「賢治のイフはめんだうだ」 二幕三場

【あらすじ】
「卒業式が近づいて、生徒たちに美容講習会が開かれています。 男子のネクタイ結びは左右が入れ替わったりで生徒たちは四苦八苦しています。 賢治先生がモデルになって、山高帽にコートの衿をたてて歩くと誰かに似ています。 そこにニューハーフのあやしげな美容部員がお化粧の仕方の講師として現れます。 そしてまたしても賢治先生は、顔の左右半分に別々のハレとケの化粧をされてしまいます。 化粧した自分を鏡で見ていると、突然、鏡の中から腕が現れて、 賢治先生をつかんで鏡の中に引きずり込んでしまいます。 じつは賢治先生のところに昨日おかしなはがきが舞い込んできていたのです。 「めんどなさいばんしますから、おいでんなさい」というのです。 鏡の中の世界で賢治は突然被告席に座らされます。宮沢賢治が昭和八年よりさらに生き延びて 太平洋戦争の時代になったとき、どんなふうに身を処したのか、 童話の主人公を裏切るような情けない振る舞いをしなかったかどうか、 そういった賢治のイフを検証する裁判が開かれます。検事側、弁護士側、 双方の証人が次々に呼び出されて賢治の立場について証言していきます。
詳細は読んでもらうしかありませんが、大筋は、歴史的な賢治のイフを裁判仕立てで 検証するという法廷劇のしつらえになっています。

【では、はじまりはじまり】
ナレーター 宮沢賢治は昭和八年、三十七歳で亡くなってしまわれました。 満州事変が昭和六年、 すでに中国への侵略の一歩、いや二歩、三歩が踏み出されていました。 その踏み込んだ足に引きずられるのか、 それとも背中を押されるのか、日本はずるずると泥沼のような戦争に巻き込まれていくのです。 宮沢賢治が その時代を生き延びていたら、どうなったのでしょうか。 あのころの人たちのおおくがそうであったように、 戦争を煽り立て、アジアの人達を踏みにじる目のつりあがった修羅のひとりに なりはてたのでしょうか。 「雨ニモマケズ」の詩人として戦争責任を問われる道もありえたのです。 それとも、宮沢賢治は戦争の渦には 決して巻き込まれることなく、東北花巻の地方詩人、童話作家、農民芸術家として、 一生を終えたのでしょうか。 そのことを、歴史の「イフ」を、あえて私たちは検証してみたいのです。

一幕
(幕が上がる。生徒達が思い思いに椅子に座ったり、立ったりしている。チャイムが鳴る。賢治先生が入ってくる)
生徒達 (歌う)
賢治先生はふしぎな先生
賢治先生はふしぎな先生
なんでも教えるふしぎな先生
  ふしぎを教えるなんでも先生
山でさけべばこだまがこたえる
天の川にも銀河鉄道フリーパス
賢治先生はふしぎな先生
こころにのこるあの叫び

賢治先生 きょうは、卒業前の美容講習だな。この養護訓練室には大きい鏡があるから、きょうはここでやることにするよ
生徒 先生、ネクタイ持ってきました
賢治先生 よし、ぼくもこのネクタイをはずして、と、 では、男子のネクタイ結びから先にやろう
山口先生 女子はすこし見ていなさい
生徒 むずかしいですね、ネクタイは(と、首に巻き付けている)
賢治先生 なかなかね、見ているのと自分がやるのとは、左右が、左と右が逆になるからな。みていなさい。右が左で左が右で
生徒 右が左で、左が右で
賢治先生 そうそう
生徒 右が左で左が右で、どっちが上ですか。ややこしいな
賢治先生 じゃあ、はじめにこれを覚えて
(賢治先生はネクタイをはずして、あらためて結びながら山口先生といっしょに歌う)
右が左で、左は右で、ぐるっと回して穴くぐり
上下は上下で、前後は前後、逆立ちしないで裏返らない
右が左で、左は右で、穴をくぐって締め上げて
前は長めで、後ろは短め、ピンでとめればできあがり
これがネクタイ結びのコツだ
生徒達 (同じように歌いながら結ぶ練習をする)
右が左で、左は右で、ぐるっと回して穴くぐり
上下は上下で、前後は前後、逆立ちしないで裏返らない
右が左で、左は右で、穴をくぐって締め上げて
前は長めで、後ろは短め、ピンでとめればできあがり
生徒 むつかしいな
生徒 首がしまっちゃうよ
生徒 おれのはなずれないぞ
(賢治先生と山口先生が補助しながら全員が結びおわる)
賢治先生 一応は結べたようだが、一度や二度では覚えられない。また練習すればいいから
山口先生 賢治先生、その帽子をかぶってファッションショーをやってください。 紳士の服装というのをみんなに見せてあげてください
生徒達 (拍手をする)
生徒 まってました、賢治先生
賢治先生 じゃあ、山高帽をこうかぶって、コートの衿をたてて(俯き加減に歩く)
山口先生 そんなにはずかしがらずに
生徒 かっこいいぞ
生徒 賢治先生、そっくり
山口先生 だれに似ているの
生徒 賢治先生はあのひとに似てるな
生徒 似てる、似てる
賢治先生 えっ、似てるか、だれに
生徒 うん、たしかに似てる。猫背が似てる
(スライドで、賢治が花巻農学校付近を散歩している写真と、 昭和天皇の巡幸の写真が交互に映される。雰囲気が似ている)
賢治先生 そんなことをいうもんじゃない
生徒 どうしてですか
賢治先生 (明らかに動揺して)どこがにているんだ
(正体不明の声が難詰の調子で聞こえてくる) 畏れ多くも天皇陛下に似ているとは何事か、不謹慎な
賢治先生 おれがいったことではないのだ
生徒 先生、たしかに似ていますよ
賢治先生 しー、そんなこというもんじゃない
生徒 どうしてですか
賢治先生 だれが、聞いていないともかぎらん。壁に耳あり、 障子に目あり(と、おびえたようにまわりを見回す)
山口先生 賢治先生、なにを畏れていらっしゃるの
賢治先生 治安維持法です
生徒 治安維持法ってなんですか
生徒 オームをつぶすための法律
賢治先生 いやもっと昔の法律で、政府に反抗するやつらは、みんな牢屋いきだ
(チャイムが鳴る)
山口先生 チャイムがなりました。では、おまちどうさま、 女子のお化粧の講習に移りましょうか。 まず、ニューハーフ化粧品の美容部員の方に入っていただきましょう
(美容部員1、2入ってくる。二人ともおかまである)
美容部員1 みなさんよろしく
美容部員2 では、これから化粧の仕方について話しをします。 男性のかたもいっしょに聞いておいてくださいね
美容部員1 まず、だれか化粧のモデルさんになっていただけませんか。 できれば、お二人のかたに手伝っていただきたいの
美容部員2 だれもいないの
山口先生 なんや、あかんたれやね。いつもはあんなに元気なのに
生徒 先生、やってください
山口先生 わたしは、だめ。きょうは化粧ののりがわるいの
生徒 ずるい。あんなこといって、にげてる
山口先生 にげてませんよ
賢治先生 いや、ぼくがなります。
美容部員1 おやおや、先生が申し出てくださいましたよ。だったら、 あと一人、だれかいませんか
山口先生 いないの。おかしいね
賢治先生 ぼくが、二人分やります。そのほうがこちらも都合がいいから
美容部員2 まあ、先生がふたりぶんを、でも化粧をおとして、また
賢治先生 いや、顔の右半分と左半分でお願いします
美容部員1 まあ、左右半分ずつで二人分の化粧をするんですか
賢治先生 そうです。お願いします
(美容部員は化粧をしながら説明を加えていく)
美容部員1 化粧のやりかたにはふたつあります。ハレの化粧とケの化粧です
美容部員2 ハレというのはハレの日の化粧です
生徒 わかりません。ハレの日ってなんですか
美容部員1 ハレはハレがましいことです。祭、こころのお祭の日です
生徒 じゃあ、ケというのはなんですか
美容部員2 ケというのは、ふつうの日のことです。
美容部員1 ハレの化粧は右側に、ケの化粧は左側にしましょう
美容部員1、2 (化粧しながら歌う)
男は整髪、女は化粧、別のトイレに別ことば
男は男で、男の女、歌舞伎のおやまにニューハーフ
女は女で、女の男、女剣劇宝塚
女は男で、男は女、わからないのが仏様
さあ、できましたよ
美容部員1 (回りから見て)賢治先生、とってもすてきよ
美容部員2 ほら、もっと右の眉毛を濃く描きましょうか。右はほらほら眉も濃く、右翼の顔にしてさしあげましょう
美容部員1 左はほらほら眉薄く、左翼の顔にしあげましょう
美容部員2 右はほらほら頬落ちて、国柱会の闘士然
美容部員1 左はほらほら頬丸く、労農党のシンパ然
生徒 わけのわからないことをいわないでください
山口先生 ほら、おしろいを塗って、頬紅をつけて、眉を描いて、だいぶんできあがってきましたよ
生徒 宝塚が一人でやれそうよ
賢治先生 (化粧ができて、立ち上がる)これでも、おれはあの昭和天皇に似ているのか (と、客席に問いかける)
(客席からは、「似ている」「似ていない」の声がかかる。 賢治が俯き加減に歩いたり、後ろを振り向いたとき 「やっぱり似ている」の声)
生徒達 (はやすように、歌うように。特に「彼氏」に力を入れて)
立てば農民、坐れば技術者、歩く姿は昭和の帽子
右は法華で、左は労農、後ろ姿は昭和の彼氏

立てばしゃくやく、すわればごぼう、歩く姿は猫背の帽子
右は法華で、左は労農、後ろ姿は昭和の彼氏

立てば軍服、すわるは馬上、歩く姿は昭和の帽子
右は元帥、左は博士、後ろ姿は昭和の彼氏

生徒 やっぱり、似てる
美容部員1 先生がモデルになってくださったおかげで、基礎化粧の仕方がわかっていただけたと思います
美容部員2 先生はとってもすてきでした
山口先生 では、これから女子の人たちに化粧をしてもらいます。 向こうの部屋にいきましょう。 男子のみんなはきてはだめですよ
女子生徒 のぞきをしたら、警察にいうわよ
女子生徒 それより、お金をもらったら
男子生徒 だれが、見にいくもんか。お金をもらっても見てなんかやるもんか
山口先生 では、いきますよ(と、女子生徒といっしょに去る。男子生徒は、 こっそりとその後を追う。 左右別の化粧をした賢治先生がひとり残される。立って、大きい鏡の前にいく)
賢治先生 オレはそんなに昭和天皇に似ているのか (と、後ろ姿を見ようとする)。そういえば、 チャップリンもヒットラーに似ていると言われていた。 しかし、むかしからそっくりさんは危ないのだ。 エライヒトに似ているなんてロクなことはない。似ていて得をしたのはチャップリンくらいのものか。オレは自信がない。 戦前にタイムスリップしたら生徒に顔向けができないようなことをしでかすはめになるのだろうか
(スライドでチャップリンとヒットラーの写真が交互に映される。賢治先生が後ろを向く、 「やっぱり似てる」のかけ声が客席からかかる。声の大きさに驚いてしりもちをつきかける賢治先生の鏡像が、 鏡の向こうに現れて同じように驚く仕草をする。もちろん鏡の中の賢治先生も左右別の化粧をしており、 以後お互いの対称の動きを繰り返す。しばらくは、その鏡のパントマイムが続く)
賢治先生と鏡像 (ふたりで動きながら歌う)
左は右で、右は左で、左右は逆で、入り交じり
上は上で、下は下で、上下はちゃんと、入り交じらない
男が女で、女が男で、男女が逆で入り交じり
上は上で、下は下で、上下はちゃんと、入り交じらない
賢治先生 おれにはよくわからん
賢治先生の鏡像
右は左で、左は右で、左右は逆で、入り交じり
上は上で、下は下で、上下はちゃんと、入り交じらない
(ひとりでつぶやいていたが、突然、ほんものの賢治先生が動きを止めて 考え込んでいるのに気付いて黙る。)
賢治先生 おかしなはがきが、きのうの夕がた、わたしのうちにきました。
(はがきを取り出して読む)
賢治先生さま、九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです
あした、グスコンブドリのまつりに
めんどなさいばんしますから、おいでんなさい
とびどぐもたないでくなさい
山ねこ 拝

(はがきを読み終わると、突然、鏡の中から腕が現れ、賢治先生をつかんで鏡の中に引き込んでしまう)
(暗転)

二幕一場
(羅須地人協会の部屋の中。部屋の奥に演劇の練習にでも使う大きい鏡がある)
馬車別当 (鏡の中に手を突っ込んで賢治先生を引っ張り出してくる) そうら、賢治先生さまおいでんなさい
賢治 先生じゃなく、賢治でいいよ。ところで、あなたは山ねこをしりませんか
馬車別当 (にやっと笑って)山ねこさまはいますぐに、 ここに戻っておいでやるよ。その前にしなけりゃならんことがある。 飛び道具はもってないだろうな
賢治 そんなものは持ってませんよ。ところで、あなたは、どうして、わたしを知ってますか
馬車別当 そんだら、はがき見たべ
賢治 みました。それでわざわざ化粧して来たんです
馬車別当 あの文章は、ずいぶん下手だべ
賢治 さあ、なかなか文章がうまいようでしたよ
馬車別当 あの字もなかなかうまいか
賢治 (おもわず笑いながら)うまいですね。あなたのこころがあらわれている
馬車別当 (よろこんで)あのはがきはわしが書いたのだよ
賢治 ぜんたい、あなたはなにですか
馬車別当 わしは山ねこさまの馬車の運転手だよ
(そのとき、どうと風の音がする)おっと、山ねこ裁判長のお出ましだ
(山ねこ裁判長、登場)
山ねこ裁判長 こんにちは、よくいらっしゃいました。じつはおとといから、 めんどうなあらそいがおこって、 ちょっと裁判にこまりましたので、張本人のあなたに来ていただくのが早道と考えたのです
賢治 どんな裁判なんですか
山ねこ裁判長 おっつけ、どんぐりが背くらべをしながらまいりますから、 しばらくお待ち下さい
(やがて、がやがやとさわがしく、どんぐりの絵を額につけた生徒達が現れる。 赤いずぼんをはいている)
どんぐり1 山ねこ裁判長さま、遅れて申し訳ございません。 つい背くらべに夢中になっていたものですから
山ねこ裁判長 けしからん。遅刻するようでは陪審員の責任を果せないではないか。 今後こういうことのないように。 しかし、宮沢賢治被告もついいまさっき来たばかりだ
賢治 被告、わたしは被告なのですか
山ねこ裁判長 なにをいまさら。そんなことは先からわかっていることではないか
賢治 いや、とんでもない。わかっていませんよ
山ねこ裁判長 被告宮沢賢治が平成の世に現れた罪、出現罪についてはすでに結審しており、 被告の有罪は決定しておる
賢治 そんなことは初耳だ。右耳も左耳も空耳も聞いたことがない。初耳だ
山ねこ裁判長 なんだ、その耳尽くしは……。法廷を侮辱しようというのか
賢治 めっそうもない。ただ、初耳なのだ
山ねこ裁判長 初耳とあればしかたがない。説明してやろう。 この裁判は、被告の出現罪もどき、 つまり宮沢賢治被告が昭和八年よりさらに生き延びて太平洋戦争の時代にいたれば、 われわれ童話の主人公を裏切るようなふるまいをしなかったかどうか、 それを裁く、刑法第九百三十五条、 童話冒涜罪容疑。その被告が宮沢賢治、あなたです
賢治 そんな罪は聞いたことがない
山ねこ裁判長 あなたは「春と修羅」という詩のなかで、自分を修羅と呼んでいる。 自分は修羅で、 いつも修羅を免れているものたちを主人公に童話を書いた。 童話の中だけではなくて、この世の中には修羅を免れているものもいる。 その修羅を免れているものの名において、宮沢賢治を裁くのだ
賢治 修羅をまぬかれたものの名において
山ねこ裁判長 そうだ
賢治 修羅をまぬかれたものというのは、だれのことですか
山ねこ裁判長 たとえばそこのどんぐりたちだ。 かれらは修羅をまぬかれたえらばれた人たちだ。 お前の童話の登場人物もそうだろう。風の又三郎も山男もなめとこやまの熊も、 そしておきなぐさや滝もわたぼうしも雪婆んごも
賢治 そういうことか(と、つぎの詩句を朗読する)
まことのことばはうしなわれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
ああ、その時代にまで私が生き延びていれば、 まことのことばはうしなわれていたかもしれないと
山ねこ裁判長 そうなのだ。そのときこそお前は修羅の無残をさらしたかもしれないではないか。
まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる
「春と修羅」の中のこのことばが予言となるのかどうか、それを調べるための裁判なのだ。 (声を改めて)被告人には弁護士を選ぶ権利がある。だれか、 自分が弁護してほしいひとを選びなさい。だれでもいい
賢治 (しばらく考えて)羅須地人協会のなかまのセロ弾きのゴーシュに頼みます
山ねこ裁判長 よし、弁護人、セロ弾きのゴーシュ
ゴーシュ (チェロを持って現れる)承知いたしました。 ほかでもないわれらの仲間賢治先生のため、 チェロを書類に持ち替えて、及ばずながら弁護を引き受けさせていただきます。 (ルルルルルとチェロを奏でるふりをして)それで、検事さんはどちらさんで
山ねこ裁判長 月夜のでんしんばしら鬼検事どのだ
(月夜のでんしんばしら、書類を持って現れる。賢治を見て不機嫌に顔をそむける)
月夜のでんしんばしら 裁判長、いつになったら裁判をはじめるのですか。 私ははやさをモットーにしております
山ねこ裁判長 おほん、では、そろそろ裁判をはじめようか。一同のもの、座りませい
(山ねこ裁判長は中央に少々下手を向いて、その右にどんぐりが並び、 検事は上手に弁護士は下手に陣取る。 賢治は裁判長に向かって後ろ向きに座る。だから、賢治が検事の方を見るときは顔の右半面が、 弁護士の方を見るときは 顔の左半面が見えることになる)まず、最初に月夜のでんしんばしら検事殿より証拠 調べをお願いいたします
月夜のでんしんばしら では、賢治被告の童話罪容疑について、 検事から尋問いたします。 (書類を読む)被告人、宮沢賢治は、昭和八年に結核により死亡致しておりますが、もし、 さらに生き延びて昭和九年、十年、十一年、十二年、十三年、十四年、十五年……
どんぐり いつまでやるんだ。いいかげんにしろ(と、やじが入る)
月夜のでんしんばしら いや、つまり太平洋戦争まで生き延びたとすれば、 おおいに童話冒涜罪を犯したおそれがあるのであります。 つまり己の童話の主人公や読者におおいなる幻滅を与えたに違いないのであります。 そのことについての証拠を証拠物件一として証人田中智学を申請いたします
山ねこ裁判長 だれですか、その田中智学というのは
月夜のでんしんばしら 国柱会の代表です
田中智学 ナムミョウホウレンゲキョウ、ナムミョウホウレンゲキョウ (と、うちわ太鼓を打ちながら現れる)
山ねこ裁判長 証人の身分、名前は
田中智学 国柱会代表、田中智学です
月夜のでんしんばしら 証人にうかがいます。被告宮沢賢治は、 大正十年、国柱会に入会し、奉仕活動をしておりますが、 間違いありませんか
田中智学 それに相違ありません。日蓮聖人の教えに従う奉仕活動をしておりました
月夜のでんしんばしら 国柱会というのは、大日本帝国がアジアを侵略していくのを、 助けた宗教団体ですね。 八紘一宇とか大東亜共栄圏とかいう掛声をかけましたね
田中智学 はい、そのとおりです。言い逃れや取り繕いはいたしません。 そのとおりです。掛け声をかけただけではなくて、 多くの人たちが生きることができるなら、一人を殺すことも認めてまいりました
月夜のでんしんばしら 裁判長、お聞きの通りです。賢治被告はこの点において 有罪であります
賢治右 違う法華経の信仰があるのだ。それを分かってほしい
ゴーシュ 裁判長、それは早計であります。早合点です。 たしかに賢治被告は法華経を信じていました。 生きるよすがにしておりました。しかし、それは先程、田中智学証人がおっしゃったような、 政治を大言壮語するような種類の信仰ばかりではなかった。おおくの人たちを救うために、 一人を殺すのではなく、自分を殺す、自分が犠牲になる信仰でした
月夜のでんしんばしら 山ねこ裁判長、弁護人は証拠もないのに、 わざと被告を聖人に仕立てあげようとしております
ゴーシュ 裁判長、そうではありません。 弁護人は証拠として被告の晩年の童話作品「グスコーブドリの伝記」 の原稿を提出いたします
山ねこ裁判長 月夜のでんしんばしら検事は、この証拠品に不服はありませんか
月夜のでんしんばしら 「グスコンブドリの伝記」ですか
ゴーシュ 「グスコーブドリの伝記」です
月夜のでんしんばしら それでしたら、しかるべく
ゴーシュ 「グスコンブドリの伝記」いやまちがいました。 「グスコーブドリの伝記」はまさに賢治被告が、 自分を犠牲にしてでもほかの人たちを救うという法華経信仰の変奏がみられます。法華経信仰には、 声高に政治を論じる田中智学証人の信仰とは一味も二味も三味も違った、もっともっと自分に厳しい、 ほかの形がありうるのです。ひとたびは国柱会に 入会したとしても賢治被告の信仰はそんなものでした。 たとえば……(ゴーシュはチェロを取り上げて、 ナムミョウホウレンゲキョウにあわせてそれなりの メロディーで歌曲風に弾き語りする。賢治は指揮するように手を動かす) ナムミョウホウレンゲキョウ、ナムミョウホウレンゲキョウ、 ほらこんなふうに開放弦でも弾けるんです。 ナムミョウホウレンゲキョウと、まあこんな風な法華経の信仰もあると被告はいうのです
賢治 そのとおりです。ゴーシュ、よくいった。 わたしの考えもそのとおりだ。ぼくらならどんな意気地ないやつでも、 のどから血がでるまでは叫ぶんですよ。ナムミョウホウレンゲキョウ、 ナムミョウホウレンゲキョウ(と、 ゴーシュをまねて小さく歌う。こちらは少々演歌風)
ゴーシュ 賢治先生、すこしちがいます。先生のは演歌風です。 もっと上品にやらなくては
田中智学 あなたは法華経を侮辱するのか、 題目を歌曲でやるとは……(あまりの憤りのために言葉に詰まる) 謗法の罪というのがあるんだぞ。こんな侮辱をうけるのなら来なければよかった
月夜のでんしんばしら なかなかの反論ですな。しかし、賢治被告が国柱会に 入っていたという事実は否定しようがない
田中智学 国柱会が、何が悪い。題目を歌曲でやられるような不愉快な 裁判に付き合うつもりはない。 わしは帰る(うちわ太鼓を打ちながら去る)ナムミョウホウレンゲキョウ、 ナムミョウホウレンゲキョウ
賢治左 田中大先生の国家がもし一点でもお国を狂わせるようなものなら、 もう七里けっぱい御免を蒙ってしまう所です
どんぐり達 (ざわざわとし、プラカードを挙げる。 ケンジを表す丸ケとベンゴシを表す丸ベがあるが、 いまは丸ケのほうが圧倒的に多い。つまり検事有利)
月夜のでんしんばしら つぎの証人は被告の友人の保阪嘉内さんです
(保阪嘉内、はがきをもって登場)
山ねこ裁判長 証人の名前は
保阪嘉内 保阪嘉内です
月夜のでんしんばしら 賢治被告の軍隊に対する考え方をあなたに書いてきた ことがあると聞きました。 どんな内容か聞かせてください
保阪嘉内 はい、もうしあげます。賢治くんは、 私へのはがきに、このようなことを書いて来ております。 「戦争は世界に人が多すぎるので、その調節をするために起こるのです。 その戦争に行きて人を殺すという ことも殺す者も殺される者も皆おなじように法華経のおぼしめしのままなのです。」 また、こんなはがきもあります。 「陛下のまことのたから、勇ましい若い兵隊。ぐずぐずしたこころや、 変な理屈やわけもわからない悲しみや、 途方もないうらみやらは、兵隊の汗になってみんな蒸発して消えてしまえ。 命をささげる覚悟だけでなく、 いろんなことをしんぼうして、わたしも軍隊に入ったつもりで毎日を送っています。」、 こんなものですか。 以上です。賢治くん、もうしわけない。君のためになるというのでしようがなしに 証言するはめになったんだ。許してくれ
月夜のでんしんばしら 裁判長、お聞きになったように、 保阪さん宛のはがきに見られるのは、軍隊にたいする賛美のこころです。 これこそ、童話罪でなくてなんでしょうか。
山ねこ裁判長 ゴーシュ弁護人、なにか反対尋問はありますか
ゴーシュ もちろん、あります。反対尋問の準備をしますので、しばらくお待ち下さい (ゴーシュ、下手を振り返る)では、準備ができたようです。 われら羅須地人協会の仲間による劇「飢餓陣営」をご覧ください

劇中劇「飢餓陣営」
曹長 一時半なのに、二時なのにどうしたのだろう。バナナン大将はまだ来ていない。 腹時計はもう十時なのに。バナナン大将は帰らない(首を長くして遠くを眺める)
特務曹長 三時半なのに、四時なのにどうしたのだろう。 バナナン大将はまだ来ていない。腹時計はもう十時なのに。 バナナン大将は帰らない(首を長くして遠くを眺める)
兵士1、2、3、4、5 (フラフラと行進してきて、よろよろと止まる)
兵士1 食べ物はなし、腹は減る
兵士2 腹が減っては、四月の寒さも身にしみる
兵士3 腹が減り過ぎて腹時計ももうめちゃめちゃだ
(懐から目覚まし時計を取り出して見る。あまり受けないので期待はずれの顔)
兵士4 どうしたのだろ、バナナン大将。もう一遍だけ、 見て来よう(背伸びをして、そのままよろよろと倒れてしまう)
兵士5 おい戦友、しかっりしろ
(上官と兵士の合唱。元気なくきれぎれに)
いくさで死ぬならあきらめもするが
いまごろ飢えて死にたくはない
ああただひときれこの世のなごりに
バナナかなにかを、食いたいな
(一同、歌い終わると、よろよろとその場所にへたりこんでしまう)
バナナン大将 (登場、バナナの肩章、お菓子の勲章を付けている)つかれた、 つかれた。すっかりつかれた。 脚はまるきり二本のステッキ、いったいすこうし飲み過ぎたのだし、 馬肉もあんまり食い過ぎた。(まわりを見回して) 何だ、まっくらじゃないか、今ごろになってまだあかりもつけんのか
兵士1 腹が減って、灯もつけられん
バナナン大将 灯をつけろ、まぬけめ。まるで泥人形だ (叫びながら、崩れるように倒れて、いびきをかいて寝てしまう)
兵士2 (灯をつける)大将の肩飾りは実にうまそうだなあ
曹長 それはうまそうだ
兵士3 大将の勲章は実に甘そうだ
曹長 たしかに実に甘そうだ
兵士4 曹長どの、食べるというわけにはいかないものでありますか
曹長 それは、けだしいかない。軍人が名誉ある勲章を食ってしまうという前例はない
兵士5 特務曹長どの、食ったらどうなるのでありますか
特務曹長 軍法会議だ。それから銃殺にきまっている
曹長 上官、私は決心いたしました。この飢餓陣営の中におきましては、 もはや私共の運命は定まってあります。 戦争のためでなく飢餓のために全滅するばかりであります。 バナナン軍団のただ八人の生存者、 われわれもまた死ぬばかりであります。この際私が将軍の勲章と肩章を盗み、 これを食べることができたら、 私共は死ななくてもすみます。そして私はその責任をおって軍法会議にかかり、 銃殺されようと思います
特務曹長 曹長、よく言ってくれた。貴様だけは殺さない。 おれもきっと一緒にいくぞ。五人の命の代わりに二人の命を投げ出そう。 よし、やろう。集まれっ。気を付けっ。直れっ。番号
兵士達 1、2、3、4、5
特務曹長 よし、閣下はまだおやすみだ。いいか、 われわれはすこし変則ではあるが、これから食事を始める
兵士達 (よろこぶ)
特務曹長 しかし、盗むというのはいかん。もっと正々堂々とやらなくちゃいけない。 いいか、おれがやろう。閣下、 起きてください、閣下
バナナン大将 なんじゃ、そうぞうしい
特務曹長 閣下の勲章は皆実に立派であります。 私共は閣下の勲章を仰ぎますごとに実に感激してなみだがでたり、 のどがなってよだれが流れたりするのであります
バナナン大将 ふん、それはそうじゃろう
特務曹長 しかるに私共はまだ不幸にして、その機会をえず、 勲章を手にとって拝見してはいません
バナナン大将 それは、そうじゃ、今まではいそがしかったからな
曹長 みせていただけますか
バナナン大将 それはよろしい。どの勲章をみたいのだ
曹長 一番大きなやつから
バナナン大将 これが一番大きいじゃ。ロンテンプナール勲章じゃ
曹長 ここにチャコレートがついております
特務曹長 実に立派であります。そら(と、兵士1に渡す。兵士1、 たちまち横を向いて食べてしまう)
曹長 おまえたち、つぎにどれが見たい
兵士2、3、4、5 わたしはこれとこれ(と、それぞれもぎとるようにして 勲章を取り、横を向いて食べてしまう)
バナナン大将 その勲章は、ナポレオンの勲章、じつは夜店で六十銭で買ったもの、 そっちのは息子のおもちゃ箱から取り返してきたもの、つぎのは手製じゃ、 手製じゃ、わしがこさえたのじゃ
特務曹長 ついでにその肩章も拝見いたしたいものであります
バナナン大将 ふん、よかろう
曹長 実にはなはだしくあります。お借りします (と、奪うようにはずして、横を向いて一本食べてしまう)
バナナン大将 いかん、いかん、肩章をこわしちゃいかん
特務曹長 なに、すぐ組み立てますから(といいつつ、一本食べてしまう)
バナナン大将 あっいかんいかん、皮を剥いてはいかんじゃ
曹長 急ぎのみくだせい、おいっ
バナナン大将 ああ、なさけない。畜生、勲章と肩章をみんな食いおったな。 どうするか見ろ。大日本帝国軍人がなさけない
兵士1 おれたちは恐ろしいことをしてしまったなあ
兵士2 腹がすきすぎていたんで、夢中でやってしまったなあ
兵士3 勲章が口のなかに飛び込んできたようだった
兵士4 将軍と国家とにどうおわびをしたらいいかなあ
兵士5 死ぬより仕方がない
兵士達 みんなで死ぬか
曹長 いいや、みんなおれが悪いんだ。おれがこんなことを考えたんだ
特務曹長 いいや、おれが責任者だ。おれが死ななければならない
兵士達 いいえ、だめであります。だめであります
曹長、特務曹長 (歌う)
飢餓陣営のたそがれの中
犯せる罪はいとも深し
ああ、夜のそらの青き火もて
われらが罪をきよめたまえ
兵士達 ああ、みめぐみの雨をくだし
われらが罪をゆるしたまえ
(曹長と特務曹長がピストルで自殺しようとする)
バナナン大将 止まれ。やめい
(二人は呆然とたっている。バナナン大将がピストルを奪い取る)
バナナン大将 もうわかった。おまえたちの心の底は見届けた。 おまえたちの誠のこころに比べたらおれの勲章や 肩章などなんのねうちもないのだ
曹長、特務曹長 将軍、お申し訳のないことをいたしました
バナナン大将 いいのだ、いいのだ。みんなで歌え。歌え
全員 いさおかがやく バナナン軍
うえとつかれを いかにせん
やむなく食べし 将軍の
かがやきわたる 勲章と
ひかりまばゆき 肩飾り
その責任は どうとるか
軍法会議で 死ぬべきか
そのとき雲の かなたより
神ははるかに みそなわし
くだしたまえる みめぐみは
新式生産体操ぞ
(一同礼。舞台からも客席からも拍手。一同ふたたび礼をして脇へよける)
ゴーシュ いやあ、羅須地人農民劇団のみなさん、 どうもごくろうさんでした(と、拍手をしながら立ち上がる)。 ご覧いただきましたように、この飢餓陣営をみれば、 飢えている兵士とはいえバナナン大将の勲章までも食べてしまうのですから、 賢治先生があながち軍隊賛美でなかったことがわかるのであります
賢治左 わたしは飢えというものの何たるかを知ってはいましたが、 軍隊の何たるかを知らなかったともいえるわけです
どんぐり達 (ざわめき、プラカードをあげるが、丸ベが多いようである)
賢治右 陛下ノマコトノオオミタカラ。大菩薩タチノ正シイ子孫。 ワガ勇マシイ若イ士官(と、つぶやく)
ゴーシュ えっ、だれのことです
賢治右 いや、なんでもない
山ねこ裁判長 いやあ、劇団員のみなさん、ありがとう。 お引き取りいただいてもけっこうです
バナナン大将 賢治先生のためなら、おやすいことです (劇団員は小道具を片手に舞台下手に集まり、帰り支度をはじめる)
山ねこ裁判長 月夜のでんしんばしら検事、まだありますか
月夜のでんしんばしら あります。決定的なやつが、それは、賢治被告が、 畏くも 恐れ多くも、 天皇陛下に似ているという新事実であります。これは、 生徒たちによって指摘されたのでありますが、その証拠として、 賢治被告の大正十三年撮影の写真を申請いたします。 被告が花巻農学校付近を山高帽を被って散歩している写真であります。 もう一方の陛下の写真、教科書に載っていた山高帽の写真は 証拠として申請いたしかねます。陛下の写真は、ご真影といって、 ほんとうの人間よりも大切なものですから
山ねこ裁判長 証拠写真を受理します。(と、スライド映写機に入れる。 ただちに光が付き、賢治の写真が、 山ねこ裁判長の背後に映る。しばらくして、スライドが切り替わり昭和天皇の写真に変わる)
月夜のでんしんばしら あれ、この写真は、だれが入れたんだ。 失敬な、変えなさい(と、 あわててスライドのスイッチを押すが、賢治と天皇の写真が交互に出るだけで、 切り替わらない)はっ、失礼しました (と、足の踵を打ち合わせて敬礼をする)あれっ、 おれの立場は天皇崇拝なんぞではなかったぞ。 くわばら、くわばら、どうも今日はおかしな日だ
どんぐり1 やっぱりにているね、雰囲気がそっくりだよ
どんぐり2 いや、いうほどにていない
どんぐり3 にているといえばにているし、にていないといえばにていないし
どんぐり4 おまえは今日はやじろべいか。右にふらふら、 左にふらふら、まるで媚びへつらってるみたいだ
どんぐり5 うるさいな。静かにして、検事のいうことを聞け
月夜のでんしんばしら 先程の保阪嘉内さんへのはがきにもあったように、 賢治被告は陛下に対する尊崇の念はたしかに あったようであります。しかし、そのことを責めようとはおもいません
賢治右 責められても、私としてはどうしようもない。 私と昭和天皇がにているなど生徒達に指摘されるまで、 思いもよらないことだった
月夜のでんしんばしら いや、それはどうでしょうか。にているということは、 それだけで責任があるのですよ。 それが童話の約束ごとではありませんか。そのことはあなたが一番くわしいんじゃなかったですか
賢治背後 そんな……(賢治、後ろ姿のままうなだれる)
(兵士3 かたまっている農民劇団のみんなから一歩前に出てわざとらしくしゃべり出す)
兵士3(実は広岡)(汗を拭きながら)いやあ、きょうは枕時計のギャグ受けませんで したね。 花巻農学校で賢治先生から喜劇の天才というアダナをもらったおれもおちたもんだ
山ねこ裁判長 静かにしなさい。静粛に。出て行ってもらいますよ
兵士3 はい、もうしわけありません。実はわたしはこういうものです (と、警察手帳を見せびらかす)
山ねこ裁判長 警察の
兵士3 はい、じつはわたしは賢治先生の教え子で、広岡といいます。 現在花巻警察に勤務いたしております。 それも、ただのデカではなく、あぶないデカ、思想取り締まりにあたる特高警察をやっております
(劇団員たちは、思い思いにまわりに陣取る)
山ねこ裁判長 それで特高の方がなんの用件なのですか、 わざわざ身分を明かすからには、何か調べておられるわけですね
兵士3 賢治先生が労農党のシンパで、事務所を斡旋したり、 家賃をはらったりしたとか、いろんなタレコミがありまして、 放っておくわけにもいかず……
月夜のでんしんばしら それで、花巻警察は動いているのですか
兵士3 動きまじめています。もっとも、 すぐ逮捕のなんのというのではなくて、とりあえずは、 町会議員であるお父上を通してそれとなく注意するといったふうな話になると思われますが
月夜のでんしんばしら それで広岡さんは先生の身の上を心配しておいでになった
兵士3 はい、わたしは卒業のとき、 先生に東京の劇団に紹介してやろうかとまでいわれました。目にかけていただいていた。 それで……(声を詰まらせる)
月夜のでんしんばしら それで、つらいところだが、 先生に労農党に深入りさせないために調べておられた
兵士3 そんなところです。賢治先生を内偵していたのは事実ですが、 何もそれで陥れるためではない。 特高なんぞをしていると余計思いますが、人のおこないは右は右、左は左と、 そう簡単に割り切れるものではないです
ゴーシュ それは、そうでしょうね。とくにあなたはそんなふうに、 鏡の中で、左右が逆の世界で 綱渡りをしながら生きて来られたわけですから
兵士3 はい、そうです。わたしは、特高の職務がら、 相手を陥れるようなこともしなければならなかった。 でも、そのとき、いつも賢治先生が背中にくっついていられるような気がしていました
賢治右 (広岡の背中にひっついて)こんなふうにか
兵士3 (びっくりして)そうです。はい、そうです。
月夜のでんしんばしら それでは聞くが、あなたの背中の賢治被告は、 いや賢治先生は、右顔の賢治なのか、左顔の賢治なのか、 それとも後ろ姿の賢治なのか、どうでしょうか
兵士3 そんなことはわかりません。背中は見えませんから。 わたしにはただ賢治先生が背後霊のようにいると感じていただけです
(そのとき、ブドリの祭りのお触れが入ってくる。手にぬさのようなものを持ってふりながら触れてまわる)
お触れ ブドリの祭りがはじまるよ。ブドリの祭りのはじまりだよ。 みんなグスコー広場に集まってください
山ねこ裁判長 いよいよはじまるな。では、しばらく、裁判は休廷としよう。 みなさん、正装してブドリの祭りにおいでなさい (と、机を木づちでたたく)。どんぐり陪審員たちも、ネクタイを締めてください
どんぐりたち (それぞれ、ネクタイをとりだして、 鏡の前で絞め始める)右は左で、左は右で、この穴くぐって、 絞めあげて……、右は左で、左は右で、穴からだして、整えて(みんなスムースに絞め終わる)
賢治 グスコーブドリの祭りというのは何なのかな
お触れ (ふたたび現れる)
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
グスコーブドリは寒さの夏を暖かくするために、 みんなの犠牲になって火山に飛び込んで死んでしまった。 それが十年前のきょうの日
馬車別当 ブドリは身なし子のいちばんみじめからいちばんえらいに なった人物だ。自分が死んでみんなが生きる道を選び、 みんなのために火山に飛び込んで死んでしまった。 そして、いまや神だ。ブドリは、今夜、祭りの輪の中にあらわれる。 十人の輪がいつのまにか十一人になっていると、そこにブドリがまじっているんだ
お触れ だからそのことにちなんで、きょう一日は 「たれがかしこくたれが賢くないかはわからない」日なのです。 こういってもいいでしょう。世の中で「いちばえらくなく、 めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、 風采のあがらないのがいちばえらい」日なのだ。
月夜のでんしんばしら では、いちばんえらいひとがえらくなくて、 いちばんあやしい人が犯人じゃなくて、 いちばん疑わしくない人が犯人という、何かとんでもない日だ。とくに検事にとっては、 いちばんやっかいな日ということになるか。しかし、 いちばんやっかいということは、いちばんやっかいじゃなくてと……、 わけがわからん。まあ、ともかく、きょうは注意しないといかんな
賢治右 すると、きょうは左右も上下も反対になるんだから、 逆立ちして鏡に映っているようなもんだ。 ということは、飢えた記憶をもっているいちばんまずしい人がいちばんえらくて、 労働を嫌う人たちがいちばんくだらないということにもなるか
ゴーシュ だから、ぼくのような下手なソロ弾きも ブドリ交響曲の演奏に入れてもらえたのかもしれんな
山ねこ裁判長 演奏会もあるのですか
ゴーシュ そうです。わたしもかけつけます
山ねこ裁判長 (羅須地人劇団員に向いて)あなた方もブドリの祭りにいかれるのですか
バナナン大将 もちろんです。わたしたちは、 ブドリの祭りに出演してにわか劇をやるんですよ
月夜のでんしんばしら 何をやるのですか
曹長 グスコーブドリの伝説です
月夜のでんしんばしら 曹長さん、ちょっとその触りのところを ここでやっていただけませんか、山ねこ裁判長、休廷をちょっとばかし延期していただけませんか
山ねこ裁判長 よろしい、にわかににわかをすることに法廷の庭をかしましょう
曹長 では、ほんの触りを、(拍子木を打ち鳴らす)とざいとうざい、 鳴物をば打ちしずめまして、 ふべんぜつなる口上を申し上げます。さて、これよりの演目は、 ブドリにわか、グスコーブドリノ伝説、 チランの別れにございます。演じますは、羅須地人劇団、まずは口上
(拍子木で床を打つ音がドドンとして、クーボー大博士役のバナナン大将とブドリ役の兵士1がする)
ブドリ 先生、あれを、今すぐ敵にアワを噴かせられないでしょうか
クーボー大博士 それは、できるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても遁げられないのでね
ブドリ 先生、私にそれをやらしてください。 どうか先生から両親にお許しの出るようおことばをください
(ブドリ、日の丸の鉢巻を締める。特攻隊員を彷彿させる)
クーボー大博士 それはいけない。きみはまだ若いし、 いまのきみの仕事に代われるものはそうはない
ブドリ 私のようなものは、これからたくさんでてきます。 私よりもっともっと何でもできる人が、 私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから
クーボー大博士 その相談は僕はいかん。ペンネン技師に相談したまえ
(ペンネン技師役の特務曹長、あごひげを付けて登場する)
ペンネン技師 それはいい。けれども僕がやろう。 僕は今年もう六十三なのだ。ここで死ぬならまったく本望というものだ
ブドリ 先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。 一ぺんうまく爆発しても、 何もかも思った通りいかないかもしれません。 先生が今さらおいでになってしまっては、あと何とも工夫がつかなくなると存じます
ペンネン技師 そうか、そこまでいうなら、わたしももう止めはしない。では辞世の歌でも
ブドリ 病(いたつき)のゆゑにもくちん いのちなり みくにに棄てば うれしからまし (声をはげまして)みくにに棄てば、うれしからまし
では、さようなら
(特攻隊を思わせる軍歌が響く)
兵士2 ブドリさん、あなたの犠牲は決してむだにはしません、 ぼくたちも体をきたえてあとに続きます
(特攻機が飛び立って行くふうな爆音がする)
兵士3、4 (手を振りながら)さようなら(と叫び、涙を拭う)
一同 (朗読する)
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノアツサニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモジズカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
賢治左 ちがう、わたしのグスコーブドリは、そんなことを言いはしなかった。 先程ゴーシュ君が提出した 「グスコーブドリの伝記」をようく読んでください。 ブドリが犠牲になるのは、火山を爆発させて寒い夏を防ごうとしたのだ。 敵に泡をふかせようなどとはしなかった。
月夜のでんしんばしら しかし、自己犠牲に変わりはない。
賢治左 それに辞世の歌も改竄されている、わたしの辞世は、 みのりに棄てば、うれしからまし、です
月夜のでんしんばしら いやあ、でもおかげで賢治童話の 本質のようなものが浮き彫りにされてきました
賢治左 いや、ちがう、わたしは、そんな台詞を書いた覚えはない、 敵にアワを噴かせるなどと、それではまるで、 特攻のすすめではないか、そんな意図など毛頭ない
月夜のでんしんばしら いや、あなたの意図といえば、いいすぎかもしれない、 利用されやすさ
賢治左 でも、それまでもわたしの罪なのだろうか
月夜のでんしんばしら それは、歴史の審判をまつしかないのだ
山ねこ裁判長 では、これでほんとうに休廷する。みんなでブドリの祭りに出掛けよう
(舞台の一同、下手に向かって移動する。賢治のみがその位置に残される)
月夜のでんしんばしら 賢治被告も来てくださいよ。 あなたにはみておく義務があるんですから。 ちゃんとネクタイを締めて正装しておいでなさい
賢治正面 わかっている。どこにも逃げはしない。 わたしは祭りに行ってみんなにほんとうのことを訴えなければならない。 誤解されたままでは死にきれない。 (賢治、大きな鏡に向かってネクタイを締めはじめる)
(ひとりで、つぶやくように)右が左で、左が右で、この穴くぐって締めあげて、ええい、 うまくいかない。右が左で、左が右で、ぐるっと回ってこの穴入れて、ええい、どうしたのだ。 ここでは、右と左が狂っているぞ。いや、きょうは右と左がうまくつかいわけられない。どうしたのだ。 もう一度、右が左で、左が右で……

賢治の声 (舞台の賢治の声にかぶせて、別の賢治の声がつぶやくように聞こえてくる) こんな世の中に心象スケッチなんというものを、大衆めあてで決して書いている次第ではありません。 全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず、ただ幾人かの完全な同感者から 「あれはそうですね」というようなことを、ぽつんといわれる位がまずののぞみというところです
(賢治がひとりで、ネクタイを結んでいる途中で幕が閉まる)

(幕)

「賢治先生はふしぎな先生」はオリジナルで、池田洋子さんに作曲していただいた楽譜があります。


追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。


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