受容


「こんな劇、やってられへんわ」
 太郎が脚本を床に打ちつけて、軽作業室を飛び出していきました。
「もっとまじめにやれよ。みんなもちゃんとやってるんやから……」
 おもわず声をあららげたのが、きっかけをあたえてしまったのです。
もうすこししんぼうしてもよかったかなとこころの片隅で後悔しながらも、 私は彼を追わなかったし、いっしょに劇の演出に入っている同僚の教師が後を追おうとするのを目で制しもしたのです。しばらく放っておいたほうがいい、と思いました。あたまを冷やしたらまた話を受け入れる気持ちになってくれるかもしれない。 もともとは人なつっこいところもあるのです。それが自然に流露する道をみつけられないで、へんに歪んでしまって、意固地になっている、そんな気がしていました。
 私は、太郎を振り返りもせずに、そのまま文化祭の劇の演出を続けました。生徒たちにも動揺はありませんでした。太郎が飛び出していくのには 慣れっこになっているようです。
 三場の練習が一段落して、休憩に入ったところで、私は太郎の教室に行ってみました。しばらくはうろついていても結局はそこにもどるしかないことはわかっていました。太郎は所在なげに窓から外を眺めていましたが、私に気づくと、ちょっと身構えるように体を固くして、無視し続けました。
「何でちゃんとやらへんのや? 君があんななげやりなふうやったら、 他のもんもイヤになるで……」
「…………………」
 太郎は、頑なに私を拒もうとしていました。
「あの、吉森なあ」と、私は、主役のざしきぼっこを演じている生徒のことを例にあげました。
「彼はいっしょうけんめいにやってるやろ。せりふ覚えきれへんから、 ほうきにまでカンニングペーパー貼り付けてやってるで。それやのに君みたいなやる気のないことをしてたら、友だちにも悪影響や」
 私は、こんなことを言ったら彼をますます捨て鉢にするかもしれないと、 頭の片隅で考えながらも抑えることができませんでした。
「そんなもん勝手やろ。オレははじめっからあんな劇をやりたなかったんや」
 太郎がはじめて口を開きました。興奮の波はいくぶんおさまっているようでしたが、まだなごりがあって、いつまたたかぶるとも知れませんでした。
 いま学年で取り組んでいるのは『ぼくたちはざしきぼっこ』という狂言仕立ての劇でした。学年集会で、「文化祭の劇、どんなんやりたい?」と生徒の希望を聞いた上で私が書いたのです。生徒の希望は例によって異見百出、収拾がつかないほどでした。吉本新喜劇とか、アニメのドラゴンボール、探偵の劇とか、なぜか漫才という希望もありました。すべてを聞き入れることは無理なのはわかっています。それでもできるかぎり生徒の希望を採用して、なんとか脚本を書き上げたのです。もともとそういったことが好きで、文化祭の劇など、転勤してきて以来ずっと演出していましたし、また、前の年には、宮沢賢治が養護学校の先生になってよみがえる、そんな想定で『賢治先生がやってきた』という劇を書いて演出もしていたのです。大筋は『見るなの座敷』の現代版といったふうなもので、最後に賢治先生は銀河鉄道で去っていってしまうのです。そして今年、私はひそかに、今回の劇は、その続編にしたいと考えていました。
で、生徒の希望と練り合わせた筋というのはこうです。賢治にも『ざしき童子(ぼっこ)のはなし』という作品がありますが、それにヒントを得ています。

とある家にざしきぼっこ(白塗り)がいましたが、そこの息子が座敷でエレキバンドの練習をするのがうるさいというので、彼は家出を決行します。すると案に違わず、その家はたちまち没落。しかしざしきぼっこのほんとうの狙いは、たんに家を移るだけではなく、 実は地球を脱出しようと企んでいるのです。環境汚染がすすんだ地球に愛想を尽かしたのです。
 そこに耳寄りなニュースが飛び込んできます。かつて養護学校で教鞭をとっていたことがある宮沢賢治先生が帰ってくるというのです。それを知ったざしきぼっこは、賢治先生に頼んで、銀河鉄道に便乗して地球を脱出しようと考えました。
 ざしきぼっこは、養護学校にやって来ます。しかし、彼に地球から去られては、地球が没落してしまいます。そのことにいち早く気づいた生徒たちは、知恵を集めて、ざしきぼっこを賢治先生に会わせないように画策します。しかし、結局ざしきぼっこは賢治先生を見つけます。そして、自分も銀河鉄道で連れて行ってくれるように懇願します。
 それからが、一騒動です。生徒たちや教師がざしきぼっこをとどめようと引っ張り合いをしますが、とてもかないません。それで応援をたのむことにします。依頼を受けた屈強の戦士たちがつぎつぎに登場して、地球脱出を阻止すべく勝負を挑みます。横綱貴乃花は相撲で、水戸黄門一行はチャンバラで、ドラゴンボールの孫悟空は拳法とハメハメ波で、また吉本の芸人はお笑いで勝負しますが、片っ端からやられてしまいます。
 狂言に『唐人相撲』というのがあって、このドタバタは、それにヒントを得ているのです。ざしきぼっこの地球脱出がもはや阻止できないというところで、生徒たちが顔の右半分を白く塗って現れ、「どうしても、地球を出て行かれるのなら、ぼくたちもいっしょに 連れて行ってください」と賢治先生に懇願します。
 一斉に右を向くと生徒たちもまた地球のざしきぼっこ。正真正銘、由緒正しいざしきぼっこと、にわか仕立て、半分白塗りの生徒たちのざしきぼっこが、ともにいなくなれば、いよいよ地球は滅びてしまいます。そこまでして強行することはできないと、さすがのざしきぼっこも地球脱出をあきらめざるをえなくなるのです。

学年集会で、教師に役を割り当てて、生徒の前ではじめて脚本を披露したときは、そのあたりのドタバタが大うけだったのです。
 しかし、そのときも太郎だけは、不機嫌でした。私は彼一人が笑おうとしないことに気づいていました。感想を聞いたときも、おおむね賛成意見が多かった中で彼だけは「そんな筋はおかしい」と 言い張ったのです。
「何がおかしいの?」と私は聞き返しました。
「ドラゴンボールの孫悟空やら水戸黄門やらはほんとうにはいないやろ。おとぎばなしや」
「おとぎばなしはあかんのかな?」
 私は、はじめは彼がなぜ、そんなに頑なに反対するのか理解できませんでした。
「おとぎばなしの人が出てくるような劇は高校ではせえへん」
 高校生は、そんな劇はしないというのです。自分たちも高校生なんだから、そんな劇はふさわしくない、というのが彼の反発理由なのです。
 さらに聞いてみると「うそだらけや」ということばも飛び出してきたのです。どうもおとぎ話をリアルでないと判断したようなのです。リアルでないものは高校生の演じるものではない、おとぎばなしは小学生の演じるもの、それをあえてやらせるというのは自分たちをバカにしている、見くびっている、そういった理屈のようでした。
「交流とかで、高校生もたくさんくるやろ。後輩も来るし、はずかしいやんか」
太郎は、同級生に訴えるのではなく、何とか、私を説得しようとしたのです。
 学年集会で反対したのは太郎だけでした。それで、私は強行突破することにしました。彼の抵抗は何とか乗り切れると考えたのです。他に反対するものもなかったので、劇の脚本は学年集会で採用されました『ぼくたちはざしきぼっこ』に決定したのです。
 太郎はしかし憤懣をくすぶらしていたようで、文化祭の練習がはじまるまでの期間、昼休みなど私が教室にいるとやってきて、劇の内容について文句を言い募ることもありました。
 そもそも教師が昼食後も教室に居座ることになったのは、太郎が友だちをいじめているようだという噂があるからでした。いわば生徒を見張るためにいるようなものでした。
 太郎は、養護学校に自分が進学するということを納得しないまま、やってきたのです。
「障害の受容が十分にはできていない」といった表現を、教師たちはしています。
 でも、障害の受容と言ってもそう簡単なことではありません。 とつぜん「知的障害者」なんて言われたり、自分でも言ったりするわけですから。自分からそんなことを言ったりするはずがないと思われるかもしれませんが、そうではないのです。
「ぼくたちは、障害者スポーツ大会でがんばってきます」とか、 壮行会で挨拶したりすることもあるのです。でも、太郎はそんなことを認めていませんでした。自分は仮にこの学校に来ているけれども、ほかのみんなとは違うんだと信じていました。両親も、そして宝石店の経営をしていたという祖父も、そんなふうに言い聞かせているようなのです。
 彼がいじめをしているというので、何度も話したことがあります。
 いじめというのは、気のいい三田のり平くんを威圧的におどしたりしているというのです。とは言え、よくよく聞いてみると、金品を取ったりといった悪辣なものではないようです。
「あいつはオレらと違うからな」というのが、のり平くんに対する彼の認識なのです。あきらかにのり平くんを見下しているのです。といって、彼が学校で飛び抜けて能力が高いと言うことではありません。「彼はまぎれもなくうちの学校の生徒ですよ」というのが同僚の一致した見方です。しかし、受容という問題と、能力とは、言うまでもなく、まったく別問題なのです。彼は自分が養護学校に来るべきではなかったと確信しているのです。家族もまたそんなふうな信念を吹き込んでいるようなのです。彼にはパソコンの家庭教師がつけられていました。だからインターネットもできるのです。もっともレベルからいえばたわいないものですが、それでも彼はそれを自分の矜持の一つにしているのです。琵琶湖で行われたカヌー教室にボランティアで行って来たといった話をしてくれたこともあります。つまり、彼は自分はボランティアを受ける側ではなく、施す側だということを言いたかったのです。
 まわりの教師の見方と自己認識のあきらかなずれが、彼をいらだたせる原因にもなっているようでした。だから、太郎は差別の視線といったふうなものにはとても敏感なのです。その能力だけが突出していました。自分たちがバカにされるといったことには 過敏に反応したのです。
 彼はいわゆる「キレる」ことがあり、そんなときは暴力をふるったり、椅子をなげたりもしたのです。女性の体育教師に向かっていこうとしたこともあります。他の教師でもいったん自分に合わないとなると毛嫌いしたりもするのです。また、そういった性行から推察されるように、彼は、“高校生らしくない振る舞い”を強制されることにも拒否反応を示しました。
 それらのピンと張りつめた琴線に、おとぎばなし調の筋立てが触れたのでしょう。彼は不機嫌さを露にして、反発してきたのです。
 きょうは朝から不機嫌で、練習の声は小さくてやる気のなさを見せつけようとしていました。そんな挑発にのって、こちらがつい声をあららげてしまったのがまずかったかなと、私は反省もしていました。もうすこししんぼうするという選択もあったはずです。 「みんなで決めた劇やで。どうして協力せえへんのや」
 私は、窓際に並んで、外を眺めながら言いました。遠くに畝傍山や耳成山が霞んでいました。その遠景が自分のこころを和ませていくのがわかりました。
「おれは、あんな筋はがまんでけへんのや」
「そのことはこれまでも話したことやろ。まだこだわってるのか。それでどこがいちばん気に食わんのや?」
「どこもかしこも、ぜーんぶ……。ドラゴンボールの孫悟空も水戸黄門も、あんなのおかしい。オレはやる気がせえへん」
「また、その話の蒸し返しかいな。何回も説明したやろうが……」
「こんな劇は高校ではせえへん。ぜったいに……」
「そらそうやなあ……、ぼっこは子どものことで、高校生はもうぼっこじゃないからな……」
「ざしきぼっこなんて、いてへんで。あれはおとぎばなし……」
「そんなん、いてるてだれも思てへんで。せやけど、そこはおとぎばなしの力を借りて、地球が汚れたり、やかましかったり住みにくうなってきているということを、お客さんにわかってもらいたいんや。……ぼくはね、ここの生徒はみんなざしきぼっこや ないかと思っているよ。それをわかってほしいというか……みんなやさしいやろう。わるい考えなんて、たとえばのり平くんのどこをさがしてもこれっぽっちももってないで。世の中の人はわるい人もいっぱいおるけどな……、きみの友だちは、みんないいこころ根のやつばっかりやで。せやからざしきぼっこやって言うてるんや。そう思わんか? そのことをお客さんに知ってもらいたいんやけどな……」
 私が少し語気を強めて言い募ったので、太郎は、けおされたのか黙り込んで、しばらく考えているふうでした。
「君が考える高校生の劇とは違うかもしれへんけど、ぼくはぼくなりに真剣に考えて劇を書いたんやで。……でも、どうしてもイヤなら出演者からはずしてもええわ。大道具を作ったりするほうにまわってもらうことにしようか。しかたないからな。君がイヤイヤやってるのを見せつけられたら、他のものもやってられへんからな」
太郎は、私の挑発的なもの言いを無視して、今回は反論してきませ
んでした。 激情は静まったようです。
「でも、ぼくとしては君に参加してほしいと思っているよ」
ちょうどはじまりのチャイムが鳴ったので、私は話を打ち切ることにしました。軽作業室で、演技の練習を続けなければなりません。私は教室を出て行きながら、穏やかな声で「よう考えたらええわ」と付け加えました。
 太郎はいろんな思いや腹立たしさが錯綜して何が何やらわからないまま悩んでいる、そのことが痛いほどわかりました。単に劇のことだけではなく、この学校に来たことや、ほんとうに高校生なのかとか、将来どうなるのかといったことで頭がいっぱいなのでしょう。彼の力では担いきれないほどの重たい問題かもしれないと思いました。
「一度、そういったことも劇にしてみたらどうやろ……」と、私は切ない気持ちで考えながら彼を教室に残したまま階段を下りていきました。

                   [完]


トップに戻る。