落語「山月記」
2008.5.1

「うずのしゅげ寄席」へ、ようお越し。本日のトリは、……さんの「落語『山月記』」で、 お楽しみいただきます。最後までお付き合いくださいませ。では、さっそく登場していただきましょう。
(出囃子)

 落語「山月記」

われわれ落語家には奇人変人はよくあるものでして、「あいつは変人や」「奇人や」と、それなりに世間に 認められて受け容れてもらうためには、何か変人奇人なりに「変人やけどどうや」 「奇人やけどこうや」といった、 その何かが必要なように思いますな。それがないと変人奇人がもろに変人奇人というだけになって 世間から浮きあがってしまう、 受け容れられないということになる。そうなると変人奇人の方も「もうええわい」と 自ら世間に背をむけるようになってしまいかねませんな。 いわゆる世を拗ねるというやつで、 悪循環におちいって、ますますおちぶれていくといったこともよくあるパターンですな。
米朝師匠のお話によりますと、四代目米團治というお方、米朝師匠の師匠にあたるお方ですが、この米團治さんが、 「芸人となった以上は、末路哀れは覚悟の前やで」とおっしゃったそうです。 「末路哀れは覚悟の前」、「覚悟せえ」ということですな。 芸人になるにはそれだけ覚悟がいるということで……。
えー、少し前のことになりますが、某大学の落研の卒業生が、変な言い方ですが、 米朝一家の三心兄さんのところに弟子入りをしてきました。 さっそく、師匠である三心兄さんからさい角という名前をもらいました。 「さい」は平仮名、「かく」は「つの」ですが、 「さい」は本来なら動物の「犀」の字を当ててもええくらいやし、井原西鶴もあるし、……という、 ともかく師匠よりも立派な名前をつけてもらった。何しろ 落研のころから学生落語選手権なんかに出やはって、入門の前から頭角をあらわしてたような方なんで……
このさい角さん、根っからの落語好き、趣味が落語というやつで、 亡くなられた枝雀兄さんもそんなんやったと聞いておりますが、 稽古熱心も常軌を逸しているようなところがあって、 その点でもわれわれ凡人とはちょっとちがうようで……、とはいっても、 大卒の新入社員ですから、歳は喰うてますが、 慣例として内弟子に入ります。師匠の子どもさんの家庭教師なんかにも重宝されて……、 師匠宅ですから、兄弟子が稽古をつけてもらいに来ます。それをちゃっかり盗み見をする。 怖いものですな、見よう見まねで習わぬお経を読むというやつで、内弟子の年期があけるころには、 兄弟子をしのぐほどの持ちネタにしております。師匠からも覚えがいいと目をかけられて、 話をどんどん教えてもらう。また、他の師匠連中にも頼み込んで稽古をつけてもらいはるは、 えらい打ち込みようで……。 数年もすると持ちネタが十を越えます。
若い連中が集まると「あいつはなかなかのもんや」と一目置かれるようになります。 しかし、このさい角さん、自分に頼む心が強かったのか、若い仲間とワイワイと 交わることをあまりせんかった。偉ぶるというのではないんですが、 「犀の字は、落語オタクやで」と、若手の中でもちょっと浮いたような感じになる……。
それでも、「腕試しに一回呼んでみたろ」ということで、 仲間内の小さな寄席から声がかかるようになります。
「ありがとうございます。呼んでいただいて。で、何をやったらよろしいんで?」
「それは、あんさんの好きなんをやらはったらよろしがな、 こんなふうな小さな席は勉強やと割り切ったらええんやから……」
で、なんでもええとなると、このさい角さん、KYというんですか、あんまり空気の読めんところがあって、 分不相応なネタをおやりになります。
「まだ、ちょっと早いんとちがうか……」
面と向かって忠告してくれる兄弟子もおられましたが、 さい角さん、馬耳東風というやつですかな。
話はというと、文句の付け所のないほどの出来なんですが、 どうしたことか、あまり受けない。話術は才走っているんですがね、名前の通り……、 しかし、受けない。玄人受けの芸というか、大衆受けしないというか、 お客さんに喜んでもらえない。
「古典をやってると爆笑というわけにはいかんからな」
と、いいわけがましい言葉も出てくる。
そうなると仲間内の勉強会といった席からのお呼びも間遠になります。
さい角さん、暇でもって古典をという信念に燃えてますから、ますます稽古に打ち込みます。 根が落語が好きで好きでというタイプですから……、止まりません。 しかし、そのうちに、素直に好きが何というか、いがんで、内にこもりだした。顔つきも変わり〜の、 頬がこける〜の、人相が悪くなる。 そんなふうですから、舞台にでてやっても、練習の独り相撲の軽さがあって、流暢なんやけど、 何というか底からぐーとお客を乗せられへん、……お客あっての商売ですからな。 受けへん、となると、上手さへのやっかみ半分もあって、余計なちょっかいを言うやつがでてきます。
「あの犀の字はね、性格が狷介というか、ちょっとずるいところがあるやろ、 それが芸にもでてるんやないの……」
そんな噂が本人の耳にも入ってきます。こういう噂はちょっとしたものでも 躓きの石になる。もともと付き合いのいい方やないのに、一度躓くとそれだけで引っ込みがちになり、 若手連中との交流もますます滞ってしまいます。自分の部屋に閉じこもってサボテンの棘を育ててる、てな具合ですな。 これで人を刺したろかという……、自分の芸にたいする自信が揺らいできますから、 素直になれませんで、先輩の言うことも聞けん、同輩と切磋琢磨するということもできない。 ますますご同業の中でも一人浮き、というやつですな……、拗ねたような振る舞いが目立つようになった。
そこに来て三心師匠もついに堪忍袋の緒がきれて……
「もうな、落語家をあきらめたらどうや」
師匠からも、そんなふうに引導を渡されます。ここだけ何でか、六代目の松鶴師匠のものいいになってますが……。
「師匠、お願いです。ワテは落語さえやってたら上機嫌な男です。お願いです、もうしばらく見逃してください」
「お前のいうことは分からんでもないが、客受けがせんようでは、この世界はむりやで……」
「どないしたら、客受けができるんでしょうか?」
「そんなことが分かってたら、苦労せえへんがな。……ただな、あきらかにお前より話が下手なもんでも、 それなりにお客さんに受けているもんもいるやろ。上手下手やない、……ふしぎなもんやで」
「何が違うんです?」
「それが分かったら苦労せぇへんわな、何か人間のかわいげみたいなもんやないやろか」
同席していた兄弟子がこの際と嫌みったらしゅう口を挟みますな。日頃から、よう思うとらん……。
「オレにはかわいげがないと?」
「そうとまでは、よう言わんけどな……」
三心師匠が、まあまあと宥めやはって、
「まあ、考えてみい。……このまま、どうしてもこの商売を続けたいというのなら、 色物に変わるという道もあるしなぁ」
色物というのは、紙切りとか、踊り、コマ回しとかの芸ですな。
「オレに紙切りをやれと言わはるんですか?」
「ムリに言うてるんやないで、そんな道もあるということや」
さい角さんは、どうしても舞台の未練が断ち切れんかったようで、しょうことなしにコマ回しに転向します。 顔が猿に似ていたんで、狂言まがいの所作をまねした猿のコマ回しということで、 それなりに受けて何年間かは舞台にたっておられたんですが、……ある夜席で、 酔っぱらいのお客さんにからまれたんですかな、突然コマを客席に投げつけて、 舞台から飛び降りて、逃げ出したんです。 出口近くにいた兄弟子が止めようと立ちはだかると、「あいつ、目ぇをカーと見開いてオレを威嚇しよった」 というんですな。それで決まり、「さい角は気が振れたようや」という結論に落ち着きます。
まあ、そんなふうにして行方をくらましてしもうたんですが、行方不明いうても、奥さんなんかいませんから、 たいした騒ぎにもならずに、捜索願だけは親から出されたようやけど、だれもさい角さんが、 どこにいったのか真剣に探そうとはせなんだそうです。
それから、数年たったある年の秋、三心師匠、箕面の昼席で一席やったあと、 もみじがきれいな時期ですので、箕面公園に立ち寄らはった。日の足がだんだん短こうなっていく季節で、 まだ五時前やというのに夕闇が迫って、人影もまばら、箕面名物、 もみじの天ぷら屋さんも店じまいをはじめたはります。
「ちょっと、もみじの天ぷら、もらおか」
「はいよ、おおけに、ちょうどここに最後にあげた一皿がありまっさかい、半額にまけときまっさ」
「そら、ええときに来たな、タイムサービスちゅうやつかな、……、ほな、これで……」
とお金を払って、天ぷらをのせた皿をうけとります。
「そこの湯で泳いどるカップ酒ももらいまひょか?」
「おおけに、はい、どうぞ」
「こっちはタイムサービスはないのんかいな」
「ご冗談を……お客さん、申し訳ありませんが、普段なら、そこの床机に座って食べてもらいますんやが、 今日は少々用事があって、もう片づけてますのんで、向こうのベンチででも食べてもらえまへんやろうか」
「よっしゃ、よっしゃ、おやすいご用、そうさしてもらいまっさ」
「お客さん、ただ、猿には充分気ぃつけてくださいや、天ぷらを食べてると 欲しゅうて近づいてきよりまっさかいな」
「取りよるんかいな」
「油断してるとやられます」
「気ぃつけるわ」
と、師匠は公園のベンチに座って、こう天ぷらを食べながら、 カップ酒をちびりちびりとやったはりますと、とつぜん何か黒い影が飛びかかってきて、 師匠の天ぷらのトレイを奪い取ろうとします。
「こら! 何すんのや」
と、三心師匠、ぽんと手で払って、一喝しますと、その影はささっと林の中に逃げ込みよった。 木立の陰から「あぶないとこやった」という声が洩れてきた。
「うん? その声は、どこかで聞いたような……商売がら声にはうるさいほうなんやが…… その落語でつぶした声は、まさかさい角?、さい角やないのんか?」
ベンチの後ろの木立の中をじっと目を凝らして見ても、木陰はもう暗うなりだしていて、 はっきりした姿はみえません。
葉っぱや幹の間に黒い影がちらちらと動いているような気がするだけ。
「三心師匠、覗かんといてください。お察しの通りさい角でおます。」
おびえたような声が洩れ聞こえました。影のようなものはさらに身をかがめたのか、何も見えんようになった。
「吹田の寄席からついと出たきり音信不通、どこにいったのやら、連絡のしようもなかったけど、 久しぶりやないか、顔ぐらい見せたらどうや」
「私もお顔を見たいのですが、できませんのや、このあさましい姿を師匠に見せられまっかいな」
「あさましい姿て、どういうことや?」
「驚かんといてください。……ワテは、いま猿になりかけとるんです」
「猿に?……、さっきの猿かいな。……何でまた、猿に?」
「ワテにも詳しうは分からんのですが、……師匠に入門させてもろうてからずーと 落語に憑かれたみたいに、どうしても上手になりとうて、人まねばっかりしとりましたわな。 今から考えると、名人上手のまねをしていてそこそこうまなったとしても、 それだけで受けるはずがない。自分なりの芸を 一から作らんといかん時期に手っ取り早く師匠やら先輩の芸を盗もうとしてたんですわ」
「誰でもそこからはじまるんやけどな」
「猿まねやったんです。そんなことが祟ったんでっしゃろか、どうしたかげんかこんなあさましい姿に……」
さい角さんは、落語を繰るようにしてこれまでの経緯を話しました。
「吹田の寄席をしくじって、舞台から飛び降りて、どこをどう走ったかわからん、 逃げて逃げて、気がついたら箕面公園の 林の中にうずくまっとった。ふと見ると目の前に柿がなっとる。見た途端に身体が自然に動いて、 木登りをはじめました。我にかえると、柿の実をかじっていました。かじった種を吐いたりして、 ……びっくりして、 柿を投げ捨てて、なんかおかしい、公園の池に自分の姿を映してみると、何とそこに服を着た猿がいとる。 自分の目を疑いました。気が違ったのか、 夢か、夢であってくれとほっぺたをつねったら痛い。ついにオレは猿になったのかと、おそろしくて震えました。 おのれの身体に目を落とすとたしかに手の甲に毛が生えとる、胸毛も生えてこそばゆい、服を脱ぐと尻が赤い、 もう一度池を覗くと下から見あげてる顔は猿の赤みを帯びたしわくちゃ顔……、もうめちゃくちゃや、 これが一番ショックでしたわ。もうあかんと思いました。……死のう、死んでしまおうと立ちあがったとき、 もみじの天ぷらの臭いがしてきた。するとまた自然に身体がすばしっこく動いて子どもから 天ぷらを奪いとっとりました。ボス猿を見ると毛繕いをしとうなる。気に食わんやつは牙を剥いて脅かす…… そんなことをしとるときは、人間の理性ちゅうもんが消えてしもうとるんですな。……」
さい角さんの話を聞いているうちに、三心師匠もだんだん猿と話をしていることが ふしぎな気がせんようになってきました。
「これが猿としての最初の経験でしたが、それから、どれだけ悪さをしてきたか。 もみじの天ぷらをどれだけ奪い取ったか、子どもがもっているポッキーを何本かすめたか。 おむすびを幾ついただいたことか。ただ、そんな悪さをしていても、 一日のうち数時間は人間の心が還ってきます。 試しにやってみると師匠に教えられた落語のおさらいをすることもできる。 ただ、そんなとき、猿としての振る舞いをふり返ると、 それこそ情けない、あさましいといった思いに身の毛がよだちました」
「そうか、そんなふうに身の毛がよだつこともあるのんか」
さすがの師匠も哀れが先に立って、「やっぱり猿やからな」と口にでかかったものの、そこまではつっこまれへん。
「何で、あのときもみじの天ぷらをうばったのか、ボス猿に毛繕いしたのか、反省してもどうにもなりまへん。 それに人間の心にもどる時間がだんだん短なってきました。 これまでは、何で猿になんかなったのかと嘆くことが多かったのが、この前など、 何で以前人間やったのか、ふしぎな感じさえしてしまうほどで……。おそろしいことでおます。 いずれは、ワテは全部が、一日中猿になってしまうにちがいない。……いっそ、その方が幸せかもしれん、 という気もするんですが、人間の気持ちとしてはおそろしゅうて、 おそろしゅうて、死んでしまいたい。……そうや、師匠、ここで会うたのは何かの天の配剤、 人間でなくなるまえに一つ頼みたいことがあるんですわ。落語はとてもものになりまへんでしたけど、 猿舞いは、あれから少しは上手になったように思います」
「そうか、猿になってからも猿芸に励んどったのか」
三心師匠も思わず涙をぬぐわはります。
「師匠、最後にひと舞い、この箕面公園で毎日お客を相手に鍛えたワテの舞をみておくんなさい。 何も自慢をしようというのやおまへん、ただ師匠に言われて転向した芸ですけど、 どれだけのもんになったかを見て欲しいのだす」
「わかってるがな、見せてもらいまひょ」
さい角らしい猿の影が、薄暗い林からすっと別れるように姿を現しました。えらいもんで、それまで林の暗さにまぎれていた影が、 そこで腰をすっくと伸ばした途端に、林の暗がりを脱ぎ捨てたようで……表情まで見える。 さい角猿は、赤い皺の寄った顔を引き締め、右腕をまっすぐに伸ばして、視線はその先遠くに据えたまま、 すり足で師匠の前までつつっと進んで、そこで正面に向きを変えます。
「それがしはー、このあたりに住まいする猿使いの……」と大まじめで歌い始め、 そこでしばらく間を置いて、突然転調、「猿でござるー」と猿顔になり、足でぽんと床を打つ。
「これはえらい上手になったな、以前とは格段の差ぁや、……猿そっくりやがな、 あたりまえか、姿形はほぼ猿になっとるんやから……それにしても、さい角のこれが最後の姿か、哀れなもんやなー」
さい角、つと舞う手をとめて
「末期の哀れは覚悟の舞ぃ〜」
お後がよろしいようで……


追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。


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