長男に捧げるレクイエム−拾遺−
              2008.2.24


 一報

長男がブラジルの海で行方不明になっているという一報は家内が受けた。
そのときのショックはいまもはっきり覚えていると言う。
「あの子が突然、遠くに行ってしまったような気がして……、ほんとう に遙か遠く、手が届かない遠くにいってしまった、聞いたときそんなふ うに思った」


 歓談

あなたの友人と歓談している最中
ふと、あなただけがいないことに気がつく
あなたがいなくなったために、訪れてくれた友人たちであったのに
どうしてもあなたがこの場にいないことが
ありえないこと
理不尽なことのように思えて


 タバコ

私は、息子の遭難を知らされてブラジルにかけつけたとき
遺品の中にタバコを見つけてから
そのタバコを吸い継ぐように
止めていた喫煙を復活した
食後、本の部屋でタバコを吸っている
吸い殻を入れる缶には
簑笠をかぶったふしぎな放浪者が描かれている
以前からふしぎな絵だと意識してはいたが
迂闊なことに、その絵に英文が添えられていることには最近まで気がつかなかった
「What are you looking for?」
そう、私はこの一年何を探してきたのか?


 

真昼に夢を見た
建物の狭間の中庭に出て
輝く青空を見あげた
突然雲が流れる空が輝きを増し
青が深まり
その青が極まって
藍色になったとき
その藍色を背景に昼の星座が浮かび上がった
そこには星が濃密に点描されていた
夢だったのか、それとも
ほんとうに昼の星座だったのか
あるいは、今、あの墓地公園を覆って
満天の星が輝いている
地球の裏側のブラジルの夜空を幻に見たのだと
そんな気がしないでもない


 私は変わっただろうか

息子を亡くして
悲しみに打ちひしがれたが
私は変わっただろうか
はじめは世界が変わったような気がした
そして、彼のために
自分も変わらなければならないと決意した
しかし、私は変わったろうか
息子からの悲しみを
賜となしえただろうか
せめて生徒には寛容にと心がけてはいるが
なかなかにむずかしい
とても賢治先生というわけにはいかない
百年とまではいわないが
いましばらくを、待ってくれ
自分を変えるためにはあまりにエネルギーが枯渇している
いまだにどうしようもなく
切迫するときがあるのだ


 2008年の年賀状

年賀状に俳句をそえた

 はろばろと夢もちきたり 春の雪

ああ、二度目の春も、こんなに悲しいものなのか


 悪ふざけ?

不謹慎なのか、どうか
死は負けだという思いがつい頭をもたげてくる
「死んだら負けよ、あっぷんぷん」と
何と不謹慎な……

漢字学者の白川静によれば
古代中国では
神のみが遊ぶことができると考えられていた

チクショウ、涙が出てきた
サングラスをかけていてよかったよ
涙を見られないからね

しかしね
「死にが勝ち」というのもあるぞ
何がおこるか、わからないからな
明日にでも世界が滅びるかもしれないではないか


 引き裂かれて

日本の神仏は、
あるといえばある、ないといえばない、
といった論理とはいえない論理で存在している
いぜんは、あるものとして
敬虔にふるまっていたが
息子がなくなってから
あると思うことができなくなってしまった
まだまだ心を持ち直すことができない
息子が亡くなってから
もし、この運命が
神さまがくだされた
私にたいする罰といったものならば
神、ひいては魂といったものが
存在するということであり
それは息子の魂があるということだから
哀しく厳しい定めとはいえ
嬉しいことでもある
罰といったようなものが
幻想だとすれば
魂といったものの存在があやしげになり
すべてが虚無にいきつきかねない
どちらが怖い?
ここから、まだ何か希望を語ることができるのだろうか?

この論理に引き裂かれる私は
どこかおかしいのか?


 ことば

田中未知著「寺山修司と生きて」(新書館)の朝日新聞書評(久田恵)に、
「死んだ人は、みんな言葉になる」という田中さんの言葉が引用されてい て、印象に残っている。
私は、まだその段階ではないが、
たしかに時間がたって、肉感的な残像が薄れていったとき
残されるのは「言葉」ということは納得できる。
「死んだ人は、みんな言葉になる」
とすれば、
死んだ長男はどのような言葉になるのだろうか
彼が残した言葉といえば
英語で書かれた論文ばかり
彼の残した言葉はいったい私に響くのかどうか

 断章

ぼくはこんな詩を求めていたんじゃなかった
ぼくはこんな歌を詠みたくはなかった
しかし、詩を書かずにはいられない
歌を詠まずにはいられない
それは、息子を悼むためだけではなく
自分が生きのびるためでもあるのだが

それにしても
妻は、何にすがってたえているのだろうか


 賜としての哀しみ

長男からの賜であるこの哀しみが
こんなに苦しいのは
ほんとうは絶望に崩れそうで
心の底では
不幸だと思っていて
地獄そのものだと感じており
人生をまるごと投げだしたいと思っているからではないのか
いつか、しかし、
この哀しみが、懐かしさに反転することがあるかもしれないと
それを信じたいのだが

長男から与えられたこの哀しみは
たえがたくきびしいものであるが
賜としてのこの哀しみを
どうにかして表現できなくては
いままで何をやってきたのかと
彼に揶揄されそうだ
だから、こんな詩を書いているのだが
ほんとうは、こんな詩を書きたくはなかった
書きたくなかったが、事情が事情なので書かなければならない
原爆をあびた原民喜が
必死におのが状況を詩にあらわしたように
私も書かなければならない
息子からの賜としての哀しみを
それが私にあたえられた宿命だ
宿命を受け容れるということだ


 ネジキ

わたしはねじれはじめている
幹の繊維からねじくれているネジキのように
胴体がねじれる
顔がねじれる
足がねじれる
腕もねじれる
大切なところまでねじれる
どうしてなのだろうか
絶望なのか
哀しみなのか
こんなねじくれた幹にも
初夏の光をあびて
清楚な花が咲くことがあるのだろうか


 凶器

私の家には凶器があったためしがない

父の実家、本家には日本刀があって
伯父が白い粉をぽんぽんと打って
手入れするのを見た覚えがある
中学生のとき
その刀をふらせてもらった
勢い余って自分の足を切りそうでこわかった
刀だけではなく
梁には黒びかる槍も並んでいた

日本刀を一振りもらう機会もあったが
父はそれを断った
爾来、我が家には
凶器と呼ぶべきものはあったためしがない

凶器があったからといって
長男を襲った災難を防げたとは思わないが
遠つ国ブラジルに彼をとむらったとき
守り刀がなかったことに
今日ふと思いあたったものだから


 呻き
                2008.4.1

夜、ふと気がつくと軽い呻きをもらしている
呻いているというより
吐く息が呻いている
私に呻こうという意志はない
なのに呻きは息にともなって自ずと呻くのだ
呻きは私の息そのものだ
呻きは命のふるえでもある
自分に呻く意志がないのだから
誰かが呻きの笛を吹いているようだ
いったいだれが私に呻きの息を吹き込むのか

もう数年以前、尺八をもてあそんでいたことがある
弟からもらった尺八にただ息を吹き込んでいた
もちろんたまにしか音はでなかった

副担任をしているクラスに
昼休みになると縦笛を吹いている生徒がいた
机の上に皺くちゃの楽譜を広げて
ひょろひょろと頼りない音をだしていた
私が尺八の練習をしていることをもらすと
いっしょに吹きたいと言った
彼と合奏する約束をした

しかし、私はそんなに熱心に練習をしなかった
いつまでたっても吹き込んだ息に
きまぐれに音が誘い出されるだけ

お昼頃から風が吹き募った夕刻
彼が玄関で立ち往生しているという話を聞きつけて行ってみると
風が怖くてそとに踏み出せないと悲壮な顔をしている
「そんなことってあるんだ」と、私はふしぎな気がした
外にいっしょに出てみようと誘っても
顔を引きつらせて
風が吹き込むと息が出来なくて苦しいからイヤだという
帰れないと泣き出す始末
想像もしていなかった
風が怖いなんて
風恐怖症とでもいうのだろうか
彼はそれからどうしたのか
その記憶が抜け落ちている

それ以来つよい風が吹いているのに出くわすと
彼のことを思い出して
私の中にひそかに風への怖れがきざす

あなたが風になったと、そんなぼくに信じろというのですか

そしてあるかなきかもわからない風が
私に吹き込んで
私は呻きをもらしている
その風を私は怖れているのだろうか
風はいったいどこから吹いてくるのか

夜の風が誘い出す呻きが
昼に侵入してこないとどうして言えようか
いや、軽い呻きが思わずもれるということがすでにあるのだ
私は歩きながら呻きをもらしている
着替えながら呻いている

妻にもこの呻きが聞こえているのだろうか
他の人にもこの呻きは聞こえるのだろうか


 家族
                2008.4.1

Sさん
卒業したら就職しますね
いつか、人を好きになって
家族をつくりなさい
あなたは家族には恵まれなかった
なかなか素直に心が開けなくて
荒れた言葉を吐いたりするのは
そのことに関係があるのですか?
そんなにつっぱっていないで
家族を作りなさい
ただ、かまってほしくて
いつもそんなに手を焼かすようなことをするのですか?
こんな学校には来たくなかったと
口癖のように言葉を棘立てる
屈折していると評する先生もいますが
どうなのか?
そんな見方は家族にめぐまれたものの差別だと
あなたならとっさに見抜いて
きつい目を向けてくるかもしれない

屈折といえば私もそうとうなものです
どうして人に素直にこころを開けないのか
何という不器用
その屈折がわざわいしてか
息子は私の夢にあらわれてくれない
死んだものにまで敬遠されるのかと自嘲するしかありません

残尿感があると小耳に挟んだのですが
それを知っていることをあなたには漏らせない
私は悲しかった
病院には行ったらしいけれど
家族がいたら
母親がいたら
あなたのことをいつも一番に気遣ってくれる家族がいたら
あなたは残尿感を屈折させることはなかった
膀胱炎にならずに済んだかもしれない
すべてが屈折していく

家族を持ちなさい
あなたがすべてという目で見てくれる
家族を持ちなさい
文化祭の準備中、あなたがあまりに身勝手な振る舞いに及んだとき
私は面と向かって「自分が親なら許さない」と難詰しました
そのときあなたは、横を向いて
「私には家族がないから……」
と言いよどんだのですが
あの言葉に続けて、何を言いたかったのか
それからしばらくして、授業中に突然あなたが言ったことば
「卒業するとき、炊飯器をくれたらいいわ」
グループホームに入るための支度を冗談交じりにねだったのです
私は、まだあなたに息子を亡くしたことをつげていません
それは、あなただけではなく
誰にも打ち明けたことはないのですが
息子の使っていた炊飯器をあげてもいいなと
そのとき私は咄嗟に考えていたのです
実際にそんなことはできないかもしれないけれど

いつか、家族を持ちなさい
炊飯器で夫婦のご飯を炊くようになりなさい
そうなったら聞いてみたいと思います
家族というのはあなたにとって一体なんだったのか
家族ってなんなの?

私は息子を亡くしてから一年
ずっと息子のことばかりを考えて過ごしてきました
嘆き続けてきました
息子が家族であった二十八年を振り返り続けてきました
どうしてか、わかりますか?
それは、どうしようもなく家族だからです
私に分かっているのはそれだけ
「家族は終わらない」というのは柳美里のことばですが
私にとっても
息子は亡くなってしまったけれど
家族は終わらないのです


《注記》
最初の「一報」に関連して。
2008.3.30のNHK教育テレビ、 ETV特集「いのちの声が聞こえますか〜高史明・生と死の旅」で、 高史明(76)さんが、つぎのように述懐しておられます。
高さんが、息子の岡真史さんを亡くされてから三十数年。 その間、高さんは、真史さんから課された生や死にかかわる「宿題」を考え続けてこられました。
「最初は、彼は永遠に手の届かないところに逝ったという感じなんですね。 その瞬間は今も持続的に残っているんですが、…… (それが今では)だんだん、還ってきて一緒に歩んでいる気がするんですね」

高史明さんの言葉に納得しつつも、これからの三十年という歳月を想像して、 私は、嘆息するしかありませんでした。しかも、手をこまねいていては、息子は還ってくるどころか、 記憶さえ薄らいでゆかざるをえない。
私もまた、せめて息子から与えられた悲しみを賜として大切にまもりながら、 生というもの、死というものについて考えてゆきたいと思います。


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