二人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」(一幕一場)
−宮沢賢治、原発を怒る−
                       2016.6.29
(この脚本は、2011.8.29に発表した一人芝居「雨ニモマケズ手帳」を二人芝居に書き直したものです。)

【まえがき】
宮沢賢治の一生は津波にはじまり、津波に終わったとも言えそうです。
賢治が生まれる二ヶ月ほど前、明治29年(1896年)6月15日に明治三陸大地震にともなう津波があり、 また、賢治が亡くなる半年前、昭和八年(1933年)3月3日に 昭和三陸大地震にともなう津波がありました。
この昭和三陸大地震の際、知人からお見舞状をもらった賢治が折り返し書いた礼状が最近発見されました。 花巻の自宅で病気療養していた賢治は、大津波をどのように受け止めたのでしょうか。
「被害は津波によるもの最多く海岸は実に悲惨です。」という手紙の文面から想像するしかありません。
そして今回の東日本大震災、賢治ならこの大災害をどのように受けとめるだろうかと 想像するときがあります。
賢治の遺稿に『雨ニモマケズ手帳』と呼ばれている手帳があります。ご存じでしょうか。 あの有名な『雨ニモマケズ』が書かれているので、そんな名称が付けられたのですが、 亡くなる二年前ごろに書かれたもののようです。私は、その中に大震災を受けとめるヒントが隠されている ように思うのです。どういうことかは、読んでもらうしかありません。
津波の他に原発の問題もあります。震災に追い打ちをかけるように 原発事故があらたな困難をもたらしています。福島だけではなく、他の近隣県でも。
この芝居は、仮想的に賢治にもう一度津波を経験してもらって、さらに原発の問題にも直面してもらって、 賢治がどのような振る舞いをするかを考えてみようという試みです。
生まれる前と死ぬ前に津波を経験した歴史上の賢治に、未来の賢治が車掌をしている銀河鉄道の タイムマシーンに乗ってもらって、 もう一度今回の津波を経験してもらおうというのです。
賢治の詩や残された手帳の記述を織り交ぜて、 1933年(昭和八年)と2011年(平成23年)が自然につながっていれば、 とりあえずは狙いどおり、二つの津波を経験することができたということになります。
また、賢治が農民芸術概論綱要に書いた「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という考え方にもとづいて、原発批判も展開しています。
それらが、理屈ではなく、一人芝居としてのリアリティーを持ちえているかどうかは お客さまにみていただいてのご批判を待つしかありません。お眼鏡にかないますかどうか……、
あとは見てのお楽しみ、とざいとーざーい……。

【登場人物】
宮沢賢治
黒子(未来から来た宮沢賢治)

【はじまりはじまり】
(一幕もので、宮沢賢治と未来からやってきた宮沢賢治の黒子の二人芝居となります。宮沢賢治役に負担が大きいので、前半は朗読劇のように演じる、といった演出もありえます)
(舞台は、宮沢家の座敷。箪笥と座卓、その傍らに火鉢があり、布団が敷いてある。
箪笥の横に簡単な洋服・帽子掛けがあり、そこに制服と車掌の帽子が目立たないように掛けてある。
宮沢賢治、座卓に向かって葉書を書いている。服装は、普段着のみすぼらしい着物)
(黒子(実は未来から来た宮沢賢治)が、舞台の傍らに控えている。控えめに居るのではなく、 宮沢賢治が台詞に詰まったときに助けたり、その他、いろんな補助をして、目立つ方がよい)

宮沢賢治(書き上げた葉書を読む、疲労がにじみ出ている) 「『大木実様』、『四月七日』と……(裏返し) 『この度はわざわざお見舞をありがとう存じます。被害は津波によるもの最多く海岸は実に悲惨です。 私共の方野原は何ごともありません。何かにみんなで折角春を待ってゐる次第です。 まづは取急ぎお礼乍ら。』(注1)
(読み終わって、葉書を机の上に放り出す)
葉書一枚を書くだけで、こんなに疲れてしまうのか。
自分で思っている以上に病状が進んでいるのかも知れない。 早々にお見舞いをもらいながら、どうも気力が湧かなくて、 返事を一日延ばしにしてきたのが、一月も遅れてやっと今晩書き上げることができた。
大木さんには、ほんとうに申し訳ない……(と、葉書をいただいて頭を下げ、もう一度文面を眺める)。
(激しく咳き込む)
『海岸は実に悲惨です』と書いてはみたが、この目で見たわけではない。弟の静六から聞いただけ。 オレには、汽車で一時間の旅をする体力も残されてはいない。
肺病、結核、労咳、……何といっても同じ、すべての元凶はここにある(と、胸を叩く)。
いや、病原菌そのものが問題ではない。結核菌に冒されてしまうようなオレの体の弱さにあるのだ。

だから心底から願うのは、単純明快、
『丈夫(ヂャウブ)ナカラダヲモチ』

ただこれだけだ。

雨にも風にも
『雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫(ヂャウブ)ナカラダヲモチ』

ほとばしり出たことばをこの手帳に殴り書きした、あのときのオレの遺書だ。あのときのオレの真実。
だから、この手帳あだやおろそかにできるものではない。
二年前、あの時、血を吐いて死を覚悟した。
今日、礼状を書いていて、ふっと心に引っかかるものがあって引き出しから探しだした。
この『雨ニモマケズ手帳』に何を書いたかな、という思いが、ふと頭をかすめたのだ。
なぜ取りだしてきたか、説明できるような理由があるわけではない。
もちろん、『雨ニモマケズ』の詩が書いてあるのは分かっているが、…… 自分でもそう呼んでいるんだから、……、その他に何を書いたのかって、引っかかった、……。
倒れたのは東京、その頃東北採石工場も傾き掛けていて、立て直しのために壁材料の見本をもって、 重いのをもって上京、それはムリです。このオレにはムリでした。慣れない場所で慣れない仕事、 無理も祟るよね、祟る祟る、祟って倒れてしまった。
東京で死ぬと思ったから遺書まで書いて、死ななくて、やっとこさ花巻にたどりついた。
それからは、こうして座敷に布団を敷きっぱなしの生活だ。
寝たきりでも手帳くらいは書ける。その証拠におれは、死を覚悟してからの思いをこの手帳に綴った。 それは未練たらしいことなのかどうか、オレにはわからない。……で、死を覚悟はわかったが、 なぜ今この『雨ニモマケズ手帳』かということだな。
まあ、むずかしい、ちょっとそんな気がしただけで、オレにもようわからん。
もっと前のことから思い出さないと……オレは、東北砕石工場の技師兼販売員だったから、 そこで採れる石灰肥料の売り込みのために、 倒れるまでの二年ばかりは、三陸の港町やらあちこち歩き回っていた。
中でも岩沼、釜石、石巻、そして女川などは私の気に入った土地柄だった。 花巻育ちのオレとしては、あの辺りの海岸線に魅入られてしまっていた。
その三陸海岸が、つい先日津波に襲われ大被害を被っている。なのに現地に駆けつけることが出来ない。 これはオレにとって何よりも苦しい業苦みたいなものだった。
だから、オレは家で養生をしながら、自分の身を苛むしかなかったのだ。
(『雨ニモマケズ手帳』を開いて、パラパラと眺める。風の音がヒューとして、すきま風が机の上の紙を飛ばす。 これには、何か仕掛けが必要。黒子が団扇で飛ばすというやり方がお勧め。黒子の存在を目立たせる方がよい。賢治、あわてて紙を拾い集める)
手帳を探しだしてきたわけ、オレにもはっきりはわからない。 だが、オレの中の何ものかが『あの雨ニモマケズ手帳を見付けてこい』とささやいたような気がする。 何も思わせぶりを言っているんじゃない。 自分に思わせぶりを言っても仕方ないからな。
『被害は津波によるもの最多く海岸は実に悲惨です。私共の方野原は何ごともありません。』
と書いているとき、ふと何か手帳に書き込んだことが頭をかすめたんだ。どんな内容だったか、 思い出さないうちに消えてしまったけれど……。(激しく咳き込む)
東京で倒れる以前にも、一度倒れたことがある。三年くらい前かな、採石工場に勤めるのは二年近く養生した後で、 倒れたのはまだ羅須地人協会をやっているときで、干ばつで走りまわったりしたため。 のめり込むと制御が効かなくなってしまう性格だから、…… 八月に肺炎を起こして下根子桜の別宅から家に帰り、十二月に急性肺炎で倒れた。 ムリもしたかもしれないが、その下地を結核菌が作っていたということだろう。
この手帳のはじめの方に、……あった、ここにあった(と、手帳を開いてみせる)。 その急性肺炎で家に帰ってきたときのこと、これだ、これが読みたかった。 いま、はじめて分かった。この書き込みを見て、読みたかったのがこれだと分かった。 最初に倒れたときオレが身内に起こした波紋を、 その三年後にまた倒れたとき、遺書のつもりでこの『雨ニモマケズ手帳』に書き留めたのだ。

『この夜半おどろきさめ
耳をすまして西の階下を聴けば
あゝ、またあの児が
咳しては泣きまた咳しては泣いて居ります
その母のしずかに教へなだめる声は
合間合間に絶えずきこえます
あの室は寒い室でございます
昼は日が射さず
夜は風が床下から床板のすき間をくぐり
昭和三年の十二月私があの室で急性肺炎になりましたとき
新婚のあの子の父母は
私にこの日照る広いじぶんらの室を与へ
じぶんらはその暗い私の四月病んだ室へ入って行ったのです
そしてその二月あの子はあすこで生れました
あの子は女の子にしては心強く
凡そ倒れたり落ちたりそんなことでは泣きませんでした
私が去年から病やうやく癒え
朝顔を作り菊を作れば
あの子もいっしょに水をやり
時には蕾ある枝もきったりいたしました
この九月の末私はふたゝび
東京で病み
向ふで骨にならうと覚悟してゐましたが
このたびも父母の情けに帰って来れば
あの子は門に立って笑って迎へ
また梯子からお久しぶりでごあんすと声をたえだえ叫びました』
そのいたいけな子が、
ああ、あの三つの子が、
『あゝいま熱とあえぎのために
……………
今夜はたゞたゞ咳き泣くばかりでございます
ああ大梵天王こよひはしたなくも
こゝろみだれてあなたに訴へ奉ります
……………
たゞかの病かの病苦をばわたしにうつし賜はらんこと』を
……………』(注2)

ああ、あの子の苦しみをオレに移してください。
ああ大梵天王さま、どうか、どうか、
あの子の苦しみを、オレの方に、痛いの痛いの飛んでゆけと、……
オレはあの子の命をもらうようにして
生きながらえてきました
あんないたいけな子どもの命をかすめ取って
今日現在を生きている、それでいいのでしょうか?
この後ろめたさはいったい何なのか?
津波のしばらく後、弟の静六が知り合いの安否を尋ねて石巻にでかけていきました。
家族に死なれて、生き残ったものは
自分が生きていることに後ろめたさを持つらしいのですが、
その気持ちが今のオレには、痛いほど分かります。
あの三つの子の病気と引き替えに
オレは生きながらえてきたのだから。
……………。
オレは甲種でもない、乙種でもない、丙種でさえない、丁種……。

丁丁丁丁丁(と、突然叫び出す)
オレは丁丁丁丁丁(叫びながら、丁という字を激しく空書し、時に頭を抱える)
兵隊として丁丁丁丁丁(同上)
百姓としても丁丁丁丁丁(同上)
(激しい腕の動きに息を切らせてここで咳き込む。 咳が治まってしばらく沈黙、肩で息をしている。 ふっと意を決したように机の上の紙を取りあげて再び朗読をはじめるが、 前の激しさはない。熱っぽく苦しそうに所々で咳き込む)
『丁丁丁丁
丁丁丁丁
叩きつけられてゐる丁
叩きつけられてゐる丁
藻でまっくらな丁丁丁
塩の海 丁丁丁丁丁
熱 丁丁丁丁丁
熱 熱 丁丁丁 』

ああ、体が熱っぽい。また、熱が出てきたのか……。
(宙を見つめて、挑戦的に何かを振り払う)
そして、オレはまもなく死ぬのだろう。
オレが死んだら、また誰かが後ろめたさに襲われるのか。
両親や兄弟は後ろめたさに身を苛むのか。

『やってみろ 丁丁丁
きさまなんかにまけるかよ
何か巨きな鳥の影
ふう 丁丁丁
海は青じろく明け 丁
もうもうあがる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛ぶ
巨きな花の蕾がある 』(注3)

(『ふう』と大きなため息をつく)
丈夫ナカラダヲモチえなかったこと、
それがオレの出発点だった。
丁種であったこと、
それがオレに突きつけられた現実だった。

二十歳で亡くなった妹のトシもそうだった。
(しつこい咳を繰り返す)

(手帳をめくる)
だから、遺書のつもりで、
丈夫ナデクノボーニナリタイとこの手帳に書いたのだ。

(朗読)
『雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
行ッテ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ』
……………
(と、ここまで読んでしばらく考える。すると、黒子が寄ってきて、賢治に何かつぶやく)
何? この『ヒドリノトキハ』となっているのは書き間違いで、『ヒデリノトキハ』が正しいという 説があるって? どこに? 未来の読者に……ふーん、未来の読者って?……未来でも 読まれているってこと? そうか……、そんな変なことを急に言われても、こまるなあ、……でも、 どうしてそんなことを知ってるんだ? 黒子くん、まるで未来から来たみたいな…… (黒子は、慌てふためいて、後退る) 本当のところは聞かないでおきますから、このことは忘れてくださいって…… 書き直されたりすると未来が変わるから?……
何を言っているのか、さっぱりわからん。変なことを言わないでもらいたいな。 (賢治の剣幕に黒子は引き下がって控える)
遺書として書いたものをとやかく言われても……。
でも、それもおもしろいな。…… オレの死んだ後、『ヒドリ』と『ヒデリ』で論争が巻き起こるという想像も楽しいものだ。
(フフフと皮肉に笑って、もう一度その行から読み続ける)
『ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
マタ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ』(注4)

(さらに手帳をめくって)雨ニモマケズの少し後に、こんな書き込みもある。

『もしそれ人とは
人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は
心であるといふならば
また誤りであるやうに』

そうか、三年前のオレは『人とは/人のからだのことである』というのは誤りだと考えていたのか。
だったら、こう言おうか。
人とは百姓のからだのことであると。
人とは百姓の心のことであると。

(しつこい咳を繰り返す)
お百姓の中に、オレは、なじみたかった。
百姓のからだと百姓の心を持てれば、なじむもなにも、
百姓そのものだ。
ホメラレモセズ/クニモサレズというのは、
そういうことなのだ。
ところが、オレは百姓の中に、
百姓として入っていくことができなかった。
ただ泰然とそこに居ることができなかった。
もっとも、向こうもまた、オレを仲間だと思っていなかったけれど……。

すべてはそこに原因する。そういうことです。(と、ページを繰る)
さっき飛ばしたところに、こんな殴り書きもある。
(朗読する)
『くらかけ山の雪
友一人もなく
同志ひとりもなく
ただわがほのかに
うちのぞみ
かすかな
のぞみを
托するものは

麻を着
けらをまとひ
汗にまみれた
村人たちや』(注5)
…………………

この後は、『全くも見知らぬ人の……』と続くのだが、
要するに自分が望みを託するのは村人たちということ。
しかし、その百姓からも、
オレは疎んじられ、
仲間とはみなしてもらえない。

これがオレの孤独だった。自分の書いた童話の主人公だけが友だち、そういうことか。 フン(と自嘲気味に笑う)。
…………
それにしても、この『くらかけ山の雪』というのは何のことなのだろう?
(しばらく考えるが)自分で書いたはずが、今では意味が分からない。

(背後の箪笥の上の時計をチラッと振り返って)
どうでもいいことをくだくだと考えているうちに、もう八時になってしまった。一向に腹も減らないが、 そろそろお粥でも食べることにするか。
(という台詞を切っ掛けに、黒子が粥の鍋と茶碗、しゃもじを載せたお盆を捧げもって現れる。賢治は、「ありがとう」とそれを受け取って、 鍋を火鉢にかける。黒子は元の位置に控える)
手紙を書いて、手帳を読んでいるだけで、疲れてしまった。
粥が煮えるまで、一休みするか。
(と、バタンと寝ころんで目をつむる。)
(しばらくするとシューという蒸気音が聞こえて、銀河鉄道が疾駆してゆく音がしばらく続き、やがて小さくなり、入れかわるように、 粥の煮える音が大きくなる。)

(賢治、伸びをしながら起きてくる)あー、粥が煮えるまでと思って横になったら、眠ってしまっていた。
(粥が煮える音が高まる)
煮えたようだ。あまり食欲があるわけではないが、食べないといけないと言われているからな。
(茶碗に粥をよそって、食べようとしているところに、誰かが訪れたようす)
えー誰が訪ねて来たって? お百姓さんが一人、何の用かな。
以前じいさんが肥料設計書を書いてもらったって、その孫さん、では、 あがってもらって下さい。かまいません。きょうは体の調子もまあまあだし。大丈夫だから……、
お客らしいから、この食べかけのお粥、片付けてくれないか(と黒子に呼びかける。黒子は、 粥の鍋と茶碗など一式を片付ける)。
三代にわたって肥料設計書か……、 これまでに書いた枚数、二千枚はくだらないだろう、そういうことがあってもおかしくない枚数だ。
(お客が来たようす)
やあ、こんばんは、よく来てくれました。
あなたは末治さんの……、そうですか。それで田んぼはどうでした。地震で罅ができて 水が入らなくなった田んぼやら、畦が崩れた田んぼやらもあるって聞きましたが、あなたの田んぼは?
  そうですか。大丈夫だった。それはよかった。何よりです。
このあたりは、被害といっても比較的軽微な方でした。
海辺は、津波で大変らしいから……、先日も静六が石巻まで行ってきたが、 家が流されて悲惨を通り越した景色だったらしい。海辺に比べれば、 申し訳ないような気がしたって話しておりましたが……。
いやいや、こんなふうに寝付いているオレの知っているようなことは、 あなたはもうとっくにご存じで……すみません、お客がめずらしいもので、 ついおしゃべりをしてしまって、……それで、今日は何のご用事で?  え? 今年あなたの田んぼの作付けをどうするかって?
わかりました。おじいさんもお出でいただいたことが何度かありますが、 そのときとおなじように……えーと、まずあなたの田んぼのことを聞かせていただきましょうか。

(口を挟む暇もなく立て続けに質問し、メモを取る。手慣れたふうに)
『それでは計算いたしませう
場所は湯口の上根子ですな
そこのところの
総反別はどれだけですか
五反八畝と
それは台帳面ですか
それとも百刈勘定ですか
いつでも乾田ですか湿田ですか、
すると川から何段上になりますか
つまりあすこの栗の木のある観音堂と
同じ並びになりますか
あゝさうですか、あの下ですか
そしてやっぱり川からは
一段上になるでせう
畦やそこらに
しろつめくさが生えますか
上の方にはないでせう
そんならスカンコは生えますか
(マルコやヽヽはどうですか)
土はどういふふうですか
くろぼくのある砂がゝり
はあさうでせう
けれども砂といったって
指でかうしてサラサラするほどでもないでせう
掘り返すとき崖下の田と
どっちの方が楽ですか
上をあるくとはねあげるやうな気がしますか
水を二寸も掛けておいて、あとをとめても
半日ぐらゐはもちますか
げんげを播いてよくできますか
槍たて草が生えますか
村の中では上田ですか
はやく茂ってあとですがれる気味でせう
そこでこんどは苗代ですな
苗代はうちのそば 高台ですな
一日一ぱい日のあたるとこですか
北にはひばの垣ですな
西にも林がありますか
それはまばらなものですか
生籾でどれだけ播きますか
燐酸を使ったことがありますか
苗は大体とってから
その日のうちに植ゑますか
これで苗代もすみ まづ ご一服して下さい
そのうち勘定しますから

さてと今年はどういふ稲を植ゑますか
この種子は何年前の原種ですか
肥料はそこで反当いくらかけますか

安全に八分目の収穫を望みますかそれともまたは
三十年に一度のやうな悪天候の来たときには
藁だけとるといふ覚悟で大やましをかけて見ますか』(注6)

それでは、肥料を勘定してみましょう、しばらくお待ちください。
どうしたのですか? えっ、違いますって、肥料の設計書ではないのですか? 肥料の計画ではなくて、除染計画?  何ですかそれは、……3月11日の地震があって、海岸部は津波に襲われ……、 いやいや、まってくださいよ。地震はたしか3月3日じゃなかったですか、 雛祭りの日、……それは、昭和の三陸津波のことで、 先頃のは3月11日? (しばらく沈黙)これ百年の時差ボケというやつか……、
いや、まあ、こちらのことで、……気になさらないで、お話の続きを、どうぞ、…… それで津波のせいで福島の原子力発電所が たいへんなことになった? ふーん、そんなことがあったのですか……、 原発が爆発して放射能が雲になってあちこちになびいていって、 中でも雨が降ったところでは田んぼも放射能に汚染されてしまったって……。
それで、あなたの田んぼもそんなにひどくはないにしても、少しは汚染されているだろうから、 はたして作付けしてもいいものやら迷っていて、 思い出したのがオレのことなんですね。
昔、じさまが肥料設計をしてもらったことがある賢治先生なら、 農学校に勤めておられたこともあるから、除染計画書を作ってもらえるかと思って、 それで訪ねてきてくださった。はあ、そうですか。
それはありがたいが、……はて、さて、困った。放射性物質に汚染された田んぼの除染計画書ですか、 それはなかなかむずかしい。肥料設計の何層倍もむずかしいですな。 放射性物質というやつは消えてなくなることはないんです。 どこかにいくだけで、……、 せめて水で洗い流せないかって? 田んぼに水を張って流す、 それを繰り返したら少しは効果がありますかね。ううむ、むずかしいなあ、 やつらはね、田んぼの土の表面近くにとどまるんです。また、雲母の隙間にはとくに入り込みやすい。 雲母というのは粘土質の中にあるのです。 オレは土質調査をしていましたから、よく分かるのですよ。
オレが技術者としてかかわっていた東北砕石工場で扱っていた石灰石、これを撒くと、 この雲母と放射性物質の結びつきが保たれるので、農作物への吸収が抑えられるという説もある。(注7)
わかりました。オレのできるかぎり除染計画書を書いてみましょう。しばらく待って下さい。
(賢治は、机に向かってソロバンで何やら計算をしているが、なかなかいいアイデアが浮かばない様子で頭をかきむしる。見かねた黒子が、賢治に寄ってきて、何かを教えはじめる)
えっ、そんなに大変なものなのか……、ふーん、むずかしいな。……お前は何でそんなことを知ってるんだ?(黒子に教えてもらいながら、賢治はそんなふうに呟いたりする。黒子が控えの位置にもどってからも、なおしばらく考えているが、そのうちに鉛筆で何かを書き始める。すると、 突然風がヒューと吹き込んでくる。書きかけの書類が舞い飛ぶ。最初と同じように黒子が 団扇で飛ばす仕掛け。賢治あわてて追いかける)
やあ、しばらくだが、いまちょっとお客さまなので、しばらく待ってくれる……、 もう少しで出来上がるから。(と、背後に誰かいるような感じでぼそぼそと声をかける)
(客がその声に反応したようで)いや、あなたに言ったのではありませんで、はい、 窓からめずらしいお客が来たようなので、つい……、書類は、いま書き込み中ですので、 もうしばらくお待ち願います。(と、客をなだめる)
(賢治、再び苦しそうに頭をかきむしったり呻いたりしながら、 ときにはソロバンを弾いたり書類に書き込んだりしている。 そのうちにやっと吹っ切れたふうで、最後にちょっと何かを書き加えて、ようやく除染計画書が出来た様子で 鉛筆を机の上にパチリと置く)
できました。苦しい作業でしたが、どうにか仕上げました。あなたの田んぼの除染計画書です。
とりあえずは、田んぼに水を張って代掻きをしてください。そうして、水を流します。 そこからはじめるしかありませんな。
しかし、これだけは言っておきますよ。あなたの田んぼの除染をするということは、 もし少しでも除染の効果があればの話ですが、 それは汚染物質をどこかに流し出すということです。 消えてしまうわけではありません。 その水は隣の田んぼに入ります。ババ抜きのババと同じです。あなたは自分の持っているババを、 隣に押しつけるだけなのです。自分の領分から追い出すと、それはどこかにいきます。 行かないというわけにはいかないのです。決して消えることはない。 放射性物質というのはそこがやっかいなのですね。
オレは、農民芸術概論綱要で『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』と宣言しています。
放射能はこの綱要に反しています。分かっていただけますか。
あなたの田んぼから放射性物質を追い出したら、あなたは除染されてその分幸福になるかもしれませんが、 それが流れ込んだ隣の田んぼはやっかいなものを背負い込んで不幸になる。だから、それをまた追い出す。 またそのお隣さんが追い出す。そうして不幸は薄まっていくかもしれませんが、なくなることはないのです。 最後の最後は海に注いで、そこが汚染される。
いったん汚れたらみんなが幸福になるなんてことはありえないのです。
田んぼから海に入り、 世界中に散らばればそこからは確率の支配する世界になります。放射能を含んだ水を飲んだ人、 魚を食べた人のほんのわずかですが病気になるかもしれません。確率は低いとしても、 絶対にゼロではないかぎり、疑心暗鬼を拭い去ることはできないのです。
ぜんたいが幸福なんてあり得ない。だから、放射能は、 オレの信念に反するのです。
この除染計画書はそんなふうな意味を持っているのですよ。 だから悩ましいのです……。
いや、余計な愚痴を聞かせてしまいました。この除染計画書は、 応急措置として苦し紛れに書いたものだと考えて、……そこんところをよくご理解ください。 その上でこれに従ってやってみてくださればと思います。お役に立てたかどうかわかりませんが、オレにできることはこれだけです。(と、除染計画書を渡す)
はい、そんなに恐縮していただかなくても、ただ、オレにできることをしたまでですから……、
もう、お帰りですか、何のお構いもせず、もっとも、 お茶など出したらかえってご迷惑、…… お客がいらっしゃってるって?……そうなんです。 こんなふうに重なることなんてめったにないことなんですが、申し訳ありません。 そういうことで、はい、お許しください。
また、後日、田んぼのようすを聞かせて下さい。
では、見送りもしませず、ここで失礼させてもらいます。
(お客が帰ってゆく)
フー(とため息をつく。そして、今回は弱々しい調子で暗唱する)
『ふう 丁丁丁
熱 丁丁丁丁丁
熱 熱 丁丁丁 』
か、……、又三郎、ちょっと待ってね……疲れたよ。それに熱っぽい。 ほんとうに疲れた。東京で倒れたときにくらべても、 十回くらい倒れてもいいくらい疲れた。
(両手を後ろに着いて体を支え、しばらく茫然としている)
(風の音が何度かヒューと聞こえる)
大丈夫ですかって? 又三郎はやさしいね。…… せっかく来てくれたのに待たせてしまって、申し訳ない。 田んぼの除染計画書を書いてくれというんだ。断れなくてね。途中、又三郎が隙間から 吹き込んできたときすぐに分かったんだが、客が居たのでどうしようもなくて失礼をしてしまった。
そうだ、申し訳ないが、待たせついでに、もう少し待ってくれないか。 放射能の除染の方法についてちょっと調べてくるから……しかし、そんな本あったかな。……お前には、 ゆっくり話を聞かせてほしいこともあるし。もう少し待っててくれ。
(宮沢賢治、除染計画書の紙を持って立ち上がり、部屋を出てゆく)

黒子(実は未来から来た宮沢賢治)
(黒子のベールと衣装を脱ぐ。中はカッターと銀河鉄道の車掌のズボン。帽子と制服は衣紋掛けにかかったまま)
 彼が眠っているうちに、ちょっと現代に近づきすぎたようだ。あとでもどしておかないと、 (と、衣装を脱ぎながらの独り言)…… しかし、こんなふうに昔の自分が苦しんでいるのを、黒子の姿で見ているのは変な気持のするもんだ。……なあ、又三郎(と、振り返る)、私が帰ってきたという噂を聞いて、 さっそく訪ねてきてくれたんだね、 早耳は、相変わらずだ。
今は銀河鉄道の車掌をしているが、ついさっきまで、この銀河鉄道お座敷列車で、 一次元時間の中を昭和の初めまで行って帰ってきたところ。まあ、いわばお座敷タイムマシーンだな、銀河鉄道は、宇宙空間だけじゃなくて、時間の線路も走るんだ。……又三郎も見ただろう、昭和の賢治さんが、さっきまで、ここにいたのを……。
私も気を遣ったよ。過去の自分に影響を与えたら大変なことになるからね。黒子に徹しないといけないことは分かっていたけれど、少し出すぎたまねをしてしまったかなあ。見ておれなくて……。
それにしてもよく分かったね、この場所が……。時間と空間がぴったり合わないとめぐり合えないからね。ここは岩手県花巻市、旧の稗貫郡里川口村というんだけど、 私の生まれ育った村だ。と言っても、実家は空襲で燃えてしまって残っていない。 それで、とりあえず銀河鉄道を現在の宮沢賢治生家跡地に保護色停車して、 そこから時間の旅にでかけていったんだ。だから、いくら又三郎でも探すのがたいへんだったろう。…… でもそんなに熱心に探すってことは、津波を見たってことをよほど私に聞いてもらいたかったってことかな。
じゃあ、とりあえず話を聞こうか、地震はどんなだったの?……。
あの日、3月11日の午後2時46分、又三郎はタスカロラ海床の上空で遊んでいたんだって……。 タスカロラ海床というのは、聞き慣れない名前だけれど、童話『風野又三郎』に出ているよね、 三陸沖合の日本海溝のあたりで、今回の震源はその近くだった。 又三郎の仲間たちは、冬は大抵シベリアに行って、そこから南にさがってきたんだね。 日本が近づいて少し温かくなってきたので、気分がうきうきして、 上空からぐるぐると螺旋を描いて降りてくるサイクルホールの遊びをしていたとき、あれに遭遇したんだね。 一瞬、海が湖のように静かになって、波がならされてつるっとしてひかった。 そして、突然海がゴーという音を出しながら、盛り上がってきた。ふーん、驚いたろう。 凪いだような一枚の海面が膨れあがってきた。しばらくすると海の色が緑から白っぽく変わり、 沸きたつように海面が泡立ってきた。君はすぐに地震だと気がついたのか。そうか。 いままでに見たことがないほどすごい地震だと。体がぶるぶると震えたか、そうだろうな。 とっさに津波という言葉がうかんだって……。上空から見下ろすと、 盛り上がっていた海面がへこみはじめていたんだね。そして、また底から盛り上がってきた。 それだけで、尋常じゃないことがわかるね。 又三郎は陸地に向けて空を馳けたのか……。馳けて馳けて、やっと三陸の海岸にたどりついた。 後で地図を開いてみると、それはどうも石巻のあたりだったって、……。そうか、あの町は、 私もいったことがある。きれいな町だ。でも、君には、街並みを見下ろしている暇なんてなかったろう。 津波は、又三郎と同じくらいの速さで追いかけてきた。いや、君より速かったかも知れないね。 君は夢中で叫んだ。『つなみが来るぞー、つなみが来るぞー』、声の限り叫んだ。叫んでまわった。 だれでも、そうするよね。でも、君の声は、津波の轟音にかき消されて、下のみんなには聞こえなかったって、……、そうだろうな。 たくさんの人たちが逃げまどっているのを君は見たんだね。車が浮いて流され、家も根こそぎに倒されていったって……。 君は涙もでなかった。喉がかれて、声が出なくなるまで叫んだがむなしかったんだ。 たくさんの人々が津波にのみこまれていったのを目にしたからね。
いまでも説明しながら泣いているね。よほど衝撃的だったんだろう、だれでもそうなるよね。
それで、今回の大震災や原発のことについて 私の考えを聞きたいと、それを聞くために訪ねてくれたのだな。
うーん、これまたむずかしいね。千年に一度の津波だし、前例のない原発事故、……残念なことに、 又三郎、私の考えはまだそんなにまとまっているわけではないんだ。
もちろん銀河鉄道に乗務していた私にも、 3月11日に地球で何か異変が起こったというニュースはただちに知らされたよ。
千年に一度といわれる津波の被害はたいへんなものだからね。 それ以後銀河鉄道が地球に接近するたびに、どうしても東日本のあたりに目がいってしまう。 おどろくべきことに、列車の窓から三陸海岸の津波被害がそれとわかるんだ。
第一印象は、色彩が失われたこと、 昼なら海岸線が何かくすんだ色に見える。夜は灯りがほとんど見えなくて、 日本列島が浸食を受けたような感じなんだ。おびえるような感じで、鳥肌がたってしまうほど……。
原発もまだ不穏な気配をただよわせてうずくまっているしね。
放射性物質の被害はまだまだこれからどうなるかわからない問題だし……。
そういった事態に対する私の考えは、いまのところ先ほどのお百姓さんに説明したくらいのことだな。
しばらくして原発が一段落したら、もう一度訪ねてきてほしい。そのときは、これからのことを語りたい。
まあ、私の考えの基盤は、農民芸術概論綱要にあるからね、もう一度そこんところにもどって考えてみるよ。 岩手県に育った私としては、もちろん今回の事態から目をそらすつもりもないし、逃げるつもりはないが、ここはようく考えて、大震災とか、原発事故のほんとうの意味をようく考えて、その上で対策を練らなくては……。
今、何時だろう(と、置き時計を見る)、そろそろ行かないと、……銀河鉄道の発車時刻が近づいてきた。
(黒子(宮沢賢治)、おもむろに立ちあがり、かかっていた制服を着用し、 車掌の帽子を取って被る)
今度は三次元空間空間を宇宙に向けて発車しなければならない。 車掌がいつまでもお座敷列車のお座敷をうろうろしているようでは困るだろう。 さっさと最後尾の車掌室に入らないと時間どおり発車できないからね。もう行かなければならない。…… じゃあ、風野又三郎君、またしばらくはお別れだな。
また会えることを楽しみにしているよ」
(と、賢治はあらためて車掌の帽子を被りなおして、見えない又三郎に向かって敬礼をする。ヒューという風の音がして、又三郎が去っていく。 その瞬間、賢治の帽子が風に飛ばされて落ちる。帽子にはあらかじめ紐をつけて、ひっぱる仕掛けをほどこしておく。 あるいは、帽子を飛ばされる振り。賢治、あわてて帽子を拾い、塵をはらいながら舞台袖に去る)
(機関車の蒸気を吐く音が聞こえる。賢治の声で、車内放送が入る)
黒子(宮沢賢治)(の声) 「イーハトヴ22時30分発、 銀河鉄道臨時特急南十字(サウザンクロス)行きが間もなく発車いたします。 1号車から3号車までは自由席、4号車は食堂車、5号車はお座敷車、6号車から8号車までは座席指定と なっております。お間違えのないようにお願いいたします。間もなく発車いたします。(発車のベルが鳴る) ドアが閉まります。ご注意ください。……南十字へ着きますのは、次の第三時ころになります。 そこまで車掌の宮沢賢治がご用を承ります。…… 次の停車駅は白鳥駅、白鳥駅でございまーす。……」
(銀河鉄道の蒸気音が遠ざかってゆく)
                            【完】

注1 大木実宛のこの手紙の日付、本当は三月七日であるが、作劇の都合で四月七日としました。
注2 「雨ニモマケズ手帳」(ちくま文庫「宮澤賢治全集10」)
   あるいは、詩「この夜半おどろきさめ」(ちくば文庫「宮沢賢治全集3)より
注3 詩「丁丁丁丁」(ちくま文庫「宮澤賢治全集2」)より
注4 「雨ニモマケズ手帳」(ちくま文庫「宮澤賢治全集10」)より
注5 「雨ニモマケズ手帳」(ちくま文庫「宮澤賢治全集10」)より 注6 詩「それでは計算いたしませう」(ちくま文庫「宮澤賢治全集3」)より
注7 朝日新聞(2011.8.18)掲載記事を参考にしました
補注 朝日新聞(2011.11.23)に、「水草「マツバイ」が、土壌中の放射性セシウムを 効率よく吸収する」という愛媛大の研究が紹介されていました。期待できそうです。

追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。


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