「夢の入口」
−短編小説、あるいは落語原案−
2011.3.1
1章
ある日曜日の朝のことです。
トオルくんが起きてきました。もうかなり前に食事を終えたお父さんは、居間で新聞を読んでいます。
トオルくんは、お父さんが座っているソファの肘掛けにちょっと腰掛けて、いつになくまじめな顔でたずねました。
「お父さん、夢でかけられたナゾナゾはとけるのかな」
なんだというふうに、お父さんはトオルくんの顔をじっとみかえしました。
「夢でも見ていたのか?」
トオルくんは、うなずきました。
「おまえのナゾナゾ好きもこまったもんだな。まいちにナゾナゾのことばっかり考えているから、
そんな夢を見るんだ。その熱心さをもうちょっと勉強につかったらどうだ」
また、お父さんの説教がはじまりそうでした。
「それとこれとは別だよ」
トオルくんは、お父さんの話を強く遮りました。ありきたりの説教に腹が立ちましたが、いまはお父さんの
意見が聞きたかったので抑えました。
「それより、どう思う……夢でかけられたナゾナゾは解けるかな」
「どういうことなの? しっかり説明しないとわからないよ」
お父さんが、テーブルに新聞を置いて、あらためてトオルくんの方を見ました。
「だからね、夢の中で誰かが部屋に入ってきたんだ。ぼくはこわくて『こら』って叫んで、それで目が覚めちゃったんだけど、
覚めるときその人にナゾナゾをかけられた……そんな気がしたの。……」
「どんなナゾナゾ?」
お父さんもちょっと興味をひかれたように聞きました。
「それが分からないんだ。……そのときは解く暇なかったし、目が覚めたら、わすれていた」
「じゃあ、どうしようもないじゃないか」
お父さんははぐらかされたようにちょっと不機嫌に言い放ちました。
「そうなんだけど、思い出そうとしても、声もなんにも残ってないし、でも夢でかけられたナゾナゾは解けるのかなぁ、
どうかなって思って……」
「それはむちゃくちゃな質問だな。どんなナゾナゾか分からないし、かけられたような気がする、っていうだけで、
一般的に夢でかけられたナゾナゾは解けるかどうかって聞かれても答えようがないなぁ。……せめてナゾナゾが分っていないと
……」
トオルくんがそんな奇妙な質問をしたので、精神状態を計るように彼を見つめました。
「やっぱりそうだよね。そう思ったんだけど……」
「まあ、トオルが思い出すのを待つしかないかな。もし思い出したら、お父さんにも教えてくれる。夢のナゾナゾっていうやつ、
どんなのかお父さんも興味があるから……」
そういって、お父さんはちょっとトオルくんに笑いかけてから、先ほどテーブルに置いた新聞を取り上げました。
「話がすんだら、朝ご飯にするわよ」
お母さんが、調理台から振り返って声をかけてきました。
2章
トオルくんはイーハトーボというフリースクールに通っています。
地元の小学校に通っていたのですが、まわりのみんなと合わず、いじめのようなことがあって、
不登校になってしまったのです。しばらく家に閉じこもっていたのですが、なかなか学校にもどる気になれません。
しかたなく、それでは彼が行ける学校を探そうと、お父さんがそのフリースクールを探してきたのです。
トオルくんも見学させてもらって、気に入ったので、通学することにしました。地元の学校の協力も得ることができました。
フリースクールまではバスと電車を乗り継いで通学に一時間ばかりかかるのですが、お気に入りのトオルくんには
苦にならないようです。
トオルくんがこの学校を気に入ったのは、まず図書室に、ナゾナゾの本がいっぱいあったからです。
宮沢賢治の童話よりは少なかったけれど、むずかしいのやらやさしいのやらいろんなナゾナゾの本が並んでいたので、
はじめて学校見学に来たとき、彼は思わず声を上げたほどでした。
また、いろんな生徒が混じっているのも楽しそうでした。トオルくんが見学した教室では、
(教室は二つしかありませんでしたが)彼と同じような小学生だけではなく、中学生もいっしょに
「星めぐりの歌」を歌っていました。
この学校きた理由は、それぞれちがうようです。彼と同学年のの千代ちゃんは、ここに来る前はやはり登校拒否していたそうです。
佐上先輩のようにすごい人もいます。彼はむかしのお相撲さんの名前とか勝ち負けを全部覚えているのです。
そして、トオルくんが一番気に入ったのは、先生方がのんびりしていることです。この学校にきて何かを強制されたことはありません。
ゆっくりと待つ姿勢が先生方に共有されていて、それがいい雰囲気をつくりだしているようです。
だから、先生に相談すると徹底的に付き合ってくれるのです。
特に、トオルくんがすきなのは若い斎藤先生でした。
トオルくんは、夢の話を友だちにしたくてしたくてしかたがありませんでした。夢の中のナゾナゾのことについてどんなふうに
言ってくれるのか、どんな反応を示すのか興味があったのです。
それで次の日に登校すると、机の上を拭き掃除していた千代ちゃんにさっそく夢の話をしてみました。
しかし、千代ちゃんは、あまり興味がなさそうで、「ちょっとまっててね」と、ぞうきんを洗うために廊下に出て行きました。
その代わりに、個人のロッカーに荷物を入れながら聞いていた六年生の泰三くんが近づいてきました。
「夢の中のナゾナゾって、どんなナゾナゾだったの?」
「それが覚えてないっつうか、忘れちゃったんです」
「ナゾナゾ名人だって自分でいってんだろう、だったらそれくらい覚えてなくっちゃ、な、フフッ」
日ごろ、よくナゾナゾの本を読んだりしているトオルくんのことを知っている泰三くんは、
バカにしたように笑いました。
トオルくんは、ほんとうにナゾナゾオタクといってもいいほどです。愛読書はナゾナゾで、自由時間はいつもナゾナゾの本を
読んでいます。自分でナゾナゾを考えることもあります。
これまでに考えたナゾナゾで一番の傑作だと自負しているのが、つぎのようなものです。
「角(かど)っこや角(つの)がきらいで、すべてのものを丸くするんだけれど、
自分は角(かど)っこも角(つの)もあるものなーんだ?」
このナゾナゾは、千代ちゃんも、泰三くんも、佐上先輩も、斎藤先生も、校長先生も解けなかったのです。
「で、答はなんだよ」と、そのとき泰三くんが悔しそうに訊きました。
「へっ、雪だよーん」
そんなときトオルくんはほんとうに嬉しそうでした。
「どうして雪なんだよ」
泰三くんは、意味がわからなくて、トオルくんにやつあたりです。
「なるほど、そうか、雪は家も石もまるくするからなぁ」と斎藤先生も感心したように言いました。
「泰三くん、わかるか? 雪がつもると家の角(かど)とかとがっている石が雪で丸くなるだろう。
……そして、雪の結晶って知ってる?
前に顕微鏡で見せてやっただろう、そう、六角形、だから、雪は角っこや角はきらいだけど……自分は角っこや角をもってる」
「むずかしすぎだよなぁ、トオルくんは、ナゾナゾのプロやからな」
泰三くんはいかにも悔しそうでした。
「白いものってヒントを入れたら分かりやすいんだけど……」
「トオルくん、すごい」と、千代ちゃんが賛嘆の声をあげました。
そんなトオルくんだからこそ、あんな変な夢を見るのだろうと、その日、夢の話を聞かされたフリースクールのみんなは納得
したのでした。
ところが、トオルくんの夢は、それでおさまったわけではないのです。
同じ夢が繰り返しトオルくんの眠りを妨げるようになったのです。
毎日というわけではないのですが、トオルくんは同じような夢をみて、叫び声をあげて目を覚ますようになったのです。
夢の内容はほぼ同じです。ベランダからであったり、階段を上ってきたりと少しの変化はありますが、
自分の部屋に誰かが侵入してくるという夢の設定はほぼ変わりません。
トオルくんが驚いて叫び声をあげ、その声で目が覚める瞬間にナゾナゾをかけられるという状況も同じです。
今夜こそは、どんなナゾナゾかをしっかり聞いてやろうと決意して眠りに就くのですが、
その場面になると、うろたえてしまってそんな余裕もありません。結局目が覚めたときは何も覚えていないということの
繰り返しです。いくら小学生でも、すぐに眠れるわけではないので、睡眠不足です。
そのうちに、夢は夜だけではなくなりました。お昼に、食道でお弁当を食べた後、うつらうつらしていると、
同じ夢を見たりするようになったのです。
叫び声をあげて目を覚ますと、よだれが垂れていたりして、友だちに笑われることもありました。
彼らには笑い事かも知れませんが、トオルくんには深刻な事態でした。
トオルくんは、どうしてそんなことになったのか、必死に理由を考えました。
そして、一つの結論に達したのです。
その結論というのは、こうです。同じ夢を繰り返し見るのは、あの夢のナゾナゾに関係があるような気がするのです。
そもそもこのナゾナゾは、侵入者のだれかがトオルくんにかけたものですが、いまだにどんなナゾナゾなのか分かりません。
だからナゾナゾが、夢の中で解けるということもないのです。そうして、ここが大切なポイントなのですが、
もしかすると、同じ夢を見るのは、このナゾナゾが解けないということとまっすぐつながっているのではないか。
かけられたナゾナゾが解けないままだから、
彼が目を覚ます方に通り抜けてきた夢の入口は、そのあとも開いたままなんじゃないか、ということに思いあたったのです。
夢の入口が開いたままだから、眠ったときに、いつもその入口から同じ夢に入っていくことができる、そういうことではないか、
それがトオルくんの推理したことでした。
それしか、こんなに同じような夢に毎日うなされる理由が思いつきませんでした。
トオルくんは、その思いつきを、まずお父さんに聞いてもらいました。けれどもお父さんは話をきいても、トオルくんの
推理に共感してくれませんでした。
「夢の入口が開いてるって? どういうこと、そんなものがあるってほんとうに信じているの?」
と、なんだかちょっと心配顔です。
「そんな気がするんだけど……」
「たしかに、同じ場面が夢に出てくる理由として、そんなふうな考え方もありうるかもしれないけれど、
大人の考えはちょっとちがうような気がする」
「じゃあ、大人はどんなふうに考えるの?」
「そうだな、たとえばね。こんなふうじゃないかな」
お父さんは、これは言っていいことかどうかと、ちょっとためらうふうでしたが、ゆっくりと話しだしました。
「たとえばね、トオルが、とじこもりをしているときに、友だちに会うのを嫌がったり、近所の人にも
会いたくないって言ってただろう。そんな気持が残っていて、誰かが家に入ってくる怖い夢に変身しているのかもしれないよ。
入口が開いていると考えるより、その気持ちがいまでも残っていると考える方がありそうなんだけどな……」
トオルくんは、お父さんの説明もわからなくはなかったのです。しかし、夢を見ている本人としては、
どうもちがうような気がするのです。あまりにも簡単に同じ夢にスルッと入り込んでしまう感じがあるからです。
そのスルッという感覚は、どうしても夢の入口が半開きになってしまったからのような気がするのです。
お父さんが話に乗ってくれないので、次にフリースクールの友だちや先生にも相談してみました。
しかし、反応は、お父さんと似たり寄ったりのものでした。中学生の先輩などは、「トラウマというやつですね」
と、トオルくんの昔の閉じこもりを哀れむような口ぶりを見せるだけで、夢の入口の話など、まったき信じてもらえません。
いつもは、どんな話でもそれなりに付き合ってくれる斎藤先生までもが、笑って取り合ってくれなかったのです。
フリースクールは一時間刻みで教科が割り振られているわけではありません。
自分の好きなことができる自由時間が大きく取られています。
自由時間には工作をするものもいるし、本を読んで何かについて調べているものもいます。
ある日の自由時間のはじまる前に突然斎藤先生が、「今日は、これまで作ってきた工作や研究を元に、
発明発見コンクールの応募論文を書いてもらいます」と宣言したのです。生徒たちは大パニックでした。
大騒ぎの後は、「そんなの聞いてねぇよ」という不満が続出しました。それでよく聞いてみると、
じつは斎藤先生がうっかりしていて、
応募書類をしまい込んでいて、締め切りが迫っているのに気がつかなかったらしいのです。
それで急きょその日の授業の課題になったのでした。
「オレのせいで急に書いてもらうことになったのは謝るが、いままでやってきたことだから、まとめるだけだ。
がんばってくれ」
斎藤先生は頭をかきながら生徒たちに謝りました。
「しょうがないです」
佐上先輩が援護しました。
「先輩は、いろんな絵をたくさん描いているから、いいですよ」
と、泰三くんが口を挟んできました。「オレは動物の型抜きをしただけですよ。これでいいのかな」
「いいぞ、それで、じゅうぶん。日ごろの研究成果でじゅうぶん……で、ついでに説明しておくと、去年の総理大臣賞の最優秀賞は
アリジゴクのウンコの話でした。アリジゴクって知ってるな。前に観察したろう、あれだ。……これまでは
アリジゴクは、穴の底で獲物をまってるときは、ウンコやシッコをしないと言われていたんだけど、
それを調べた小学生がいて、黄色い液体をだしているのを発見しました」
「あたりまえやなぁ、ウンコやシッコしないで生きていけるはずないもんな」
泰三くんが、千代ちゃんに笑いかけましたが、彼女は「イヤーね」といったふうな目をしただけで、相手にしてもらえませんでした。
「それが、新聞で取り上げられて、えらい評判になっていたのを覚えていますか?」
「知りませんでした」
佐上先輩がそっけなく否定しました。
「そうか、そうか。まあ、そこまでいかなくても、何でもいいから、これまで自由時間にやってきたことを
まとめてください」
「まとめてください」と言われてもトオルくんは、困ってしまうのです。彼は、これまでは、なぞなぞの研究と称して、
いろんなナゾナゾの本を読んだり、自分でナゾナゾを
作って友だちに出題したりして過ごしてきたので、発明発見コンクールに出すようなことはなにもしていな
かったのです。
鉛筆をなめなめ考えている内に、ふと気がつくと眠っていて、斎藤先生に肩をたたかれて目が覚めました。
ふと気がつくと、また、いつもの夢を見ていたのでした。今日は、叫ぶところまではいかない内に起こされたのです。
「どうした、考えすぎて疲れたのか」
斎藤先生は、やさしく問いかけました。
「もう時間がないから、はやく書き始めないと……」
もちろんこの学校ではこれまで強制的に何かさせられることはなかったのです。だから出さないといえば、
それですむはずだということは、彼にも分かったいました。しかし、書いてみようと思ったのです。
トオルくんは、ちょっと考えてから、プリントの標題のところに「夢の入口」と書きました。
追い込まれてしかたなくというより、自分としてはめずらしく考えた夢の話について、
お父さんに話したようなことを書くことに決めました。つい今もウトウトとしてするっと夢の入口をくぐってもぐり込んで、
またそこから抜けてきたような実感があったからです。
とりあえずは、それしか書くことがみつからないというのもその理由だったのですが。
トオルくんは、「夢の入口」のつぎに改行して、「ぼくは」と書き始めたのですが、そこで手を止めました。
ちょっと考えてから、「ぼくは」を消しゴムで消して、「私は」と書き改めました。
「私は、いつも同じ夢を見ることができます。私の夢の入口は開いているようです。」
彼はそんなふうに書いてから、この夢にかかわるこれまでのいきさつを説明しました。夢の覚めぎわにナゾナゾをかけられて、
解けないままに目が覚めたこと。それからは、いつでも同じ状況の夢をみることができるようになったこと。
だから、自分の夢の入口はどうも開いているらしいこと。つまり、夢の中でナゾナゾをかけられて、それを
解けなかったために、夢の入口は半開きのままらしいことなどを、順を追って、説明していったのです。
でも、その夢の入口がだれでも入れる入口ではないらしいということも正直に書き加えました。
だれでもが夢の中でナゾナゾをかけられるわけではないからです。
夢の中でナゾナゾをかけられて、解けなかった
人だけが、入口が開いたままになるらしいというのが結論です。
誰でも同じ夢に入れるような入口を見つける方法を研究したいというのを、これからの課題として添えました。
「おっ、めずらしくたくさん書いてるじゃないか」
斎藤先生が、トオルくんの席にまわってきて、手元をのぞき込んで言いました。
「ちょっと読ませてもらってもいいかな」
「いいけど……」とトオルくんは、プリントを前にずらしました。
先生は、机の横に近くにあった椅子を引き寄せて座りました。
「ふーん」とか言いながら最初から最後まで丁寧に読んでいます。
「夢の入口かぁ、この前話していたなぁ。おもしろいけど……、こんなのが発明発見コンクールの応募作品
になるのかな……、まっいいか。フリースクールの作品ということで……」
ところが、この論文が、大化けするのです。斎藤先生が、発明発見コンクールの応募作文にふさわしいかどうかわからないと
漏らしていた「夢の入口」が、なんと総理大臣賞の一つであるファンタジー賞を受賞したのです。
斎藤先生も大喜びでしたが、校長先生も喜んでくださいました。
発表のあった日、新聞社が取材にやってきました。
トオルくんも校長室に呼ばれてもちろん取材を受けました。斎藤先生も付き添ってきてくれました。
校長室で待ち受けていたのは、眼鏡をかけたおばさんの新聞記者でした。
「あの応募書類に書いてあったように、ぞのナゾナゾをかけられて解けなかった日からあと、同じ夢を見るようになったのね」
おばさん記者は、メモをとりながら質問しました。
トオルくんは、少し物怖じしたような表情で頷きました。
「それは、どんな夢なの?」
どんな夢なんだろう、とトオルくんはしばらく考えていました。夢を一口で説明するのはとてもむずかしいからです。
「家の夢です」
「君の家……場面が君の家ってこと?」
「そうです」
「それで、何をしてるの? 家で……」
「何もしていません……、ぼくの部屋で本を読んでいたり……」
「どんな本? ナゾナゾの本とか……」
「分かりません……、そこに窓からだれかが入ってきます。怖いので逃げたいんですけど……」
「なかなか逃げられないっていうの……」
トオルくんは、記者さんを見ながら頷きました。
「だれかわからないんですけど、……玄関から上がって来るときもあるし、ベランダに人がいるときもあります」
「君はフリースクールに来る前はどうしていたの?」
その質問に、斎藤先生が「あまり個人的なことは……」と口を挟んできた。
おばさん記者は、わかったといったふうに目配せして、つぎに夢の入口について質問してきた。
「どうして、夢の入口が開いていると思うの?」
「これまではそんな夢はあんまり見なかったんですけど、あれからはスルッと同じ夢に入れるからです」
「弁当の後、うたたねをしても同じ夢らしいですよ」と校長先生が口をだしてきた。
「ふーん、なるほど……」
おばさん記者は、つぎにトオルくんのいう夢の入口が、他の人にもあてはまるだろうか、と核心を聞いてきました。
トオルくんは、「他の人のことは知りません」と答えた。それしか、答えようのない質問だったからです。
翌日の朝刊にトオルくんの受賞と、インタビューが掲載されました。
「異能の少年 夢の入口を見つけた?」というのが標題で、
まるでマコトくんが、自分の夢の入口を発見したような書きぶりでした。
また、その記事には、発明発見コンクールの特別顧問で、現代の知の巨人と言われる科学ジャーナリスト
喜田浩介の談話として、次のようなのコメントが添えられていました。
「いまのところはだれでも入れるというわけではないようですが、
さらに研究を進めれば、森透くんの見いだしたナゾナゾの
応用によって、だれにでも通用する夢の入口が発見できるかもしれませんね」
新聞記事の反響はたいへん大きなものでした。フリースクールも有名になって入学者が殺到して
いるという話だし、トオルくんの近所の人たちの目もかわってきました。
それまでは、トオルくんのことを、登校拒否から閉じこもりになって、
いまはフリースクールに通っている気弱な少年と見られていたのが、
何か特別な才能をもった天才少年と見直されつつあるようなのです。
「近所のおばさんたちにトオルのことを聞かれて、適当に話を合わせるだけで疲れるわ」とお母さんがこぼしたほどです。
3章
トオルくんは、電車とバスを乗り継いで家に帰るのですが、新聞に記事が載って一週間くらい過ぎた日のことです。
トオルくんはバス停で降りてから、リュックを右肩に背負ってぶらぶらと歩きだしました。
フリースクールに通い出してから、下校途中いつも立ち寄る家があるのです。
その家にはポンタという犬がいて、彼になついているのです。
どうしてそんな狸のような変な名前をつけたのかはわかりませんが、顔というようり太り具合が
たしかにちょっと狸に似ているような気もします。彼は五分くらいそのポンタと遊んでからから帰るのです。
いつものように門扉の間からポンタの喉を撫でているとき、
トオルくんは、ふっと背後に人の気配を感じたのです。そういえば、「バス停からの道、だれかが後ろにいたな」
と思い出しながらチラッと振り返ると、驚くほどの近さで老齢の紳士が
佇んで、彼を眺めていたのです。
トオルは、うずくまったまま、不審そうに紳士を見あげました。
「その犬と友だちなの?」
紳士は、たったままで声をかけてきました。友だちといわれたことにこだわって、
トオルくんはちょっと憮然とした表情で頷きました。
「森透くんだね。……君のことを新聞で読んでね、会いたくなったんで、失礼だけど、バス停で待っていたんだ」
紳士はおだやかな声で言いました。犬のポンタが、紳士に向かってうなり声をあげました。
「ポンタ、いいんだ」と、トオルくんは、犬を宥めて、立ちあがりました。
「ぼくに会いたいって、……何か用事ですか?」
トオルくんは不機嫌に聞き返しました。
「そう、会って聞かなければ、と思うとじっとしておれなくてね」
老紳士は穏やかに彼を見返しながら言いました。
「新聞には、君が、夢の入口を開ける方法を見つけたと書いてあった。
……それで、私は、その方法が知りたいと思っている」
「何か夢を見るためにですか?」
「そう、夢を見るためにね。……私には、夢で会いたい人がいる、夢でしか会えない人がいるんだ」
紳士は、ちょっとさびしそうに呟きました。
「夢で会いたいんですか?」
「会いたい、夢でしか会えないからね。……、ところが、私の夢には会いに来てくれないんだ」
トオルくんは、紳士と並んで歩きはじめました。どちらが誘導するわけでもなく、少し離れたところに見えている
公園に向かって歩を進めていました。
「その人、夢に現れたことがないんですか?」
「うん、おじさんは、もともとほとんど夢を見ないたちなんだけど……、夢を見ないというより、目が覚める瞬間に
忘れてしまうのかな、それでも、たまには夢を見るけれど、かんじんの会いたい人は会いに来てくれないんだ」
二人は、公園の藤棚の下のベンチに腰を下ろしました。
「だれなんですか、おじさんの会いたい人っていうのは?」
「わたしの息子、二十八歳で逝ってしまった」
「逝ってしまったって、死ぬということですか?」
紳士は、力無く頷きました。
二人はしばらくだまって誰もいない公園を眺めていました。
「ぼくは、夢の中で誰か分からない人になぞなぞをかけられました。でも、解けなかったんです。
そのまま夢が覚めたから、夢の入口は、中途半端に開いたままになっていると思うんです。……それで、
それからはいつも同じ夢を見るようになったんです。眠るとスルッとその夢に入っていけるんです」
夢の話をしながら、トオルくんも悲しい気持になってしまいました。
「そうですか……、すると、たしかなのは夢の中で息子にナゾナゾをかけてもらうことか。解けないようなナゾナゾを……」
「夢の中のナゾナゾは解けないように思うんです。だから、ぼくが思うのは、ナゾナゾの本をいっぱい読んで、
どうにかして一度息子さんの夢を見ないと……」
「でもね、さっきも言ったように、ナゾナゾの本を読んで準備しても、私は息子の夢を見ないんだよ。そちらの方を
どうにかしなくてはね」
老紳士は、トオルくんにも聞こえるほど大きなため息をつきました。
「後をつけたりして悪かったね。君と話していてわかったよ。息子の夢を見るまで待つことにするよ。……
君も、もしだれにでも夢の入口を開ける方法が分かったら、私にも教えてください」
紳士は、それ以上トオルくんに無理強いするつもりはないようで、あっさりと立ちあがりました。
紳士は「これが私の連絡先です」と一枚の名詞をトオルくんに手渡して、グランドを横切って去っていきました。
トオルくんは、紳士のさびしそうな後ろ姿を眺めながら座り続けていました。
4章
トオルくんの記事が新聞に載ってしばらくしたころ、お母さんが近所のうわさを聞き込んできました。
トオルくんは、夢の中のナゾナゾを思い出して、それを解いたらしい。その答をまくらもとにおいて寝たら、
以前とは違った夢を見て、そこにまたナゾナゾをかける人物(以前とはちがう人物)が現れてあらたなナゾナゾをかけられた。
そのために、新しい夢の入口をみつけた、というのです。
「トオル、すごい有名人になってるそうよ。あなたをいじめてた子まで、夢のナゾナゾの話をしてたって……」
その話を聞いて、トオルくんは、自分がフリースクールに行くようになるまでのいきさつを思い出してイヤな気持がしました。
「ぼくは、もう、あの学校にもどるつもりはないからね」
トオルくんは、アイスクリームを舐めながら、お母さんの顔をさぐるように見ました。
「わかってるわよ。今のフリースクール気に入ってるんでしょう」
「そういうこと……」
トオルくんが、自分の部屋に上がろうとしたとき、電話の呼び出し音が鳴りました。お母さんが出て、何か困ったふうな返事を
しています。トオルくんは二階に行きそびれて、座ったままでいました。お母さんが、電話を保留にして、トオルくんのところに
やってきました。
「よく分からないんだけど、夢開発っていう、ベンチャー企業なんですって、そこからの電話で、あなたに話ができないかって」
お母さんは、どう判断してよいのか、困った様子で説明しました。
「どういう用事なの?」
「分からないけど、いちど話を聞きたいって……」
トオルくんは、ともかく一度電話に出てみることにしました。
電話の相手は、お母さんの言ってたように、ベンチャー企業の夢開発と名乗りました。
「新聞に出ていた、森透くんですよね」
「はい、そうですが、どんなご用ですか?」
電話の声は、いきなり「夢の入口は商売にむすびつくのですよ」と
急き込んだ口調でしゃべりはじめました。
「夢開発は、夢空間に別荘地を計画しているのです」という、最初の言葉だけが記憶に残りました。
その後の電話の向こうで滔々とまくしたてる声は、トオルにはどこかの外国の言葉のように
理解不可能でした。おまけに延々としゃべり続けるので、トオルくんは口をはさむことができません。
「あなたの発見された方法で、夢空間に行けるようになるととんでもないことになる。それは、ただ夢に
入っていけるというだけのことじゃないんですよ」と、
まるでこちらの無知をたしなめるような厳しい言い方までするのです。
その方法で夢の入口が開くと、いつも同じ夢の世界にいけるということだというのです。
だから、そこの世界に行ったときゆったりと過ごせるように別荘を建てる人もでてくるでしょう。
それを見越して、夢世界に別荘地を分譲するか、建売の別荘を分譲する、それが夢開発の計画していることなのです。
そんなふうな説明でした。
「つまりですね、夢の世界をパラダイスに、というのが、うちの会社のモットーなんですよ。アハハッ」と
電話の向こうの声はいかにもエネルギッシュで押しつけがましい笑いを響かせました。
さらに言い募りそうな気配があったので、トオルくんは、「ぼく用事がありますから……」と小さく呟いて、
受話器を置きました。それ以上聞いているのにガマンがならなかったからです。
彼の後ろで電話に聞き耳を立てていたお母さんが、「そんな切り方をして、大丈夫?」
と、静かになった電話機を見つめながら心配そうに呟きました。
「かってにしゃべってるだけだから……」
トオルくんも不機嫌そうに言って、居間にもどりました。
「でも、たいへんなことになってきたわね。あの新聞記事が出てから、何だか世の中の歯車が狂いだしたみたい」
お母さんがため息をつきながら言いました。
「まあ、お父さんが帰ってきたら、相談してみましょう」
彼は、そのことについては何も言いませんでした。しばらくは一人になりたいようで、
黙ったまま階段を上がっていきました。
夜、八時過ぎにお父さんが帰ってきました。そのときトオルくんは夕食を一人でたべて、
居間でテレビを観ていました。
「おい、トオル。世の中えらいことになってるぞ」
お父さんはめずらしいことにトオルの顔をみるなり、興奮した口調で話しかけてきました。
「家でもいろいろあるのに、お父さんまで? 何ですか、えらいことって?」
お母さんは、夕食の準備にとりかかりながら振り返って尋ねました。
「きょう、大学病院に行ったんだ。いつもの薬の納入だよ。そしたら、教授がね。お父さんに、森透って、
君の息子さんだってねぇって、そういうんだよ」
彼のお父さんは薬品会社に勤めていて、大学病院の薬局に薬を納めているのです。
「教授ってえらいからね、普段、話しかけてくることなんかないんだけどね。この前
新聞に出たとき、薬局の人とちょっと話したことがあって、それが伝わってたんだね」
お父さんの話を整理するとつぎのようになります。
医学部には精神科というのがあって、こころの治療がなされています。彼はそこの精神科の教授で、
患者の夢を分析したりする治療法も試みているらしいのです。
「もし、オタクの息子さんが、夢の入口を見つけたのなら、共同研究をしたい」と、
教授はおっしゃったそうです。
というのは、夢の世界に入っていければ、その患者が、小さい頃どんなふうな心の傷を受けたのかが
分かって、治療することができることがあるというのです。
「君ね、ミクロの決死圏という映画を見たことがあるかね。医者が極小さくなって、潜水艇みたいなものに
乗って体の中に入っていくってやつだ。そこで、治療するんだが、もし夢の世界に入っていくことができればだよ、
あれと同じようなことが、心の医者でもできるんじゃないかって思うんだ。そんな研究ができたら、
ノーベル賞だって夢じゃない。医学生理学賞だよ。……それで、どうかね、息子さんに
ご協力してもらえないだろうか、……賞金もでかいよ、君」
教授は、普段とちがって上機嫌に話されたそうです。
そんなふうにちょっと興奮しながら今日の出来事を説明してくれたのですが、お父さんの表情は決して明るくありません。
「口では、人助けだ、医学のためだって言うんだけど……」
「何か言われたの?」
お母さんが心配そうに口をはさみました。
「もし、協力しないんなら、他にも同じような薬をつくっている会社があるんだから、変えてもいいんだからねって、
そんなふうににおわせるんだ」
「まあ、それじゃあ、まるで脅迫じゃないの……ひどい話ね」
お母さんは、すごく怒って、ちょっと声が裏返ったほどでした。
「トオルが夢でナゾナゾをかけられたっていうだけなのに……どうして、そんな話になっていくのかしら」
「しょうがないよ。もしもだよ、夢の入口が見つかったらって考えたら、
ほんとうのところ、それだけすごいことなんだってことだから……ところで、トオル、
あのナゾナゾは、まだ思い出さないだろうね。
教授も、そこがポイントだって睨んでいたから……」
トオルの顔をのぞきこもながら、お父さんがききました。
「思い出さないよ。もう、ボーとしてて、何にも浮かんでこないんだ」
「みんな、あの新聞記事からおかしくなってしまったのよ。どうかしているわ、こんなに騒ぐなんて」
お母さんは、腹立たしそうに叫んで、自分のエプロンをまるめて、椅子になげつけました。
5章
それから、一週間くらいたちました。トオルは、自分がだれかにつけねらわれているような気配を拭い去る
ことができなくなっていました。
以前、老紳士に後をつけられてから、尾行には過敏になっていました。
下校の途中など不意に後ろをふりむいたりしてみるのですが、
怪しい影は見えません。しかし、誰かにつけられている感じはつねに背中にはりついていました。
それが、ある日正しい直感だったことがわかりました。
学校の帰り、彼がいつものように犬のポンタをからかってから、家に向かって歩いているところで、
後ろから車が近づいてきて、あっという間に車中に引っ張り込まれたのです。
叫ぶ間もありませんでした。
「騒がない方がいいです。後で詳しく説明しますが、私たちわるい人間ではありません。これはご招待です」
トオルは、後部座席に両側から挟まれて身動きませんし、その上、
手で口までふさがれて、半分くらい観念して、その言葉に頷きました。そして、意識の片隅で、
しゃべりかたがちょっとおかしなと感じてもいました。その直感が正しかったことが、後で分かりました。
それから一時間ばかり走って、どこかの田舎の一軒家に連れ込まれました。田舎の家といっても
鉄筋作りのがっしりした三階建てでした。
二人の男に挟まれるようにして家の中に入ると、束縛から解放されました。室内から逃げられないことは明らかでした。
叫んでも外には声がもれないようになっているのでしょう。彼を連れてきた男達の表情にも余裕が見られました。
トオルは部屋に招じいれられて、椅子に座るように言われました。彼が座ると、一人の女性が飲み物を入れたコップを
持って現れ、テーブルに置くと、「どうぞ」とちょっと微笑んでから去りました。
いまの「どうぞ」も明らかにアクセントがおかしい、とトオルは感じました。
女性と入れ替わりに、背が高くて姿勢のよい一人の男があらわれました。
アメリカ人、とトオルは直観しました。
「ようこそいらっしゃいません。ムリじいしたようですみませんでした。
秘密をまもる必要があったからね、ちょっと手荒いことをしてしまいました」
男は、机に腰掛けるようにもたれかかったまま、ジェイムズと名乗り、一応といった感じで、トオルに謝罪しました。
この男の日本語も少し変だ、トオルは「拉致」(彼はそんなふうに分析していました)されてから、
彼らのしゃべりにこだわっていました。
「私は、CIAのエージェント、わかりますか、エーとまあ、わかりやすく言えば、CIAの職員」
トオルは、背の高いジェームズを見あげながら頷きました。
「CIAは、あなたの夢にたいへん興味があります。新聞で夢の入口の話を読みました。夢というのはね、トオルさん、
CIAが将来のために研究しているテーマでもあるのです。わかりますか?」
「どうして、CIAが夢の研究をするのですか?」
トオルは、ジュースを飲んで少し気が落ち着いてきたので、聞いてみました。質問を受けるばかりでは、一方的で
受け身になるばかりだからです。こちらから質問した方が、振り回されなくてすみそうだと思ったのです。
「おー、いい質問です。答えましょう」
ジェームスは、嬉しそうに話し始めました。質問したことで、トオルが自分の話に乗ってきたと考えたからです。
彼の話はこんなふうでした。21世紀から22世紀にかけて人類がまだ知らない世界は二つ。一つは、
太陽系の外の宇宙。人間は、太陽系から外に出て行くようになるだろう。そして、もう一つ、人間に残された
未知の世界は夢。夢大陸こそは、これから探検されなければならない新世界、フロンティアなのだ。
現在脳の研究はどんどん進んでいる。しかし、脳の働きがわかったからといって、夢の世界がすべてあきらかになる
わけじゃない。脳と夢とは別なのだ。
「コンピューターとその中の世界が別なのと同じようにね」
コンピューターの中の世界で、会いたい人にあえるわけではない。
夢の中にはコンピューターどころじゃない、もっとリアルな、ほんとうの世界がひろがっている。
いま生きているこの世界とほとんどおなじくらいほんとうの世界があるんだ。
しかし、夢の世界の研究は、いま遅れている。夢を見た人から聞き出すという方法しかないからだ。
自分から夢に入っていくこともできない。
「入口がわからないからね。……ところが、トオルさん、あなたは、
もうすこしで夢の入口を発見しようとしている」
ジェームズは、嬉しそうに笑いかけました。この人は童顔なんだとトオルは彼を見あげながら思いました。
「CIAに協力してもらえませんか。それが私たちの提案ね」
「どうして、協力しなければならないんですか?」
「それは、もしね。ヒットラーみたいなのが、夢の入口を発見して、みんなの夢に侵入して、そこを
都合のいいように変えてしまったらどうなりますか。みんなの
コンピュータにハッカーがはいったようなものですよ。めちゃくちゃになってしまいます。
CIAは、それを防ぎたいのです。私たちのミッションをどうかご理解してください。
そして、どうかトオルさん、協力してください。お願いします」
そんなふうに頼まれても、トオルは、どんなふうに答えていいか、分かりませんでした。
第一、彼は、まだ夢の入口を発見したわけではないからです。それに、夢空間がそんなに偉大なものだと
いうことも半信半疑でした。彼は、そんなふうに反論説得を試みたのですが、
ジェームズは、けっして耳を貸そうとはしません。
何度も、押し問答を繰り返しました。
時が経つにつれて、彼は家のことが心配になってきました。
お母さんが心配しはじめているでしょう。一人でやきもきして、もうお父さんにも連絡したかもしれません。
家に連絡をとりたいとジェームズに訴えると、家族構成はすでに知っているらしく、
だれか知り合いの家に泊まりにいくからと電話するようにいわれました。
トオルは、斎藤先生の家に泊まらせてもらうからということで、電話しました。
お母さんは、何かを聞きかけましたが、
彼は、その声を抑えるように携帯電話を切りました。ジェームズが携帯を取り上げて、電源を切ってしまいました。
次の日も一日中押し問答が続きました。トオルは、ジェームズのミッションについて、あるいは、
ナチスを防ぐというCIAの理屈を何度も何度も聞かされ続けたのです。夕方には、
ジェームズの口調がまねできるほどになっていました。そして、そのころになるち、
お互いに疲労が蓄積してきたためか、恫喝はさらに険悪になってきました。夜になったら、
拷問にでもかけられるんじゃないか、と不安が萌すほどでした。
今夜も帰れないのかとあきらめかけたとき、ジェームズの携帯電話がなりました。彼は部屋の隅に言って
何かをしゃべっていました。
「あなたは、私にそんなことを命令する権利はありません」といったような強い声が聞こえました。
ジェームズは、舌打ちしたり、声をあららげたりしていましたが、しばらくして口調が変わりました。
結局相手の申し入れに妥協した気配でした。電話を
終えてトオルの前にもどってきた彼は、すこししょげているようにも見えました。
「残念だけれど、トオル、日本の公安警察が嗅ぎつけたようだ。君を引き渡すように申し入れてきた。
仕方がない、ここはジャパンだからね。……もうすぐ彼らがやってくるから、トオル、いっしょに言ったらいい。
しかし、私の言ったことは忘れてはいけない、君はたいへんな立場にいるんだからね」
ジェームズは、コーラを持ってくるように命じて、トオルと別れの乾杯をしました。
二人がコーラを飲み干したところに、人が何人か入ってくる気配がしました。
「森透くんは、いるか」という日本語の叫びが聞こえてきましたた。
彼らはすぐにトオル達のいる部屋に踏み込んできたのです。
「おお、ジェームズ、われわれに譲ってくれて感謝しているよ」
彼らの主任らしい男が、ジェームズと握手しながら、トオルの方をちらちらと見ました。
二人の話がしばらく続き、トオルは、彼らと一緒にその家を後にしました。
そとには、白いワンボックスカーが待っていました。
「ぼくは、家に帰れるんですか?」
車に乗り込んだところで、トオルは先ほどの主任に聞いてみました。
「殺されたいのならな。……」と、主任はぶっきらぼうに答えました。
君は狙われているんだから……」
皮肉な笑いを浮かべて呟いて、あらためて主任は北村警視と名乗りました。
「じゃあ、これからどこへ行くんですか?」
「CIAの連中にも聞いたかもしれないが、君は大切な国家財産なんだからね。奪われないように、
警護する。どこに行くかは、着いたら分かるとだけ、言っておこうか」
そこから、何時間車に乗っていたのか、トオルにははっきりとはわかりません。
彼は、尋問の緊張がたまっていたためか、どっと疲れがきて、夜中うつらうつらしていたからです。
夜が明け始めたとき、東京らしい大きな都会についていました。
「目が覚めたかな。では、これから、首相官邸に行くから、失礼のないように心構えをしておくように……」
北村警視は厳しい口調で宣告しました。
「首相官邸って……、総理大臣のいるところ?」
「そう、まず、首相に会ってもらう。それは、君を守るために必要なんだから、僕たちを
信じて言われるとおりにしてほしい。首相に会っておけば、それだけ拉致される危険は減るんだから……」
そんなふうに言われても、トオルにはなんのことかわからりませんでした。
それからのことは、はっきりと覚えてはいるのですが、
いまだに自分の身に起こったことだとは信じられないのです。
首相官邸に入って、3分ほど首相に面会しました。首相からは、まず
「ファンタジー賞おめでとう」と賞を渡され、それからまたしても夢の入口について聞かれました。
トオルは、ジェームズに向かって説明したのと同じような内容の返事をしたのですが、
それが首相に理解されたとは思えません。彼は、ジェームズとの押し問答を通して、
大人に夢のことを理解してもらうのがいかにむずかしいかを痛感していたからです。
「日本のために、あなたは夢のナゾナゾを思い出してください。それがはじまりの一歩ですから……」
と首相が話し始めたとき、
秘書らしい紳士が、「時間です」と耳打ちをしました。
そこで、トオルくん一行は執務室らしいところから退出させられました。
官邸を出た後、警視庁に連れて行かれました。
そして、そこで、今度は警視総監相手にまさにジェームスとのやりとりそのままが繰り返されたのです。
CIAに遅れをとるわけにはいかない、日本でも夢の研究を立ち上げようとしている。それには、
あなたの協力が欠かせないといったやりとりでした。
警視庁での聴取がすんでから、ふたたび車に乗せられて、三時間ばかり走って、
どこかの小さい町の新興住宅街に入りました。そして、車が駐車したのは、
そこの家並みの中のこれといった特徴のない古びかけた家でした。
「ここが君たちのあたらしい家だ。ここで、夢のナゾナゾを研究してもらう。それが君に与えられたミッションだ」
北村警視は、鍵をトオルくんに渡しながら宣言しました。
「ぼくたちということは、お父さんやお母さんも?」
「そう、ここに来てもらう。表札にあるように山川という名前にかわるんだ」
その日トオルくんは、北村警視と一緒にその家に泊まりました。
そして、次の日、両親が「まるで夜逃げだね」と憤懣をもらしながら、やってきました。
引っ越しなどしていたら転居先がわかるというので、ほんのすこしの貴重品以外、ほとんどのものを
前の家に残したままやってきたのです。
トオルくん一家の新しい生活が始まりました。
トオルくんを受け入れてくれるフリースクールがどこにあるのかわからないので、トオルくんはしばらくは、以前のようなとじこもり
生活をしなければなりませんでした。
6章
お父さんは勤務地を変更してもらっていました。いまの住所から通える支社に配属替えになっていたのです。
公安がどこからか手を回したらしく、上層部からの緊急配転という形だったそうです。
お母さんは非正規の仕事だったので止めるのも簡単だったと話していました。
三人揃っての夕食は久しぶりでした。普段そんなに話をしないトオルくんも、CIAに拉致されてから
どんなことがあったのか、また公安警察に助け出されて、総理大臣に発明発見コンクールの表彰を
受けた話までをくわしく話したのでした。
「まあ、総理大臣に……、すごいわね」と、有名人好きのお母さんは目を輝かせて一人興奮しています。
「3分間だけの面会だったけどね、これがファンタジー賞……、公安の北村さんの話だと
総理大臣に会ったということで、箔がついて、拉致の危険がすくなくなったって……」
「そんなものかね。まあ、命を狙われないようにノーベル平和賞を与えるようなものか」
お父さんは、難しい顔で口を添えました。
トオルくんは、家族団らんがもどってきて本当によかったと思いました。新聞記事が出てからの大騒ぎには
驚かされましたが、やっと落ち着いた生活ができそうでした。
その夜、トオルくんは夢を見ました。拉致されてからはさすがに見ることのなかった例の夢でした。
新しい家に家族が揃って心が落ち着きを取り戻したからかもしれません。
夢の場面は、いつものように前に家の中でした。
ベランダに何者かがいて、硝子戸をこじあけて中に入ろうとしています。
そして、それから起こった二つのことは夢の中でほとんど同時だったように思います。
一つはトオルくんの反応です。彼は勇気をふるって「こら、何してる!」と叫びます。いや叫ぼうとしたのですが、
粘っこい空気の中にいるような感じで思うように声が出までんでした。声がくぐもって
レコードを手回ししたような間のびした声が聞こえました。
逃げようともがくのですが、体が思うように動きません。
もう一つは、誰かの働きかけです。ふと気がつくとその男が部屋の中に立っていたのです。
そして、トオルくんにむかって無言で、何か話しかけてくるのです。
口を動かしていないので無言でいることはわかるのです。それでいて何かを問いかけているのが分かります。
トオルくんは、そのあたりでほとんど目が覚めたのですが、わずかに残る眠りの中で、
何かナゾナゾをかけられたようだと気がついたのです。
トオルくんは、階段を降りて、居間に入っていきました。そのとき、いつもの家だということに気がつきました。
寝ぼけているのかと、頭を振って見まわしても、やはりすべてが元の家です。まちがいありません。
お父さんは、もう朝食をおえて、服を着替えて、いつもの場所で出かける準備をしているところでした。
「お父さん、夢でかけられたナゾナゾは解けるのかな」
トオルくんは、後ろから、お父さんに訊きました。
お父さんは振り返って、トオルくんの顔をじっとみかえしました。
「夢でも見ていたのか?」
トオルくんは、うなずきました。
「おまえのナゾナゾ好きもこまったもんだ。まいちにナゾナゾのことばっかり考えているから、
そんな夢を見るんだ」
いつものお父さんの説教がはじまりかけましたが、ありがたいことにもう会社に出かける時間でした。
「夢の話につきあってる時間はないから……」
お父さんは、鞄を持って立ちあがりました。
「もう、発明発見コンテストに書かないから……」
トオルくんは、お父さんに声をかけました。
「何っ、そんなコンテストがあるのか? だったらがんばって書いたらいいじゃないか」
「いや、夢のことは書かないから安心していいよ」
トオルくんが繰り返すと、お父さんはちょっと不審げな顔をしましたが、あわてて玄関の方へ歩いていきました。
「今日は、遅くなる?」
お母さんが、後ろから声をかけました。
トオルくんも、時計を見て立ちあがりました。そろそろ出かけないと学校に遅れてしまいそうです。
こんなふうにバタバタとまたいつもと変わりなく森家の日常がはじまりました。
【完】
【追補】
落語に詳しい方は「天狗裁き」の現代版だと思われるかも知れません。
「天狗裁き」は、夢を扱った大変良くできた話で、以前から興味がありました。
この話は、筋そのものが回文のように回っていって、最期のオチで、最初にもどるような形になっています。
「夢の入口」も、ここまで読んでもらった方はおわかりのように、同様の構造になっています。
しかし、この話、最初から、「天狗裁き」の焼き直しをめざしたものではありません。
もともとは、私が夢を見て、その覚め際にナゾナゾをかけられたような気がした、という経験に端を発しています。
そのとき、「夢でかけられたナゾナゾは解けるんだろうか」という疑問も同時に浮かび上がってきました。
そして、夢でかけられたナゾナゾが解けていないわけだから、夢の入口はまだ閉まっていないだろう、
夢の扉は半開きのまま自分を待ち受けているような気がしたのです。
そんな経験から夢の入口という発想がうまれたのですが、筋を考えている内に、「天狗裁き」のことを
思い出して、最期のオチに応用させてもらうことになってしまいました。
「天狗裁き」を作られた方が誰かは存じませんが、作者さん、そして天狗さんお許しください。
この「夢の入口」、突拍子もない話ではあるのですが、考えてみますと、
夢というのはまったくの受け身で見せていただくものであり、
だから、ナゾナゾをかけられて解けなくて、入口が半開きのままになる、といった設定は、
夢の受け身性を象徴していると考えれば、何か納得できるようなところがあるかとも思われます。
さらに敷衍すれば、人が生きているということ自体が、受け身そのものであり、生そのものがナゾナゾであると
考えることもできるわけです。
蛇足ながら、書き加えておきます。
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