能「綾の鼓」
養護学校高等部生徒のための現代能楽集 その一

                          2004.1.12

【あらすじ】
高等部三年の生徒太郎は担任の綾子先生を好きになってしまいました。 他人の目を意識して控えるといった余裕もなくし、自分の思い通りにならないと、 暴力さえふるいかねないほどです。見るに見かねた綾子先生の同僚が、 一つの策略を思いつきます。文化祭の劇で使う鼓に布を張って、当日それで音が出たら望みをかなえる、 音が出なかったらあきらめるという賭をしたらどうかというのです。 そして、文化祭当日、太郎は、鼓が鳴らないことでパニックに陥ってしまいます。 そのショックで元気をなくした太郎は、数日後、遺書をしたためて、 屋上から飛び降りようと立て籠もります。学校中が大騒ぎ。 さてそれからどう展開していくのでしょうか。
続きは見てのお楽しみ。
では、トザイトーザーイ
【はじまりはじまり】
[登場人物]
佐々木太郎(養護学校高等部3年)
佐々木咲子(太郎の母)

野田花子(太郎の同級生で、親同士も知り合い)
磯崎光男(太郎の同級生)
吉岡幸夫(太郎の同級生)
西川美里(太郎の同級生)
高山道子(太郎の同級生)

鈴木綾子(養護学校教師)
谷口文恵(教師)
春村祐介(教師)
水沼良太郎(校長)
林浩一(教頭)

[劇中劇]
賢治先生
校長先生
月夜のでんしんばしら
生徒たち
(適当に上記太郎の同級生たちと兼ねる。)

養護学校の生徒だけではむりがあり、生徒と教師、あるいはボランティアの人とが 共同して演じる劇、という想定になっています。

【一場】
(教室)
光男 先生はおれたちとはちがうんやで、歳が違う、立場が違う、 まるごと住んでる世界が違うんや、だから好きになってもあかんのやから……。
太郎 そんなこと言われても、ようわからん。
美里 ラブレター、たくさん書いたんでしょう?
太郎 (頷く。)毎日、書いてる。二人で生活するのを想像していると、 楽しくなってくるから、そんなことを手紙に書いている。
幸夫 日記みたいなものかな。漢字も覚えるようになったって、綾子先生も言ってたけどね。
道子 太郎くんが、自分から文章を書くなんて考えられないでしょう。
光男 でも、暴力はいけないよ。先生がいくら思うようにしてくれなくても、 だからって切れてもいいっていうことはないからな。
美里 この前も、文化祭の劇の振り付け、個人指導してくださいって、 手を取って、むりやり迫ろうとして……、はねつけられたら切れたでしょう。 綾子先生に拳法の蹴りをいれたり、イスを蹴飛ばしたりして……。
幸夫 あれはまずかったよな。綾子先生も逃げてたよ。
太郎 あとで、反省はしたけど……。綾子先生があんまり冷たかったから……。
光男 それにこのごろ帰りの会の後も、他の人を追い出して自分が一番最後に 教室をでるようにしてるやろう。綾子先生に自分だけのさようならを言ってもらうために。
美里 みえみえだよね。みんなおかしいって思っているよ。
花子 私もおかしいと思う。おどおどして普通じゃないもの……。
太郎 花子、俺ってそんなにおかしいかな?……。
光男 それがわからないようでは、よっぽど重症なんだ。
花子 あっ、綾子先生が来られたわよ。先生、おはようございます。
鈴木綾子 おはよう。みなさん、何の話? にぎやかだったけれど……。 体の調子、悪い人はいませんか? きょうもね、文化祭の劇の練習があります。 当日は先輩や親御さんやたくさんの人に見てもらいます。恥ずかしくないように精一杯やりましょう。 では、日記をだしてください。
太郎 (ふらふらと教卓に近づいてくる。)先生……、これ受け取ってください。
鈴木綾子 また?毎日じゃないの。日記はどうしました?
太郎 日記は書く時間がありませんでした。
幸夫 ラブレターを書いていたら、日記を書く時間がなくなりましたってか?
太郎 そうです。
鈴木綾子 もう読みませんよ、そんなもの。ラブレターをもらうような 関係ではありませんって、そのことはこの前に話をしたでしょう。私は担任で、 あなたは生徒。それが二人の関係なの。それはわかっているんでしょう。
太郎 そんな分かり切ったことを言わないでください。それでもぼくは綾子先生が 好きなんだからしかたないんです。
鈴木綾子 そんなことをみんなの前で言うものじゃありません。 ……最近はおかしいわよ。いままではまだ隠す気があったのに、もうみんなに知られてもいいのね?
太郎 いいんです、そんなことは。ぼくの気持ちはそんなことは超えているんです。
鈴木綾子 (独り言のように)そうなのね。私にじゃけんにされてもそれを 根に持って恨むというようなところはないのね。いつもまっさらで、 恐いくらいひたむきで……でも、それが私を追いつめてるってことが、 あなたにわかっているかしら?
光男 太郎は、綾子先生に嫌いだって言われて切れても、 すぐに忘れて……立ち直りが早いもんね。
生徒たち (口々に)早い、早い。
光男 またすぐ、すりよっていくからな……。
(生徒たちのくすくす笑いで暗転。)

【二場】
(職員室)
谷口文恵 また、今日もラブレターなの?いやんなるでしょう。もう、うんざりね。
鈴木綾子 いつ切れるかと思ったらそうじゃけんにもできないし……、 どうしたらいいんでしょう。
谷口文恵 もう、いろんな手を使ってみたでしょう。警察官の恋人がいるとか、 もう結婚しているという噂を流してもらったり……、でも効果がなかったわ。
春村祐介 いっそ、ぼくと婚約したとでもいいますか?
鈴木綾子 春村先生が相手では生徒も信じてくれるかどうか?
春村祐介 オレって、そんなに魅力がないですか?
鈴木綾子 どうでしょう。でも、祐介先生はもう結婚されているでしょう。
春村祐介 ああ、そうでした。おれ忘れていました。
谷口文恵 いっそのこと何か条件をだして賭でもしてみたら?
春村祐介 どんな条件ですか?
谷口文恵 不可能なことね。それができたら望みをかなえてあげます。 できなければあきらめなさい、っていうの。
鈴木綾子 望みをかなえるってどういうこと?
谷口文恵 そうね。まさか、彼が言うように結婚もできないから、 ほっぺたにキスをしてあげるっていうのはどうかしら。
鈴木綾子 そんなこと、できないわ。
谷口文恵 だから、絶対不可能なことを条件に出すのよ。
鈴木綾子 たとえば、どんなこと。
谷口文恵 そうね。文化祭の劇に使う鼓があったでしょう。
鈴木綾子 あの、月夜のでんしんばしらの行進のときにたたくやつ?
谷口文恵 そう……、あの鼓に綾を張ったらどうかしら。 革の代わりに布を張っておくの。そして、太郎くんには、 文化祭の劇で鼓の音が体育館に響いたら綾子先生がほっぺたにキスをしてくれます、 という条件を出すのよ。そのかわり、もし音がでなかったら、 きっぱりと綾子先生のことをあきらめるのよって、それは固く約束してね。
春村祐介 それは、考えましたね。でも、なんて残酷なんだ。 綾の鼓では鳴らないことはわかっているのに。
谷村文恵 だから、そんな条件を出すのよ。もし、可能性があるんなら、 綾子先生がほんとうにキスしなけりゃならなくなるでしょう。
春村祐介 女性は残酷だ。本質が露出したというべきかな。
谷口文恵 まあ、人聞きの悪い。女は弱いから考えるの。 そうとでもしなけりゃあどうにもならないからでしょうが……。
春村祐介 太郎くんはきっと熱心に練習すると思いますよ。 彼は先生に褒められるためならどんなに一生懸命になることか…… 現場実習が終わったときも先生にほめてもらいたくて、ほめてもらいたくて、 うずうずしていたでしょう。

【三場】
(文化祭、体育館の舞台。劇中劇「賢治先生がやってきた」がはじまる。)

ナレーター その前の夜、大きな流れ星がみえました。 四月はじめのなんだかかすんだような夜だったのに、流れ星は長く尾を引いて流れました。 まるで宇宙からきた電車のような長い光の尾だったそうです。
(客席の後方から舞台脇まで張りわたされた線を伝って、窓に点灯した銀河鉄道が急降下してくる。)

《劇中劇 一場》
(幕前の張り出しで)
(校長、賢治先生、生徒五人がいる)
校長 みなさんに紹介します。宮沢賢治先生です。岩手県の花巻農業学校から こちらに来てくださいました。先生、どうぞ。
賢治先生 宮沢賢治です。よろすく。
(帽子に外套のいでたち、賢治は最後まで帽子を被っている。)
(礼をして舞台の生徒の前を歩いていく。「ホーホー」と叫び跳び上がりざま空中で 足を打ち合わせ、すこし走って立ち止まるやメモをとる。ふと顔をあげて、足ばやに去る。)
生徒 おかしな先生やな。
生徒 「ホーホー」って叫んで、跳びあがって……、それに何か書いてたぞ。
生徒 あの「ホーホー」は、なんやねん。
生徒 何を書いてたんやろ。
生徒 不思議な先生やな。
生徒達 (みんなで歌う)
賢治先生はふしぎな先生
賢治先生はふしぎな先生
生徒 いったい何の先生かな。
生徒 何をおしえてくれるのかな。
生徒 たのしみやな。

《劇中劇 二幕》
(幕があく。中幕はしまったまま。)
(賢治の絵そのままに、月夜のでんしんばしらに扮した生徒が額縁の中に立っている。 生徒は張り出しにいて、その絵を怖々のぞきこみにくる。)
月夜のでんしんばしら わたしは月夜のでんしんばしらであります。 (と、画面から一歩踏み出して、敬礼をする。)
生徒達 「おー」(というおどろきの声をあげて、後じさる。)
生徒 うごいた。絵がうごいた。
生徒 すげえ絵だな。
生徒 ふしぎやな。
生徒 たしか、この絵が美術室に飾ってあったぞ。
生徒 だったら賢治先生は美術の先生か。
生徒 けったいな絵やな、電信柱の人間か。
生徒 こんな絵をかくなんて、ほんまに美術の先生やろか。
生徒 音楽室で太鼓をたたいて作曲もしてるらしい。
(生徒が五人賢治作曲「月夜のでんしんばしら」の歌を歌いながら行進してきて、 電信柱の前でとまる。曲に合わせて電信柱も足踏みをしている)

生徒たち ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし
ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし

太郎 ドツテテドツテテドツテテド(と口ずさみながら、鼓を打つが鳴らない。) おかしい? 練習のときはあんなにいい音が鳴っていたのに……。
もう一度、ドツテテドツテテドツテテド(と口ずさみながら、 鼓を打つがやはり鳴らない。焦ってくる。)何か? おかしい。もっと強くやってみよう。
ドツテテドツテテドツテテド、ドツテテドツテテドツテテド(と、必死で打つが音は鳴らない。)
(以下の客席の反応はテープで流す。「綾の鼓だわ。」という声が客席からあがる。 笑いがちらほらと起きると、それがたちまちに伝染して笑いの渦が生じる。 太郎の顔がゆがみ、泣きそうになるが笑っているようにも見える。)
ドッテテドッテテ……(と、声がだんだん小さくなっていく。)どうして鳴らないの?……わかった。 (と、革を撫でる。)革の代わりに綾の布がはってある。だれが、こんなことをしたんだろう。 これでは、音なんか出ないに決まって……。
ドツテテドツテテドツテテド(と夢遊病者のように叩いてみる。)
音が出ない。あの約束は? だまされたんだ。綾子先生にだまされた……。
ウァー、こんな鼓でどうして音を……。(太郎は、綾の鼓を床に放り投げて、 舞台から飛び降りていく。暗い中でマイクを蹴倒す。)
(客席から「キャー」という叫びが上がり、スポットライトが追いかける。)

【四場】
(応接室、太郎の母咲子が鈴木先生に相談に来ている。)
佐々木咲子 すみません。おいそがしいのに。
鈴木綾子 いいえ、かまいませんのよ。それで、何かありましたの?
佐々木咲子 先生、実は、お恥ずかしい話なんですが、 太郎の机からこんなものを見つけたんです。(と、封筒を見せる。)
鈴木綾子 何ですか、これは?
佐々木咲子 あけてみてください。
鈴木綾子 (封筒から便箋を取り出す。)まあ、遺書って書いてありますね。 これ、太郎くんの?
佐々木咲子 そうです。
鈴木綾子 (しばらく便せんを読んでいる。)まあ、自殺するですって? あのことが、そんなにショックだったのかしら?
佐々木咲子 文化祭のあと、おちこんでいたでしょう。 まるで、幽霊みたいにボーと姿まで霞んでしまって、 そりゃあ、いつもはきはきというわけじゃあなかったですけどね。 舞台から飛び降りてからは、あまり笑わなくなりました。
鈴木綾子 きっととても深い傷をつけてしまったのね。悪いことをしてしまいました。
佐々木咲子 いえいえ、これまでに先生には大変な迷惑をかけていましたからね。 野田花子さんからもふだんどんなふうだか聞いているんですよ。注意したこともあるんですが、 でも、ご存じのようにがんこで……。 だから、今回のことは、先生もよほど思いあまってのことだろうとうちの人とも話してたんですよ。 すべてはうちの太郎の思い込みというか 夢想とでもいうんですかね、それからはじまっているんですから……。
鈴木綾子 私は教師にあるまじきやり方をしたのかもしれませんね。
佐々木咲子 ここに、先生にも思いを聞いてもらえないから、 生きていても意味がない。学校の屋上から飛び降りて自殺するって書いてあるでしょう。 きょうは、そのことでおうかがいしたのです。どうってことはない、 ただの空想だとは思うんですが、一応先生のお耳にもいれておいた方がいいかなということで……。
鈴木綾子 申し訳ありません。わたしのせいでお母さんにまで余計な心配をおかけして……。
佐々木咲子 いいえ、申し訳ないのは私の方です。 太郎の身勝手な片思いでご迷惑をおかけして、まだその上に……、 ただ、この遺書を読んでいると涙が出て来ましてね。こんなことを言っては何ですが、 太郎は、私たちの家の宝みたいに思って育ててきましたので……、 それが、あんなわがままになってしまった原因でもあるんでしょうけれど……。 (咲子がさらに言い募ろうとしたとき、ノックの音がして遮られる。)
春村祐介 あのー、お話中失礼します。鈴木先生はこちらにおられますか?
鈴木綾子 はい、ここにいます。
春村祐介 (動転した様子で現れる。)綾子先生、よかった。 太郎くんがね、屋上にいるんです。飛び降りるって、叫んでいるんですよ。先生に会わせろって……。
鈴木綾子 えっ、屋上で……。
佐々木咲子 ほんとうに飛び降りるって言ってるんですか?
(一瞬の沈黙で暗転)

【五場】
(校舎の屋上、太郎が柵から身を乗り出すようにしている。)
太郎 近づくな。それ以上近づいてきたら飛び降りるからな。
谷口文恵 太郎くん、やめなさい。そんなことをして何になるの?痛いだけよ。やめなさい。
光男 太郎、やめてくれよ。そんなことして何になるんや。
道子 恐いこといわんといて、もう、余計なことは言わないから。
(あわただしく校長と教頭が現れる。)
水沼良太郎(校長) どうしたんですか? 太郎くんが屋上に飛び出したって聞いたんで、 飛んできたんですが……。
谷口文恵 自殺するっていうんですよ。飛び降りて……。
林浩一(教頭) 何で自殺なんか?
谷口文恵 この前の文化祭のことがあるでしょう。それ以来落ち込んでいて、 綾子先生にも話を聞いてもらえないから、もう、生きていてもしょうがないんですって……。
水沼良太郎(校長) あの鼓の件ですか? 太郎くん、話をしよう。 もうすこし離れなさい。こっちへ来て、そこじゃあ、話もできやしない。
太郎 そっちへいったら、捕まえようっていうんでしょう。
林浩一(教頭) そんな、だまし討ちのようなことはしないから。
(校長、教頭、谷口の三人、傍らにいってひそひそ話。)
水沼良太郎(校長) 彼は本気だろうか? 自殺する力はあるのかな?
林浩一(教頭) どうですかね?(と、谷口を振り返る。)
谷口文恵 わたしはこれまでに二人の生徒が自殺したのを知っています。
林浩一(教頭) ということは、内の生徒でも自殺することがあると……。
水沼良太郎(校長) それはたいへんなことだよ。本気だと考えた方がいいということだ。 ……担任の鈴木先生はどうしたんだ? まだ来ないのか?
林浩一(教頭) 来ました、来ました。……待ってましたよ。鈴木先生。
(鈴木先生、太郎の母咲子、春村先生が駆けつけてくる。 鈴木先生、教頭には見向きもしないで、悲壮な声で太郎に呼びかける。)
鈴木綾子 太郎くん、どうしたの? いま、お母さんから、 あなたの遺書を見せてもらったわ、どうしてそんな気持ちになったの?  もっと聞きたいわ。私、そっちへ行ってもいいかしら?
太郎 近寄るな。先生でも許さへんで。
佐々木咲子 太郎、やめなさい。あんたの気持ちは先生に見てもらったから、 もういいでしょう、そんなことをする気になったのは、先生に気持ちを わかって欲しいからでしょう。もういいんじゃない。
太郎 鼓は鳴らなかった。ぼくは掛けに負けたんです。 それで、もうこうするしかないんです。
花子 太郎さん、あなたが飛び降りるんならわたしもいっしょに連れていって。
鈴木綾子 何を言い出すの? 花子さん、そっちへいっちゃあだめ。あぶないから……。
花子 先生、私も片思いなんです。私は太郎くんが好き。 でも、太郎くんは綾子先生が好きだから、片思いなんです。太郎くんが飛び降りるんなら、 わたしも飛び降ります。ふたりで飛んだらきっと何だかふわふわして、 あんまり怪我もしなくて着地できると思うんです。
春村祐介 じょうだんじゃないぞ。ここから飛び降りて無事にすむわけがないんだからな。
鈴木綾子 あなたがほんとうに飛び降りたいというのなら、 最後にいっておきたいことがあるわ。あなたにこんなに思われて嬉しかったってこと。
太郎 突然何をいいだすんですか。からかわないでください。
鈴木綾子 いいえ、からかってなんかいないわ。 私は、じゅうぶんにあなたが好きだったんだから……、 ただ、あなたの期待しているのとはちがう意味で好きだったのよ。
太郎 好きは好きしかありません。
鈴木綾子 いいえ、やっぱりいろいろあるの。 信じるか信じないかはあなたのかって……でも、言えることは、 私としても苦しんでいたということ……、あなたと私がちがう人間だなんて 思ってないかどうか、一生懸命考えたんだから……、 そうしてたしかめたら自信がわいてきたの。もう怖くないわ。 ……それだけあなたのために苦しんだんだからね、あなたにも最後に 私の言うことを素直に聞いてもらわなくっちゃ……。
太郎 何を聞くんですか?
鈴木綾子 さっき文恵先生に頼んで鼓を持ってきてもらったんだけど……。
谷口文恵 ごめんなさいね。あの綾の鼓は私が思いついたものなの。 罪滅ぼしにこんどはちゃんと鳴る練習用の鼓を持ってきたわ。
鈴木綾子 聞かせてちょうだい。あなたが練習したリズムを、みんなに聞かせて欲しいの。
花子 わたしも聞きたい。聞かせて欲しいわ。いっしょにやりましょう。 文化祭のときは鼓が鳴らなかったんだから、もういちどやりましょう。
生徒たち そうしようや。やりなおしだ。 (と、口々に言いながら鼓を手にして、身構える。)
太郎 (綾子先生から鼓を受け取ってしぶしぶ構える。)
花子 じゃあ、はじめるわよ。(と、太郎に声をかける。)
  ドツテテドツテテドツテテド(と、大きい声ではじめる。)
生徒たち
  ドツテテドツテテドツテテド(と、ちょっと自信のない小さな声で応じる。)
太郎 ドツテテドツテテドツテテド(一人ゆっくりと謡のようなテンポで、 声も小さいが謡を思わせる声で。)
生徒たち でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし
(かなり、声が大きくなってくる。)
太郎 でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし
(謡の発声だが、テンポは徐々に早くなってくる。)
生徒たち (リズムよく、大きな声で。)
太郎 (声はだいぶん揃ってきたが、まだ幾分謡の調子を残していて遅れがち。)
  ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし

生徒たち (文化祭の劇そのままに行進をはじめる。)
太郎 (ようやくみんなと声をそろえて元気に行進しはじめる。)
  ドツテテドツテテドツテテド
  でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし
  ドツテテドツテテドツテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし

鈴木綾子 聞こえるわ。ドツテテドツテテドツテテド……、 太郎くんの鼓が一際高く聞こえるわ。ドツテテドツテテドツテテド……、 空に向かって響いてる。あんなに練習したんですものね。 「でんしんばしらのぐんたいは、はやさせかいにたぐいなし、ドツテテドツテテドツテテド……」
(花子を先頭に生徒たちが行進しながら退場し、太郎も後をついていく。 教師たちもその行列を追うようについて舞台袖に退場する。)
                             【完】

【注】
能の「綾の鼓」があり、また三島由紀夫にも「近代能樂集」の中に「綾の鼓」があります。 二つとも参考にしました。


追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。



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