浅田素由句集「万年青の実」
                              1992.11.1
  


霊泉は楠氏の古事や山笑ふ
        (龍泉寺)
まなうらに住みつく母や灘の酒

つかつかと厠へ並ぶ大試験

水なめて鯉は日永の人語聞く

製材の木の香を浴びて揚雲雀

山櫻どつしり古墳ふまへける

春愁や羅漢の前を佇ち去らず

ソロバンを振り上ぐ無粋猫の恋

うららかや水色違ふ大和川

素足にて宿の春灯消しにけり

西行も通ひし峡や涅槃西風

留年に母はおだやか厨事

合掌とならぬ田神に蓬餅

春嵐仁王ことさら力瘤

土佐みづき欝は悲しく頭垂る

師に似合ふ河内の風土小米花

鶯のありどを変へず青々碑

        (弘川寺)

春うらら鯉にもらひし欠伸かな

蹠より剥す飯粒花疲れ

春の蚊を打ちてラーメンすすりけり

盆梅や銀の錠剤散乱す

重ね椅子つぎつぎ解かれ入学式

菜種梅雨一円硬貨壜に満つ

うららかや鈴の友つれ松葉杖

亀鳴くや過去帳にある義民伝

花疲れ目薬をさす車椅子

卒業のコンパ溢れり男子寮

末黒野やいまだ決まらぬ農継者

末黒野に声の溜り場なかりけり

出稼に行く名残りかや畦を焼く





葉櫻に風まとひけりスト中止

胃を病みて麸粥をしかと噛む

河原を犯す少年月見草

飲みほして太師讃仰夏茶碗

出稼ぎと思はる荷物一番茶

紫陽花や少女剣士の土不踏

墨糸の墨ほとばしる夏祭

身動きの出来ぬ方舟油虫

町名の消えし村社の蝉時雨

鴨足下一円足らぬ端書持ち

病む兄の余命の傍の蝿叩き

男臭さ女臭さの牡丹園

耳掻にかゆさつたはる蝉時雨

万緑の渓は片袖女肩

薬師仏夫唱婦随の土用丑

風ためて竹が皮脱ぐ禊川

山風を塔に集めて落し文

停年に法螺貝賜はる山開き

失語症の蝉とたはむる病棟婦

供米田新田植機の祓らはるる

蚊帳吊の紐のくすぶり寺内町

闇の田に耕機寝かせて菜殻焼く

踏みつけて農衣を洗ふ梅雨の泥

河内野によき闇ありて遠花火

        (PL花火)

退院の許可ほど遠き暑さかな

蟻の道病者の杖の切先に

絵馬堂の馬嘶かず夏祭

云ひ訳をさがす口実ゆすらうめ

万緑や女人菩薩の眞田紐

紛れ込む踊り楽しきサングラス

南無菩薩水盗人を見ぬ仏

屹々と百体の岩油照り

緑陰へ万歩計振る松葉杖

牡丹剪る手應へ生きる幸みつけ

雨蛙あつけらかんと旅立つ子

ほほばりし飴とけぬ間に水盗む

夏やせの敷布にはみだす土不踏

十薬の匂ふ掌注射打つ

梅提げて健康雑誌を買ひにけり

中庭にバーベキュー跡九月来る





目づまりの印二つ捺す夜学生

秋の蚊の妻の乳房につまづける

嘘と云ふ一抹の悔いとろろ汁

枝豆をむして運動会日和なり

三台の地車邨の音囲ひ

架線夫の命綱たれ台風去ぬる

蟷螂に門扉をまかせ守衛去る

馬老いし車に高野の赤とんぼ

稲架組めば嶺が遠のく高き天

学園に開かぬ窓あり秋の蝶

稲光る夜の錠剤効きさうな

今日の無事芋虫一つ見逃せり

道の辺に飛鳥石碑萩さかる

面つけし少女剣士や鵙初音

泥落し泥掛地蔵に盆提灯

掛鎌の錆うく三日祭り果つ

すきとほる保母の声して鵙高音

桃の漿吸ひて一病なだめけり

一病も生身のあかし木守柿

稲架掛けの腕より疲る五十肩

実石榴の甘酸ぱくて小さき嘘

青瓢十の貌して眞顔なり

つくばいに使ふ大臼白式部

古塚を巻きし風道芋嵐

柚子の風呂己れにもある富者の夢

野仏ののつぺらぼうや秋の蝿

古井戸に西瓜冷して父の夢

蜻蛤の軽さがほしい胃を病みて

妻の歩に銀河は遠し万歩計

精米所稼動してをり威し銃

柿熟す真昼の乳房あふれゐて

木守柿孤独をかこつ肩たたき

晩年の見えてうつうつ鵙の贄

病む妻に隠しおおせぬ鵙の贄

目地蔵の裾を灯して万年青の実

ちゝろ聞く眞暗闇の素由庵

蓑虫をいくつ潰せば妻癒ゆる

芋の葉で顔おほいけり三尺寝

芋の葉に声かけて行く盆の客





寝正月部屋に伸びきる猫の胴

笹鳴きに呼ばれ通しや癒えぬ身に

粥掬ふ小さなスプーン冴返る

寒肥の積まれし匂ひ喪に篭る

嬰児も表札にある初明り

茶の花や少女の指の絆創膏

一病をなだめ数の子音ふふむ

冬草に並ぶ始動の郵便車

生涯に残すものなし耳袋

冬うらら温室の茄子乳首ほど

四丁目二丁目も一人雪のバス

古井戸へ父母呼びもどす寒さかな

下乗下馬山門に脱ぐ冬帽子

冷え厳し店のカレーを辛口に

苗木売り出雲の雪を手まねして

妻の貸す男手袋お礼肥

霜踏めば戦の夢を粉微塵

冬雲の落ちて耒さうな足場組む

温りのまだある卵軒氷柱

塾のビラ門にはさまれ寝正月

点滴につなぐ余命の寒つばき

老杉の影の夕冷え青々碑

       (弘川寺)

学園の太きかんぬき山眠る

水薬の甘き目盛りや大晦日

ペンだこの凍てて光沢ます部屋明り

古塚の室の暗さに山眠る

笹子去ぬ妻には告げぬ医の言葉

晦日粥祓ひ終りし烏帽子禰宜

借命も病める幸かや冬の蝶

鉄塔のたるみをくぐる寒行僧

重ね着や素直に妻の言葉聞く

過疎の村ことりともせず片時雨

長眉毛妻にもありて冬うらら

万歩計にゆとりの歩巾日脚伸ぶ

ポッペンや回転椅子を軋ませて

神の留守知りつつ祈る鈴の音

追いかけて追いつけぬ夢冬銀河

借命の悟りは遠し生姜酒

老いすぎし立冬の声延命水






あとがき
 三年ほど前から妻が入院している。
 その間に、わたしも持病の胃潰瘍が再発して、病院はちがうが入院したりもした。
 自分の病気のこともあり、また妻の介護に専念したいという思いもあって、わたしは、俳誌から離れ、地区の俳句会、老人会の句会の指導も辞退させてもらった。しかし、そうなると、週二日の妻の見舞いのほかは、読書をするでもなく、暇を持て余すことになった。無為のまま八十歳を迎えるのも芸がないと人に勧められたこともあって、これまでの俳句を整理することにした。「痴呆」防止のためでもある。
 一進一退を繰り返している妻が、せめて自宅介護ができるまでに回復してくれることを祈りつつ、このささやかな句集を編んだ。
〈附記〉自選句集として、過去に俳誌に取り上げられた句を四季に分類した。御批判を乞う。
               一九九二年一一月一日


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