現代狂言「白毫(びゃくごう)」
−自閉症って何?−
一幕一場
2006.2.5


場所は星の王子さまの星。いつからか銀河鉄道が開通したらしく、 大きい窓と時計のある瀟洒な駅舎が建っています。駅舎の前には一時代前の古い井戸があります。 石組みで滑車を回して汲み上げる井戸です。「星の王子さま」では、小さな星の井戸について 言及はありませんが、星の王子さまがジョロでバラに水をやっている絵があるくらいですから、 当然井戸があったのです。
(この井戸、王子さまが地球にあったとき、サハラ砂漠で彼が発見した村の井戸をイメージ しています。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」と 彼がいった砂漠の井戸は、もともとは郷里の星にあったものなのです。)

《登場人物》
シテ(星の王子さま)
アド(次郎) 自閉症
アド(賢治先生)
アド(次郎の母)
アド(井戸のこだま)
アド(バラの声)

【幕が上がる】
(星の王子さまは、細い煙を噴いている小さい活火山の前のイスに座り、 フライパンを持っている。活火山を火元にして三脚のごとくが置いてあり、 たまごを入れたバスケットが側にある。たまごやきを作ろうとしていたらしいが、 幕が開いたのに気がついて、フライパンを脇に置いて立ち上がる。)
星の王子さま (客席に向かって威儀をただして)ぼ、ぼくはこの星に 住まいいたす王子でござる。こんにった、昼食にたまごやきを作ろうとぞんじます。 なにしろこの小さい星に一人暮らし、食事も自分で作らなければ、だれも作ってはくれません。 気位の高いバラさんとペットの子羊はいるけれど……、子羊がフライパンを持って たまごやきを作ったという話は聞いたことがありませんからね。……星が小さいだけに、 それだけ一日は短いのですが、十日に一度くらいは食べないと飢え死にしてしまいます。 ……去年、あなたちの地球に行ってきましたが、そこでは一日に三度も食べないとお腹がすくし、 水も飲まないとのどが渇きます。ぼくが地球に着陸したのがたまたま砂漠でしたので、 水は命そのものでした。プロペラの飛行機が故障してそこに不時着していた サン・テクジュペリという変な名前のパイロットと知り合いになりました。 キツネとも友だちになったりしました。でも、井戸のあたりで毒ヘビに噛まれて、 地球的に言えば死んでしまいました。そして、どうなったのか、気がつくとふるさとの 星に戻っていたのです。星に変わりはなかったのですが、ただ、 ここに銀河鉄道の駅ができていました。もしかすると賢治先生がここまで銀河鉄道で ぼくを送り届けてくれたのかもしれません。
(ここで、小さな星の駅舎に銀河鉄道の列車が停車している様子を模造紙に描いた絵が、 黒子によって掲げられる。)
(遠くから汽笛の音がして、機関車の蒸気音が近づいてくる。)
ああ、ちょうどいま銀河鉄道が入ってきたようです。三日おきに上り下りが1本ずつなんです。 くどいようですが、この星の一日は短いから、……地球の一日になおすと43度も 夕日が見られるような小さな星ですから、三日おきといってもたかがしれていて、 地球の時間でいうと2時間おきに上り下りが通るといったところでしょうか……。
(銀河鉄道が駅に入ってきた様子。シューシューという蒸気が噴き出して、 轟音がまわりを圧する。)
(次郎が降りてくる。)
次郎 (駅舎の窓ガラスに映った自分の姿を入念に見入りながら、声を出して笑う。 つぎに井戸に近づいて中をのぞき込む。笑い声が井戸にこだまする。 少し離れて見ている星の王子さまの存在にはまったく気づかない様子。)
星の王子さま こんにちは……。
次郎 (ふりかえって星の王子さまをちらっと見て、しばらく間があって) コンニチハ……。
星の王子さま あなたはだれですか?
次郎 アナタハダレデスカ?(カタカナ表示は究極の棒読みで。いわゆるエコラリア。)
星の王子さま あなたはいまの電車で来ましたね。
次郎 アナタハイマノ電車デキマシタネ。
星の王子さま この星に何をしに来たのですか?
次郎 コノ星ニ何ヲシニ来タノデスカ?
星の王子さま (ふたたび次郎の向かって)あなたはどうしてぼくのいうことを くりかえすの?
次郎 アナタハドウシテボクノイウコトヲクリカエスノ?
星の王子さま (顔を背けてひとりごとを言うように)ふしぎな人だ。 まず手はじめに相手のことばをそっくりまねることで、ぼくがどんなことばを しゃべっているのかを探っているような……。それじゃあ、もうすこし付き合ってみるか……。
(ふたたび次郎に向き合って)あなたはことばを教えてほしいのですか?
次郎 アナタ、コトバ教エテホシイノ? アナタ、コトバ知リマセンカ?
星の王子さま ぼく? ぼくは、ことばを知っているよ。
次郎 ボク? ボクハコトバヲシッテイマス。
星の王子さま アナタとボクが入れ替わらないよ。何か変だな……。
(ちょうどそこに車掌の格好をした賢治先生とパラソルを持った次郎の母が降りてくる。)
賢治先生 やっぱりここで降りていたんですね。
次郎の母 次郎ったら、トイレに行くと言って席を立っていったのに、 いつまで待っても帰ってこないから、車掌の賢治先生に探してもらってたのよ。
星の王子さま (賢治先生の方を向いて)この人、変なんです。 ぼくが何を聞いても鏡にむかって話しているようで……。
賢治先生 紹介しよう、彼は鈴木次郎といって、ぼくが養護学校に赴任したときの教え子。 こちらが、次郎くんのお母さん。たまたま電車の中で出会ったらしい……。
次郎 すずきじろうクンデス。
次郎の母 はじめまして。次郎の母です。
(星の王子さまは、軽く会釈を返しただけ。)
星の王子さま 何を聞いても、おなじことばを返してくるんです。
賢治先生 彼はそういう人なんですよ。
星の王子さま まるで鏡にしゃべっているような……。
賢治先生 鏡ね。ちょっとちがうような気がする。同じことばを発していても、 彼は君の影じゃなくて……。
次郎 すずきじろうクンデス。(と、井戸の中につぶやく。)
井戸のこだま すずきじろうクンデス。(と、こだまが返ってくる。)
賢治先生 むしろ、そら、いま次郎くんがやったように、 君は次郎くんという井戸にむかって叫んでいたんじゃないか……。
星の王子さま 彼は井戸みたいなものですか?
賢治先生 単にことばがこだましてくるだけのようだけど、 実は井戸のように深いところに届いて、そこから返ってくることばかもしれない、 っていうことだよ。……君は井戸について地球でこんなふうに言ったね。
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」って。 次郎くんも井戸を隠し持っているかもしれない。たんにオーム返しだと侮ってはいけない。 いのちの深みから反響してくる声といってもいいくらいだよ。
次郎 アナタハダレデスカ?(と、井戸をのぞいて叫ぶ。)
井戸のこだま アナタハダレデスカ?(と、こだまが返ってくる。)
星の王子さま この声は彼のこころの奥深いところからひびきをかえしてくるのでしょうか。 何か、ぼくがしゃべることばを探っているような気もするんですが……。
賢治先生 どうだろうか……、ぼくにはどうも違うように見える。 いのちの深みから声をひびきかえすことで、なにか波長を合わせているような……。
次郎 波長ヲ合ワセテイマス。
井戸のこだま 波長ヲ合ワセテイマス。
星の王子さま 波長ですか? いのちの波長……。
賢治先生 そうだね……、波長でわかりにくければ、 むしろリズムと言った方がいいかもしれない。彼のいのちのリズムを 君のことばと合わせているのかもしれない。
星の王子さま それに、さっきからどうもおかしいと思っていたらまったく 視線が合わないんですよ。
賢治先生 たしかに、そんなふうだね。
次郎 目ガ合ワセテイマス。(と、井戸から体を起こす。) 目ガ飛ビ出テイッテ出会ウノデスカ?(と、星の王子に異常に顔を近づける。)
星の王子さま おい、やめろや。昨日、餃子、食べただろう。ニンニクの臭いが残ってる。 (と、次郎を押しやる。)
次郎 餃子食ベマシタ。
星の王子さま ブー、異常接近です。
次郎の母 ごめんなさいね。この子は、人との適当な距離というのが、 むかしから分からなくて……、電車で痴漢と間違われたこともあります。
賢治先生 栗原先生も、それで困っていました。
星の王子さま 目が合うというのはね、二人の目が見つめ合うこと、 あなたがぼくの目を見つめて、ぼくもまたあなたの目を見つめる。
次郎 見ツメ合ウ? ボクハアナタノ目ヲ見テ、何ヲ見ル?  アナタハボクノ目ヲ見テ、何ヲ見ル?
星の王子さま けっこうしゃべれるじゃないか。……それに声、 あなたの声がようやくぼくに触れてくる。
次郎 ボクニ触レル声? コノ星デハ声ハ触レテクル?
星の王子さま ぼくはあなたの声を聞く。そして意味をくみ取るのです。
次郎 コトバノ意味ガワカリマセン。声ノ意味? モットハッキリイエ! (と突発的に激蒿して叫び、すぐに抑える。)ゴメンサイ。(そんなふうに謝罪しながらも、 次郎は会話自体に興味をなくしたように、星の王子さまを押しのけるようにして井戸を のぞき込み始める。)
星の王子さま 井戸に向かって叫んでみたら。
次郎 (じっと星の王子さまを見つめる。)
星の王子さま 君の名前は?(と井戸の中に叫ぶ。)
井戸のこだま 君のなまえは、君のなまえは……。
次郎 君ノナマエハ。
井戸のこだま 君ノナマエハ、君ノナマエハ……。
星の王子さま ぼくたちの会話は、鏡の外と中の会話というより、 井戸のこだまとの会話に近いと先生は言いたかったのですね。
賢治先生 そうかもしれないし、そうではないような気もする。
星の王子さま はっきりしないですね。それに、どうも二人のリズムはまだまだ 合っていないようです。話が通じた実感がありません。
賢治先生 実感ね、それはムリかもしれないよ……。
次郎 賢治先生ノ誕生日ハ?
賢治先生 明治29年、西暦1896年8月27日だよ。
次郎 ソレハ水曜日デス。
賢治先生 ほんとう? ふしぎだね、すぐに分かるのは……。 これまでに何回聞かれて、何回教えてもらったことか……。 (と苦笑しつつ星の王子さまに向かって)昔の曜日なんか瞬間的に分かるらしいよ。
星の王子さま ほんとうにふしぎですね。
賢治先生 それに彼は電車も大好きで、時刻表が愛読書……、 もちろん電車に乗ることも好きで、この銀河鉄道でも何回か見かけたことがあるよ。
星の王子さま 賢治先生は車掌をしていて見かけたのですか?
賢治先生 そう、あるときは車掌をしていて。たまに転轍手として働きながらね。
星の王子さま 転轍手って何?
賢治先生 銀河鉄道の線路が分かれているところで、レールのポイントを 切り替える仕事。
星の王子さま ふーん、銀河鉄道も一本線じゃないんだ。
賢治先生 そうだよ、白鳥座に行ったり、大熊座に行く線もある。
星の王子さま それでこの星にも来れるんだね。
賢治先生 線路から列車をちらっと見上げると、彼はいつも一人でね、 窓の外を眺めている。そして大きな声でひとりごとをしゃべっているようなんだ。 いや、ようく見ると、景色を眺めているのか、窓ガラスに映る自分を見ているのか、 それともしゃべっているだけで何も見ていないのかわからなようなそんな目だけどね。 ……しかし、駅名はよく知っているよ。車掌のぼくよりよく覚えているし、 すらすらと暗唱することができるよ。
星の王子さま 駅名も棒読みなのかな。
賢治先生 そりゃあ、そうだ。……鉄道がそんなに好きなのにもかかわらず、 列車の中でわめいてあばれるのに行き会わせたことがあるよ。 それは思いがけず夜空にかかっている銀河鉄道の線路を横切るように流星群が現れたときで、 そのために列車が遅れてしまったんだ。到着が遅れるという、それだけのことでパニックを 起こしてしまったんだね。いつもあんなにおとなしく、列車を楽しんでいる彼の変わりように びっくりしたよ。
次郎の母 あの子は小さいころから、突然予定が変わったりするといつもパニックを 起こしていました。
賢治先生 よくあるんだよ、ああいう子には……、予定にそってくまれている自分の 気持ちの秩序といったものが崩れてしまうと、おそらくどうしていいのかわからなくなるんだね。 ……
星の王子さま わかるような気がします。
賢治先生 そんなとき、彼には自傷があってね。
星の王子さま 自傷? 自傷って、何?
賢治先生 自分を傷つけること。
星の王子さま そんな……、自分を傷つけるなんて……。
賢治先生 何かまずいことをしたなって思ったときは、机にこう額をうちつけてね。 それがたこになって、もりあがっているだろう。(掛け軸風の巻物を取り出して、 だらりと垂らすと、そこには短歌が筆書きされている。)
 自閉児の自傷のついに打ちつけし額の傷は白毫(びゃくごう)の位置(朗々と読み上げる)
これは、ぼくが、彼を詠んだ歌。自傷で打ちつけた額の傷が、仏さんの三つ目の目みたいだと いう意味。仏像には、三つ、目があるの、知ってる?
星の王子さま いえ、知りませんでした。
賢治先生 三つ目の目は、ちょうどここの額のところにあるんだけど、 彼のおでこの傷はちょうどそこの位置なんだね。……
星の王子さま 彼が仏様みたいだってこと?
賢治先生 そうとは言わないけれど……。(と、巻物を巻き取る。)
星の王子さま ぼくはこの星にずーと一人だけれど、ぼくと君はどちらが さびしいだろうか?(と、次郎に呼びかける。)
次郎 サビシイ、サビシイガワカラナイ。
星の王子さま これがぼくのバラさん(と、少し離れたところに咲いているバラを 紹介する。)、手を叩くと踊ってくれるよ。でも、調子に乗りすぎて、 機嫌をそこねないようにね。
次郎 (手を叩くと、その音に反応してバラが踊る。それを見て次郎は歓び、 何度も繰り返す。)
賢治先生 まだ、子どもみたいなところがありますね。
次郎の母 はい、幼児性は残っています。
バラの声 あたくしには、四つのトゲがありますが、子どもにはやさしいのよ。
星の王子さま このバラさんは、植物なのに風が吹いてくるのがこわいんだ。
バラの声 まあ、失礼な。そんなことをばらして……。あとで、覚えてらっしゃい。
賢治先生 うーん、そういえば、次郎くんの同級生に風をこわがる生徒がいたね。 覚えている?
(次郎はバラに興味がいって、賢治先生の言うことを聞いていない。突然、手を叩きだす。)
次郎 ばらサンハオドリマス。タクサンオドリマス。
星の王子さま サンバの踊りみたいだろ。
次郎 さんばノ踊リ、さんばノ踊リ、……(気分が高揚してきたらしく、 激しく手を打つ。あまりに熱中し過ぎて、バラの幹にあるトゲに触れたらしく)あちっ (と、血のにじんだ指を口に含む。)
次郎の母 バラのトゲが刺さったようね。(と、ティッシュを手渡す。)
バラの声 ワザとじゃありませんよ。この坊ちゃんが大きく手を振ったから、 トゲに触ってしまったのね。
星の王子さま 誰もバラのせいだとは思わないから……。
賢治先生 バラのトゲぐらいたいしたないよ。気にしない、気にしない。 指を噛んだりすることもあるのに……。
次郎 (トゲが刺さった指先をさかんに気にしている。)
次郎の母 あの子はこんなことにとても拘るんですよ。
賢治先生 そうですね。2年生の実習の時も、靴下に値札を付けるてっぽうという 道具があるんですが、その針がちょっと指に刺さっただけで、血がでているわけでもないのに とても気にしていましたね。……いったい彼はどんな子どもだったんですか?
次郎の母 次郎は生まれてすぐは手のかからないおとなしい赤ちゃんでした。 一人遊びが大好きで、お気に入りのおもちゃを与えておくと、何時間でも遊んでいました。
星の王子さま 一人遊び……。ぼくも一人で遊ぶしかなかったけれど……。
次郎の母 二歳のころ、初めて地下鉄に乗せたとき、泣きわめいて、 たいへんな思いをしたのを覚えています。
賢治先生 今じゃあ、銀河鉄道がこんなに好きで、乗り回っているのに、 考えられませんね。暗い中を走るのは、どちらも同じなのに、……。
次郎の母 地下鉄の場合、あのゴーという音がかなわなかったのかもしれません。 ……三歳にもなると、なんだかワガママが出てきたというのでしょうか、多動で、 じっとしておれなくて、お尻に火がついたようにウロウロしました。 いたずらをするというのではなくて、どうしてああなのかしら、 そこが障害なのかしらとあきらめていました。それで叱ると、かえって騒ぎ回って、 手に負えなくなるんです。
星の王子さま その頃の彼がこの星に来たら毎日何周も星を回ったかもしれませんね。
次郎の母 ほんとうにそうです、どこからあんなエネルギーがわいてくるのか ふしぎでした。……どうにか落ちついてきたのが、小学校の上級から中学にかけてのころ、 ……高等養護学校に通うようになったら、思いもかけないときに突然走り出したりすることは あっても、ふだんはほとんど普通の動きになりました。電車通学だから定期があるでしょう、 それで電車を乗り回すのがクセになって、車掌さんに何度か捕まったりしましたけれど、 本人が楽しんでいるんだからって、もうあきらめているの。学校に賢治先生がおられて、 ちょうど私が亡くなったころ銀河鉄道に乗せてもらってから、病みつきになったみたいで、 夏なんか毎晩乗って出かけているようなの。どこをうろうろしているかは、 いまの私には分からないけれど……。
賢治先生 彼はお母さんに会いたいというので、銀河鉄道に乗って くるのかもしれませんね。
次郎の母 そうでしょうか? もしそうならいよいよ心配です。 あの子は銀河鉄道に乗らない方がいいんじゃないでしょうか。 わたしはあの子のことだけが気がかりで……。なのにあの子ったら、 きょう久しぶりに私の顔を見てもなつかしい顔一つしないんです。そういう子なんですよ。 あの子は……、だからこそ不憫で……。
賢治先生 気持ちは分かりますが、もう少し彼を自由にしておいてあげましょう。 時間がたったら忘れるだろうから。お母さんも心配してもしょうがないですよ。 もう彼の世話をしたりできないんだから……、お父さんに任せるしかないんですよ。
次郎の母 そうですね。あの人も、休みの日にしか、あの子の面倒を見れないですからね。 あんまり言うことを聞かないようなら、賢治先生、もう次郎から切符を取り上げてくださって かまいませんよ。
(母が話している間、次郎は拍手に熱中していて、母親の話に関心をしめさなかったが、 突然立ち上がる。)
次郎 星ノ王子サマハボクノ友ダチカ?
星の王子さま いいや、今日会ったばかりで、まだ友だちじゃないよ。
次郎 ドウシタラ友ダチニナレル?
星の王子さま 地球に行ったときにキツネさんが教えてくれたことがあるんだ。 友だちになるには時間がかかるんだ。ちょうどいいことに君は銀河鉄道が気に入っている らしいから、一週間に一度でもこの星に来てくれるとありがたいな。決めた曜日の同じ時刻にね。 そうしたら、ぼくは君を待つようになる。君のバタバタという足音を聞き分けられるようになるし、 君の笑い声が聞こえてきたら、それこそ嬉しくなる。それが友だちじゃないか。
次郎の母 きっといいお友だちになれると思うわ。
賢治先生 二人とも友だちがいないんだから、ちょうどいいかもしれないね。
星の王子さま 君とぼくが友だちになったら、ぼくは毎日バラさんに水を汲むとき、 井戸をのぞいて、君のことを思い出すだろう。「アナタハダレデスカ?」と 言ってみるかもしれない。それだけで毎日が楽しくなるだろう。
次郎 日曜日ニ銀河鉄道デココニクル。
星の王子さま そうしてくれたら、きっと友だちになれると思うよ。 そして、ここで君と二人で遊んだら、その時間の積み重ねが友だちの証になっていくんだ。
次郎 地図ハアリマセンカ?
星の王子さま 地図? どうして、地図なんか?……。
賢治先生 そう言えば、次郎は地図が好きで、やたら詳しかった。
星の王子さま この小さな星には地図なんかありませんよ。まわりを一回り見渡したら、 それが実物大の地図。地図はなくても羊さんがどこにいるかはすぐにわかる。
次郎 羊サンハ地図ノ中ニイマス。
星の王子さま 地図なんかないけれど、まあ、どこにいるかはわかっている。
次郎 地図ニ恋人ノ家ハカイテアリマセン。
星の王子さま そりゃあないだろうね。
次郎 カタカナデ「らぶれたー」ヲ書イタラ、ダメ?
星の王子さま そんなことをしたの……、でもカタカナではいけないと いうわけではないしね。で、どうなったの?
次郎 かたかなデハ相手ニ通ジマセン。ソレデ「らぶれたー」ダケハ、 ひらがなデ書キマス。
賢治先生 ラブレターを書きたい一心でカタカナへのこだわりを捨てたんだよね。 そのとき気づいたんだけど、彼は蝶々の絵を描くようにひらがなを描いていくんだ。
次郎の母 次郎がはじめてすきになったのは担任の先生でした。栗原先生。
賢治先生 あのときは学校中大騒ぎだった。ラブレターもいっぱい書いたよね。
星の王子さま ふーん、次郎くんにもそんな楽しい思い出があるんだ。
次郎の母 楽しかったかどうか……、この子たちの好きは、 歳の差なんて関係ないんですよ。普通の意味で歳の差なんてという感覚じゃなくて、 うまくいえないけれど、そんなこと考慮の外というか、見えていないというか、 まったく関係ないの。そして、ストーカーまがいのことをしてたいへんな迷惑を かけてしまいました。栗原先生も困りはてて、周りの先生方も彼女には警察官の婚約者がいるとか、 いろんなことを言って説得してもらったけど言うことをきかなかった。結局栗原先生は 転勤されました。ほんとうに申し訳なくて、お気の毒で……。でも、その頃は、 家でも暴力をふるったりしてたいへんでした。こんな子どもでも思春期の力ってすごいなって 思い知らされました。
賢治先生 いま話していて気がついたんだけれど、星の王子さまと次郎くんは、 北斗七星と南十字星くらい、まったく違う性格だなっていうこと……。もっとも、 しつこく質問するところなんかは似ているけれどね。
星の王子さま どうしてそんなことを言うのですか?
賢治先生 君は地球に行ったときにキツネさんから、とっても大切なことを 教えてもらった。
星の王子さま それは何? あの、「かんじんなことは、目に見えない」っていうこと?
賢治先生 そうだよ。「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってこと」だよ。 君はそれを信じているよね。でも、次郎くんはちがうんだよ。見えるところは、 他の人の百倍も詳しく見ているけれど、見えないところを心で見るのは、たいへん苦手なんだ。
星の王子さま よくわからないな。
賢治先生 だから、彼はサン・テグジュペリの描いたあの帽子の絵を見たとき、 すぐに「へびの絵」だと見抜いたんだ。小さい目が描いてあるからね。でも、 ヘビの中に象が飲み込まれているなんて信じないんだ。見えないからね。
次郎の母 だから、あの子は、いったん消えた私が再び目の前に現れても、 いままでどうしていなかったのか考えないから、何もふしぎじゃないし、 なつかしいとも思わないの。いま、またいなくなっても、それだけ。けっして探したりしないわ。 養護学校の栗原先生が転勤されたときもそうでした。あんなに好きだったのに、 つぎの日から何もいわなくなってしまった。
(次郎は栗原先生ということばにちょっと反応したように見えた。そのとき、 ちょうど銀河鉄道の列車が入ってきた様子。次郎は駅舎の方を食い入るように見つめている。)
次郎 列車ノ窓ハ水族館ノ鏡ニナッテイマス。ソノ鏡ニイマ栗原先生ノ影ガ映リマシタ。
星の王子さま 君の好きだった栗原先生の影が映ったの?
次郎 栗原先生ノ影ガ映リマシタ。
星の王子さま おかしいよね。この星には人間の女性なんていないよ。 女性といえばそこのバラさんだけだよ。列車に乗っていたんじゃないの?
次郎 栗原先生ハばらデハアリマセン。(で、一同ずっこける。)
星の王子さま 何だ、バラみたいな女性じゃないのか。
賢治先生 次郎くんには、「のような」というのはないんだよ。
星の王子さま 栗原先生が銀河鉄道に乗ってたってこと?
賢治先生 ありえないことだけど……。
星の王子さま 君は栗原先生が好きだったんだね。
次郎 栗原先生ガ好キダッタンダネ。(と、はしゃいで手を打つ。バラが踊る。) 栗原先生ガ好キダッタンダネ。(何度も繰り返して、手を打つ。そのうちに興奮してきて、 思わずバラの葉っぱを一枚むしりとって食べてしまう。)
バラの声 何をするのよ。葉っぱをむしるなんて、野蛮人のすることよ。
星の王子さま あっ、そんな。葉っぱをむしったらバラさんが痛がるじゃないか。
次郎 ゴメン、ゴメンナサイ(と、言いつつ駅舎の柱に額を打ちつける。)ダメ、ダメ、 ダメ……。
星の王子さま もういいよ。バラさんも許してくれると思うよ。(と、自傷を止める。)
次郎 ゴメン……「ごめん」ト「コンソメ」ハチガウヨネ。「ごめんコンソメ」ッテ 言わないからね。……ボクハ、恥ずかしいな。
星の王子さま 何、それ……ジョウダン?
賢治先生 彼は冗談は言わないよ。
星の王子さま そういえば、ここから台本が一部ひらがな表記になっていますよ。 何だか心がこもっているんだ。
次郎 ぼくは、ひらがなでしゃべるほうがいい?
賢治先生 次郎は、いまぼくの目を見たね。あれっ、その額の傷が開いて目みたいに なっている。充血して膨れて、仏さまの目みたいに見える。
次郎の母 まあ、こんなの見たのはじめて。目から血の涙が…… いままで隠されていた目から……。
次郎 (お腹がグーと何度かなる。)腹ヘッタナ。
次郎の母 まあ、この子ったら、こんなときに……。
星の王子さま たしかにお腹が減りましたね。もうとっくにお昼は過ぎていますよ。 さっきあなたがたが来られる前に卵焼きを作ろうとしてたんです。ちょうど渡り鳥のたまごが たくさんあります。大きな卵焼きを焼いて、みんなで食べましょう。
次郎の母 たまごやきはいいけれど、どうして焼くの?火力なんて何にもないじゃないの。
星の王子さま ぼくはこの星に活火山を二つもっているんです。 その一つがほらそこにあるやつ。これで大きなたまごやきを作りましょう。昨日すすはらいをしたばかりだから火力は強いよ。たまにはね、すすはらいをしないと爆発するんです。また、次郎くんに手伝ってもらおうかな。
次郎 活火山ノススハライ?
星の王子さま そう、綿棒の大きいやつを持ってね、煤をとってやるんだ。 休火山のすすはらいもするよ。
次郎 休火山モススハライ。
星の王子さま そう、いつ火を噴くかわからないからね。
次郎 火山ハコワイ、爆発スルト「ばん」トナル。(と、両手で耳をふさぐ。)
賢治先生 次郎くんは、大きな音が苦手だから……。
星の王子さま ちゃんとすすはらいをしているから大丈夫だよ。 そんなことより、この活火山を竈がわり使ってたまごやきを作ろう。
賢治先生 それはいいかもしれない。次郎くんもお父さんと二人の生活で、 たまごやきくらい作れるようになっただろう。
星の王子さま (側にあったフライパンを煙を吐いている活火山の上に載せて、 油を敷く。)ねえ、次郎くん、そこのバスケットの中のたまごを割ってフライパンに 入れてくれないか。
次郎 (何気なく、たまごを手にして割りかけるが、途中でたまごをもったまま ストップしてしまう。体が徐々に激しく震えてくる。)ユビデタマゴガツブレソウ、 タマゴガツブレル。
次郎の母 やっぱりムリです。力の加減がわからないの。
賢治先生 学校時代からそうだった。調理実習でも同じようなことがあった。 力のいれ具合、いいあんばいがわからないんだ。いいから、ぐしゃぐしゃでもいいから、 割ってしまいなさい。
次郎 (たまごをぐしゃぐしゃにつぶしてしまう。母の差し出したハンカチで 手を拭きながら)コワカッタ。(と、ため息をつく。)
賢治先生 一番苦手なことかな。たとえば、鳥の雛を潰さないように手で包み持ったり すること、これが難しいらしいんだ。
星の王子さま 悪かったね、次郎くん。……いよいよ好きになってきたよ。 ぼくと友だちになろう。ぼくの友だちはね、この星のバラさん、そして地球の飛行士とキツネ、 賢治先生、君は5番目の友だちだ。
賢治先生 何か、たまごを割ったりする以外の仕事を次郎くんにやってもらったら……。
星の王子さま ぼくは、火山のすすはらいとか、羊の世話とか、いそがしいからね。 君は目が三つあってよく見えるんだから、ハハ、これは冗談だよ、バオバブの芽を探すことと、 バラさんに水をやる仕事をたのめるかな。バオバブの芽を探すのはなかなかむずかしいんだ、 バオバブの小さい芽はバラと見分けがつかない、だから気を付けてね。 もしバオバブの芽を見逃すと、バオバブの木が大きくなって、 こんなふうに小さな星が潰されてしまう。(と、模造紙に描かれたバオバブの木の 絵が黒子によって掲げられる。)こんなことになったら大変だからね。……それに、 バラさんに水をやるのもたいせつな用事だからね。彼女はぼくの大切な人なんだから……。
次郎 ばらサンニ水ヲヤル、何時ニ?
星の王子さま そうだね。やりすぎるのもよくないから、いつも3時にお願いします。 そこにジョロがあるからね。ぼくは、放牧してある羊を小屋に入れてくるから頼んだよ。 (と、舞台袖に去る。)
賢治先生 おや、でも雲が出てきたよ。ほら、ぽつぽつ落ちてきた。 (と、掌で雨粒を受ける。)
次郎の母 次郎、雨に濡れるとカゼをひきますよ。さあ、駅舎に入りましょう。
次郎 (駅舎の時計を見る)モウスグ3時デス。
次郎の母 さあ、このパラソルを差しなさい。
次郎 (パラソルを差す。)
賢治先生 さあ、お母さん、雨に濡れますよ。次郎くんは大丈夫だから、 駅舎に入りましょう。(と、次郎の母を促して、駅舎に入る。雨音がいよいよ激しくなる。)
(駅舎の時計が3時を打つ)
次郎 3時ニ水ヲヤリマス。(と、パラソルを差しながら、井戸から水を汲んで、 バラに水をやりはじめる。)
星の王子さま (片手でマントを頭に掲げ、羊のかっこうをしたプードルを 抱いて登場する。)何をやっているの。雨の日は、水をやらなくてもいいんだよ。 雲が水を降らしてくれているんだから。
次郎 3時ニ水ヲヤリマス……、デモ、ゴメンナサイ。……「ごめん」ト 「コンソメ」ハチガイマス。「ごめんコンソメ」ッテ言ワナイカラネ。 (と、先ほどとおなじことばを繰り返しながら)水ヲヤッテ、オコッテル? (と上目遣いに星の王子さまを見て、怒っている表情をたしかめて、ふたたび謝る。) ゴメンナサイ、ゴメンナサイ(と言いながら、ふと星の王子さまが抱いている羊に気がついて、 怯えた表情。)犬、コワイ、犬、コワイ。(と叫んで、カサで体をかばいながら後じさる。)
星の王子さま 犬じゃないよ。これは子羊だよ。地球にいったときにパイロットに描いて もらった子羊だよ。子羊だといったら、子羊だと思わないと、劇なんて成り立たないよ。 だいなしになったじゃないか。
(そのとき、銀河鉄道の列車が入ってくる気配がある。)
次郎 犬、コワイ、犬、コワイ……、電車ガキマシタ、サヨウナラ、サヨウナラ……。 (と、カサを回しながら橋がかりから逃げ入る。)
星の王子さま やるまいぞ、やるまいぞ……。(と、追い込む。)

                    【完】

《注1》 引用はすべて内藤濯訳「星の王子さま」(岩波書店)によります。
《注2》 自閉症と言われる人たちの性格行動等については、 著者の経験がもりこまれていますが、 自閉症である本人、あるいは保護者の記録として、山岸裕、石井哲夫編著「自閉症克服の記録」 (三一書房)を参考にさせていただきました。


追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。



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