手話をしながらの人形劇
「手話のなみだはつちにふる」
−奪われたことばのものがたり−
              2003.2.25
【あらすじ】
手話には、ろう教育の中で長く不当に差別されてきた歴史があります。 授業中は手話を使うことを禁止されていました。「日本人たる以上(中略)言語によって国民生活を 営ましむる」ために、口話法が勧められたのです。 口話法というのは、自分は声を出し、相手の言うことは唇を読んで理解するというものです。 耳の不自由なろう者には大変な努力を強いることになりますし、 また努力しても十分にはコミュニケーションできないというきらいもありました。
1933年に鳩山文部大臣が、全国盲唖学校長会議で、口話教育を勧める訓示をして以来、 つい最近に至るまで、名称は「聾唖」学校からろう学校に変更されましたが、 手話は日陰者の扱いを受けてきたのです。
「聾唖」学校の教師には、「(手話は)人類の言語としては最も初歩的で、幼稚なるものであ」り、 また、「思考を論理的になすことを困難ならしめ」、いったん手話になじむと、 日本語が入りにくいといった思い込みがあったように思われます。
そんな手話の歴史を戯曲にしたものです。
昭和九年(1934年)、日本のどこかの「聾唖」学校が舞台です。先生によって、 授業中手話を使うことが禁止されています。しかし、生徒たちは、 なかなかそれを納得することができません。ついつい手が動いてしまうのです。 それで、教師は手袋をするように強制します。親指が離れていますが、 他の指はいっしょになったミトンというやつです。ミトンをしていれば、 確かに手話はしにくくなります。それが狙いなのです。先生が出ていった教室で生徒たちが、 手袋をはめた指にピン球の頭を付けて指人形にして、人形劇をはじめます。
どんな人形劇なのでしょうか?
それは、みてのお楽しみ。
それで、とざいとーざい。はじまり、はじまりー。

【では、はじまりはじまり。】
−− 以下の戯曲は日本語で書かれていますが、手話で演じる場合は、当然のことに、 ほんとうの手話に翻訳しなければなりません。
会場は、人形劇の人形の動きや手話が読みとれる程度の広さで、低めの舞台があり、 その上に教室らしいセットがしつらえられ、手前の舞台袖に人形劇の屋台が準備されている。
黒板には、「昭和九年、二月十六日」の文字が白墨で書かれている。
「質実剛健」などという校訓を墨書した額が掛かっていて、「何々聾唖学校」の文字も添えられているが、 その「何々」が読めない。−−

北村先生 (口を大きく開けながら、生徒たちに唇の動きが読めるようにゆっくりしゃべる。) こうして、ピンポンの玉に息を吹きかけます。今日のピン球は穴を開けて重石をつけてあります。 口をとんがせて、 ようく狙って息を吹かないと玉に当たりませんよ。弱かったら、ころがらないで、 起きあがってきますよ。しっかり狙って強く吹きます。さあ、やってごらんなさい。
生徒たち (机の上に載せたピン球を「ふーふー」と吹く練習をはじめる。)
生徒A 発音練習のときは、いつも「ふーふー」から……。 (と、こそっと手話でつぶやく。)
北村先生 いい発音をしようと思ったら、息づかいが大切なの。分かる?息づかい……、 さあ、ぶーぶー言ってないで、ふーふーしなさい。
生徒A (生徒Bの肩をたたいて)いやんなるよ。こいつら(と、ピン球を指さして)、 ふーとやっても知らん顔してるよ。(と、生徒Bに手話で話しかける。 以下、生徒たちのおしゃべりは手話で。手話が分からない観客がいるときは、 ディスプレイに日本語を表示するなどの方法を考える。)
生徒B ぼくは、ふーふーゲームは得意なんだ。百発百中だよ。
生徒C わたしは苦手。ふーふーやると、貧血になりそう。
生徒D おれもいやだよ。なんでこんなことばっかりしなくちゃならないんだ。 そら、ころがれ、ふーふー(と、いやいやながら吹いてみる。)なんだい、このピン球は、 ふらふらするだけでころがってくれないよ。えーい、生意気なんだよ。(と、指でつつく。)
生徒A 起きあがってきて、反抗的だな。
生徒E 生きているみたい。
生徒D 目玉でも書いてやるか。(と、筆でピン球に目玉を書き入れる。)
生徒A ぼくにも貸してくれ。目玉と、そして……口はどうするかな。
(と、準備した嘴を張り付ける。さらに、生徒たちは筆を回して、つぎつぎに目玉を書き入れる。 北村先生は、夢中になって、ピン球に穴を開けていたが、ふと生徒たちのようすに気がつく。)
北村先生 あなたたち、いま手話でおしゃべりしていたでしょう。 授業のはじめにあれだけ注意しておいたのに。いいですか、 今日から授業中に手話を使うことを禁止します。これは校長先生が決められたことなの。 (ここのところは、校長を強調するためか、親指を立てる手話をこそっと添える。) 分かりますか?手話を使っては、だめですよ。(ここでもまたさりげなく禁止の手話。)
生徒C 北村先生(と、手話で話しかける。)どうして、 手話を使ってはいけないんですか?
北村先生 それは、手話が身に付くと、日本語(と、ここだけ板書する。)が入らなくなるから。
生徒D 手話がじゃまをするんですか?
北村先生 (ちょっと考えて)うーん、そうね、まあそう、 手話が日本語(と、板書を示して)のじゃまをするからなの。
生徒E 石橋先生みたいに口話ができるようになるために、ですよね。
北村先生 そうです。石橋先生は、耳は聞こえない(と、耳のあたりで手を振る。) けれど、あんなにみごとに口話(と、唇を指す。)ができます。聾唖教育の希望の星です。
生徒D 石橋先生は、唇を読む天才ですよ。ぼくたちには無理です……。
生徒A おい、北村先生を怒らすなよ。こわいぞー。
北村先生 何がこわいの?これは学校の方針なのよ。学校というより日本の方針なの。 去年鳩山文部大臣が訓辞を出されたのは説明したわね。 (と、黒板の横に掲げられている墨書の額に寄り添うように立って、 「鳩山文部大臣」とか「訓辞」とかを指しながら、生徒Eに)あなた読んでくれる…… (と、指名する。)
生徒E (立って、北村先生が指で指し示す文字を追いながら) 「聾児にありましては日本人たる以上、我が国語を出来るだけ完全に語り、他人の言語を理解し、 言語によっての国民生活を営ましむることが必要であります。」
北村先生 はい、良く読めました。発音もよかったわよ。意味はむずかしいけれど、 だいたいはわかるでしょう。口話でやりなさいということなの。 校長先生や他の先生もみんなおんなじ考え。ここにあるようにあなたたちのためなのよ。 日本人だから日本語ができないとこまるでしょう。
生徒B でも、手話はおれたちのことばだもんなあ。禁止されたって、 手が自然に動いてしまいます。
北村先生 だから、使わないように決心しないとできないことなの。 わたしも我慢しているのよ。教えるのに便利なんだから……、あなたたちも我慢してほしいの……。 (と、生徒たちを見回すが、賛同をえられない。) これだけ言っても、わたしの頼みが聞けないっていうの?  授業中に手話を使わないというのがそんなにむずかしいのなら、そうね……、こうしましょう、 いい……、これから授業中は手袋をしましょう。それも、親指があって、それから人差し指、 中指、薬指、小指がいっしょに入るようになった手袋があるでしょう?  あれはミトンというのね(と、板書して)、袋手袋、それにしましょう。 そうしたら、手話を使いにくいから、自然に口話に集中できるでしょう。
生徒D そんな手袋ないなあ。おれのは軍手。(茶色に汚れている。)
北村先生 まあ、汚いわね。何、その汚れは?
生徒D 木工の時間に材木を運んだから……。
北村先生 しかたないわね。
生徒A ミトンって、こんなやつですか? (と、鳥の羽根のような模様のミトンを取り出して見せる。)
北村先生 そうそう、それです。あなたよくこんなかわいいのをもっていたわね。 こんなのがいいんだけど、持っていますか?
生徒B もってません。ぼくのはみんなバラバラのやつです。 (と、手袋を示す。手袋はできるだけ明るい色で、茶色の模様がはいっているもの。)
北村先生 今日ははじめてだから仕方ないわね。それでがまんしましょう。
生徒E わたしのはこれです。(と、指先が切れた手袋を取り出してくる。)
北村先生 まあ、そんな手袋があったの、指先があかぎれだらけでしょう。
生徒E 大丈夫です。ほら。(と、手を見せる。)
生徒C 私のはこんなの。(と、指揮者のような白い手袋と取り出す。)
北村先生 それじゃあ、まるで手話をすすめているようだけれど、 それしかないなら仕方ないわね……。じゃあ、わたしは、炭酸煎餅を取ってくるから、 少し休憩ね。(と、扉から出ていく。)
生徒D またちっちゃい煎餅のかけらを舌に張り付けて、発音練習か……。
生徒C 舌を動かす訓練で、炭酸煎餅をベロベロやるのかもしれないわよ。
生徒E 北村先生、炭酸煎餅、得意だもんね。
生徒A でも、授業中は手袋をしろっていうのは、本気かな?
(生徒たち、手袋をして、しばらく手を動かしてみる。)
生徒B 手話を使わないように、って言ってたけれど、このバラバラ手袋じゃあ、 手話を使えるよね。
生徒D 軍手でも、使えるよ。分かるかい?(と、生徒Eに話しかける。)
生徒E 分かるわよ。そんな「分かる」みたいに簡単な手話だったらね。 でも、指を使うような手話だったらどうかしら?
生徒D 「年齢はいくつですか?」(と、手話でやってみて)軍手だともごもごするね。
生徒E 指を使おうとすると、ちょっと使いにくいでしょう。(生徒Cに向かって)でも、 あなたの手袋や私の指切りてぶくろだったらぜんぜん不自由じゃあないわね。
生徒C そうね、不自由はないけれど、でもなんだかやりにくいわ。
生徒B どうして? 指同士がすれるから?
生徒C いえ、そうじゃなくて……。禁止だってことを思い出してしまうの。
生徒E たしかにそんなところがあるかもしれないわね。
生徒A オレは、使いにくいよ。手話によるけれど、ミトンじゃあ使えない手話もあるよ。
生徒B そうか……。そうだな。おれたちも明日からそんな手袋を着けたら 手話が自由にしゃべれなくなるよな。
生徒C 口話しかないってこと?
生徒E 息を強くするためにピン球を「ふーふー」して、舌を動きやすくするために 炭酸煎餅を「ベロベロ」して、発音の練習をして、唇を読む練習をして……、 一に練習、二に練習の訓練なのよね。
生徒A 何だか悲しい気分になってきたなあ。ぼくは、 この手袋によって手話を奪われてしまうのかな。手だけじゃなくて、 体全体にミトンをかぶせられたみたいだよ。(と、手袋をはめた自分の両手を見つめながら、 無意識に 側にあったピン球を左手の親指につける。そこには目が書き込まれていて、 先ほどつけた嘴もあり、鳥の指人形ができあがる。 ミトンの手袋を握ると羽根を巻き付けたように見える。手袋は夜鷹の羽根の色をしていて、 飛ぶときは右手も添えて、両方の翼で羽ばたくようにする。)
生徒たち (手話で朗読する。朗読しながら人形劇の屋台に移動する。)

 手話のなみだはつちにふる
    (宮沢賢治の詩「春と修羅」パロディー)

 まことのことばはうしなわれ
 いかりのにがさまた青さ
 雪はふかれてそらに舞う
 二月の寒気降りくる底を
 唾し はぎしりゆききする
 おれはひとりの手話なのだ

 まことのことばはうしなわれ
 いかりのにがさまた青さ
 雲はちぎれてそらをとぶ
 ああどんよりと二月の空を
 はぎしり燃えて飛翔する
 おれはひとりの手話なのだ

 まことのことばはここになく
 青々ふかくかなしみは
 夜空の星とまたたけり
 ああ澄みわたる2月の空を
 はぎしり燃えて流星の
 手話のなみだはつちにふる

(朗読が終わると人形劇がはじまる。人形劇は、人形使いの左手の人形の動きと 右手の手話によるセリフによって進んでいく。だから、人形劇の屋台は、 人の腰より少し高めの位置が人形の舞台になっていて、 星を張り付けた暗幕の背景との間に人形遣いが入る形になっている。 普通の人形劇と違うのはここであり、セリフの手話、 つまり右手や顔の表情が見えるようになっている。 手話は主に右手でなされるが、もし必要がある場合は、人形をほっぽりだして両手を動かしてもよい。 そのために人形の頭が吹っ飛ぶなどのハプニングがあってもおもしろい。)
生徒A(よだか) あー、ぼくの手が苦しんでいる。泣いている。 (と、左手で人形を泣かせ、右手で「苦しんでいる」「泣いている」の手話。 ポケットから取り出した紙吹雪を涙の粒のように滂沱と降らしながら。)
……(ふと、我に返って)やっぱりこういう手袋だと、どうしても鳥になってしまうね。 (と、手話を使いにくそうにしゃべる。他の生徒もそれぞれ左手の親指、あるいは人差し指 に鳥の頭を乗せて 指を握ったり開いたりして鳥の形になっている。一人の黒子が現れて、 補助するために屋台の側に立つと、いよいよ人形劇のはじまり。)
生徒B(ひばり) げー、何だい、その口の大きいこと、蛙の親類かなんかだよ。
生徒C(おしゃべりの鳥) そうでしょう。何、あの羽根、まあ、 あのぎくしゃくした羽根の動きをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだわ。 手話も使えないんだから……。
(二人の鳥にいじめられて、よだかはうなだれてしまいます。そこへ鷹があらわれます。)
生徒D(鷹) おい、よだかはいるかい。どこかに逃げたんじゃないだろうな。
生徒B(ひばり) まあ、こわい。(と、後ずさる。)誰かと思えば、鷹さんじゃないか。 (と、妙におかまっぽい口ぶり。)
生徒C(おしゃべりの鳥) たいへんな剣幕で……、どうかされたのかしら。
生徒D(鷹) おお、ひばりに、それからえーと、おしゃべりのしらけ鳥じゃないか。
生徒C(おしゃべりの鳥) まあひどい。しらけ鳥だなんて。失礼ね。
生徒D(鷹) (取り合わずに)お前さんたち、よだかのやろうをしらないかい?
生徒B(ひばり) よだかなら、そこにいるよ。その隅っこにね。
生徒D(鷹) なんだ、お前はそんなところにいたのか。こら、隠れてないで、 こっちに出てこい。
生徒A(よだか) 隠れてなんかいません。さっきからここにいました。
生徒D(鷹) おおよくぞ言った。それでこそ、よだかさんだ。ところでな、よだか、 その名前のことだが、まだお前は名前を変えていないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。
生徒A(よだか) そんなことをいわれても、どうしたらいいのか……。
生徒D(鷹) どうしたもこうしたもない。このよだかには、 以前に名前を変えるように言ってあるのだ。おれと紛らわしい名前を許すわけにいかないのだ。
生徒B(ひばり) そういえば、夜鷹さんもあの難しい鷹という字がついていますね。
生徒C(おしゃべりの鳥) わたしはまた名前を一字もらった親戚か、 むずかしい漢字のお仲間のように思っていましたわ。
生徒D(鷹) そうだろう。難しいあの漢字のせいでそんなふうに誤解されるのだ。 お前なんかと親戚にされてはかなわん。お前とおれでは、よっぽど人格が違うんだよ。 たとえばおれは、青い空をどこまででも飛んでいく。おまえは、曇ってうすぐらい日か、 夜でなくちゃ、出てこない。それから、おれのくちばしや爪をみろ。そして、 よくお前のとくらべてみるがいい。
生徒A(よだか) どうしたら、あなたのように強くなれるのでしょう。教えてください。
生徒D(鷹) 何? 今、おまえは何と言ったのだ。そのもごもごした羽根使いは何だ。 何を言っているのかよくわからん。もっとはっきりした手話で言え。
生徒A(よだか) わたしは手話を使いにくくするミトンをつけています。 手袋の中で指がもごもごして、どうしてもうまく動かない手話があるのです。 そうしているうちに手話はわたしのことばではなくなってしまったのです。
生徒D(鷹) それでは、日本語がおまえのことばになったのか?
生徒C(おしゃべりの鳥) いいえ、それが、鷹さん、 よだかさんは日本語も中途半端になってしまったんですよ。
生徒B(ひばり) 虻蜂取らずという最悪パターンなのだ。
生徒C(おしゃべりの鳥) 私は聞いたことがあるわ。 あなたはかぶとむしやたくさんの羽虫を殺して食べるのはいやだと言って、 虻も蜂も取らないことがある変わり者だって……。
生徒A(よだか) 虫を殺す罪の意識も苦しいものですが、 鷹さんとおなじ手話が十分に話せないというのもまた苦しいものですよ。
生徒D(鷹) えーい、何もかも中途半端だ。そんなやつとオレがおなじ名前だというのは、 いよいよ虫酸がはしる。はやく名前をかえろ。
生徒A(よだか) 鷹さん。それはあんまり無理です。 私の名前は私が勝手につけたのではりません。神さまから下さったのです。
生徒D(鷹) いいや、おれの名なら、神さまから貰ったのだといってもよかろうが、 おまえのは、いわば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。
生徒A(よだか) 鷹さん。それは無理です。
生徒D(鷹) 無理じゃない。おれがいい名前を教えてやろう。市蔵というんだ。 いい名だろう。そこで、名前を変えるには、みんなに知ってもらわないといけない。 いいか、それはな。首へ市蔵とかいた札をぶらさげて、私はこれからは市蔵と申しますと叫びながら、 みんなの所をおじぎしてまわるのだ。
生徒A(よだか) そんなことはとてもできません。
生徒D(鷹) いいや、できる。そうしろ。もしあさっての朝までにそうしなかったら、 お前をつかみ殺してしまうから、そう思え。おれはあさっての朝早く、 鳥のうちを一軒づつまわって、お前がきたかどうかを聞いてあるく。 一軒でもこなかったという家があったら、もうお前はおしまいだぞ。
生徒A(よだか) だって、それはあんまり無理じゃありませんか。 そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。
生徒D(鷹) まあ、ようく考えるんだな。市蔵もそんなにわるいなまえじゃないぞ。
(捨てぜりふをのこして、鷹は去っていく。ほかの鳥もいつのまにかいなくなり、 よだかは一人取り残される。)
生徒A(よだか) 僕は今まで、何にも悪いことをしたことがない。 ただ、手話の禁止を守っていて、日本語とどっちつかずになってしまったことと、 よだかという名前がたまたま鷹と似ていたというだけで、ああ、市蔵だなんて、 首へ札をかけるなんて、つらい話だなあ。
(あたりは、もううすくらくなっていました。よだかは、空に飛び上がりました。 口を大きく開いて飛んでいると、黒子が棒の先につけた羽虫やかぶとむしが 何匹も口に飛び込んでいくのでした。)
生徒A(よだか) ああ、かぶとむしやたくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。 そして僕がこんどは鷹に殺される。ああ、つらい。僕の苦しみを分かってくれる仲間がいないのだ。 手話でこの苦しみを鳥さんたちに訴える力もない。日本語で話しかけるほどしゃべる力もない。 僕はもう虫を食べないで飢えて死のう。いや、その前にもう鷹が僕を殺すだろう。 そうだ、その前に、僕は遠くの遠くの空の向こうに行ってしまおう。……その前に、 妹のかわせみに会いたい。
(これだけの内容を、ミトンをつけた右手だけの手話で表現するのはかなり苦しいが、 その苦しみは手話を制約されたものの苦しみそのものである。)

(よだかが地上に降りてくる。)
生徒E(かわせみ) 兄さん、今晩は。何か急のご用ですか。
生徒A(よだか) いいや、僕は今度遠いところへ行くからね。 その前にちょっとお前に会いにきたよ。
生徒E(かわせみ) 兄さん、行っちゃあいけませんよ。蜂雀もあんな遠くにいるんですし、 わたしひとりぼっちになってしまうじゃありませんか。
生徒A(よだか) それはね。どうも仕方ないのだ。もう今日は何も言わないでくれ。 そして、お前もね、どうしてもとらなければならないときのほかはいたづらに魚を とったりしないようにしてくれ。それに、手話も遠慮なく使えばいいのだ。 しゃべることにとらわれて、虻蜂取らずになってはいけないよ。
生徒E(かわせみ) 兄さん、どうしたんです。まあもうちょっとお待ちなさい。
生徒A(よだか) いや、いつまでいてもおんなじだ。恋人の蜂雀へ、 あとでよろしくいってやってくれ。さようなら、もう会わないよ。さよなら。
(よだかは、泣きながら空に飛び上がりました。)
お星さん、お星さん、どうぞ私をあなたの所へ連れていってください。 焼け死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも焼けるときは小さなひかりを出すでしょう。 どうか私を連れていって下さい。
お星さん(黒子が棒で掲げながら) お前はよだかだな。バカを言うな。 おまえなんかたかが鳥じゃないか。お前のはねでここまで来るには、億年兆年億兆年だ。
生徒A(よだか) キシキシキシキシキシ(と高く叫ぶ。)
(どんどん空にのぼっていくふり。たとえば、黒子が月や星を下向きに流す。 そのうちに、青い照明に照らされたよだかは、とうとう青い光を発するようになります。) あー、僕の苦しみが、苦しみが燃えていく、青い炎をだして……。
(天井によだかの星の星座が浮かび上がります。)
(よだか、つまり手袋が夜光塗料を塗ったように青く光る工夫。)
生徒たち (Aを除いて、朗読する。もちろん手話で。)

 まことのことばはここになく
 青々ふかくかなしみは
 夜空の星とまたたけり

生徒A なんだ、おれは何をしているんだ。(両手を高く掲げて)あー、 ぼくの手が光っている。青い光を発して……(蛍光塗料がひかる)。 手袋を脱ぐときだ。こんなよだかの手袋は……(と、脱ぎかけるが、なかなか脱げない。) 手に……手に手袋がくっついている。脱げない。あーーー、脱げない…… (と、パニックを起こして舞台を転げまわる。)

生徒たち (朗読を続ける。)

 まことのことばはうしなわれ
 いかりのにがさまた青さ
 雪はふかれてそらに舞う
 二月の寒気降りくる底を
 唾し はぎしりゆききする
 おれはひとりの手話なのだ

 まことのことばはうしなわれ
 いかりのにがさまた青さ
 雲はちぎれてそらをとぶ
 ああどんよりと二月の空を
 はぎしり燃えて飛翔する
 おれはひとりの手話なのだ

 まことのことばはここになく
 青々ふかくかなしみは
 夜空の星とまたたけり
 ああ澄みわたる2月の空を
 はぎしり燃えて流星の
 手話のなみだはつちにふる

ナレーター
こんな理不尽なことばの差別がまかりとおっていたのです。敗戦という価値転換をくぐり抜けて 「口話教育」は生き残りました。生徒の授業ボイコットというかたちで矛盾が噴き出したのが 戦後20年を経た1965年、 京都府立ろう学校でのことです。それから、徐々に手話の認知がすすみ、 幼稚部から手話を導入するろう学校があらわれたのが90年代後半、 東京都教育委員会の研究委員会が「ろう学校に手話導入を」提言したのが、2000年。 (米川明彦「手話ということば」PHP新書参照)
手話にとっては七十年にも及ぶながい冬の時代でした。
                     完


【注】
「手話のなみだはつちにふる」という題は、宮沢賢治の詩「春と修羅」の、

(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

に拠ったものです。

追補
この脚本を使われる場合は、必ず前もって作者(浅田洋)(yotaro@opal.plala.or.jp)まで ご連絡ください。


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