですね。直径が10kmとなると、これは、約6500万年前に メキシコ湾に衝突したやつで、恐竜を絶滅させたといわれていますね。」
賢治先生「そんなやつがきたらたいへんじゃな。」
HA「たいへんですよ。……でも、1億年に一度くらいらしいから、 ちょっと安心ですが……。」
賢治先生「それで、さっき言っていた2880年に地球に衝突するという小惑星の 大きさはどのくらいかな?」
HA「1kmくらいらしいですよ。『1950DA』という名前までついているらしい ですが……。」
賢治先生「ふーん、たいしたやつじゃな。しかし、ほんとうに衝突するのかな。 この前にジェット推進研究所が発表したやつも計算し直したら、 衝突の可能性はないとなったからな。」
HA「この小惑星の場合は、何度か観測した結果衝突の確率は0.3%ということで、 これはかなり確からしいですよ。」
賢治先生「そりゃあ、たいへんじゃ。確率がかなり高いな。」
HA「でも、日本スペースガード協会(この前にも紹介したように、 こんなのがあるんですね。)、ここの理事長さんの話では、 小惑星にものをぶつけてコースを変えることもできるようですね。」
賢治先生「現代文明ができる範囲かな?」
HA「直径1kmだったら、100年前なら275トン、 50年前なら542トンのものをぶつけたらコースを変えられるらしいですよ。」
賢治先生「ふーん、275トンね。」
HA「賢治先生は、いまグスコーブドリのことを考えましたね。」
賢治先生「よくわかったな。」
HA「わかりますよ。グスコーブドリが火山で犠牲になったように、 銀河鉄道でその小惑星にぶつかっていけば、すこしはコースを変えることができるかも しれないって……。」
賢治先生「ワシにできることはそれくらいじゃからな。」
HA「まあ、もし、ほんとうにぶつかりそうなら、ロケットでそのくらいのものを 衝突させることくらいは、2880年ならできるようになっているでしょう。」
賢治先生「そうじゃな。それで、きみはすこしは安心したのかな?」
HA「そうですね。でも、あらためて人類の核爆弾の保有量のおそろしさを 実感しました。」
賢治先生「そうじゃな。小惑星の衝突で絶滅の危機に瀕する確率より、 核戦争の結果、核の冬で人類が絶滅する確率の方が、残念ながら高いようじゃな。」
HA「それで、賢治先生は、そのときは人類とともに滅びるために 銀河鉄道で還ってこられたんでしたね。」
賢治先生「どうじゃろう。そんなことを言ったこともあったかな……。」
HA「ともかく、賢治先生が銀河鉄道終点の南十字星駅まで往って、 そこからまた還ってこられたことはすばらしいことだと思っています。 たとえ滅びるとしても、賢治先生といっしょなら……。」


2002.12.1
ショートショート「賢治先生御用達、出前プラネタリウム」

「賢治先生御用達、出前プラネタリウム」と書かれたチラシが学校に 郵送されてきました。
プラネタリウムのチラシということで、理科の教師であるわたしのところに回されてきたのです。 養護学校で理科を教えているのですが、星の話はしたことがありません。 生徒といっしょに星空を見る機会などないからです。入学して間もなく実施される宿泊訓練は、 山の家を使うので、天気がよければキャンプファイヤーのときに星空を見上げるくらいです。
「出前天体ショー」のことを理科の時間に生徒たちに話してみたのです。 「見てみたい」という希望が圧倒的でした。
「じゃあ、一度来てもらおうか」と教師でも相談がまとまりました。 費用の出所も調整がつきました。チラシの住所に電話連絡するとすぐに話がまとまりました。 あまり予定が詰まっているわけでもないようでした。
賢治先生御用達のプラネタリウムの出前屋さんがやってきました。 軽トラにいっさいがっさいを積み込んできたようです。手伝いましょうか、 という申し出を断って、一人で体育館に道具を運び込みはじめました。 奇術師のマギー司郎(知っていますか?)のような雰囲気で口ひげもたくわえているのですが、 ちょっと偏屈そうな感じにも見えました。
生徒たちは、そんなことはおかまいなしです。ちょうど昼休みでしたから、 体育館に集まってきました。
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。賢治先生御用達のプラネタリウムだよ。 寄っといで、見ておいで……」
おもわず大きな声に生徒たちはちょっとあとずさりしたほどでした。
マギー司郎さんはにこにこしながら、たまにはそんなふうに声をあげながらてきぱきと作業を 進めていきます。黒いゴミ袋を折り畳んだ固まりが床に広げられていきました。
「半径4mの映写ドームだよ。世界で1番、出前のドーム。」
そんな口上を言いながら、ゴミ袋の出っ張りに扇風機2台をガムテープでセットして、 風を送り込みはじめました。
「さあ、これで30分くらい待ってちょうだい。そうすればどんどんふくらんで、 映写ドームが立ち上がってくるよ、子どもさんなら50人くらいは収容できるよ。」 マギー司郎さんは、ゴミ袋はそのままにして、つぎにダンボール箱から丸い機械を 取り出しました。
「これは投影機、プラネタリウム、これをドームの中に持って入って、星空を映すんだよ。 おじさんが作った手作りのプラネタリウム。丸いボールを二つ合わせて、 ほらこんなふうに丸いのを作って、それにほら手で2千ばかりの孔を開けたんだよ。 1年もかかった……。」
そのうちに午後の授業開始のチャイムがなりました。そのころには、映写ドームは膨らんで、 体育館に巨大な半球が聳えていました。いまだに扇風機がまわって空気を送り込んでいます。 半球の表面はまだぶよぶよしているように見えます。
「では、みんなで中に入ってみよう。」
狭い入口から空気を抜かないように注意して中に入りました。 映写ドームの中はむっとしていました。裸電球が灯っていて、 人の影がびっくりするように伸びています。
みんなは座りましたが、いつものようにのっぽの葉山くんが、立って人数確認をしています。 葉山くんは、ほとんど声を出すことがなくて、まれにしゃべるときも口ごもった 低い小さい声で話すのですが、いろんなことをよく理解していて、 こんなふうに学年が集まるときは、いつも人数確認をして、 「だれそれくんがまだ来ていない」とかひとりでつぶやいたりしているのです。
その葉山くんが、きょうはなかなか座らないのです。
「どうしたのかな?」
わたしは聞いてみました。
「一人多いんです。35人います。」
低い声で答がかえってきました。
「多いって……そんなばかな、影でも数えてしまったのかな。」
わたしは取り合わないことにしました。
「それはね……。」
マギー司郎さんが言いました。
「プラネタリウムぼっこがね、まぎれこんだな。」
「何ですか、それは?」
松尾くんが聞きました。
「このプラネタリウムを膨らませて、みんなが入るとそいつもあらわれるんだよ。」 「ゆうれいですか?」
「ゆうれいね……、こどもなんだけどね、そいつが現れると人数が合わなくなるんだよ。 入場料をもらって見せるときもあるんだけど、そんなときは、そいつのせいで人数が 合わなくていつもトラブルになってしまう。そいつはきっとそんなごたごたを見て よろこんでいるんだろうな。」
「ふーん」
松尾くんはどうにか納得したようでしたが、葉山くんはもう一度人数確認をしようとして 他の生徒から止められたのでした。
「人数はいいかな。少なかったらこまるけれど、多いのはいいだろう?」
マギー司郎さんは、葉山くんに声をかけました。葉山くんは、うなずきました。
「では、賢治先生御用達の星空教室のはじまりはじまりー。」
最初に黙ってしばらく星空を見上げていました。目を慣らすためでした。 目が慣れてくると無数の星が見えはじめました。天の川も夜空を横切っていました。
「では、星座の説明をするので、眼鏡を付けてください。」
配られた赤と青のめがねをつけました。3D影像の仕掛けはこうです 。赤と青の豆電球でドームの中を照らして、その二重の影を赤と青のセロファンをつけた 眼鏡で見るのです。すると左右の視線が交差して立体像が見えるのです。 星の連なりに重ねて蠍やら白鳥やらの星座を写すセットがあって、 それも立体的に浮かび上がるようになっているのです。賛嘆の声があがりました。
「つぎに、賢治先生御用達ということで、銀河鉄道を体験してもらいます。 眼鏡をはずしてはだめだよ。」
映写セットを換えたらしく、天空に銀河鉄道の軌道が浮かび上がってきました。 そこを銀河鉄道が走っていきます。
「これが銀河鉄道です。どうですか……。」
「のってみたいなー。」という声があがりました。
「では、乗ってもらいましょう。」
声とともに、星空が区切られて、列車の窓からの景色になりました。
「あれ、何か光るものが見える。」
「あれは、天の野原です。」
「すごい、すごい。」
生徒たちはおおよろこびでした。
「つぎは白鳥駅、白鳥駅。ブレーキをかけると、しし座流星群が飛びまーす 。よーく、御覧ください。」
どんな仕掛けになっているのでしょうか、マギー司郎さんが、 足下の箱についた取っ手を回すと、流星雨がしし座のあたりから降り注ぎました。
「うわーすごい。」
感嘆の声があがりました。
天空にかかる銀河鉄道の軌道から後ろに火花のように流星がつぎつぎ流れていきます。
「何か願いごとがある人は、ひかっているあいだに願いごとをとなえてください。 いいかな。……そして、流星の中には銀河鉄道にぶつかるものもありまーす。……」
「それ」っと、マギー司郎さんは、ポケットから紙製らしい石を暗闇に投げあげました。
そんな見え透いた演出にも「きゃー」という叫びがあがりました。
ところが、その石が落ちてきたとき、「ぼん」という音が響いて、 映写ドームの空気が一瞬張りつめるような感覚がありました。 高い山に登って気圧の変化で耳がおかしくなることがありますね。 そんなふうな感覚でした。そして、スーとドームの上を滑っていくような音がして、 バンとびっくりするような衝撃があって何かが破裂したのです。
「ばくだんだ。」
「ぶつかった……」
と、ドームの中は騒然としました。
「みなさん、お静かに、おちついて、おちついて」
マギー司郎さんは、みんなを座らせました。
「銀河鉄道にはテロなんかありません。あれは工事のハッパかもしれません。 だから、出てはいけません。じっとしていましょう。」
そのときドームの外から声がしました。
さっと光が射し込んで、入口に大きな影が現れました。
「水銀灯が落ちました。水銀灯がはずれて映写ドームの上に落下して、 上から滑ってほんそこで破裂しました。外に出てはいけません。 ガラスの破片が散っています。いま、掃きますから待っていてください。」
しばらくして、生徒たちはドームから出てもいいといわれました。
外で並ぶと、例によって葉山くんがさっそく人数確認をしました。
「そろっているかな?」というわたしの問いに目をくりくりさせて大きく頷きました。
「直接生徒の頭の上に落ちていたらどんなけがをしていたか……、 映写ドームのおかげで助かりました。」
わたしは天井を見上げているマギー司郎さんにも声をかけずにはおれませんでした。
「いやあ、でもドームが破けていたらどうなっていたか……」
「でも、ドームは大きいから、水銀灯はすこし落下しただけで上にのっかったんです。 だから裂けなかった。」
わたしはふにゃふにゃにしぼみかけているドームを見上げながらほーと 一つ溜息とついたのでした。

(これは、NHKのBS2で10月2日に放映された「人生自分流」北村満さんの話を下敷きにしています。)


2003.6.1
ショートショート「賢治先生との『虔十公園林』をめぐる対話」

賢治先生 また一つ脚本を書いたらしいな。
作者 はい、「手話の涙はつちにふる」という人形劇を……。
賢治先生 しかし、そこに私は登場していないようだ。
作者 賢治先生は登場しませんが、その代わりといっては、何ですが、 「よだかの星」のストーリーを盗用させていただきました。
賢治先生 飽きもせず、書きも書いたり……これで十一作になるかな。 どうして、そんなに宮沢賢治にこだわるのだ?
作者 それはどこかでも書きましたが、教師としての立場から言えば、 賢治先生が、養護学校の教師としての理想だと信じているからですが……。もう一つ、 生徒にとっては、賢治先生のような先生がいれば学校も楽しいだろうと……、不登校で、 学校の楽しさをしらないままに、退学していく生徒を見ていると切ないものがありますから……
賢治先生 そんな生徒に対しては誰だって何もできないだろう。そんなふうに、 私を理想化する風潮にはこりごりなのだが……。
作者 立派な人間としてあがめているわけでもないのです。宮沢賢治という人間は、 当時の村社会ではどこか疎外されていたように思います。時代を先取りしたあんな風変わりな 行いが村社会にすんなりと受け入れられるわけはないですよね。
賢治先生 たしかに、私の一生は、まわりに受け入れられない孤立のなかでの 押し問答のようなところがあったが……。
作者 宮沢賢治は、ほんとうは人間嫌いだったと主張する人までいるほどですね。 しかし、それもひっくるめて、養護学校の教師になった賢治先生を見てみたいという気持ちを 抑えることができないのです。
賢治先生 そう言ってくれるのはありがたいが……。
作者 ところで、この際ですから一つお聞きしたいのですが……。
賢治先生 何のことかな?
作者 ぼくは、以前から賢治先生の「虔十公園林」という作品がずーと 気になっていたんです。主人公の虔十は知的障害をもった子どもとして描かれていますね。 たとえば、「虔十は、いつも縄の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいて ゐるのでした。」とあります。養護学校には、こんなふうにいつも笑っている生徒がいますよね。 それに素直なんです。「おっかさんに云いつけられると虔十は水を五百杯でも汲みました。 一日一杯畑の草もとりました。」。まるで、自分の意思がないみたいですね。
そして、最後のあたりに、「その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。 いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。」という、今では差別と見なされかねないような 表現があります。
こんな風に読んでいると、僕には、虔十が高等養護学校の生徒に重なって見えてくるのです。
賢治先生 なるほど。で、それがどうしたのかな?
作者 「今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがった」虔十が、「家のうしろの野原さ」 植えるから「おらさ杉苗七百本、買って呉(け)ろ」と云いますね。 この発想がどこから出てくるのか分からないのです。虔十のことばとして、ここだけが、 リアルでないというか、浮いているように思うのです。
賢治先生 そうかもしれんな。しかし、わたしは養護学校の生徒の口から、 まれに聖書のような深いひとばがでてくることがあると信じている。聞く耳をもっていれば、 その深いことばを聞き取ることができるにちがいないのだ。あとにも、書いているように、 それこそ「十力の作用は不思議」とでもいうしかないようなことばを吐くことがあるが、 聞く耳がなけらば、それはただのバカげた話として笑いとばされるだけだ。虔十の場合、 父親には、その深いことばが聞こえたのだろう。だから、杉苗を「買ってやれ、買ってやれ。 虔十ぁ今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったもの。買ってやれ。」と 虔十の願いを入れたんだな。
作者 ふーん、賢治先生は生徒をそんなふうに見ておられたんですか。
賢治先生 だから、それがあるから、「あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかは わかりません。」という結論になるわけだ。彼らのことばはとてつもなく 深いことがあるものだよ。
作者 なるほど……、しかし、よく分からなくなってきました。もう一度考えてみます。 「虔十公園林」については、またあらためて取り上げることにします。
とりあえず今日はお付き合いいただき、ありがとうございました。




2003.11.1
ショートショート「受容」

「こんな劇、やってられへんわ。」
太郎が脚本を床に打ちつけて、軽作業室を飛び出した。
K先生は、太郎を見送って、そのまま文化祭の劇の演出を続けた。生徒たちも、 太郎が飛び出していくのには慣れっこになっていて、動揺はなかった。
三場の練習が一段落して、休憩に入ってから、K先生は教室に行ってみた。 太郎は手持ちぶさたに窓から外を眺めていたが、K先生に気づくと、 ちょっと身構える素振りを見せた。
いま学年で取り組んでいるのは「ぼくたちはざしきぼっこ」という 狂言仕立ての劇なのです。とある家にざしきぼっこがいて、そこの息子が座敷で エレキバンドの練習をするのがうるさいというので、そこの家から出ていく。 するとその家はたちまち没落する。ざしきぼっこは実は地球を脱出しようと 企んでいるのです。環境汚染がすすんだ地球に愛想を尽かしたのです。 かつて教鞭をとっていたことがある宮沢賢治が養護学校に帰ってくるというので、 賢治先生に頼んで、銀河鉄道に載せてもらって地球脱出を図ろうというのです。 ざしきぼっこは、養護学校にやってきます。しかし、ざしきぼっこに地球から去られては、 地球が没落してしまいます。生徒たちは知恵を集めて、ざしきぼっこを 賢治先生にあわせないようにします。しかし、結局ざしきぼっこは賢治先生をつかまえて、 銀河鉄道でつれていってくれて懇願します。 そこで、力のある横綱やら、水戸黄門やらが登場して、地球脱出を阻止しようとするのです。 狂言に唐人相撲というのがあって、みんなで引っ張り合うという筋で、 そこから盗用したようなものです。 最後に、養護学校の生徒たちも、顔を半分白く塗って現れ、「そんなにいうのなら、 ぼくたちもいっしょにつれていってほしい」と言い出す始末です。 生徒たちもまた地球のざしきぼっこなのです。ざしきぼっこや生徒たちに去られては 地球は滅びてしまいます。さすがのざしきぼっこも地球脱出をあきらめざるをえなくなるのです。
しかし、太郎は、そこで水戸黄門やら横綱、それにドラゴンボールの孫悟空が登場して、 綱引きをするのが気にくわないというのです。子供だましで、ぼくたちをバカにしている 感じるらしいのです。
K先生の見方では、太郎はリアルでないと感じて、リアルでないことが、 自分たち生徒への侮辱と受け取ったらしいのです。リアルでないことが自分たちを 見くびったバカにした筋だと、そういう論理なのです。奇妙な論理だとしても、 彼はそう受け取ったのです。
劇の筋を考える前に、生徒の希望を聞いたときに、ドラゴンボールの孫悟空とか、 吉本の芸人、水戸黄門、古畑仁三郎などの意見がでたときも、彼は露骨に嫌な顔をしたのです。 彼が考える劇はもっとリアルなものだったのでしょう。
彼は、養護学校に自分が進学するということを納得しないで進学してきたのです。 障害の受容が十分にはできていないようでした。
だから、自分たちがバカにされるといったことにはとても敏感なのでした。 高校生らしくない振る舞いを強制されることにも拒否反応を示しました。
その琴線に、おとぎ話調の筋立てが触れたのでしょう。そのときも反発していたのです。
「どうして、とびだしていったのかな?」
K先生は、窓際に並んで、そとを眺めながらいいました。遠くに畝傍山や耳成山が 霞んでいました。とても静かでした。
「おれは、あんな筋はおかしいと思う。」
「どこがおかしいと思うのかな?」
「ドラゴンボールの孫悟空も水戸黄門も、あんなのおかしい。オレはやる気がないよ。」 「みんなで筋の話をしたときもそういっていたね。」 「こんな劇は高校じゃあやらない。」
「そうだなあ……、高校生はざしきぼっこじゃないからな……。」
「ざしきぼっこなんて、いないよ。あれはおとぎばなし……。」
「そうかな。おとぎ話の力を借りて、お客さんに分かってもらいたいんだ。 ぼくはね、ここの生徒はみんなはざしきぼっこじゃないかと思っているよ。それを分かって ほしいというか……みんなやさしいだろう。わるい考えなんてこれっぽっちももっていないよ。 世の中の人はわるい人もいっぱいいるけれど、きみの友だちは、みんないいこころばっかりだよ。 だからざしきぼっこだっていうんだ。そのことを知ってもらいたいんだ。」
K先生が少し語気を強めたので太郎は、しばらく考えているふうだった。
「君が考える高校生の劇とはちがうかもしれないけれどね、ぼくはぼくなりに真剣に 考えて劇を書いたんだよ。……でも、どうしてもイヤなら出演からはずしてもいい。 大道具を作ったりするほうにまわってもらうよ。 しかたがないからな。イヤイヤやっていたら、他のものがやってられないからね。」
太郎は、すぐには反論してこなかった。激情は静まったようだった。
「でも、ぼくとしては君に参加して欲しいと思っているよ。」
ちょうどチャイムが鳴ったので、K先生は教室を出ていきながら、穏やかな声で付け加えました。
太郎は悩んでいると、痛いほど分かりました。単に劇のことだけではなく、 この学校に来たことや、ほんとうに高校生なのかとか、将来のことであたまがいっぱいなのでしょう。 彼の力では担いきれないほどの重たい問題かもしれないと、 K先生は切ない気持ちで考えながら階段をおりていったのでした。


2004.2.1
ショートショート「不審者」

「あなたね、子どもがかってについてきたって、そんな言い分はとおりませんよ。 親から捜索願が出ているんだからね。もう、どうしようもないよ……。 ただ花を売って歩いていただけだって……よく言うよ、えー、それは通りませんよ。 正直にゲロしてもらわないと……近所で聞くと、花を売っていると言うより、 ただで配っている方が多いという噂でしたが……。金持ちのぼっちゃんのお道楽、 花屋泣かせだってね。「はなー、はなー、はなやー」だけでは、 子どもらもついてはこないわな。いったいどんな策略で子どもたちをひきつけたのかね。 ……えー、何?わかりませんってか?しらっぱくれなさんな。子どものいうところによると、 跳びあがって両足の踵を打ちつける特技を持っているらしいね。 中国の雑技団みたいねことをやって、子どもたちを誑かしたのかね。 ちょっとここでその技とやらをやってみせてくれる、えー、やれない。 どうして……、見せ物じゃないって、どうして、おいそれとはみせられませんか? 相手がオレのような警官ならなおさらね。……それにしても、 どうしてそんな奇妙なことをするの? えー、何か思いついたとき思わず 跳びあがってしまうって……、そしてメモを取る、ふーん、そうなんか?思いついてね。 それで、何を思いつくの?跳びあがるほどいいことを?えー、鳥の声や、 電信柱のつぶやきが聞こえたりしたときなんか、嬉しくて跳びあがるって……。 おいおい、ふざけんじゃないぞ。どうして、鳥のつぶやきが聞こえるんだ。 しゃべってることがわかるってか?まあ、鳥は鳴くからな、意味をこじつけることも できるかもしれんがね。この電信柱のつぶやきってのは何だい?本当に聞こえるの? 風が吹いて電線でも鳴っているのかよ。そうじゃなくって……。 ほんとうに聞こえるんなら精神鑑定もんだよ。電信柱が歌を歌っているときがあるって? どんな歌?えっ、「どっててどっててどっててど、でんしんばしらのぐんたいは……」。 何だいその歌は?まるでちんどん屋だな、それで、小学生がついていったのかね。 星座の歌というのもあったろう?「あかいめだまのさそりとか」、証言が取れてるよ。 (調書をみながら)星座の歌を歌ったんだな。あいつらは頼りないようでいて、 しっかり見るべきところは見てるし、聞くべきところは聞いてるよ。 いい声で気持ちよさそうに歌っていたという証言もあるが……。それは、 「精神歌」というのか?どんな歌?「日ハ君臨シ輝キハ白金ノ雨ソソギタリ」、 何か古い歌だが、朗々と歌うと気持ちようさそうだ。しかし、天下の公道で堂々と歌われては、 変質者と思われるわな。知ってるかな、変なおじさんが出没するというんで、 小学校の校長先生も生徒たちに注意していたらしいよ。ついていってはいけません、 っていうことでね。それなのに、子どもですな、おもしろいとつい忘れてついていってしまう。 あなたはお分かりでしょうが……聞くところによると元教師なんだってな。 先生も地に落ちたもんだ。もっとも最近は、先生もセクハラとか、万引きとか、 でよく新聞沙汰になっているからふしぎはないか……。まあ、警官も似たようなもんだが……。
まあ、ちんどん屋みたいなものだったのかねー?えー、最近ちんどん屋を見かけないからね。 子どもらも変な花屋のおじさんに引きつけられてついていったしまったわけだ。 その花はどうしたの?えっ?下の畑で作った、自分でつくっているのか?売るためにだろうが、 それをただでやるというのはどういう魂胆なのかと思ってしまうね。 ……まあ、子どもを連れていったと言っても、意図的にやったとは思わないけどね。 しかし、下校途中の子どもたちを引き連れて隣町までいったんだから、大騒ぎになるわな。 子どもたちが帰ってこないんだから……。塾へ行く予定のものもいたし、 母親といっしょに買い物にいく約束をしていた子もいたらしいが、だれも帰ってこない。 こういうご時世だからね。最近多いんだよ。誘拐まがいの事件がね。 それで親も神経質になっていて、捜索願ということになったわけだ。 今回は、穏便にしてもらいますが、いいですか、もう二度とこんなことはしないでくださいよ。 頼んでおきますよ。……」

注 「文藝春秋」2004年二月号に掲載されていた嶋健二氏の「宮澤賢治『幻の恋人』発見」 という文章に、「変な歌を歌って歩いていた」賢治の姿が描かれていて、 「まるで『ハーメルンの笛吹男』である。」と感想が書かれています。 この文章はそこからヒントを得たものです。


2004.4.1
ショートショート「中村選手の絵」

鬱屈を抱えていました。医者に呼ばれて、父が肺ガンだと宣告されたのが4月。 余命1年というのです。厳しい宣告に続いて、主治医は、 打って変わったように目を伏せて、これまでに何度か肺のレントゲン写真を撮っていたのに わからなかった理由を申し訳なさそうに説明しました。 医者の声を上の空で聞きながら、私はやはり本人には言わないことにしようと考えていました。 言わないことについて、妻や子どもは賛成してくれたのですが、それは当然のこと 家族に心理的な鬱屈をもたらしました。ほんのちょっとトイレに立っただけで、 息切れしてしんどがる父を見ているしかない、という状況は家族の上にのしかかっていたのです。
「どうして、こんなにしんどいんやろ……。」とつぶやく父のことばも 聞き流すしかありませんでした。
夏の間、あんなにしんどがっていたのに、秋になってすこし体が楽になったと 聞かされたときは幾分ほっとしました。
晩秋になっても体調は崩れませんでした。
11月はじめの文化祭のころは平安な生活がもどっていたのです。
私も心に少し余裕が生まれて、文化祭で何かやってみたい、 という意欲もきざしているといったふしぎな時期でした。
私は模擬店の係りでした。二教室分はゆうにあるという広さの軽作業室を使って、 喫茶店をするのです。30席以上はあろうかという大きな店です。 文化祭で唯一生徒がかかわる飲食関係の模擬店でした。メニューは、 ジュース、紅茶などと、それらの飲物とケーキを組み合わせたケーキセットに 限定されています。
部屋が大きいだけ飾り付けが大変なのです。いつも一点豪華主義ということで部屋の 真ん中にメインの飾りを一つ作っています。一昨年は生徒から出されたのんびりできる 空間をつくりたいということで、木陰でゆっくりと飲物を楽しめる「幸せの樹」というのを 作りました。床から天井に太い樹の幹が立てられて、枝が伸びて、 果実もたくさんぶら下がっていました。
喫茶班の生徒たちで今年はどうするかという話し合いをしました。 ほんの少し前に遠足ででかけたUSJにちなんでジェラシックパークをテーマにするという 案が採用されました。部屋の真ん中にどでかい恐竜を飾ろうというのです。
巨大な恐竜の体をどうして作るかをみんなで考えましたが、 なかなかいいアイデアが浮かびません。
家に帰って父と話をしながらも、 恐竜のことを考えていました。
父は夏の終わり頃から酸素吸入を始めていました。病院から紹介された 医療器具屋さんからレンタルで大きな酸素吸入の機械が持ち込まれて、 調子の悪いときはそれで吸入していたのです。機械に繋がった細いビニールホースを 鼻に差し込むと息切れが幾分楽になると言っていました。かなりの大きさの機械で、 その威圧感が、病気のうっとうしさの象徴のように居間にどんと置かれていました。
私もためしに酸素をビニール袋にためて吸ってみたことがあります。 思いなしか気分がやすらぐような気がしました。父の部屋にいて、 酸素吸入の機械を見ていて、ふとビニール袋をつかったらどうかという 考えがひらめいたのです。
ビニール袋を膨らませたものを積み重ねて土台にできないか。 私はいくつかのビニール袋を膨らませてセロテープで貼り付けてみました。 うまくいきそうでした。次の日、さっそく喫茶店班のもう一人の生徒を助手にして、 ゴミ袋を膨らませる作業にとりかかりました。二人でもくもくとビニールを膨らませました。 恐竜の脚は、丸太を手に入れて色を塗り、紙を巻いて指をつけました。 4本の脚の上にダンボールをのせて、その上にビニール袋を膨らませたものを 幾つも幾つも積み上げました。それで結構ボリウムが出たのです。 つぎに皮膚はどうするか、数枚繋いだ模造紙にそれらしい色を塗って、 そこへ巻き付けることにしました。そんなふうにして、胴体ができあがったのです。 けっこうどでかいものになりました。胴体に首、頭を付けると、 全長6、7メートルはあろうかという首長竜の子どもができあがりました。文化祭の前日です。

恐竜が中央にあって、天井から飾りがぶらさがっているのですが、 壁の辺りが少しさびしいので、何か好きな絵を描いてきて貼ろうということになりました。
その日、下校まぎわに喫茶店班のS君が、私のところにやってきました。
「先生、近鉄バッファローズの中村紀洋の絵を描きます。」
「ああ、いいよ。」
私は気楽に答えました。彼は中村選手が好きなのです。下敷きも中村選手の写真だし、 バットも中村選手のバットを買ってもらったと嬉しそうに報告してくれこともあります。
そして、次の日の朝、大看板をくぐって玄関を入るとS君が絵を持って待ち受けていました。
「先生、中村選手の絵を描いてきました。」
「ふーん、どれどれ……」と、私は彼が手にした絵をのぞき込みました。
なかなか上手に描けていました。
「喫茶店に貼る?」
貼りたいらしいのです。
「いいよ。好きなところに貼っていいよ。」
「好きなところに貼ります。」
彼は自閉的なところがあるのでオーム返しぎみに答えました。
文化祭は、まず体育館で開祭式、その後各学年の劇の発表があって、 それからお昼過ぎに模擬店がはじまるのです。
私は、職員の打ち合わせが終わった後、軽作業室に行ってみました。 まずは室内が、昨日つくったままで飾り付けがはずれたりしていないかどうか ざっと見回してみました。窓に貼り付けた紙の花がいくつか落ちていたので貼り付けました。 恐竜はだいじょうぶかなと、周りを一周してみました。昨日一度はずれかけた尻尾の付け根も 無事でした。やれやれと胴体に視線を移したとき、ふと何かが目にとまりました。 信じられないことに、しかし、まぎれもなく、中村選手の絵がそこにありました。 まさに恐竜の胴体の真ん中に貼られていたのです。

私は、思わず笑ってしまいました。恐竜の背中に太り気味の中村選手がバットを持っていたのです。 一人で笑い転げてしまいました。ふと見回すと軽作業室に一人でした。 見られなかったかなとちょっと不安になりながら、 しかし、こんなふうに心から笑ったのはいつのことだろうかといぶかしくも感じていたのです。
もちろん、喫茶店が開店してからも、中村選手の絵は、 そのまま恐竜の背中に張り付いたままでした。
目が回るような大忙しの時間が過ぎたとき、私は、ふとその絵のことを思い出したのです。 お客さんのうち、一人か二人、中村選手の絵に気がついてくれたかしら、と。
そして、同時に父の顔も思い浮かびました。余命半年、それはそれとして、 そこに奇跡のように訪れる平安の時がもしあるとしたら、その時を、それこそ 大事にしていくしかないと、そんなふうな想いがふいにひらめいたのでした。 その瞬間、いままでの鬱屈から幾分か解消されている自分に気がついたのです。
私は、何かこみ上げるものがあって、不意にS君に何か言いたくなったのです。 つま先立つようにして店内を見回してみたのですが、どこへいったのか、あいにく 彼の姿は見あたりませんでした。


2006.6.1
ショートショート「船乗り込み」

夢の中では、恐怖は強調されるものです。
不穏な気配が空に満ちて、際限もなく大雨が降り続いていました。 雷鳴は一日中鳴り響いて、ただならぬ不穏な気配を醸しています。 大都市の排水能力をはるかに凌駕した雨が一週間、二週間と続いて、都市部も水浸しです。 マンション住まいの人はいいとして、一軒家を持っている家族の中には、自分の家を抛棄して、 山岳地帯に移転する家族が出ています。そして、嵐がすぎると、平野一面に泥の波紋を残して、 水が去り、容赦ない日差しで泥沼にひび割れが走り始めます。大雨に取って変わり、 何日も日照りが続きます。それこそ、雨の気配などどこにもない突き抜けたようなからからの 晴天が、一月、二月も続くのです。そうなると田圃の中に円形脱毛症のように丸い砂漠が出現して、 それが日々大きくなっていくのです。雨が降るまでその拡大を止める方法がありません。 乾季はいつまでも続くかのようで、およそ規則性がありません。天気の周期的なリズムを 無視した厳しさが支配しています。四季の優しさが、気まぐれな砂漠の気候に 取ってかわられたようです。
環境破壊が際限もなくすすんで、自然の復讐がはじまったのかもしれない、 私はそんな気がしていました。中国をはじめとするアジアやアフリカの国々の工業化が すすむにつれて、際限もなく環境が悪化してきたのです。食糧も目に見えて 乏しくなっていました。
疫病が波状的に人類に襲いかかりました。未知のウィルスによるいままでにない奇妙な 病気が猛威を振るうようになりました。昨年は、猫エイズの変種が、西アジアから ヨーロッパにかけて蔓延し、多くの人々が死んだということです。人の出入りを阻むために、 国境線はいっそう 厳重に閉ざされるようになりました。しかし、情報が切断されたわけではないので、 恐ろしい噂だけは世界を駆けめぐっています。
国連は、疫病の対策だけでもおおわらわ、それ以外の現実的な対応はとれていないようです。
そんななかで、六月下旬、梅雨だからなのか、それとも単なる雨季の巡り合わせなのか、 ここ3週間ばかり大雨の続く中、「『船乗り込み』がはじまる」という噂が、 街中に蔓延しはじめていました。
その船というのは、じつは「ノアの箱舟」の現代版で、宇宙戦艦ヤマトのように大きな宇宙船が、 種子島で製造されていたのができあがって、宇宙ステーションに向かって、 百万人規模の船団を組んで移住しようという計画らしいのです。 そこで地球の環境破壊から退避して、何百年か後に地球環境が改善したところで、 いずれはまた地球に還ってくる予定だといいます。
わたしは、自分が選ばれて「ノアの箱舟」に乗る資格があるなどとは思いませんでした。 しかし、私が勤めている養護学校の生徒たちは、乗る資格があると考えたのです。
自宅の地下室にこもっている場合ではない、そう決意しました。洪水で交通機関が麻痺して以来、 わたしは何週間も地下室の床をくりぬいてむき出しになった地面に足をつけて座り続けていたのです。 裸足を地面に置いていると、雨が降り続けば地面からは雨水が滲んできます。また日照りの時は、 足下の土が砂のようにもろくなって砂漠を実感できるのです。しかし、いま地下室から 出ていかなければなりません。 わたしは、自分が担任する生徒たちを連れて「船乗り込み」があるという広場に出かけました。 降り続く雨で足下は泥沼化しているにもかかわず、広場は人々でごった返しています。 全体を見ることができない巨大な宇宙戦艦の一部が、おどろくほど上空に、 煙るような雨の帳の隙間から現れる瞬間があります。そんなとき、 声にもならないどよめきが広場をつつみます。雨に煙っているためによくはわかりませんが、おそらく 蟻のような多数の人間が蝟集して、 彼らの周りで同じように雨を浴びながら巨大戦艦を見上げているのです。 人々に頭上から湯気のようなものがたちのぼっていて、 それがまるで行き場のない殺気のようでもあるのです。 日頃は人の思惑などおもんばかることの すくない自閉傾向の隆くんまでがおびえたような顔をしています。 他の生徒たちのもそのおびえが感染したのか、健一くんと裕子さんが同時に身震いをしました。 生徒たちは、透明なビニールの雨合羽に身を包んでいるのですが、巨大戦艦を見上げたとき、 雨水がしみこんだためか、智則くんが「寒い、寒い」と訴え始めました。 アスペルガーの新一くんは、さっきからしゃべりずめで、何とか不安をまぎら そうとしています。そんな中でも、ダウン症のエリさんは、おどろくべきことにいつも通り上機嫌で、 鼻歌でも歌いだしそうです。本質的に楽天家なのかもしれません。 彼女の笑顔はみんなをほっとさせたました。
わたしは、受付はどこかを探し回りました。たくさんの人々がどのようにならんでいるのかまったく 検討もつかないのです。わたしは、二十歳のころ行った大阪万博の雑踏を 思い出していました。生徒を連れて あちこち半日ばかり列の最後尾を探し回ったあげく、巨大戦艦の側舷の下のあたりで、 偶然に受付にいきあたったのです。幸運なことに、最後尾ではなく、受付のほん前でした。
ずらっと並んだ受付の担当者がジロッと冷たい目で私たちを舐め回しました。
「−−県の養護学校から来ました。この生徒たちをお願いします。彼らは、 宇宙船に乗り込む資格があると思います。」
「あなたは誰ですか? 先生?」
「はい、担任です。」
「皆さんで乗り込みたいと……。」
「わたしはそんな資格はありませんが、生徒たちには資格があると思うのです。」
「はい、では、資格証を見せてください。」
「えっ、そんなものがいるのですか?」
はじめての話に私がおどろくと、受付の担当者は、さげすむように一同をみまわしました。
「資格証をもっていない人はだめですよ。」
「資格の話なんかこれまで聞いたことはありませんが……。」
「しかるべきところには、秘密裏に案内を送っているはずです。学校にも各校一人あたり 校長推薦をお願いしたはずです。」
「では、私たちの養護学校は、そのそもの学校選抜に洩れているわけですか?」 「私にはわかりませんが、そういうことかもしれませんね。」
冷たい言い方でした。
「資格証がないのなら、帰った方がいい、無駄だから、悪いことは言わないですよ、 先生、生徒さんをつれてお帰りなさい。 ここは、ご覧のとおり混雑して、殺気だっているから何が怒るかわからないんだから……。」
「彼らは選ばれた人なんですよ。そんな資格証なんかなくても、私にはわかるんです。」
わたしは、疲れがどっと押し寄せたようで、半泣きになって訴えました。
「どんな人たちが秘密裏に選ばれたのか知りませんが、きっと後悔するはずです。 彼らが選ばれた人たちだということがわかるまでには時間がかかるんですよ。」
「そんなことを言われても、選ぶのは私たちじゃない、私たちは船乗り込みの 受付をしているだけなんだからか……。」
「はやくしろ、ぶっ殺すぞ……。」
後ろに行列ができていて、殺気だった罵声が浴びせかけられました。行列が揺れて、 私たちをはじき出してしまいました。
「さあ、さあ、どいてください。資格証のないものに付き合っている暇はないんだから……。」
けんもほろろにそう言われれば、もう一度行列に割り込んで交渉する気が失せました。 私たちは列から押し出されたまま、すごすごと引き下がらざるをえませんでした。
「やっぱりダメだったな。」
人混みをかき分けながら、私は隆くんに話しかけました。
「しょうがないよ、先生。宇宙戦艦ヤマトはあきらめよう。」
「ちきしょう、ぼくらこそ『ノアの箱舟』に乗るべき人間なんですがね。」
アスペルガーの新一くんは、いつものアニメ口調でつぶやきました。 思い通りにならなかったことで、彼は明らかに感情を害しています。 彼は、一度感情を乱すと半日くらいはそのことにこだわりつづけるのです。 学校に帰り着くまで、彼のおしゃべりを聞くのかとわたしはちょっとうんざりしました。
「ぼくはいつもそう思うんだけれどもね。ああいう人は見る目がないんだな。」
私は、新一君に寄り添いながら、慰めるように話しかけました。
「君たちのよさがわからないんだな。」
しかし、新一君の怒りは収まりそうもありませんでした。
「おれこそ、お前たちを見捨ててやるぞ。宇宙のどこかに姥棄て伝説だ。」
新一君が、人中を考えないで大きく叫びました。大きな声を制しながら、 わたしはふと気がついたのです。
「そうか、そうかもしれないな。こんな船に乗っていったら、宇宙のどこかに みんな棄てられるかもしれないよな。」
たしかに、宇宙戦艦ヤマトは現代版「ノアの箱舟」かもしれないけれど、もしかしたら、 それは新一君の言うように現代版の姥棄て山、姥棄て宇宙ステーションでもあるかもしれない、 という恐れもあるのです。
本当は姥棄てなのに、政治家はさも「ノアの箱舟」らしく装って、 何百万の人々を口減らしのために宇宙に放り出そうとしているのかもしれない。 「ノアの棄て船」。たしかに、そんな恐れもあるのです。
「地球がこんなことになってしまった責任は君たちにはないからね。 君たちはこれまでも何も悪いことをして こなかった。むしろ悪いのは、偉い人たちだよ。だから、 彼らを宇宙にほっぽりだそうというのかもしれない。」
「ぼくたちは、何も悪いことをしてこなかった?」
隆くんが、得意のオーム返しめかして応じました。
「悪いのはあいつらだ。オレの中の悪魔が命じている。あいつらを宇宙に棄ててしまうのだ。」
新一君は興奮した口調で叫びました。
「まあ、そう興奮しないで……。ぼくたちも危ないところだったね。」
わたしはほっとした気持ちでつぶやきました。
「船に乗れなくって、よかった、よかった。」
エリさんもあかるく賛成してくれたのです。
「そうやな。宇宙にすてられなくてよかったか? そんなふうに考えるか。」
わたしはみんなを励ますように大きな声をかけて、一人一人の顔を振り返りました。
生徒たちは無罪で、罪があるのはエリートたち。棄てられるべきは、彼らの方なのだ、 私のこころの中では、その思念は徐々に確信に変わりつつあったのです。


2006.7.1
ショートショート「千年の樟」

鬱屈を抱え込んでいました。
父の介護に疲れていたのです。数カ月前に肺にガンが見つかり、 余命一年くらいと宣告されました。できるだけ家で看病するというので、 病院の紹介で酸素吸入の機械まで借りて、父のベッドまでホースを引いたりもしました。 しかし、病状は徐々に進行しているようで、すこし動くと息苦しさを訴えたりします。
休みの日は一日中、離れた部屋にいる父の気配を気にして過ごしていました。 そんなとき、ふいにその樟に会いたくなることがあるのです。父のそばから逃げたかったのかも しれません。しかし、そこは歩いていくには少し遠いので 自転車で出かけるのです。腰折れ地蔵のある山裾の道を自転車で走って 10分くらいの隣村に、 古めかしい壷井八幡という神社があって、 千年の樟はそこにあります。
道路にかかっている鳥居をくぐると、左手に屋根のついた井戸があります。 しかし井戸はいまでは管理されていなくて、水も湧いていなようです。
自転車を道路脇の掘ったて小屋のところに止めて、かなり急な石段を上っていきます。 ほとんど息をきらせて石段をのぼりきると、千年の樟が全容をもって迎えてくれるのです。 照っているときは、境内を陰で覆い、風があるときはざわざわと無数の葉群をふるわせて。

根方の太さはどれほどあるのでしょうか、検討もつきません。幹には注連縄がはられ、 傍らには千年樟を紹介する立て札が立っています。正面は生け垣に囲われているのですが、 横手からなら千年樟の根元に入ることが出来ます。
大きな根っこが何畳ともしれない広さで地面を覆っています。膝の上を歩くような 申し訳ない気持ちで根っこを踏んで太幹に近づいてみます。とても樹とは思えないほどの 存在感が迫ってきます。幹に掌を押しつけるとあたたかい樹の体温とでもいったものが 伝わってきます。幹に耳を押しつけてみたこともあります。何かうごめくような 音が伝わってくるのです。何の音なのでしょうか。
そんなふうにして、千年樟にしばらくたわぶれて、やがてまた正面にもどってくると、 立て札の前にある石のベンチに座らせてもらいます。
そうして、千年樟との向き合いがはじまるのです。それは語らいといっても いいものかもしれません。
ベンチに座るとまるで条件反射のようにもの思いはいつも決まったように劇の 一場面からはじまります。現在勤務している養護学校で上演したときのものです。
わたしが脚本を書いたその劇の主な登場人物は、ざしきぼっこと賢治先生(宮沢賢治)。
ざしきぼっこが、環境汚染が進んだ騒々しい地球に愛想をつかして、 地球からの脱出を企んでいます。そこへ、賢治先生が、以前に教えていたこともある 養護学校に帰ってくるという風の噂を耳にします。そこで、ざしきぼっこは、 賢治先生に頼んで銀河鉄道に便乗させてもらおうと考えます。 しかし、ざしきぼっこが地球から出ていってしまうと、地球がビンボーになってしまいます。 それは、たいへん、と生徒たちがざしきぼっこを賢治先生に会わせないように画策するのです。
そんなこんなで大騒ぎの学校に、賢治先生は、星の王子さまを伴ってやってきます。 じつは、賢治先生は千年と樟さんと話をするために地球に帰ってきたのです。

ざしきぼっこ 賢治先生はなにをしに地球に帰ってくるのかな。
生徒D よくわからないけれど、千年の樟の木に会いに来るんだって校長先生が おっしゃってたよ。
生徒E 八幡神社の大きな樟の木に聞きたいことがあるんだって……。
生徒A 賢治先生は、木とでも、トマトとでも話ができるんだよ。
ざしきぼっこ ふーん、すごいね。それでなにをききたいのかな?
生徒B これまでの千年の話をききたいんだって……。
生徒C これからの千年の話をしたいんだって……。
ざしきぼっこ たしかに千年の話は、千年の樟の木しか知らないからね。

そして、実際に賢治先生が千年の樟さんと話をする場面はこうなっています。

賢治先生 そうかもしれない。バオバブみたいに、よくばり人間がはびこって、 いまに地球をこわしてしまいそうだ。(樟の大木に向き直って)千年の樟さん、 あなたの千年の知恵をさずけてください。どうして、こんなことになったのでしょうか。
千年の樟(大木の幹に顔がある。) 百歳の賢治先生、あなたにはほんとうのことをいおう。 私が生きてきた千年で水や空気がこんなにまずかったことはなかった。 すべて人間がはびこっているからだ。バオバブの木が小さな星を壊してしまうように、 人間が地球を壊そうとしている。

「たしかに、千年の樟さん、」と私はつい呼びかけてしまいます。 「あなたが生きてきた千年で、水や空気がこんなにまずかったことはなかったでしょう。」
「おまえたち、人間のせいではないか。」
聞こえているのか聞こえていないのか不分明な声、 大樹のささやきといわれればそうとも聞こえ、またおのれのこころの声と言われればそうとも言える、 そんな声をわたしは聞いていたのです。
「すべて人間がはびこっているからだ。」
「人間のせいだと……、たしかに、そうかもしれない。では、どうすればいいのですか?……、 みんなが死んでしまえば解決するのですか、父が早晩死んでいくように……。」
脈絡もなくわたしは父の死を持ち出していました。そして、そのとき、きょうここに来たのは、 父の死について考えたかったのだということに思い当たったのです。
いつもにくらべてもの思いはせっかちに本題にふれてきたのです。 ふだんなら劇の場面からはじまって、しばらくいろんな想念が脈絡もなく浮かんでは消えて、 やがて一つの思いに収斂していくのです。しかし、きょうは単刀直入に父の死に触れてきたのです。 よほどせっぱ詰まっていることがあらためて痛感されました。 わたしはしばらくは、父の病気がわかってからのドタバタした日々をなぞっていました。
「自分の死、あるいは肉親の死を前にしたとき、人の時間感覚はどうなるのか。刹那的になるのか、 あるいは永遠を見てしまうのか」
わたしの中にふとそんな問いが浮上してきました。
しかし、その問いは切実さにおいて間近に迫っているにちがいない父の死に拮抗できる ものではありませんでした。
自分がほんとうに直視しなければならないものから目をそらすための観念の遊びに過ぎないような 気がしました。もっとも、だからといって、父の死を直視できるかというととてもできないのです。 そんなことは、所詮人間にできるはずもない、といった自嘲も浮かんできます。
意識の流れの堂々巡りをしているうちに眠っていたのでしょうか、 父が丸木舟で海にこぎだしていくイメージが浮かびました。大きな樟の木をくりぬいて 作った舟です。一瞬その舟のまあたらしい樟の香をかいだような幻覚がありました。
わたしは、父を呼び戻そうとしたのですが、すでに海原の遙かかなたに離れすぎていて 声も届きそうもなく、呼び戻すすべがありません。無力感に襲われ、 何かふっきれない気持ちを抱えたまま、わたしは我に返りました。うとうととしていたのかもしれない、 とそのときはじめて気がつきました。ふしぎな幻覚だった、と今度は意識的に遠ざかる舟 のイメージを追っているうちに、ふと以前つくった歌が浮かんできました。ここの千年樟を詠んで、 属している同人誌に載せたものです。

千年の樟大幹(おおみき)に韻きあり 熊野水軍夜の舟音

樟の大幹に耳を当てると聞こえてくる、何ともしれないふしぎな音。 それは、まるで「熊野水軍の夜の舟音」のようだと聞き取ったのです。
もちろん、熊野水軍の軍船が水を切る水音がどんなものなのかは分かりません。 ただ、水が幹を昇っていく音が、そんなふうなイメージをともなって聞こえたということなのです。 たしか熊野水軍の舟は樟の木をくりぬいて作っていたということをどこかで読んだ記憶があります。 その事実を下敷きにしてこの歌が出来ているのです。
ふしぎな夢でした。夢というより、白昼夢といったほうがいいかもしれません。 わたしは立ち上がって、あらためて、この夢を見させてくれたにちがいない鬱蒼とした樟の大樹に 向き合いました。
と、そのときです。白い蝶が一羽、樟の根元から樹容に沿って舞い上がっていくのを見つけました。 ひらひらとした白い蝶が、太幹と戯れながら上昇して、無数の樟の葉群と木漏れ日の 中にまぎれて見えなくなってからも、わたしは千年樟を見上げながら、 しばらく立ち尽くしていました。


2009.7.1
ショートショート「いけにえ」

地球に比べて格段に科学の発達した星がありました。 それだけ科学が発達しているにもかかわらず、滅びずに存続し続けているというのは希有なことです。 自滅するに足る破壊兵器をもった文明というのは、 遅かれ早かれそれを使わずにはすまないからです。
しかし、その星の住人は何より理性を重んじる賢さをもっていました。自滅するためだけのバカげた戦争を避けるために、 すでに国家といったものをなくして、かつての国の連合体である一つの機関のもとに、その惑星の政治のすべてを委託してきました。 軍事力もまたその連合体で集中管理されていました。地球の核攻撃力など比較にならないくらいの圧倒的な威力のあるものでしたが、 その管理がうまくなされていて、大過なく来られたのです。
その星から地球探査のために、先遣隊が地球に向かったというのです。どうしてその情報がもたらされたのかは不明ですが、 世界中がすでにその宇宙人の話題で持ちきりでした。
「もし彼らの気に入らなければ、われわれ人類は一瞬のうちに彼らに滅ぼされてしまうかもしれない」という おそろしい噂が、人々をパニックに駆り立てていました。しかし、彼らが到着するまでの短い期間では、どうすることもできません。
混乱のさなかのある午後、先遣隊のUFOらしきものが、突然東京上空に飛来し、しばらく浮遊した後、富士山の裾野に着陸しました。
「マズ誰カ、一匹、地球人ヲ、早急ニ、UFOノ前ニ、連レテキナサイ」
UFOからの光信号を試しに音声電流に変換してみると、 突然、威圧的な命令が流れ出ました。電子音声を鸚鵡(オウム)がまねたような抑揚のないしゃべり方です。 それがまぎれもなく日本語であるということは驚きでした。 すでに万能翻訳機を通して発せられていたのです。 一箇所誤訳はあるものの、今さらながら彼我の科学力の差を痛感させられました。
時間の迫る中、誰をイケニエとして差し出すかを議論した末、ある賢者の提案で虔十(けんじゅう)に 行ってもらうことに決しました。彼を推薦した人の思惑がどうであったのかは判りませんが、 それとは別に、本人は宇宙人に会えるというので喜んで承諾しました。
虔十がUFOの前に立つと、そこからクネクネと触手のようなものが何本も伸びてきて彼にからみつきました。
「くすぐったいぞ。やめてけろ」
虔十は体をよじって『はあはあ息だけで笑ひました』。
「動カナイデ……、スグオワルカラ、辛抱シナサイ」
触手の先から無機質な声が聞こえました。やがて何本もの触手は虔十の頭にたどり着き、髪の毛をまさぐり、 肌に吸い付きました。虔十はちょっと驚きましたが、蛭にすわれるほども、ちっとも痛くなどありませんでした。
しばらくすると触手は、するすると彼から離れていきました。
「ドウモ、アリガトウ」
最後に残った触手の尖端から抑揚のない鸚鵡の声が洩れました。 そのとき、尖端の膨らみがかすかにペコンと下がったような気がしました。 虔十は、思わぬところでお礼を言われて、 さっきの否応なくくすぐられた不快もたちまち吹っ飛んでしまい、もう少しではあはあと笑いそうになりました。
しかし、触手が全部UFOに収容されると、どこからか「モウ、帰リナサイ」と、 ふたたび命令口調の声が聞こえてきたのです。
せっかくUFOの真ん前まで来ながら肝心の宇宙人に会えないのかと、虔十はたいへんがっかりもしたのですが、 どうしようもなく、命ぜられるままに、長い影を引きながらとぼとぼと戻ってきました。
「ワレワレハ判ッタ、地球人ハ、決シテ、ワレワレニ危害ヲクワエルヨウナコトハシナイヨウダ。ムシロ彼ラハ、ワレワレノ 楽シイ隣人ニナルダロウ。ソコニイルダケデ、励マサレルヨウナ、イイコトガシタクナルヨウナ、ソンナ隣人。ダカラ、 ワレワレハキットココニ帰ッテクルダロウ。 点点点、点点点、(意味不明ノ絵文字)」
しばらくして、UFOは、そんなメッセージを幾人かの携帯に残して、 富士の裾野から飛びたっていきました。
                                【完】

          【注】『 』は、「虔十公園林」からの引用。


2011.2.1
ショートショート「ふしぎな家」

その家は、ミチオが作業所からの帰るとき、バス停から家まで歩く途中にあります。
彼の性格上、帰り道はいつもだいたい決まっているのですが、偶然、その家を発見してからは、 多いときは週に二・三回、わざわざ遠回りをして帰るのです。
ミチオが今の家に引っ越してきたのは、今から十年くらい前、彼が中学生のときでした。 ここの街並みは、もう何十年も前に大阪と奈良の県境に近い丘陵に造成されたのです。大阪に勤めるお父さんには 少し不便なのですが、彼の高等部への通学を考えて、ちょうど売り出されていた中古住宅を買ったのです。 それまでは、お父さんの勤めの関係で、駅に近い公団のマンションに住んでいたのですが、 お父さんの勤めより、ミチオの学校が優先されることになったのです。 お母さんも趣味の園芸ができるというので大賛成でした。
そして、ミチオは、住宅街を周回するスクールバスで高等部に通い、卒業後は近くの作業所に勤めるように なりました。
その間、ミチオの家はかなり古びてきましたが、彼が魅せられた例の家は、それ以上に古びていました。 いったいいつ頃建てられたのでしょうか。ここの住宅地よりも古びて見えます。 それに、去年、日曜日に散歩の途中発見するまで、その存在を知らなかったというのもふしぎです。 いくら決まったコースしか散歩しないミチオでも、十年近く住んだ街のこんな近くにこんな家があることを 知らなかったといういことは、想像もできないことです。 家族の中でその家のことが話題にのぼることもなかったのです。だから、偶然その家を見つけたときは、 まるで、その日そこに地中から忽然と現れたのではないか、というような気がしたものです。古び方も そんなふうだったのです。
その家のまわりは、とてもごちゃごちゃしています。いろんなものがいっぱい飾ってあるというか、おいてあるのです。
低いフェンスにそって生け垣があるのですが、そこには大きな丸太のトーテンポールのようなものが何本か立っています。 トーテンポールというより、はだかの丸太で作った顔です。目や眉毛、鼻、口などが、 焦げ茶色の細い木で作ってくっついていています。何しろ丸太なので、間延びした顔です。一体の耳は、フォークとナイフ がぶらさげられています。そして、近づいて見ると、トーテンポールの丸太の上に、小さいティラノザウルスが 載っているのです。また、その足下には、 カボチャやら何かわからない形をした粘土の塊がつみあげてあります。
その隣のガラスで覆われた木箱の中には、一抱えもある自動車が飾られています。木箱の上には、 生け垣の中に、人の顔を象った白い郵便受けのようなものがあって、口のしたに、「のぞいてください」と 書いてあります。そして、黄色の子供用自転車が 二台。自転車の奥には、板を切り抜いて色を塗った大きい斑の犬が、二匹飾ってあります。
そこ隣にはT形の台があって、太い丸太が三本三角に積み上げてあります。丸太の中心はくり抜かれていて、 そこにもトリケラトプスとプテラノドン、フクイラプトルの模型が飾られています。
恐竜の名前になぜそんなに詳しいかというと、ミチオは、 実は恐竜が大好きなのです。学校では恐竜オタクで通っていました。恐竜図鑑は彼の一番の愛読書でした。 本を見ながら絵にかいたりもします。美術の時間はかならず恐竜の絵を描いていました。絵だけではなく、 粘土で恐竜を作ることもありました。彼の恐竜は独特で、輪郭を作った後、 体の隅から隅まで鱗というか、突起をつけていくのです。 丹念に丹念に、およそ飽きるということがありませんでした。できあがったときは、その突起の数が見る人を 圧倒するのか、誰もがほめてくれました。学校では文化祭で展示されるだけでしたが、今の作業所では作品として 売れることもあったのです。
ミチオは、それほど恐竜にこだわっていました。だから、この家の飾り付けに引きつけられたのです。
さらにフェンスに沿って歩を進めると、野焼きした大きな四角い壺の上に、信楽の狸が置いてありました。 その隣が流木に黒い彩色を施したようなわけの分からないオブジェ、さらに隣には、またしても、 野焼きの大きな顔の上に帽子のかわりにマグカップ。
フェンスには大きなカジキのような魚がベニヤ板の彩色されて切り抜かれたものと、カジキを突く 銛のようなものが固定されています。
カジキの上には、えらのはった四角い郵便受けのような顔が、いくつか「のぞいてください」と口を開けています。 入口は、普通の鉄の門扉ですが、上には鉄を三角形に組んだものが三つ並んであり、そこからは、 木の実やら貝殻を糸に通してぶらさげてあります。 そして、門の中には大きな、直径が一メートル以上もある風車が置かれています。
門の向こうには、やはりフェンスの高さに木の台がつながってあり、その上には豚の置物、アンキロサウルスの模型、 ハートの中のネズミ夫婦、野焼きの飾り台の中に犬、猫、水兵さん、象のオブジェ、フクロウの切り抜き、さらに その台のしたあたりに、デンキウナギの切り抜きがかけられてあります。
また、みあげてみると、屋根にも犬と猫がおり、二階の窓には、ナスカの鳥の絵のようなものと太陽と海の絵が 紺色と白で描かれています。ベランダには痩せたキリン、それも黄色と白色のキリンが数匹立っています。 壁には、両脚でスイカとトマトを操るピエロの脚のようなものが、 そして、赤い唐辛子をX字に交叉させた中に何か文字のようなものが書いてありますが、ミチオには読めません。
「何だか、めちゃくちゃで宇宙人が住んでいるような感じ」とミチオは思いました。
ある日、彼は、こわごわまわりに人がいないことを確かめて、 「のぞいてね」と書いてある顔の口を覗いてみました。 ミチオは普通の背格好ですが、口から覗こうとすると、少し膝をまげなければなりませんでした。
「もう少し背の低い小学生に合わせてあるのかな」とミチオは思いました。
中には、人形が飾ってありました。見たことのないような服を着た人形が二つならんでいました。 人形といっても人間ではなく、恐竜に服を着せたようなものでした。 箱の天板はガラスでできているのですが、薄暗くて、人形がどんな顔をしているのかはっきりしません。 ミチオは手でガラスの上の枯葉を払いましたが、それでも視界ははっきりしませんでした。
その箱を諦めて、つぎの少し離れたところの別の顔を覗いてみました。 何だか暗い中空に、ピーナッツのような大きな白い天体が浮かんでいます。 流れ星の箒に金糸が貼り付けられていました。
「はっきりしない絵だな」と、ミチオは残念な気がしました。
その隣の箱も覗いてみました。四角い二段のクラゲがゆらゆらと揺れていました。

作業所が休みの土曜日、ミチオは、ふしぎ発見の散歩に出かけることにしました。 天気はそんなによくなかったので、お母さんには怪訝な顔をされましたが、ミチオは古墳公園に散歩に ゆくと嘘をいって家をでました。
いつもはバス停からの帰りに寄り道をするだけでしたが、 一度ゆっくりと探検してみたいという思いが抑えがたくあって、昨夜今日の決行を思いついたのです。
彼はそういうことにはあまりものおじしない性格でした。
ミチオのお父さんは、いつも「世の中に悪い人はいない」とミチオに言い聞かせてきました。 お父さん自身がほんとうにそんなふうに信じているのか、 それとも、人とのコミュニケーションが危なっかしいと言われてきたミチオのためを考えてのことなのかは 分かりませんが、彼はそんなふうに育てられてきたのです。 同じ問いかけの繰り返しなどが見られるものの、もともと人の思惑などあまり気にしないようなところがあり、 知らない人にでも躊躇なく声を掛けていく彼の人なつっこさは、 そのあたりからきているのかも知れません。
だから、昨晩、あの家のふしぎを探検してみたいという思いがふくれあがってきたとき、 ミチオは、自分の中に、それを抑える理由など見つけることができなかったのです。

冬の雲が空を流れていきます。弱々しい太陽が、たちまちのうちに翳り、思ったより強い風が吹いています。 遠くから見ると門の前のあたりに自動車が停まっています。いつもは人の気配はないのですが、今日は だれかがいるのかもしれない、とミチオはちょっと警戒しました。 庭には、焦げ茶色の板の羽をつけた風車が、音を立てて回っていますが、人の気配はありません。
ミチオは、警戒を解かないで歩きながらを装って、展示物をゆっくりと眺めていきました。
デンキウナギも銛も触るとベニヤ板にペンキを塗っただけの代物で、そんなに不思議な感じではありませんでした。 しかし、そこに並んでいる動物たちの表情は、一つとしてまともなものがありません。みんな奇妙な表情を たたえています。それらが反響しあって気味悪い感じさえします。それに、そんなに目立ちはしないのですが、 意外に恐竜が多いことに、ミチオは気づいていました。
顔のポストが、きょうも「のぞいてね」とほほえみかけてきます。
ミチオは、すばやく辺りを見まわして、人影がないことを確かめて、 膝を折るようにして口から覗いてみました。以前に見たように二人の人形のようなものが並んでいます。しかし、 今日、じっくり覗いてみても彼らが人間なのか恐竜なのか、どんな顔をしているのか分かりません。 彼は、手で天板のガラスをゴシゴシ拭いて、もう一度のぞき込みました。
と、そのときです。「いらっしゃい、ゆっくりのぞいてください」という優しい声が背後から聞こえました。
ミチオはビクッとして、目を離しました。
「あっ、ごめん、おどかしたかな……遠慮なく見ていってください。そのために作ったんだから……」
「見てもいいんですか?」ミチオは恐る恐る口を開きました。
「もちろんです。以前からときどきこのまわりで展示物を見ていましたね」
年をとった主人が笑いながらいいました。 知られていたのかと、ミチオは、仕方なくうなずきました。
「のぞいていただけです」
「それはわかっています。のぞくのがいけないんじゃなくて、のぞいていただいてうれしいのです。 あなたは、こういうものが好きですか?」
ミチオは、もう一度うなずきました。本当のことだからです。
「じゃあ、ゆっくり見ていってください。何も遠慮することはないから……。そうだ、ちょうどいい機会だから、 よっていきませんか、中も見ていったらどうかな。今日は学校はお休みですか?」
「ぼくは作業所に勤めています。土曜日は、作業所はお休みです」
「それは失礼しました。……だったらゆっくりしていってください」
その紳士は口ぶりは優しいのですが、目で門内に彼を促しました。
ミチオはちょっと迷いましたが、紳士が彼の背を抱えるように門扉の中へ誘い込むと、素直に従いました。
玄関に入ると両側の飾り棚に恐竜がいっぱい並んでいます。ソテツの森に恐竜を配したジオラマもあります。 まるで恐竜パラダイスの入口、というのがミチオの印象でした。
展示されているのは恐竜ばかりで、外の垣根にあったような動物や人間はまじっていません。 それらを興味深く眺めながら、ミチオは聞いてみずにはおられませんでした。
「おじさんは誰ですか? 恐竜好きの……」
「私はしつじでございます」
「ひつじ?」
「いえ、ひつじではございません。しつじ、めしつかいのことでございます。ご主人様のお世話をいたしております」
「ご主人様ってだれのこと?」
「いまからご紹介いたします」
応接室に通されて、ソファに座らされました。正面に大きな壁があり、 そこにも恐竜時代の大きな絵が懸かっています。 「おどろかないでくださいよ。いま説明しますから……」
しつじのおじさんは手元のリモコンのボタンを押しました。 すると、壁から大きなテレビ台のようなものが現れました。
「ご主人さまは、遠い星におられます。ここに瞬間移動してくることもできますが、 先ほど伺ったところでは、ちょっと風邪ぎみのようです。宇宙風邪をうつしてもいけませんから、 今日のところは、スリーDの映像でお許し願います」
しつじのおじさんが説明しているうちに、テレビ台の上に透明な映像が現れ、だんだんと形をなしてきました。 ちいさな恐竜でした。
「ティラノザウルス?」
ミチオは驚きの声をあげました。
「はい、小型のティラノザウルス、ご主人さまはプチットザウルスでございます」
「プチットザウルスというのは、聞いたことがないなぁ、……そんな化石、見たことがないし……図鑑にも載ってなかった」
「はい、そうですか。(プチットザウルスは別名ピグミーザウルスと申しますが……、 ピグミーというのは、小さいという 意味なのですが、今は差別的というので遣いません。)…… あなたさまはご存じですが、そもそも恐竜が栄えたのは、一億年以上も前、 ところが巨大隕石が地球にぶつかって七千年前ごろに滅びてしまいました。 しかし、そのときに地球を脱出した恐竜もいたのでございます。恐竜の脳みそは小さかったという 学者もおられますが、 どういたしまして、中には小柄だけれども頭脳の発達した種族もいたのでございます。 それらの種族の中でもっとも進んだ文明をもっていたのがプチットザウルスでした。 彼らは、ぶつかってくる隕石にはじきとばされるように考案されたロケットで地球から脱出して、 宇宙放浪の旅にでたのでございます。だから、化石も残っていないのです。 彼ら一行、苦労に苦労をかさねましたが、いまは新しい星を住みかとして繁栄しております。ところが、ここにきて、 地球がなつかしくて、どうにかして一度でも帰ることができないか、という思いが募ってきたのです。それで、 いったいそんなことが可能かどうかを調べているのでございます」
しつじのおじさんが説明しているうちに立体映像がはっきりしてきました。
すると、そのプチットザウルスの「ご主人さま」にもこちらの映像が見えているらしく、 彼は長い首を曲げて礼をして、鷹揚に「よく来てくれました」とミチオに挨拶をすると、 忙しいからと直ちに本題に入ってきた。
「いまやわが恐竜民族もこの星で繁栄している。ところが、村田執事に調べてもらったところ、 地球にはいま人間というほ乳類があふれているらしい。われわれの望みは、 なつかしい故郷である地球の土を一度でいいこの足で踏んでみたい、 地球の緑の森を歩いてみたい。そんな思いをおさえることができません。地球にもどりたいとはいわない、 見るだけ、観光するだけです。 しかし、それだけにしろ許されるものなのかどうか、いま調べてもらっているのです。 あなたにも協力してもらえないでしょうか」
「ぼくは恐竜が好きだから協力したいのですが、でもいったい何をすればいいのですか?」
「そんなにむずかしいことじゃない。村田さんの話では、君は絵がうまい。 絵というよりイラストかな。それに粘土細工も得意だ。 それで、われわれ恐竜族のイラストを描いたり、粘土作品を作ったりして、できるだけ広めてほしいのだ。 われわれが将来地球観光に ついて、人間と交渉するとき、拒否反応がないようにしたい」
ミチオは深く頷き返しました。
「はい、ぼく、恐竜大好きです。絵も描きます。粘土のとげとげも作ります」
「おお、よくぞいった。それでは、君を恐竜大使に任命しよう」
「ありがとうございます」
「では、私はいそがしいので、これで失礼する。後のことは、村田さんに聞いてください」
映像の中の恐竜人が、リモコンのボタンを押すと、立体映像がすっと消えてしまいました。 「おわかりいただけましたか? 突然のことで、驚かれたと思いますが……」
「はい、だいたいは分かりましたが、……ところで、おじさんは、村田さんは、恐竜なの、人間なの?」
「私は人間でございます。もう十年ほど前に無人の、いや無恐竜のUFOが地球にやってきて、 私が家を建てる予定で買っておいたこの土地に着陸したのです。 ちょうど二階建ての四角いUFOでしたから、好都合だったんですね、 私はそのUFOを家にして住むことになりました。 そして、恐竜大使一号に任命され、執事として雇われました。だからあなたは恐竜大使二号ということになります」
「この家は恐竜のUFOなんですか」
「そうでございます。もうだいぶんボロになってきましたけどね」
「それで、恐竜の模型が多いんだ」
「恐竜ばっかりだったら、あやしまれますから……、ほかの動物やらトーテンポールやらでまぎらしてみたんですが、 あなたさまには、みすかされてしまいましたね」
ミチオは、おじさんに送られて家を後にしました。外に出ると風がさっきよりずっと強く吹いていました。 風見鶏がカラカラとまわり、大きな風車が煽られて音をたてています。
「また、お出でください。お待ちしております」
門扉のところまで送りに出てきた村田のおじさんがニコニコといいました。
「こんど恐竜おじさんの絵を描いて持ってきます。粘土も恐竜も作ります」
ミチオは振り返って、そんなふうに約束しました。
彼は家に帰ると、さっそく恐竜人の絵を描いてみました。 これが下の絵です。そんなにリアルではないのですが、彼はわれながらうまく描けたと思っているようです。 また、作業所では、粘土細工の恐竜を今まで以上に熱意を込めて作りました。作りながら、 ふしぎな家で自分が見たり聞いたりしたことを話すときもありました。 しかし、だれも信じてはくれないのです。彼には夢想癖があって、これまでもよくありもしない話を することがあったからです。それでも、彼は上機嫌でした。あの恐竜の置物やら何やらに囲まれた ふしぎな家が帰り道にあるのは、 だれでも見に行けば分かるからです。さらに彼の理屈では、あの恐竜の家があるということは、 自分があの恐竜人の立体映像と話をしたということも嘘ではないからです。
嘘と否定されればされるほど、彼は粘土細工を作るのに熱中しました。 日によっては、朝から夕方まで、粘土のポツポツを貼り付けている ときもありました。 そうして出来上がった粘土作品は、作業所の作品展で展示されました。特に恐竜はなかなかの迫力でした。 竈で焼くときポツポツがとれたのも ありましたが、圧倒的な突起の数は見るものを魅了したのです。 それらの作品が、フランスから来日して、障害者の生の作品を探していたプロデューサーの目に留まって、 「アールグリュット」と銘打った展覧会で展示されました。そして、彼の粘土の恐竜は入賞までしたのです。
ミチオは、両親といっしょにフランスまで出かけて行きました。そして、展覧会の最終日に行われた 授賞式の挨拶の最期に突然「キョウリュウタイシニゴウ」と叫びましたが、フランス人はもちろん日本から参加しただれにも その意味が分かりませんでした。

【追補】メニュー頁の下にいる草食恐竜(ブロントサウルス)は、文化祭で喫茶店のマスコットとして、 生徒たちといっしょに作ったものです。比べるものがないので 大きさは分かりにくいのですが、頭が天井に届くくらいの高さでした。 まあ、恐竜の子どもといったところでしょうか。 一緒に作った生徒たちの思い出のために、ここに掲載しています。


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