短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」
−原爆三景−
2009.8.1
【まえがき】
原爆が落とされてから今年(2009)で64年目の夏を迎えます。
原爆の実態がどのようなものであったのかは、
戦後生まれの私にはどうしても分からないところがあります。だから、被爆者を中心に
すえた劇はしょせんムリなのです。
しかし、原爆の経験が、いまにいたって、われわれの中にどのような痕跡を残しているかは
探ってみることができます。それは想像力の問題で
あるからです。
想像力にかかわるということは、それは、十分に演劇のテーマにもなりうるはずのものだということです。
もっとも、そのためにはリアリズムとはちがった
何らかの仕掛けが必要です。でないと、現代の問題としての原爆を浮かび上がらせることなどとうてい
できないからです。どのような仕掛けを構想するかということは、演劇の技術的な問題でもあります。
この脚本は、そういった意味で、一つのささやかな試みです。
原爆を人の目はどのようにとらえたのか。それは原民喜の「原爆被災時のノート」や
詩でうかがうことができます。
鳥の目はどうとらえたのか。よだかは原爆をどう見たのか?
よだかにくわえられたカブトムシはどうみたのか。
また、銀河鉄道の駅から原爆の閃光を目にした宮沢賢治は、原爆をどうみたのか。
そんなふうな仕掛けを設定して、原爆をテーマにした短篇の脚本に挑戦してみました。
上演時間は30分ぐらいではないかと思われます。
お読みいただいて、楽しんでいただければ、これにすぐる喜びはありません。
【では、はじまり、はじまり】
【一場】
(登場人物 原民喜 戦争中の粗末な身なり)
(映像 被爆後の焼け野原、その上に、朗読される作品の字幕が重なる)
(スポットライトの中に原民喜が登場、ぼろぼろの国民服、被災したままのかっこうで)
原民喜 (礼をしてから、おもむろにテキストを取りだして読み始める)
「一場、人間の目……、私、原民喜が8月6日から、心覚えのためにメモをした
「原爆被災時のノート」からの引用です。
八月六日八時半頃
(原爆の閃光が走り、爆発音が響きわたる)
突如 空襲 一瞬ニシテ 全市街崩壊
便所ニ居テ頭上ニサクレツスル音アリテ 頭ヲ打ツ
次ノ瞬間暗黒騒音 薄明リノ中ニ見レバ既ニ家ハ壊レ 品物ハ飛散ル 異臭鼻ヲツキ眼ノホトリヨリ出血
恭子ノ姿ヲ認ム マルハダカナレバ服ヲ探ス 上着ハアレドズボンナシ
達野顔面ヲ血マミレニシテ来ル 江崎負傷ヲ訴フ
座敷ノ椽側ニテ持逃ノカバンヲ拾フ
倒レタ楓ノトコロヨリ家屋ヲ 踏越エテ泉邸ノ方ヘ向ヒ 栄橋ノタモトニ出ズ
道中既ニ火ヲ発セル家々アリ 泉邸ノ竹藪ハ倒レタリ ソノ中ヲ進ミ川上ノ堤ニ至ル
学徒ノ群十数名ト逢フ ココニテ兄ノ姿ヲ認ム
向岸ノ火ハ熾ンナリ
雷雨アリ川ヲミテハキ気ヲ催ス 人川ハ満潮 玉葱ノ函浮ビ来ル
竜巻オコリ 泉邸ノ樹木空ニ舞ヒ上ル
カンサイキ来ルノ虚報アリ
向岸ノ火モ静マリ向岸ニ移ラントスルニ河岸ニハ爆風ニテ重傷セル人 河ニ浸リテ死セル人 惨タル風景ナリ
あの光景は、今でも目に焼き付いています。逃れられないのです。
「河岸には爆風をあびて重症の人、河に浸るようにして死んでしまった人などが見られて、
悲惨な風景であった」と、「被災時のノート」には書いていますが、
ほんとうのところはこんなものではありませんでした。とても書き表せるものではありません。
せめてその百分の一なりと知っていただくために、同じく被災時に作った詩を二つ読みます。
最初は、『原爆小景』より『水ヲクダサイ』。
水ヲ下サイ
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
オーオーオーオー
オーオーオーオー
天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
オーオーオーオー
オーオーオーオー
夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ
つぎに、同じく『原爆小景』より『コレガ人間ナノデス』。
コレガ人間ナノデス
コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス」
(原民喜、礼をして退場)
(暗転)
【二場】
(出演者
カブトムシ 角が2本、足が6本の着ぐるみ
よだか 着ぐるみ、羽根を背負い嘴を付ける)
(映像 セリフの進行に合わせて、飛行機から写した原爆の爆発の瞬間からキノコ雲ができるまで)
(舞台に黒く塗られた脚立を置き、カブトムシの着ぐるみを着た人が、
頭を下に脚立に体を預けて斜め逆立ち、両手を地面に着く。
カブトムシの6本足の一番後ろの足を、よだかの着ぐるみを着た人が嘴でくわえている。
つまり、カブトムシの後ろ足をくわえて空を飛んでいるかっこうで、セリフの遣り取りをする)
カブトムシ (逆立ちのかっこうで)「二場、カブトムシの目と……」(と、叫ぶ)
よだか 「よだかの目」(と、叫ぶ)
カブトムシ 「ひゃあー、よだかさんよ、鳥の目っていうのは、目が回るね。オレは高所恐怖症なのかしら……」
よだか 「オマエが頼むから、くわえて飛んでやってるんだぞ。高所恐怖症なら、下に落としてやろうか?」
カブトムシ 「じょ、じょうだんじゃない。こんな高さから落ちたら、いくら頑丈なオレの身体もグシャグシャに
なってしまうよ」
よだか 「落ちるのがいやなら、喰ってやろうか? そうすれば、苦しみも消えてなくなるぞ」
カブトムシ 「おい、おい、冗談ですよね。まさか、おれを呑みこんだりしないよね。昨日も、
オレたちや羽虫を毎晩殺さないでは
おれない自分をつらい、つらいって言ってたじゃないか」
よだか 「だいじょうぶだよ、今は腹がすいていないから、食べはしない。どこかに、保存しておこうかな」
カブトムシ 「おいおい、モズのようなことを言うなよ。それより、今日は八月六日、天気も上々だ、
ちょっとお空の散歩としゃれ込もうじゃないか」
よだか 「何を生意気な」
カブトムシ 「オレ、知ってるよ。よだかさん、本物の鷹さんから名前を変えろって脅迫されてるでしょう」
よだか 「どうして、そんなことを知っているのだ」
カブトムシ 「夕べ、比治山のクヌギ林で蜜を吸っているとき、カナブンさんから聞きました」
よだか 「おしゃべりなやつだ。しかし、事実は事実。それで、困っているのだ。食欲がわかないくらいな」
カブトムシ 「よかった、そんなときで……。じゃあ、きょうはお空の散歩、いいですね」
よだか 「まあ、いいだろう。オマエも飛べるんだから、そんなに違いがあるとは思えないが」
カブトムシ 「いえいえ、私の飛ぶ高さは、せいぜい、木の梢くらい。こんなに高くは飛べません」
よだか 「それは、そうだが」
カブトムシ 「うわー、高いなあ、どのくらいの高度なのかな?」
よだか 「わからないが、千メートルくらいあるかもしれんな」
カブトムシ 「すごいですね、こんなふうに見えるのか、いつもオレたちが飛んでいる樹木の高さで見るのとは、
まったく景色がちがうよ。」
(「ブーン」という飛行機の爆音が聞こえてくる)
よだか 「何だ、何だ、アメリカさんの飛行機かい、こんな時間に空襲なのかな」
カブトムシ 「三機だよ、空襲じゃないでしょう。偵察かな?」
よだか 「あっ、何か落としていったよ。落下傘が二つ、ゆっくり落ちていくぞ」
(ピカッと光り、ドンという音の後、ゴーといううなりが近づいてくる。画面にも原爆の爆発が映される)
カブトムシ 「何だ、この熱線は、ああ、火の玉だ、地上の近くに太陽が現れた」
(「ウワー」という叫び。カブトムシもよだかも紅く照らし出され、舞台が一瞬まっ赤に染まる。
つぎに熱風に煽られて、二人の体がバランスを崩して舞う)
よだか 「あっちっち」(と、羽根で体を煽って、思わずカブトムシの足を離してしまう)
カブトムシ 「あー、落ちるー」(と叫んで、身体を揺する。よだかがあわてて足をくわえる)
よだか 「ごめん、ごめん。もう少しでオマエをくわえていることを忘れるところだった」
カブトムシ 「身体に火がつこうが何が起ころうが、ちゃんとくわえててくれないと、
……それが命を預かるってことだろうが。びっくりした」
よだか 「偉そうに言うなよ。自分でも飛べるくせに……」
カブトムシ 「そうか、そうだな、泡喰ってしまって、すっかり忘れてた」
よだか 「いまのピカッ、ドンは何だったのだ?」
カブトムシ 「そんなこと、オレには分からないけれど、ただ、オレは体が黒いから、熱線をよけいに吸収して熱いんだ」
よだか 「黒いのは、私もたいして変わらないよ。……それにしても火の玉と爆風、すごかったな。
火の玉から生じた衝撃波が、
火のドーナツみたいに地面を焼き払っていく」
カブトムシ 「ああ、比治山の林の緑が一瞬で焦げ茶色になってしまった。
煙が出ている、あの火でオレたちの仲間が焼かれていくのか」
よだか 「何という巨大な……、紫の火が煮えたぎる上に沸きたつあのキノコ雲の邪悪さはどうだ、
とてもまともに見られるようなものじゃない……。
人間というやつは、ついにこんなものまでつくり出したのか」
カブトムシ 「そして、ああ、おれたちの仲間と同じように、罪もない人間が、
瓦礫と火の中をアリのように逃げまどっている」
よだか 「人間というやつは、何の因果でこんな化けものを作ったのだ。自分たちに降りかかってくることは
分かっているのに……」
カブトムシ 「元はと言えば、よだかさん、あなたは『かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される』と
悩んでいたでしょう。その悩みが、ドンドンつながってこのキノコ雲のような怪物を生みだしてしまったんですよ。
オレはそう思うんだ、……だからね、よだかさんも、オレを食べるのはやめたほうがいいよ」
よだか 「かってなことを言うな。食べないでどうして生きていけるのだ。……みんながおのおのかってなことを言う。
考えてみれば、それが原因じゃないのか、
みんなのかってが積もり積もって
あのキノコ雲になったようにも思えるが……」
(無数の光の粒が舞台一面に映り、上にのぼっていく)
カブトムシ 「何だ、何だ、この白いものは、えー(と、手でつかもうとする)、雪か(と、口に入れて)、
雪だよ、雪、雪が降っているんだ。逆さまに……」
よだか 「上昇気流だ、キノコ雲の上の上昇気流に巻き込まれたんだ。どんどんのぼっていくぞ」
(と、よだかがさかんに羽ばたく)
(映写幕に映された地上写真がどんどん遠ざかっていく)
カブトムシ 「うわー、ほんとうだ。どんどん高くなっていく。さっき言っただろう、オレは高所恐怖症なんだよ、
それに寒くなってきた。頭がボーとする」
よだか 「もう、抜け出すことはできないよ。のぼっていくしかない。どんどんのぼって、
私は、カシオピア座の隣でよだかの星になるのだ。
オマエもカブトムシ座になったらいいじゃないか」
カブトムシ 「オレは、オレは、カブトムシ座になんかなりたくなーい、助けてくれー、助けてくれー」
(カブトムシの叫びが尾を引くなか、暗転)
【三場】
(出演者
宮沢賢治 (銀河鉄道の車掌の服装)
リトルボーイ (ごく普通の小柄な紳士、紫の風呂敷包みを大事そうに抱える)
ファットマン (ごく普通の太った紳士、紺の風呂敷包み)
モギパンプキン (アメリカ軍人の服装、こげ茶の風呂敷包み)
原民喜 (よれよれの背広姿)
(言わでもの注:リトルボーイとファットマンは、広島、長崎に落とされた原爆のコードネーム。パンプキンは
ファットマンと同形の模擬原爆で、予行演習用に開発されたもの)
(映像 夜空の星、銀河があり、銀河鉄道の線路が続いている)
(舞台が明るくなると、列車の窓にそって座席が3列並んでいる。銀河鉄道白鳥座駅の表示。列車は停車中である。
リトルボーイとファットマンが前列に、
モギパンプキンが後列に座っている。
そこに宮沢賢治が車掌の服装で現れる)
宮沢賢治 「あー、私は奇妙な光を見てしまった。銀河鉄道の発車待ちの時間に、
白鳥座駅の展望台から望遠鏡で地球を覗いていて、偶然目にしたのだ。
天の川の底の砂金の粒が揺れたような一瞬のかすかなきらめきを。
わたしが生まれた日本が宇宙に放ったひかりの一閃を。
地球は、しかし水の惑星だから、みずからひかりを発することはないはず、
宇宙の闇のなかでは暗闇にまぎれてその位置すら分からないのだ。それがきょうピカッと輝いた。
ふしぎなひかりだった。よだかの星のように、人がみずからを焦がして浄めるひかりというより、
人間の持つどうしようもない邪悪な暗いものが一瞬触れあいショートしたような、
そんな……ピカッと冷たいひかり方だった。地球のかけ離れた孤独さを浮かび上がらせるような……。
一閃のつかのま宇宙の闇深し身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司短歌パロディー)
何があのひかりをもたらしたのか。これだけ離れたところにあのピカが届くということは
莫大なエネルギーの放出にはちがいない。あれはいったい何だったのだろうか?」
(ポーと汽笛がなって、シュッシュッと銀河鉄道が発車する)
宮沢賢治 「ああ、銀河鉄道が発車した。車掌の仕事にもどらないと……。
(賢治は、帽子を取って、客席に向かって礼をして)車掌の宮沢賢治です。列車は、ただいま白鳥座駅を発車いたしました。
これから列車は、天の川に添って走りまして、南十字座駅までまいります。
途中停まります駅は、小狐座、海豚(いるか)座、矢座、鷲座、楯座、射手座、蠍座、
さらに南半球のケンタウルス座、南十字座でございます。
南十字座駅には23時10分到着予定でございます(と流暢な説明)。
恐れ入りますが、ただいまより、切符を拝見させていただきます」
(と、座席の方に歩み寄る)
宮沢賢治 「切符を拝見いたします」(と、リトルボーイとファットマンの前に立つ)
リトルボーイ 「切符ね。これでいいのかな」
宮沢賢治 「これはスミソニアン航空宇宙博物館のクリスマスカードですね。結構ですよ。ちゃんと写真までありますからね。
あなたがコードネーム・リトルボーイさんですか」
リトルボーイ「はい、そうです」
宮沢賢治 「今日は八月六日ですね。はい、ありがとうございました」
(と、ファットマンに向き合う)
宮沢賢治 「こちらさまもお願いします」
ファットマン「ああ、切符ね。オレのはこれ」
宮沢賢治 「これもクリスマスカードですね。結構です。コードネーム・ファットマンさんで、今日は八月九日。はい、ありがとうございました」
(つぎの座席のところに移ると、モギパンプキンが眠っている)
宮沢賢治 「お客さま、切符を拝見いたします」(と、モギパンプキンを起こす)
モギパンプキン 「ウーン(と、伸びをして)、ああ、ごめんなさい、切符ですね。どこにやったかな」
(と、内ポケットを探っていて、折りたたんだ紙を取り出す)
宮沢賢治 (紙を開いてじっと見る)「モギパンプキンさまですね、
あなたさまもコードネームですか、はい、けっこうですが……。
この写真はちょっとファットマンさまに似ておられますね」(と、切符を返す)
モギパンプキン 「オレもあんなに太っているのかね」
宮沢賢治 「いえ、そんなことはございません、はい。……お三人は地球から来られたのですか?」
モギパンプキン 「そうですよ。地球から……」
宮沢賢治 「ちょっとお伺いしたいのですが、私は、今日、先ほどの白鳥座駅の展望台から望遠鏡で
地球を見ていたのです。地球は惑星ですからね。ふだんは何も見えないのです。だから、正確には
地球のあるあたりを眺めていたのです。すると、ピカッと光ったんです。地球がですよ、ピカッと……、
ありえないことです。光ったんですよ。何かあったにちがいないのですが、お客さんはご存じないですか? 何があったのか……」
モギパンプキン 「今日っていつですか?」
宮沢賢治 「今日は、八月六日です、八月九日です」
モギパンプキン 「どちらなんですか?」
宮沢賢治 「どちらでもたいした問題じゃない。日にちは線路に並んでいる。八月九日の今日がここなら、
八月六日の今日はもう少し行ったところ、
それだけの話です」
モギパンプキン 「よくわからないが、……そのピカはわかる、我がアメリカ軍が、広島と長崎に原子爆弾を落としたのです。
望遠鏡でご覧になったのはその閃光でしょう」
宮沢賢治 「何と言うことを、原爆をヒロシマとナガサキに……」
リトルボーイ 「目が眩む爆弾、ボン、クラムボンが爆発したのです。賢治さんならお分かりになるでしょう。
私の言ってる意味が……」
宮沢賢治 「地球でクラムボンが爆発した? 何ということを……それで、たくさんの人が亡くなったのか?」
モギパンプキン 「ヒロシマでは、おそらく十万人以上の人々が、一瞬にして……、ナガサキでも八万人近い人たちが
亡くなったはず」
宮沢賢治 「ああ、そんなことが行われていいはずがあろうか、ああ……」
(宮沢賢治、深く悩む様子)
リトルボーイ 「原爆を使わなければ、本土決戦ということになり、米兵の死傷者は百万人をくだらなかっただろう。
また、日本の民間人にも多大な犠牲者が出たでしょう。
それは、沖縄戦を見ても想像できることだ。沖縄戦の犠牲者が十八万人を越えているから、
本土決戦では、原爆で失われた命以上の命が、失われただろうことは想像できます。それらの命が原爆によって救われたのです」
ファットマン 「われわれの試算では、本土決戦になった場合の犠牲者はえーと、いくらだっけ、忘れてしまったな。
原爆の犠牲者は二十万人、
差し引き、じゅうぶんたくさんの命が救われたことになる。単なる数学の問題ですよ」
宮沢賢治 「そんなばかな、そんなばかな計算があるものか……こんな虐殺はこれまで、考えられないことだった。
原子の秘密を開放してしまったのがまちがいの元だった。
あのアインシュタイン博士が、特殊相対性理論を発表されたのが
明治38年、私が九歳の時です。質量をエネルギーに変換できる理論的根拠が明らかになった。
しかし、実際にウラニウムからエネルギーを取り出せる可能性がでてきたのが昭和十四年、
私の没後六年だ」
モギパンプキン 「没後かよ」(と、口を挟む)
宮沢賢治 「アインシュタイン博士にとってさえ、
原爆開発がこんなに早いとは思いもよらないことだったらしい。そして、原爆がこんなかたちで日本人の頭上に落とされるとは、
何と言うことだ」
リトルボーイ 「原爆は化け物ではない。偉大な武器だ。威力が規模が大きくなっただけだ。
1トン爆弾が10トンになり、百トン、千トンになり、
1万5千トンになったに過ぎない。
原子の力をそんなに憎むことはないだろう。……おれには分からないが、この銀河鉄道とやらも、
原子力を使っているんではないのか。でなければ、宇宙をこれだけの推力をもって進むことなどできないはずなのだ」
宮沢賢治 「銀河鉄道は想像力のエネルギーを放出して動いている。だからひかりの速さの制約を受けないらしい。
銀河鉄道が放射能汚染をまき散らしてたまりますか……、ところで、あなたがたはこれからどこに行かれるのですか?」
ファットマン 「車掌さんがそれを聞いてどうします。さっき切符を見せたでしょう。次の小狐座駅までですよ」
宮沢賢治 「もしかして、あなたがたが大事そうに抱えておられるそれは原子の火ではありませんか?」
リトルボーイ 「よく分かりましたね。さすがに車掌さんだ」
宮沢賢治 「鉄道には危険物は持ち込み禁止になっています。ちょっと見せていただけますか……」
(三人は、それぞれ風呂敷をほどく。中から、火の入った美しい灯籠が現れる)
ファットマン 「これが原子の火です。あんな破壊力をもったものだとは想像もつかないでしょう」
宮沢賢治 「原爆に感染した星は、遅かれ早かれ滅びる……、私のこれまでの経験ではそうなのです。
あなた方はそんな危険な火をどこかの星に持ち込もうとしているのですね」
リトルボーイ 「原子の火が灯ったからといって、かならず滅びるということはないでしょう。理性の勝った星ならば
うまく制御できるかもしれない。地球もそうであってほしいと思うのですが……」
宮沢賢治 「それが、そうはいかないのです。地球外生命体と交信するという試みがなされているのを知っていますか?
それが、なぜ成功しないのでしょうか。地球外生命がいないわけじゃない。彼らはね、文明が発達して、
交信可能になると、まもなく自分たちを破壊するほどの兵器を開発して、それで滅びていくからなのです。
その間、百年ほどですよ、通信可能な時期というのは……。
数十億年にわたる進化の歴史の中で数百年では、確率的にいっても、お互いに交信できないわけです」
リトルボーイ 「賢治車掌、あなたの説明はあまりに悲観的過ぎる。私は人類がそんなバカだとは思いません」
宮沢賢治 「そうだ。つぎの小狐座駅には近くに天の川が流れています。そこで灯籠流しをしませんか。
あなた方がもってこられた灯籠を、せめてヒロシマ、ナガサキの犠牲者を慰霊するために流すのです」
モギパンプキン 「それはいい、そうしましょう。……私はね、直接原爆を落としたわけではありません、ただ、
ファットマンさんに似せた模擬の原爆を落とす予行演習をしただけなんですが、それでも良心の呵責に耐えかねています。
私は退役後、生活を築き上げることができませんでした。そのせいで強盗も何度かしたし、精神に異常を来して病院に
強制入院させられたこともあります。自分のかかわったプロジェクトで何万人もの人々が一瞬にして亡くなったということは
想像するだけでもおそろしいことです。いたたまれないことです」
宮沢賢治 「犠牲者がそんな規模になると、ますます赦しということがむずかしくなってきます。
人の行為というものは赦すことができる範囲に止めるべきではないでしょうか。
どうして、これだけの犠牲をだした行為を赦すことができるでしょうか。
誰が赦す権利をもつというのか。赦しがなければ、復讐心がかならず残るでしょう。結局、
遅かれ早かれ原爆によって地球は滅びてしまうのです」
モギパンプキン 「ここまでいっしょに来たけれど、オレはもう耐えられないんだ。
……賢治車掌の言われるように灯籠流しをして
死者を慰霊しましょう。せめてそれだけでも……」
リトルボーイ 「いや、オレはそんなことはしない。そんなことが慰みになるとは思えないじゃないか……
モギパンプキン、もっとしっかりしろ、心をしっかりと保てよ」
ファットマン 「そんなに深刻に考えることはないよ。深刻に考え出すとますます深刻に
引きこまれていくんだ。親父がそう言っていたよ。そんなときは何か面白い気晴らしをすればいいんだって……」
モギパンプキン 「オレだけでもやるから、その灯籠をよこせよ」
リトルボーイ 「いやだね。だいじな灯籠を渡してたまるか、自分のだけでやればいいじゃないか」
ファットマン 「おい、仲間割れはやめろや。モギパンプキン、落ち着けよ……」
(三人で、灯籠を奪い合う。宮沢賢治も加わって、ドタバタしているところに、原民喜が亡霊のように現れる)
原民喜 「あのお聞きしますが、車掌さん、つぎは小狐座でしたね。車掌さん……」
宮沢賢治 「ああ、そうです。つぎは小狐座、小狐座駅でございますが……、えーと、お客さんですか?
こりゃあどうも、検札を忘れておりましたね。
ずっとあちらにおられたのですか? それは失礼しました、気がつかなくて……。
では、恐れ入りますが、切符を拝見いたします」
(揉み合っていた三人は、何者があらわれたのかと興味深げに原民喜を眺める)
原民喜 (ポケットを探る)「これでいいでしょうか。私の詩碑の絵はがきですが……」
宮沢賢治 「はい、ちょっと拝見、けっこうですよ。(と、絵はがきを読む)
原民喜、あなたはコードネームじゃありませんね。……原民喜さん本人ですか?」
原民喜 「そうです」
宮沢賢治 「そう言えば、何かで見たような……。それで、詩碑の詩は、こうですかな。(詩が映写幕に映される)
(ゆっくりと考えながら読む)
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ堕つ 天地のまなか
一輪の花の幻
むずかしいですな、これは……、あの日のことですね。〈一輪の花の幻〉というのは……」
原民喜 「それは……」
リトルボーイ 「花、フラワー……、そのフラワーというのは何フラワーですか? 原爆のフラワーですか?」
ファットマン 「灯籠の絵もフラワーだけど……」(と、灯籠を掲げる)
モギパンプキン 「原爆はフラワーなんかじゃないでしょうが……」
宮沢賢治 「思い出しました。あなたは自殺されたと聞いています。被爆から六年目に……。なぜ、そんなことを……、
あの日のことがそれほどショックだったのでしょうか? それとも奥さんに先に死なれてしまったから?」
原民喜 「何が知りたいのですか? 人が死ぬ理由など、自分でさえ分かるはずがない。……まして、他人には……。
あえて言うとすれば、……あれを経験した人間が癒されることなどないのです。ただ、耐えるだけ……」
宮沢賢治 「あなたは、六年間、ただ耐えていたと……」
原民喜 「いや、その前から……、妻は、昭和十九年に亡くなったので、
この先の小狐座駅でぼくを待っているはずなのです」
モギパンプキン 「ちょうどよかった。そこで、慰霊のために灯籠流しをしようと思うのです。
原民喜さん、あなたも奥さんといっしょにやりましょう」
原民喜 「ぼくは、ただ……」
モギパンプキン 「その灯籠を寄こせよ、なあ、原民喜さんと奥さんにあげるんだから……」
(ふたたび三人が灯籠を奪い合って揉み合う。宮沢賢治がそこに割ってはいるが、止められない)
宮沢賢治 「そんなふざけた扱いをしていたら原子の火が爆発しますよ」(と、叫ぶ)
(映写幕に原爆が爆発する瞬間の映像が映る。それに重ねて、灯籠の花の絵が幻灯で映し出される。
二つの映像は重なったまま揺らいでいる。
舞台をピカッと閃光が走り、ドンという爆発音がはじけると、原民喜が「あー」という悲痛な叫びとともに、
耳を押さえて蹲ってしまう。
賢治先生、リトルボーイ、ファットマン、モギパンプキンの四人は、紅く染まった舞台で取っ組み合ったまま固まってしまう。
幕)
【完】
追補
1、【一場】の最初の朗読のところ、「被災時のノート」がむずかしければ、
『夏の花』から同じ箇所を抜粋して
読むといった方法も考えられます)
追追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで
ご連絡ください。
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