落語台本「還暦赤紙」
−還暦の退職ぐみは原発に−
          2012.9.4

【まえがき】
3.11の原発事故が起きたとき、東電本社に乗り込んだ菅首相(当時)が、 「60歳以上の幹部は現場に行く覚悟を持て、オレも行く」と言ったとか、言わないとか、 新聞で報じられていました。 また現在、2030年の原発比率について国民の意見を 聞いて決定しようとしています。もし、原発比率が0%ということに決まると、 日本国中の原発をすべて 廃炉にするということになります。そうなると永年にわたって、 膨大な原発労働者が必要になるのは明らかです。
そこからが、もし、という仮定の話になります。もしその労働力を確保するために、 老人を招集する法案「徴老制法案」 が成立したらどういったことになるのか。
そんな想定を落語にしたのがこの台本です。
実際に演じるのはむずかしいかもしれませんが、せめて読んで楽しんでいただけたら幸いです。

では、はじまりはじまりぃ。

【出囃子】
♪♪♪♪♪
【まくら】
えー、・・・です。よろしくお願いします。
最近のお年寄りは元気ですな。昔は六十歳いうたら、十分に老人の風格ちゅうもんがあった ように思いますが、近頃の六十歳、いわゆる還暦ですな。とてもとても老人にはほど遠い、まだまだ 若い若い。赤いチャンチャンコを着て喜んでいる人なんかいませんよ。
特に団塊世代、今六十代真っ最中というのが団塊世代ですな。これは強い。なかなか元気ですわ。
若いころからぎょうさんいて、教室も満杯で揉まれていますからね、たくましい。 それにしても、この団塊世代、人数が多いだけやのうて、何か恵まれた世代ですな。 就職と高度成長期が重なっていましたからね。大手に就職したら一生安泰でした。 中小でもそれなりに給料がもらえました。 経済は右肩上がりで、収入はどんどん増えて、今から考えると羨ましいやら、 あほらしいやら、そんな時代やったんですね。
その団塊世代がここ何年間かで定年を迎えて、年金生活に入りました。彼らは、自分なりに楽しむという ことを知っていますから、余生をどんなふうに送るのか興味津々といったところですが、・・・
これからの話は、そんな団塊世代のおやじが主人公なんですが、戦争を知らずに育った彼らが、 退職後の生活をのんびりと過ごせるのかどうか。・・・

(見台を小拍子でパチンと打つ)

【前振り】
(テレビを観ているふうで)
俊夫 「えらいこっちゃ、徴老制度が国会を通ってしまいよったがな」
紀子 「あなた、それで、これからどうなるのかしら?」
俊夫 「どうなるて、老人の徴兵制みたいなもんやろ。この前の国民投票で、 2030年に原発の割合が0%ということに決まってしもうて・・・」
紀子 「そうね。びっくりするくらい圧倒的だったわね。・・・ 出口調査をしたら女性票がほとんど原発反対で、 それで決まったようなもんやいうてたでしょう」
俊夫 「それやがな、それはそれでけっこうなことやけど、そうなると原発を廃炉にせんならん。 全国の原発いうたら54基か、それをぜんぶ廃炉にするいうたら、たいへんな仕事やで。 原発の仕事は放射能ちゅうじゃまなものがあるからな、 働いてとるもんは一年に20ミリシーベルトしか浴びられへんことになっとるんや。 人手が足らんようになるのは目に見えてるわな。それで、原発の廃炉法案と連結して、 徴老制度法案も通しよったんや。廃炉の仕事を、ボランティアでは足らんから、 徴兵制みたいに六十歳過ぎの男たちを駆り集めてやらせようというんや。 その歳やったらまだまだ元気な連中が多いから、 老人パワーを利用したらええんや、ということやな。若いやつらは自分らには関係ないから、 ほとんどみんな賛成しよった。還暦過ぎの老人いうたら俺たち団塊世代や。 あいつらはずっといい思いをしてきたんやから、最後にそのくらいの社会奉仕をしたらええんや、 というのが徴老制法案に賛成した若いやつらの理屈かもしれん」
紀子 「哲夫も賛成したんですって」
俊夫 「あいつまで賛成したんかいな。親父に原発の召集令状が来てもしょうがない、ということか」
紀子 「親父やったらまだまだ若い者に負けてへんやろう。元気な年寄りがボランティアのつもりで やったらええんちゃう、言うてましたから」
俊夫 「あいつは、俺たちを原発に送り込もうとしてるな。」
紀子 「徴老制いうても、国によるボランティアの斡旋というふうに考えたら抵抗ない、 言うてたから・・・」
俊夫 「それはまちごうてる。ボランティアというのは自分から率先してやるもんや、 赤紙で徴集されるのとはぜんぜんちゃうで、 ・・・ボランティアというより、体のいい姥棄てみたいなものやないかと、オレは睨んでる。 この法案が出てきたとき、昔、映画で観た『楢山節考』を思い出したんや。」
紀子 「姥棄てというより爺棄てでしょう・・・でも、そんなこと誰も考えてないわよ」
俊夫 「素子はどうや、あいつまで賛成したんやないやろうな」
紀子 「素子は、もちろん賛成よ。以前からお父さんたちの世代は、人数が多いし、 脱原発の人も多いやろうから、自分たちで行ったらいいって言うてましたから。 青春時代の反体制を老年でも貫き通したらいいんやないって・・・」
俊夫 「たしかにそうかもしれんが、強制されるのはどうも納得できん。オマエはどうなんや。 この法案に反対やろうな」
紀子 「私も賛成よ。いいことずくめじゃないの。若い人が放射能を浴びなくても済むし、 ・・・若い人って体の細胞が放射能に傷つきやすいし、これから子どもも作らないといけないし、・・・それに、 赤紙で招集されたら、国から原発恩給が出るでしょう。そうなったら、 今度削られる年金の埋め合わせになるじゃないの。あなたも行ってらっしゃい・・・待っててあげるから」
俊夫 「何が待っててあげるからや。勝手に言わんとってほしいわ。赤紙で徴兵されるんやで。 放射線を浴びすぎてガンになったらどうすんねん。誰が保証してくれるねん。」
紀子 「少々の放射線を浴びてもあなたの歳なら大丈夫よ。ガン細胞が増えるのに 十年も二十年もかかるんやから。」
俊夫 「まあ、そう言われればそうやけど・・・他のチャンネルのニュースもやってへんかな。」
(と、リモコンでチャンネルを切りかえる。)
俊夫 「お笑いバラエティばっかりやな。他になんか・・・」(と、また切りかえる。)
テレビの声 「赤いチャンチャンコなんて時代遅れ、還暦には赤紙を AC」
俊夫 「なんや、これは?」
紀子 「公共広告機構のコマーシャルでしょう。最近民放ではしょっちゅうやってるわよ。 あなたはNHKニュースしか見ないから知らないでしょうけど・・・」
〈昔むかし『赤紙』という人さらい〉(※1)そんな川柳がありましたが、・・・ (と、見台を小拍子でパチンと打つ)

【赤紙が来る】
市役所の人 「大島さん、大島さん、ご在宅ですか?」
紀子 「はい、どちら様でしょうか?」
市役所の人 「市役所のものですが、大島俊夫さんは、ご在宅ですか?」
紀子 「はい、おりますが、先ほど散歩から帰ってきて・・・あなた、市役所の方ですって。」
俊夫 「市役所やさんが何やろな、シルバー人材センターに登録したからそのことかな。」
紀子 「わからない、あなたに用事ですって、出てちょうだい・・・」
俊夫 「どんなご用事でしょうか?」
市役所の人 「大島俊夫さんですか?」
俊夫 「そうですが・・・」
市役所の人 「おめでとうございます。赤紙です。はい、お名前と生年月日をお確かめください。 たしかにお渡ししましたよ、いいでしょうか、では、ここに受領日時とサインをお願いします。」
俊夫 (サインをする)
市役所の人 「おつとめご苦労様ですなあ。・・・では、失礼します。」
紀子 「ごくろうさま。・・・あなた、とうとう来たのね、赤紙・・・」
俊夫 「うん、やっぱり来よった。これが赤紙か・・・薄いもんやなあ、ペラペラやで・・・ 親父にも来た赤紙ちゅうもんが、オレにも来たんか・・・」
紀子 「何が書いてあるの?」
俊夫 「今月の一日、市役所の分館で徴老検査を行います。ふーん、そこで、 甲種合格、乙種合格、丙種不合格が決まるらしい。合格したら、ただちに原発防衛隊に入隊、 そのまま原発の廃炉任務に就くと書いてある。えらいせわしいこちゃ。 親父の頃は徴兵検査があって、合格したら、召集令状ということになってたけど、今回は違うらしい。 そりゃあまあ、歳をとってるから、検査と招集の間隔をあけたら、その間に何が起こるかわかんからな。」
紀子 「でも、赤紙が来となったら、私はどうすればいいのかしら。赤ご飯を炊く、親戚に知らせる、 そんなところかな。・・・とりあえずは、哲夫と素子んとこね。メールでいいかしら、 ・・・それともやっぱり直接電話した方がいいかしら」
俊夫 「勝手にしたらええがな。それより、オレはどんな準備をしたらええんやろうか。 裏に何か注意が書いてあるか、ある、ある、交通費の割引についてか、これは関係ないわ、 近いからな。交通費は後で支給か、そりゃそうやわな。次は伝染病などの理由があって出頭できない場合は、 こちらに連絡しなさいか、応召の心得と準備、これこれ・・・準備物、衣服は支給されるので、 準備する必要なし。つぎに常用薬三日分、入隊後は軍医を主治医とす、 ふーん、軍医が診てくれるいうことか、そらそうやな。 眼鏡、入れ歯等日常生活に必要なモノ、なるほど。 金銭は一万円を限度とす、か。 持ってこいいうことか。携帯は秘密保持のため不許可。 ふーん、携帯はあかんのか、まあ、しょうないけどな・・・最後に、理由なく招集に応ぜられなかった場合、 罰金刑もしくは拘留、・・・そりゃそうやわな。徴老制度という法律が出来て、 それに基づいて招集されるんやからな。」(※2)
いよいよ徴老検査の日がまいりました。息子、娘の一家、近所の友人たちがが見送りに来てくれます。
「大島俊夫くん、応召、バンザーイ、お国のために、原発の作業で誠心誠意がんばってきてください。」
みんなが日の丸の旗を持って、バス停まで送ってくれます。バンザーイ、バンザーイの声に送られて、 市内循環バスが出発、市役所前で降りて、市役所別館に出頭します。
あちこちから集められた老人たちが並んでおります。
俊夫 「あの? 係りの方ですか? どういう手順になっているんですかね。」
係り 「あそこに受付があるでしょう。まず、あそこに赤紙を提示して、受け付けてもらいます。 それから、徴老検査があります。」
俊夫 「あっ、そうですか。どうもありがとうございます。」
(歩いてゆく)
俊夫 (受付に赤紙を出して)「大島俊夫であります。これが赤紙です。よろしくお願いします。」
受付 「はい、大島俊夫さんですね。ごくろうさまです。名簿にも記載されています。 確かに受け付けました。この番号札を、そう、首からぶらさげて、今からあなたは、 この178番という番号で呼ばれますから、では、178番さん、そこから体育館に入ってください。」
俊夫 「体育館で検査ですか」
受付 「はい、そうです。」
俊夫 (うろうろと見まわしている)
係官 「こら、そんな入口のところでうろうろしてたら、他の者のじゃまになるだろうが、 さっさと入って、各自、そこのロッカーを使っていいから、服を脱いで裸になれ」
俊夫 「裸ですか? こんな人前で、」
係官 「貴様何を言っとるか・・恥ずかしがる歳でもないだろうが。さっさと服を脱ぎなさい。」
俊夫 「はいはい、わかりました。」
係官 「ハイは一回でいい、二度と言わんぞ、ハイは一回だ」
俊夫 「ハイ、わかりました。」
(服を脱ぎながら)
俊夫 (近くの人に話しかける)「お宅も赤紙で・・・えらいことになりましたな、 裸になって何の検査をするんですかね。まさか昔みたいに変な病気の検査というわけでもないでしょうが」
−− 「向こうで体重と身長と一緒に計ってますが、私の見るところでは、 要するにメタボの検査ですわ。 原発の仕事をするのに、あんまりメタボやとやっぱりやれんそうで、まず、その検査ちゃいますか」
俊夫 「メタボですか、私も少々その気がありますが・・・」
−− 「まあ、この歳やから、その気のない人はおまへんけどな、・・・ あんさんくらいならどうってことおまへんわ。保証しますわ。」
俊夫 「そんな保証されても・・・で、検査はそれだけですか?」
−− 「血圧があって、つぎに尿検査、最後にあっちの隅で記憶力の検査のようですわ。 後期高齢者になったら免許証更新の時に受ける検査、ああいう検査ちゃいますかな。 要するに認知証の検査らしいですわ。 原発作業ちゅうても、それなりの仕事がありますさかいな。ほとんど合格ですわ。甲種が3割がた、 メタボとか糖尿病のケとかで乙種が6割、あとの1割が不合格、これは太りすぎとか、ほんまの糖尿病とか、 ひどい老眼とか、そんな理由ですな。認知証もちょっとはいるらしいですわ。 もちろん不合格ですが・・・ まあ、そもそもが、放射線、ちょっとずつ、みんなで浴びれば 怖くないっちゅう精神ですからな。・・・」
俊夫 「えらい詳しいですね。」
−− 「市役所に友人がいましてね。そいつに教えてもらったんですわ。」
俊夫 「いっそのこと徴老を拒否する方法を教えてもろうたらええんとちがいますか?」
−− 「あんた、えらいこといいまんな。こんなとこでめったなことを口にするもんやおまへんで。 どこで誰が聞いているか。お上に知られたらどえらい目にあわせられまっせ。」(と声をひそめて、 周りを見る)
俊夫 「どえらい目、というと・・・」
−− 「考えてもみなはれ。わかりまっしゃろ。放射能のきっついところにやられるとか、 危険な瓦礫集めをやらされるとか、・・・上のやつらのさじ加減一つですわ。 そこが徴老制の怖いところだっせ。 オー、こわ。考えただけでもぞっとするわ。あんたも口を慎んだ方がよろしおまっせ」
俊夫 「わかりました。そうします。じゃあ、検査、いきまひょか」(と、裸の前を押さえて 出て行く)
係官 「検査が済んで、何にも言われんかったものは、そっちのコーナーに支給の軍服が 重ねてあるから、パンツ、シャツ、上着、ズボン、それぞれS、M、L、LLがあるから、 どれか合うやつを選んで着る、着たら、番号順に並べ。」
俊夫 「やっと検査終わったけど、何にも言われんかったから、合格なんやろか・・・、この 服を着るンか、えー、オレはLやから、これか・・・」
係官 「178番、遅いやないか、大島俊夫、大島俊夫はいるか? はよ服を着て、 こっちに来んかい」
俊夫 「ハイ、ハイ、今すぐに」(と、服の裾をいれながら駆けつける)
係官 「ハイは一辺と言うたやろうが。ふざけたやっちゃ。現場に行ったら、ビンタやぞ」
俊夫 (思わずほっぺたを撫でながら、)「ハイ」(と直立する)
係官 「大島俊夫、乙種合格」
俊夫 「ありがとうございます」
係官 「何をボーとしておる。合格証をもらったら、はよ、そこの後ろの列に並べ」(と、どなられる)
俊夫 「えらいこっちゃ、喜んでええのか、悲しんでええのか。乙種やけど合格は合格や。」
係官 「はい、甲種合格は前、乙種はその後ろの列に番号順に並んだか? ・・・気を付け、前に倣え、休め、 はい、注目、こらっ、ちゃんと前を見んかえ、・・・ええか、今回は、 お前たちに名誉の任務が与えられた。 大阪の第8連隊は、前に駐車しているバスに乗って、これからただちに福島の第一原発にむけて出発する。 そのつもりで、覚悟を決めるように。」
俊夫 「トホホ、えらいことになった。福島やて、一番苛酷なところや。どうしよう。 ・・・どうしようもないわな、やるっきゃないか」

(見台を小拍子でパチンと打つ)

【帰ってきてからの回想】
俊夫 「大島俊夫二等兵ただいま復員してまいりました。」
紀子 「まあ、まあ、あんたやないの、半年間のお勤めご苦労さんでした。 よくご無事で・・・なにィ、その汚い作業着は?」
俊夫 「作業衣いうても、原発防衛隊の制服やで・・・」
紀子 「入隊の時着ていった服はどうしたの、返してもらえんかったの?」
俊夫 「あれは、徴老検査のときに没収されてしもうた。脱走防止のためやという噂やけど、 市役所の倉庫には古着がいっぱい積み上げられてるんちがうか」
紀子 「まあ、そうなの。それにしても汚い服ね。そこで、脱いでちょうだい。ちょっと待ってね。 新聞持ってくるからその上にのせてって。その汚いリュックも同じね。床の上に直接置かないでね。 服を脱いだら、お風呂に直行ね。シャワーでしっかり洗ってから、湯船に浸かるようにしてね。 わかった?」
俊夫 「わかった、わかった、ひさしぶりやいうのにうるさいやっちゃ。 それが復員兵を迎える言葉かいな。 腹立つけど、半年ぶりとなると腹立つ言葉でも何か気持ちええわ。 それでは・・・まずは、風呂を浴びるとするか。 風呂でゆっくり手足を伸ばしてつかりたい。 宿舎では、シャワーしかなかったからな。」
紀子 「ひどい待遇ね。招集したんやから、温泉大浴場くらい準備してもいいと 思いますけどね。じゃあ、着替えはいつもの棚に置いておきますから・・・ この汚い軍服、臭うんじゃない。(汚そうに指で摘んで、臭いを嗅ぐ)臭ーい。汗の臭いかしら、 男の臭い、それとも加齢臭、ひさしぶりだからよけいキョウレツ・・・ あの人が無事に帰って来てくれたのは、嬉しいけど、また、これまでの年金生活にもどると思うとね、 やっぱり、亭主、元気で留守がいい、ってことかしら・・・」
俊夫 (シャワーを浴びながら)「おい、今、何か言うたか?」
紀子 「いいえ、何にも言ってませんよ。えーと、自動洗濯機の設定は、いつもより 念入りに洗い、濯ぎ、と、これでいいかな。浴衣をこの棚に置いて(と、準備するしぐさ)・・・ あの人が原発に行ってる間は、 手当がもらえてたから、年金と合わせて、少しは優雅な生活ができたけど、・・・友だちとランチしたり、 韓国語の女子会でケーキセットを食べに行ったり、カラオケに行ったり、でも、 これからはまた年金生活にもどるからそんなことはできないわね。原発から帰ってきたら 原発恩給がつくらしいけど、支給開始年齢をいつにするかで、いま国会が大混乱しているのよね。 はやくくれないかしら。・・・
そうそう、子どもたちにもお父さんが復員してきたこと、連絡しとかないと・・・」
俊夫 「あー、ええ湯やった、やっぱりわが家が一番や、ホッとするわ。 半年の疲れの十分の一くらいは溶けたような気がするわ。」
紀子 「たいへんやったでしょう。でも、少し筋肉がついたんちがう、 出征前はブヨンブヨンやったけど・・・」(と、お腹を突く)
俊夫 「そりゃあ、スリムになったかもしれんな。」
紀子 「哲夫の家にも連絡しておきました。すぐに駆けつけるからって・・・素子にも電話しましたけど、 遠いし準備もあるからすぐにはムリ、まあ二、三日中には伺いますって・・・」
俊夫 「そうか、それでええがな。まあ、半年ぶりやから、孫のみんなも成長したやろう。」
紀子 「半年やから、そんなに変わってないと思いますけど・・・ とりあえずビールになさいますか?」
俊夫 「そうやな、やっぱりビールやな。きんきんに冷えたやつをたのむわ」
紀子 「ハイ、ハイ、分かりました」
俊夫 「ハイはいっぺんや。作業中にそんな返事したら、ビンタが飛ぶちゅうやつや」
紀子 「まあ、そんな返事だけで・・・」
俊夫 「原発自衛隊いうても、一応、軍隊みたいなもんやからな。規律はそれなりに厳しかったな。」
紀子 「そうでしょうね。今日は注ぎましょうか。はい、どうぞ。おつかれさまでした。」 (と、ビールを注ぐ)
俊夫 (ググッと一気に飲み干す)「あー、うまいわ、半年ぶりやからな」
紀子 「ほんと、ご苦労さまでしたね」(と、ビールを注ぐ)
俊夫 「おおきに、おおきに・・・」
哲夫 「やあ、おやじ、半年ぶりやな」(と、扉を開けて入ってくる)
みなこ 「失礼します、お父さん、お帰りなさい。ご苦労さまでした。」
紀子 「ついさっき、帰ってきたの。1時間くらい前かな。市役所についた時点でちょっと 連絡でもしてくれれば、あなたたちも出迎えられたのにね。」
俊夫 「携帯も持込禁止やったしな。勝手な行動はできんかったんや。」
哲夫 「親父、痩せたんちがうか?」
紀子 「痩せたというより、なんか逞しくなったみたいよ・・・、入隊前は、 お腹なんかブヨンブヨンだったでしょう。それがこんなになったのよ。」
哲夫 「まあ、何というても、無事でよかったわ。おかしな事になったら、 なんぼ近くに住んでいるいうても、面倒見るのがたいへんやからな。」
俊夫 「ありがとう、ありがとう、まあ、心配かけたけども、大丈夫や。 お前みたいに面倒を見てやろうという息子がいて、お父さんは幸せや。ひどい親子関係もあるで。 おんなじ隊によぼよぼのもう仕事はムリちゃうか、というような老人がおってな、話を聞くと、息子が、 面倒を見るのがいやで、丙種で不合格になりかかってるのを、手を回して乙種に変えてもらって、 応召させたんやそうな」
哲夫 「そんなことができるんかいな」
みなこ 「ひどい話ね。」
俊夫 「うおごころあればみずごころや、そんなこともできるんやろな・・・まあ、お前もいっぱいやろう」
哲夫 「あいかわらずやな。何がうおごころやねん、わけわからん。変なことわざで けむにまく癖は変わらんな。 何か安心したわ。飲もか。はい、(と注いでもらう)ああ、(とコップを持ち上げて) おおきに、みなこ、お前ももろうたらええがな。 復員祝い、みんなで乾杯しようや」
俊夫 「ああ、ありがとう、ありがとう」
哲夫 「おやじ、えらい『アリガトウ』が増えたな。まあ、ええことやけど。・・・ じゃあ、親父が無事、復員したことに、とりあえず乾杯」
俊夫 「風呂から出たてのビール、みんなで乾杯、何回か夢に見たな。」
哲夫 「宿舎では、酒も飲めんかったんか。」
俊夫 「飲まれへんねん。半年やから、辛抱せえ、ちゅうことやわな。 飲まれへんとなると夢に出てくるねん。こうしてみんなで集まって、 さあ飲もうとジョッキを口元に持っていったら、ガチンと当たるんや、何かなと思うたら、 防毒マスクを着けたままなんや、何とかして取ろうと思うてもなかなかベルトが外れへんねん。 もがいているうちに目が覚めてな……飲みそこないや。」
哲夫 「夢は、そんなもんやな。せやけど、思いようで、 むりやり人間ドックに入れられて半年間肝臓を休める休肝休暇をもろうたんやと考えたらどうや。 後で恩給までついてくる・・・」
俊夫 「あほ、何でもかんでも考えようでどうとでもなるもんやないで・・・」
哲夫 「ええ加減な話やないで、ほんまに前より健康そうに見えるし、徴老制度によって 男の平均寿命が延びるいう予想出してる医者までいるくらいや。」
俊夫 「ほんまかいな。都合ええように言うとるだけちゃうか・・・それでも、 えらいやつがいるな。一週間ぐらいしたころ、宿舎のトイレで小便してたら、空いてるのに、 隣りに並んできよってな、けったいなやつやな思うてたら、『戦友やな、お互いに、同期の桜や』いうて なれなれしぃ話しかけてきよるねん。何かあるな横見たら、 『ポケットウイスキーいらんか、煙草もあるで』て、声かけて来よってな、抜け目ないわ。 どこでもいつでもこすっからいやつはいるんや。」
哲夫 「それで買うたんか?」
俊夫 「ううん。(と強く否定する)見つかってみぃ、ひどい目にあうからな。 買わんかった。ずーと辛抱してたんや。家に帰ったら思いっきり飲んだろ思うてな。 ・・・ひさしぶりに飲んだら五臓六腑にしみわたるわ。」
哲夫 「そら、そうやろう。ゆっくり飲んだらええがな。ふーん、それで廃炉の仕事はどうやったんや」
俊夫 「そうそう、それやがな。さっきもお母さんにちょっと話しとったんやけどな・・・ (と、少し酔いが回った体で話し始める)大阪の連中は歩兵第8連隊に配属されたんや。 大阪の歩兵第8連隊いうのは、太平洋戦争の頃から弱かったらしいわ。おやじもそういうとったからな。 『またも負けたか8連隊』ってからかわれとったというはなしや。 それで市長がええかっこしよったんかどうか、福島第一原発の瓦礫処理を引き受けたらしいわ。」
哲夫 「おじいちゃんの時代からの汚名挽回ということやな。」
俊夫 「まあ、そういうことやけど、市長が見栄をはるのは勝手やけど、 そのために割を食うたというか、放射能を食うたのは、派遣された俺たちや。」
哲夫 「放射能を吸うたということ?」
俊夫 「ちゃうちゃう、原発では、放射能を浴びることを食うたいうねん。 今日は何ミリシーベルト食うたとか、そんなふうに言うねん。」
哲夫 「フーン、なるほどなぁ、おもしろい言い方やな」
俊夫 「別におもしろないけどな、・・・それで、そんなわけで俺たち歩兵第8連隊は 福島第一原発に派遣されることになってな、まあ、いわば、一番の戦場やわな。 そら、やりがいはあるけどな、こわいがな。バスを連ねて福島の元サッカー場の、何ていうたかな?」
哲夫 「Jヴィレッジか・・・」
俊夫 「それそれ、そのサッカー場な、今は原発自衛村に名前が変わってんねん。 そこに着いたとき、 迎えてくれたのは、誰やと思う・・・あの菅元総理大臣や。 あの人は、原発事故で東電に乗り込んだとき、『60歳以上の幹部は現場に行く覚悟を持て、オレも行く』 と大見得を切った人や、言うたことは守らんならんからな、それで現場に来たんやろうと思うけど、 身分は受け入れ隊長いうことやったわ。『よく来ていただきました。 廃炉の成否はみなさんのがんばりにかかっています』とか、そんな挨拶をしてな。 それからすぐに宿舎の割り当てがあったんや。
二人部屋や、まあ、そこが昔の軍隊と違うところやわな。シャワーもあるし、 食堂もあるしな。仕事は、だいたいは原発建家の周辺で瓦礫の撤去作業とか、草刈り、 汚染水が通ってるホースの補修作業とかが多かったけどな、たまに怖い仕事もまわってくるんや。」
紀子 「怖い仕事って、何?」
俊夫 「いろいろやけどな、・・・回天特攻隊いうのもあったで。志願をつのるんやな。 『きさまらの中に大阪のど根性あるやつはおらんのか』いうて、挑発しよるねん。」
紀子 「何? その回天特攻隊っていうのは? いさましい名前やね。戦争中みたい。」
俊夫 「原発建家の中の仕事や。水素爆発で建家の外壁が吹っ飛んで吹きっさらしやし、 自衛隊が海水をかけよったし、 バルブが錆び付いてしもうてる。そのバルブをこういうふうに長いレンチで挟んでやな、 回転させるンや。それで回転特攻隊」
哲夫 「バルブの回転ということ?」
俊夫 「そういうことや、回転させるからな。」
紀子 「それって、8連隊の命名?」
俊夫 「さあ、そこまでは知らんけど、そうかもしれん。」
紀子 「大阪のおっさんのおやじギャグみたい」
俊夫 「そらそうやけど、やってるもんは必死やで。建家の中の比較的放射線の低い廊下に待機して、 バルブのある部屋に突入して、 バルブをこんなふうに引っかけてまわすんや。作業時間は一人3分、なかなかビクともせえへんけど、 何人かで続けて、こうやって油をつけて、こんこんとハンマーでたたいてみたり、 壊したら何にもならんからな。そのうちにキッと鳴って、次のものがやると少しグラッと来る、 気のせいかなと思ってたら、ほんまに回っとる。待ってる連中から歓声があがるわな。」
紀子 「そんなことをしてきたんですか・・・ほんと、ご苦労様なこと・・・ あなた、どうします。もう一本開けますか。」
俊夫 「ああ、頼むわ、哲夫ももっと飲んだらええがな。何しろ復員祝いや」
(と、コップに残ったビールを飲み干す)
みなこ 「お母さん、私がもってきますから」
紀子 「みなこさん、お願いね。」
俊夫 「オレも何回か、回転特攻隊に志願してな、おかげで錆び付いたネジを回すのは 上手になったで。」
紀子 「世の中ではあんまり役に立たない技術かもね。」
俊夫 「ゼロセン特攻隊というのもあった。」
哲夫 「何? そのゼロセン特攻隊というのは?」
俊夫 「放射能が高い制御室の配電盤に、ゼロ番という番号のついた太い線をつなぐんや。 決死の覚悟やで」
哲夫 「お母さんの言うように、それも世の中ではあんまり役立たずやね。」
みなこ 「そんなふうに言ったら、お父さんがかわいそうじゃないの」
俊夫 「ありがとう、ありがとう、みなこさんだけやな。優しいのは・・・ そういえば、今ふっと思い出した。被曝線量の証明書をもらうのを忘れてたわ。 最後に市役所に到着したら、除隊式があるから、それが済んだら各自もらって 帰るように言われてたんやけど、やっと家に帰れる、帰ったら何しようとか考えてたら、 ころっと忘れてしもうた。」
紀子 「あなた、それって原発恩給をもらうときの証拠になるものでしょう。もらっとかないと 困るんじゃない」
哲夫 「親父、そんなん、大丈夫やで、明日にでも市役所に行ったら、もらえるから。」
俊夫 「そうか、そうかもしれんな。隊にいるときは、忘れることは許されへんかったからな。 ついついその癖で・・・まあ、復員してきたんやから大丈夫か・・・」
紀子 「そういえば、お父さん、おみやげはないの? おみやげ、買ってる余裕はなかったの?」
俊夫 「あっ、そうや忘れてたわ。持って帰ってきたリュックサック、どうしたかな。」
紀子 「汚いから入口に新聞紙を敷いて置いてありますけど・・・」
俊夫 「あの中におみやげの箱が入っているはずや」
みなこ 「わたしが取ってきますから」
紀子 「いいえ、あんな汚いリュック、私が取ってきますから・・・」
俊夫 「汚い、汚いて、何やねん」(と、怒りかけるが)
哲夫 「まあまあ、親父、お祝いなんやから・・・」(と、宥める)

【おち】
紀子 「お父さん、これですか?」
俊夫 「ああ、それやそれ、その箱や。ゆっくり見つくろう時間がなくてな、 帰還のバスがトイレ休憩でサービスエリアにはいったときに、ささっと買うてきたんや。」
哲夫 「原発チョコレート饅頭て書いてあるで。」
紀子 「さっそく私いただいていいでしょうか。(と、箱を開ける)あれ、 あなた、この饅頭、中でチョコレートが溶けてるんとちがう、なんかぶよぶよしてるわよ。 バスの中で溶けたんちゃうの」
俊夫 「ちゃうちゃう、バスはちゃんと冷房が効いとったからな。・・・」
紀子 「ちょっと食べてみるわよ。あっ、やっぱり溶けてるわ。これ不良品じゃないの?」
俊夫 「そんなことはない。そこに書いてあるやろう、原発饅頭やから、 はじめから炉心は溶けておりますいうて・・・」

                            【完】

【注】
※1、「昔むかし赤紙という人さらい 矢部あき子」(田辺聖子『川柳でんでん太鼓』より)
※2、ウィキペディア「召集令状」参照


追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。



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