ショートSF「伝言」
理科の実験室に隣接して暗室があります。賢治先生は、よくその暗室で写真の現像をされます。
私はこの高等養護学校で理科の教師をしています。
賢治先生は、この学校で非常勤の講師として、同じように理科を教えておられます。
最近、ときどき理科室が奇妙な振動に襲われるときがあります。それも、賢治先生が暗室を使っておられて、
入室禁止の赤いランプが灯っているときに、決まって奇妙な蒸気音が聞こえたり、振動が響いてきたりするのです。
どうしたことかと思っていたのですが、ある日理科室を掃除していた生徒たちが、
赤い電灯が点いているときは絶対に覗いてはいけないと禁止されていたにもかかわらず、
暗室の扉を開けたらしいのです。すると、
賢治先生がそこに車掌さんの格好をして立っていたというのです。生徒たちも驚いたのですが、
賢治先生はもっとびっくり、というよりうろたえておられたようです。
生徒たちには文化祭の劇の衣装を試着していたということにして、たいした噂にもならずに済んだのですが、
その後で、私は賢治先生から大変な秘密を打ち明けられたのです。
暗室が銀河鉄道の地球ステーションになっているというのです。
「私が銀河鉄道の車掌をしていることは、決して口外しないでください」
と賢治先生は真剣に私に頼みました。もちろん私も、秘密をもらす気持はありませんでした。
賢治先生の秘密を知ってから、私たちは急速に親しくなりました。
私が、長男をなくしたときも、賢治先生は私を支えてくれたのです。
賢治先生もまた、妹のとし子さんをなくしておられるから、
私の気持ちを推測することができたのでしょう。
十二月の終業式の日、生徒たちを返して理科室に行ってみると、
賢治先生が外を見ておられました。南館の三階にある理科室の窓からは遠くに大和三山が眺められます。
賢治先生の非常勤講師の期限が今日で切れるのです。終業式で、生徒たちへの挨拶も済まされました。
賢治先生 「お世話になりました。今日が最後ですね。いい生徒たちで、
わたしは、楽しく過ごすことができました。」
賢治先生は、私にそんなふうにお別れの挨拶をされました。
私 「いえ、こちらこそ……、私もほんとうにお世話になりました」
賢治先生 「いや、元気をだしてくださいよ。
また、おじゃますることもあると、思います。」
私 「はい、いつでも大歓迎ですが、……、
そう言えば、暗室の地球ステーションは、どうなりますか?」
賢治先生 「心配ありません。また、どこかに移っていきます。
銀河鉄道は、どこにだって止まれるんですよ。地球ステーションは神出鬼没なんです」
私 「そうですか……、もう、お別れなんですね。だったら、一つお願いをしてもいいですか?
どうしてもきいていただきたいのです」
賢治先生 「あなたのことだから、できることなら、かなえようと思いますが……」
私 「他の人だったら、まったく無理な話なんですが、賢治先生、あなたにならできるのです。というより、
あなたにだけ可能なことなんです」
賢治先生 「わたしにだけできることって、どんなことですか?」
私 「私は、息子をなくしてからずっとタイムマシンのことを考えてきました。
……おかしいですよね。笑ってください。しかし、私は真剣なのです」
賢治先生 「誰が、あなたを笑うことができるでしょうか。わたしもまた、
妹のとし子をなくしたとき、同じ思いだったのです」
私 「それで、銀河鉄道を思いつかれた……」
賢治先生 「そうです。妹を天上に送りとどけるための乗り物として……、そのとき、
私はとし子の逝った方向を見失っていましたからね、最後を一緒したいという一心で、……
だから、タイムマシンなど思いつきもしなかった」
私 「私も突然息子を見失ってうろたえました。『たれでもみんなぐるぐるする』と
『青森挽歌』にあります。ほんとうに『ぐるぐるする』というのは的確です。……
そんな『ぐるぐる』の中で、私はときどきタイムマシンを夢想するようになったのです。
……賢治先生、あなたはもう分かっておられますね。
銀河鉄道があれば、タイムマシンというか、
タイムトンネルは、すぐにもできるのですよ。……」
賢治先生 「タイムトンネルですか? それともタイムマシン? それは、
一体どんなものなのか……」
私 「ほんとうにご存じないのですか……」
私は半信半疑のままに、自分が考えたタイムマシンの作り方を賢治先生に説明しました。
賢治先生は、おそらく、亡くなられた妹のとし子さんを天上に送りとどけるために、
銀河鉄道を創造されました。宇宙を光速に近い速度、あるいは、もしかすると(相対性理論に反して)
光速を超えたとてつもない速度で、銀河に添って、宇宙空間を駆けぬけてゆく列車です。
しかし、光速を超えるとなると相対性理論に矛盾しますから、そこは科学的に、
ほとんど光速に近い速度で疾駆するものと仮定するとして、それでも、銀河鉄道の存在は、
タイムトンネルの可能性を開くものなのです。
しかし、銀河鉄道だけでタイムトンネルができるわけではありません。
タイムトンネルの創造には、もう一つ、ワームホールというものも不可欠なのです。ワームホールというのは、
入口と出口のある空間の虫食い穴のようなものです。微少なものは、常時、現実の世界にも存在しているようなのですが、
あまりに小さくて、使いものにはならないのです。
もちろん、賢治先生にとってワームホールの理論など思いもよらないものでした。
しかし、賢治先生は、知らず知らずのうちに、それと意識しないで銀河鉄道とともにワームホールも操っておられたのです。
『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニがはじめて銀河鉄道に乗り込む場面を覚えておられるでしょうか。
彼は、原っぱにいて、不意に列車に瞬間移動します。あのとき、ワームホールを潜っているのです。
それ以外に、瞬間移動はありえないことです。
その渦中、『蛍のやうに、ぺかぺか』ひかるひかりが見えたり、ダイヤモンドを、
『ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなっ』たりします。
あれは、ワームホールを通り抜ける途中に見えるひかりです。
ワームホールによる瞬間移動は、そのあとの銀河鉄道の旅でも何度か見られます。
私の推理にまちがいはないはずです。賢治先生は、銀河鉄道という光速に近い乗り物とワームホールを
自由に操る能力を持っておられたのです。
この二つが揃えば、タイムマシン、あるいはタイムトンネルを造るのは簡単です。
銀河鉄道は、とてつもなく速いスピードで宇宙空間を飛んでいきます。相対性理論によると、地球から見ていると、
銀河鉄道の中の時計は遅れるのです。つまり、地球の時計の方が進むのです。
いま暗室の壁に入口が開いているワームホールのもう一方の出口は、銀河鉄道に装着してあるはず、
そのままの状態で南十字(サウザンクロス)まで往復してくるとそれだけで、
ワームホールの二つの入口に時間差を生じます。一方の入口から入り、
トンネルを潜って他方の出口から出てくると、
時間が違っているのです。それは、もうすでにタイムトンネル、もっとも簡単なタイムマシンです。
賢治先生は、以前、この暗室が銀河鉄道の地球ステーションだとおっしゃっていました。
でも、暗室の奥にプラットホフォームがあるわけじゃない。だから、この暗室は、ワームホールの入口、
そこから瞬間移動して、列車に乗り込んでいくわけです。
賢治先生は、私の推理を認められました。必要なときには、
ここの暗室の壁に漏斗状のワームホールの入口が開くのだそうです。
それが、タイムトンネルの入口らしいのです。
私の説明を賢治先生は興味深そうに聞いておられました。しかし、そのとき、私の脳裏を
ある疑いが翳らせました。もしかしたら、……もしかしたら、賢治先生は、もうとっくに
タイムマシンの理論をご存じじゃないのか。そんな
疑惑がふっと萌したのです……。が、もちろん根拠があるわけではありません。
私はその疑惑を脇へおしやって続けました。
私 「そんなふうにして、銀河鉄道とワームホールを使えばタイムトンネルを作ることができるのです。
先生にとってはむずかしいことではないはずです。……やっていただけませんか」
賢治先生 「そうですか……、私には、まだよくわかりませんが……、
それで、そのタイムマシンであなたは何をしようというのです?」
私 「息子に会いたいのです。もう一度、一度だけでいい、会いたい」
賢治先生 「会ってどうされるのですか」
私 「会って……、ただ、会いたいだけなのですが、……いや、会って伝えたいのです。息子はブラジルで遭難しました。
だから、ブラジルに行かないようにと言いたいのです」
賢治先生は、しばらく黙って考えておられました。それは、おそろしいほど長い時間だったようにも、
またちょっとした長めの間合いに過ぎないようにも思えて、
ほんとうのところはどうであったのか、私には判断がつきません。
賢治先生 「分かりました」
賢治先生は、ちょっと苦しそうな表情で、何度か頷かれました。
賢治先生 「そうですね。……では、あなたを銀河鉄道に招待しましょう。それがいいでしょう。
そして、いま言われた方法で二人でタイムトンネルを作ってみましょう。
できたところで、あなたが列車のワームホールの入口に飛び込めばいい」
私 「いえ、賢治先生、ちょっと待ってください。……私には、実は私には銀河鉄道に乗る資格がないのです」
賢治先生 「資格?……」
私 「そうです。私のようなものが銀河鉄道に乗ってはいけないのです」
賢治先生 「なぜ乗ってはいけないのですか?
誰でも乗れようになっているはずですが、……」
私 「はい、それはそうなのですが、しかし、私は、乗れないのです。
乗ってはいけないのです……」
賢治先生 「おかしいですよ。どういう理由であれ、乗れない訳がないじゃありませんか……」
私 「乗れないのではなく、乗る資格がないのです」
賢治先生 「そんな資格を誰が? 私の知らないうちに、……
誰でも乗れようになっているはずですが、……」
私 「もちろんです。誰でも乗れます。でも、私は自分でその資格がないと……、
分かってほしいとはいいませんが、どうか
これ以上そのことで追及しないでください」
賢治先生 「うーん、困った。
そうなると、ワームホールの一方の入口は構造上銀河鉄道からはずせないから、
せっかくのタイムトンネルも使えないことになりますね」
私 「そうですか……では、仕方がありません。こうしていただけませんか。
厚かましいお願いですが、
賢治先生、どうかあなたが過去の世界に行って、先ほどのことを息子に伝えていただけませんか?」
賢治先生 「伝えるだけ。……それでいいのですか? 伝えても、この世界、どうもなりませんよ。
私が、お父さんからの言付けとして、息子さんにブラジルに行かないように伝えたとします。
すると、息子さんはブラジルに行かれないかもしれない。そうすると、現実が変わりますね。
大袈裟に言うと歴史が変わるのです。そのままだと、息子さんがなくなられた現実と生きておられる現実は両立しません。
そのままでは済まないのです。これはパラドックスだからです。……パラドックス問題というのは知っていますか?」
私 「はい、知っています。どうなるのでしょうか」
賢治先生 「パラドックスが生じないようになっているのです。
どのようにパラドックスが避けられているかというと、
私が、息子さんにその話をした瞬間に、いろんな可能性を秘めた確率の霧のようなものがすっと晴れて
一つの世界が確定するのです。息子さんがブラジルに行かない、だから息子さんはなくならない、という世界が確定します。
その世界が、いろんな可能性のもやもやから
凝縮して、というか現実化して、この現実世界からめくれるように分岐してゆくのです。平行世界が生じるといってもいいと思います」
私 「息子が生き続ける世界があるのですね?」
賢治先生 「そうです。その世界もまた一つの世界として、この世界と平行して存在しているのでしょうかね」
私 「私は息子をなくしたとき、世界のページがめくれていくような感覚に
襲われたことを覚えています。それと同じことが起こっているのでしょうか……」
それを聞いた瞬間、涙があふれてきました。そして、胸が詰まったまましばらくは言葉を口にすることができませんでした。
賢治先生 「わかりました。先生の頼みなら過去に行って息子さんに伝言しましょう。
たしかに息子さんに伝えてきましょう。それで、あなたが慰められるのなら……」
私 「息子が生きている世界があるのなら、それを想像するだけで、私は……、私は、慰められるのです」
賢治先生 「そうですか、……だけど、だけど、それでいいのでしょうか。
そんなふうに現実の基礎の基礎の成り立ちのようなところに触れるようなことをして、
息子さんが生き続けているもう一つの世界を凝縮させて分岐させる。
そりゃあ、可能な世界の可能性を一つ実現しただけともいえますが、
もう一つの世界を作りだす。何かおそろしいような気がしませんか?
そのことを息子さんは喜ばれるでしょうか」
私 「そうですね。……たしかに、おっしゃることは分かります。わたしもまた、おそろしい気がする。……賢治先生、
どうすればいいのでしょうか」
賢治先生 「私のことではなく、あなたのことです。……私は、トシが死んだとき、
それをしませんでした。できなかったのです。違う世界にいった妹をそんなふうにして生きさせるにしのびなかった」
私 「……考えさせてください。賢治先生、銀河鉄道の発車は明日でしたね。もう一晩ゆっくり考えさせてください」
賢治先生 「わかりました。先生次第です。あす、結論をうかがいましょう。今日のところはこれで……」
賢治先生はそんなふうに言い置いて、後ろ手に扉を閉めて、理科準備室を出て行かれました。
私は身動きもできずに先ほどのことをじっと考えていました。
時計が午後五時を打ちました。ふと我にかえって、窓から外を見ると、夜空は深い青みを帯びて広がり、
奈良平野はすでに夕闇に沈んで、遠くの街灯りがきらめいています。
−−今日は、クリスマスイブか……。
脈絡もなくそんなことが浮かんできました。
街明かりがクリスマスツリーを連想させたのかもしれません。
暗い藍色の夜空を見あげながら、橇ではなく、銀河鉄道が
天空をよこぎってゆくイメージを思い描いていました。
いま理科室を出て行ったばかりの賢治先生が、それに乗って去っていくのです。
こんなやみよののはらのなかをゆくときは
客車のまどはみんな水族館の窓になる
(『青森挽歌』より)
そんな賢治の詩句が思い浮かびました。
サンタクロースの赤い衣装を着けた賢治先生が、その客車の窓からかいま見えたような気がしました。
その一瞬、私の心に一つ、クリスマスの思い出があざやかに浮かんできたのです。
なくなった長男が小学3年か4年の頃のことです。
クリスマスの朝、枕元に置かれたプレゼントを手に起きてきた彼が、何か重大事を打ち明けるように、
夜中にサンタクロースの鈴の音を聞いたと言うのです。
「その前に、何か言われたけれど、何言うてるんか分からんかった」
同じようにプレゼントを手にした弟が「兄ちゃん、ほんま?」と、目を輝かしています。
「ぜったい、ほんまや、寝ぼけてんとちがう」と、長男は言い張って譲りませんでした。
唇を尖らせた息子の顔が浮かんできて、私は、最初笑いが萌し、続いて胸を締め付けられるような懐かしさに襲われました。
体がかっと熱くなり、悲しみもあふれてきます。感情の津波が押しよせたようで、
私はしばらくそれに身をまかせていました。
窓の外に目をやると、涙で遠くのネオンが滲んでいます。
あのときの息子の頑なさは、彼の性格からすればめずらしいことで、おそらくそのために家族の印象に刻まれたのです。
そして、後々まで、「いい歳をして、サンタクロースを信じていた」と弟からも揶揄される材料になったのです。
しかし、彼は、からかわれてもからかわれても、鈴の音を聞いたという主張は絶対に譲らなかったのです。
−−どうして、あんなにかたくなだったのか?
それは、意地ということもあるかもしれませんが、……
もしかすると、彼は鈴の音と耳元での呟きをほんとうに聞いたのではないか。私は、いまそんな気がしてきたのです。
私が、明日、何か賢治先生に頼むとします。それを受けて、賢治先生は、タイムトンネルで過去に戻っていく。
そして、息子に伝言を伝えます。
ただ、時期がかなりずれていたことと、伝言がうまく伝わらなかったことと……。
でも、私はほんとうに賢治先生に何か伝言を頼むことになるのでしょうか? そんなおそろしいことを……。
〈完〉
【補注】タイムマシン、ワームホールについては、二間瀬敏史『時間旅行は可能か?』
(ちくまプリマー新書)を参考にしました。
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