私俳句「ブラジルの月」   浅田 洋
          2015.12.1
  

九年前の二○○六年の九月に長男をブラジルのマセイオで亡くしました。事故でした。
たまたま宮沢賢治の忌日と同じ日でした。ここで賢治に触れたのは、 遺品の中に『銀河鉄道の夜』の文庫本があったからです。賢治の劇を書いてきた私としては、 偶然とはわかりつつふしぎな感じにとらわれました。賢治も妹のトシさんを亡くしています。 その悲しみの中で、詩集『春と修羅』の『永訣の朝』や『青森挽歌』などの詩が書かれました。 また『銀河鉄道の夜』はトシさんの死がテーマとなっており、彼は生涯その推敲を続けたのです。
賢治のそういった詩や小説が、私の喪失をどれだけ慰めてくれたことか。
今年で九年の忌を迎え、ようやく事件のことを振り返ってみようという気持になりました。
遭難の一報が入ってからの、私と次男、そして長男の大学の先生お二人、 計四人のブラジル行からはじまり、 ひたすら時の癒しに身をゆだねるしかなかった数年の日々を経て、 ようやく落ち着きを取り戻しつつある現在までの私たち夫婦の日常を、 書き溜めてきた俳句と新たに詠んだ俳句で、私小説を書くように編んでみようと考えたのです。
私が俳句を始めたのは、五、六年前からです。最初の頃は技量も未熟で、 また自分自身を平静に見ることができる心の状態でもありませんでした。
今年になって、やっとその時期が来たと思いを定めることができたのです。
以下が、その成果というか、作った句です。

  ブラジルのこと

     (句は後日、俳句をはじめてから詠んだものです)

    (マセイオにて)

月明の汀(みぎわ)に花束うち返し

弟も従(つ)きて魂呼ぶ月二つ

月影に遺品の指輪のイニシアル

妻の声電話に遠し十字星

機窓を射ぬく地の日矢九月サンパウロ


    (サンパウロにて)

異国の客に線香賜(た)ばるサンパウロ

異国の囀り遺骨待つあひだぢう

色鳥の墓苑に遺灰撒かれけり

ラテン風骨箱の鳴る昼の月

銀河果つる国や小銭をポケットに

賢治忌のポルトガル語の遺灰証明

天の川の果てで封する遺灰証明

去りがたし月のバンプに小銭鳴る

露の身にHorikawaの名をいかに刻まむ


    (帰路、ニューヨークにて)

遺灰バッグに秋灯遠き摩天楼
    (帰国)

桔梗の夜暗遺灰は妻が抱へ

遺骨膝にカーナビ迷ふ月の帰路

一泊五日さかしまに着く月の帰路

一生(ひとよ)の悲しみ一泊五日を待つ母に





その後のこと

(句会に入って少しずつ詠み始めました。)


2009.

賢治の忌賢治の母の嘆きはや

春愁やいつまで続く悲しみぞ

処暑の夕幽明へだつ雨の幕

2010.

春障子光の隔つ遺影かな

百合の香や四周忌すぎて秋思なほ

短日やはつかに早巻く正信偈

2011.

春暁や夢のなぞなぞ解けぬまま

2012.

「惜し つくづく」と遠蝉鳴くも七回忌

桃の肌指跡ほのかに七回忌

2013.

桜蕊に色を遺して逝きしかな

朱き実を添へて仏に室の花

2014.

遺骨未だよう納めずに竹の秋

懐かしくも声なき夢かちちろ聞く

水澄みていのちの淵や子の忌日

金木犀の花降らすときほとりせん

時雨して遺影の翳り移ろひぬ

ひとつこと共に耐へにし妻の胼(ひび)

2015.

一生(ひとよ)ものの負い目おぐらき寒の雨

寒の香煙ショートケーキを離し置く

遺影移し不意に見らるる冬灯

蕗味噌や追悼句にも己が味

バレンタイン遺影に映る赤リボン

夫婦してチョコのお下がり春障子

一輪を供華の水仙とりわくる

過ぎしまま遺影の前の二月チョコ

しばらくは供華のミモザの零るらん

黄水仙立て持つ妻は片手添へ

人の世に死ぬるは独りまくわ瓜

供華たわわ曲がり癖あるチューリップ

なきひとの名もかかれゐてころもがへ

人の亡き九年藻の上の水澄し

老いの死にいつしか淡し花うつ木

梅雨寒や十年を聞かぬ人の声

明易や死ぬこと淡くなりしかな

遠国(おんごく)に子を逝かしめて鮎にがし

鬼やんま虫籠かさと骨(こつ)の音

遠国の悲しみごとや夏花挿す

吾に子の、弟に兄の盆の月

表札に指押し当てて嗚咽冷ゆ

底冷えに早回しする美僧かな

をろがみて己が異形や仏手柑

子の数を訊かれることも秋の蝿

亡き人と気づかぬ夢や曼珠沙華

論文がすなはち遺稿月の旧友(とも)

九秋や狎るることなく九年の忌

九秋を忌日真中に過しけり

むかごめし椀つたふゆげ九年の忌

忌日過ぎて金木犀の匂ひ立ち

なり代り供華の礼状居待月

忌を過ぎて金木犀の遅れ花

木犀もつつしみ匂ふ忌の朝

冬の息遺影しばらく曇りけり

不貞寝する子が夢にゐて冬の雨

変更線に忌日移ろふ臥待月

破れ芭蕉子を悼む句の百足らず

子を詠む句まとめて小春日和かな


2016.

初夢やわれに遥かの思ひ人

年始客に遺影の巡(めぐ)りも賑はひて

早梅の季(とき)至らぬは淋しけれ

早梅の先散る一生(ひとよ)惜しむなよ

亡き人のわが心の坐水仙花

十年(ととせ)なほ声みみぞこに龍の玉

死なしめし思ひもて切る水仙花

水仙の丈が遺影に適ひけり

妻のチョコ遺影に映ゆる余寒かな

春浅し妻を同士にこの十年(ととせ)

風花やわれにゆくへの知れぬ人

をのこなる遺影のまへのめをとびな

彼我の差は喪ひしもの四温光

おほかたは腑に落ちてをり四温光

心的外傷くそっ喰らへや涅槃西風

悲しみのまま懐かしく四温光

ひと亡くてふしぎのくにの春障子

われもまた魂呼びしこと春の凪

年々に白木蓮の白まさる

チューリップ花摘むを妻ためらはず

過去帳にわが筆の拙花の冷え

花屑の踏み跡先に逝かしめき

松花粉チェルノブイリの日は奈良に

亡き人のつらきこと聞く白雨かな

論文がすなはち遺稿短夜や

余花の雨引用の数空しとも

不幸とは決して思はず花山椒

ほうたると呼ばふは魂を呼ばふかな

十年忌「ハロー・グッバイ」の夏埃

二上を弟背(いろせ)と呼びし栗の花

ほたるぶくろや妻は遺灰と逝くつもり

死者のなき家の稀らや濃紫陽花

戒名はフォトン(光子)の由来夏星座

心経に初蝉の声老いの声

新涼や手の風で消すお灯明

   (論文のことで来訪者あり)
人来る遺稿の縁(えにし)蝉時雨

蝉時雨先逝くものの尊けれ

露思はぬに遺影となりし笑み哀れ

つくづくをしと外つ国に逝き十年(ととせ)の忌

忌を重ね人老いゆくや葛の花

長月の香(こう)の香(か)のまづ爽やかに

をらぬこと幾日重ねて帰燕かな

花芽ふふむ金木犀の忌の日かな

亡き人の思ひほつほつ青花梨

銀河果つる国に香華を賜りて

鰯雲十年の癒し妻と吾に

月の客忘れし声を聞かぬまま

月の宴枠入れ替へし遺影かな

枠替へて遺影月夜の客となり

小座布団一つ間(あはひ)に月の友

枠替へし遺影を立つる良夜かな

遺影枠けふかはりをり花八手

ひとりゐに経をつづくる冬座敷

遺影枠替へてなほ問ふ霜夜かな

息白きものの祈りに長短(ながみじか)

2017.

凍蝶の手にもろければ忘れえず

雪催空蝉ひとつ持て余す

引用が百に水仙月二十日

ひとつ夢われも夢の記黄水仙

塔ならば仏舎利苦きふきのたう

家族アルバム開けぬ十年(ととせ)四温光

いづくより遺影の前のめをとびな

蛍這はせ半跏思惟の指となる

ほうたるを見たと云ふ妻問ひ詰めず

ひぐらしやつくづくひとの死の序(ついで)

墓石に数珠かさねおき遠蜩

エレベーターに黒革のチェロ月の友

夏痩せや句集まるごと追悼句

河内野に頭(づ)大き仏良夜かな

忌の朝(あした)金木犀の花ほとり

残り雨木犀の香に辺(ほとり)せむ

吾(あ)を生きるいのちや真夜の虫しぐれ

汝(な)を生きしいのち遺影の紫苑かな

蛍草十一年の忌が過ぎて

影なき子金木犀の花の暈

老いの死にいつしか淡し栗ご飯

子に一つ未刊の論文龍の玉

2018.

子規の一世の春夏秋冬梅一輪

女正月亡き子の夢記書き加ふ

 (賢治の両親を思い)

風花や昇天を子に迎へらる

老いの死にいつしか淡し春の風邪

春の雲遠き祈りは思慕に似て

供華に挿す折れ水仙も雨水かな

いづくより遺影の前の陶器雛

結局は跳べぬふらここ海に向き

 (心経一つを覚えて)

なけなしの般若心経葱坊主

死ぬ時が死ぬる時節か松落葉

かなかなやゆふべの死者とすれ違ふ

空蝉や命の爪をなほ立つる

手団扇で消すらふそくの蕊光る

 (ブラジルに逝きし人)

天の川の果てで封する遺灰証明

 (ブラジル往復)

一泊五日さかしまに着く月の帰路

水澄みてジョバンニの指屈折ス

子の忌日また賢治の忌良夜かな

無花果のぽとりと映る遺影かな

一泊五日桔梗の夜暗(やあん)遺灰抱へ

金木犀ひかりの粒のごとく降り

表札に指押し当てて嗚咽冱つ

自転車で追ひ来る影や冬夕焼

聖夜悲し子供心の聡ければ

今生の悲喜置き去りに竜の玉

2019.

はらわたに虚栗ある初明り

いなくなるそれだけのこと日脚伸ぶ

風花やことばは死者をぬらさざる

いなくなるそれだけのこと冬の蝶

春隣なき人どこもゆかざりき

冬銀河カムパネルラは帰らざる

カムパネルラの父にはなれず冴返る

遺灰まだよう納めずにけふ雨水

をらぬこと子どもに重し鴨かへる

老いの死にいつしか淡し花菜道

鳥雲にノート遺りて子の雑字

明易や亡き子のえにし夢に接ぎ

初蛍当つる子なりき真先(まさき)ゆく

異国の師籐椅子並べ迎へけり

目が慣れて遺影の前に真夜の桃

敗荷やポルトガル語の遺灰証明

掌に取り分くる遺灰金木犀の花

菊いとふ心も和み十三回忌

金木犀の花芽忌日に未だ青し

 (主のいない部屋の片付け)

黄落の一夜のわれを忘れめや

冬の雲亡き子の朋の消息など

 (ブラジル行)

われの一生(ひとよ)の一泊五日冬銀河

 (片づけ)

表札なぞる息も嗚咽も白き指

2020.

遺影に白花バレンタインの赤リボン

  (3・11遺されたものは悔むのみ)

花白ければ白を悔みて花辛夷

ぶらんこに木のひねりぐせ子ろの声

チューリップに見とれ遺影がふと近し

異国の囀り遺骨待つあひだぢう

供ふるに向き迷ひけり走り枇杷

  (「二上山を弟背(いろせ)とわが見む」)

二上山(ふたかみ)に届かぬ虹を愛(かな)しめり

病葉に問ふ秋冬のなき一生(ひとよ)

  (ブラジルにも)

天の川サンパウロには恩義あり

妻の封切る遺灰証明鳳仙花

熟れ頃と忌日案じて桃たまふ

天の川の果に散骨したと云ふ

  (十四年前、ブラジルへ)

天の川を一泊五日の憂ひもて

年年見るもひととせ悲し帰り花

2021.

薺粥亡き子の妻の恙なく

かなしみや十年(ととせ)の末(うれ)の葉芽花芽

葱坊主子の作文に捕虜の父

亡くなりしこと置き去りに春の夢

春眠に吉報ふくむ子の凛々し

本の書き込み持ち重りして街薄暑

麦秋や近づく海を妻怖る

心経称へて初のさびしさ心太

初蛍予感ある子の落ち着かず

  (引越)

遺影の笑みを持ち来たりしや戻り梅雨

家移りに忘れきしもの戻り梅雨

死者になほ伸び代あるや夕かなかな

早逝と聞けば身構ふ蚊遣香

  (2006年9月名古屋のブラジル領事館にて)

ほぼ縦書きに葡語(ポご)の署名も居待月

パスポート手に踏みてゆくいわし雲

乗り継ぎて一泊五日の夜長かな

  (2006年)

地より日矢サンパウロ九月の機窓

銀河果つる国や小銭をポケットに

  (引っ越して)

露の夜の骨壷に音確かむる

吾が寝袋に流星あふぎ逝きしまま

遺骨膝にカーナビ迷ふ月の帰路

十五年目も金木犀の散華かな

秋彼岸異国の波は花束巻けり

時差呆けに冴ゆるものあり帰路の月

銀河鉄道文庫本より砂こぼれ

月に未練や手動の鈍きエレベーター

  (ブラジル往還)

時を戻して往きしを元に月の帰路

黄落や人と云ふもの二度死すと

ひーよと鳴けりひーは悲と思(も)ふ霜の月

  (引越)

毀ちし古家(ふるや)に炬燵のまどゐみんなゐる

秋声遠し師への電話に夫人の嗚咽

2022.

繊月や忌日も動く変更線

おさがりはバレンタインの妻のチョコ

彼我(ひが)の差は喪ひしもの紫木蓮

  (賢治の心象スケッチ「薤露青」)

どこへ逝くとも知れぬはよけれ辛夷咲く

けふの忌で嘆きおさめや涼新た

存へて賢治の倍や半夏生

秋の水ジョバンニの指屈折ス

十五光年向こうに逝くか赤とんぼ

けふの忌で嘆きおさめや涼新た

横書きの癖字を縦に九月のビザ

色鳥や遠国の葬鳴きやまず

反響の壁を鳴かせて秋の声

  (賜りしを命日にお供えして)

山葡萄に戻れぬシャインマスカット

  (以前の家、庭に大きな金木犀の樹がありました)

ゐないことにゐたたまれぬ夜の金木犀

あつゆきの句を読むことも夜長かな


             (2022/9/30まで)
                        (続く)

  あとがき
 長男への悼句をこのような形でまとめることができたのは、俳句のおかげだと考えています。 私俳句ということで、私小説のような作品に仕上げることができました。 最初は俳句にそれができるかどうか心もとなかったのですが、 試してみると俳句は私の酷使に耐えるだけの器量を充分に持っていたのです。
 俳句に、あるいは俳句に導いてくださった方々に感謝するしかありません。


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