2000年 春 準備号
2000.2.
短歌からの出発
形式を整えるために、バックナンバーに準備号を用意することにしました。
ところが、さて「うずのしゅげ通信」の準備号に何が相応しいかとなると、はたと行き詰まり、
迷いに迷ったあげく、「ええいっ、こうなったら洗いざらいさらしてしまえ」
と開き直ることにしました。
そもそも何かを書いて読んでもらうということは、
怖いまでに自分をさらすということじゃないでしょうか。
一連の「賢治劇」でもう十分に自分をさらしているのに、
いまさら何を臆することがあるのか、という心境です。
それで、これまで詠んだ短歌もここに載せようという気になったわけです。もちろん、
作歌していたのは短い期間とはいえ、それはかなりの数になりますので、
その中から特に「賢治劇」に相応しいものを選ぶことにしました。
短歌はすべて同人誌「火食鳥」(堺市)に掲載したものです。
心閉ざす自傷の終(つい)に打ちつけし額の傷よ百毫(びゃくごう)の位置
(注:「百毫」というのは、仏の額の白毛)
この歌は、一部「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」に使いました。
賢治先生が自分のメモ用紙にこの歌を書くという場面があるのです。
もっとも最初の一句はなくて、二句目からの引用になっています。
宮沢賢治は若い頃は短歌を作っていましたので、そんなふうな筋にしたのです。
歌の意味はそんなにむずかしくないと思います。
以前教えた生徒のことです。
彼は自閉傾向があり、自傷の「癖」がありました。爪を噛んだり、手を噛んだり、いろいろあったのですが、
感極まったときに額を机にぶつけたりもしたのです。
だから額はたこになって盛り上がり、まるで仏像の百毫のように見えました。
また、彼が仏様のような無垢さをもっているということもダブらせたつもりです。
花芽葉芽口に含みし自閉児ははつかな温み甘みを言えり
この歌は字面のとおりで、理科の授業で花の蜜をすわせたところ
「温かくて甘い」という感想、そのことを詠んだものです。
暗事(くらごと)のわが思いあり自閉児は海の瀑布図飽かず眺めき
この歌も理科の授業で、軽い自閉症をもった生徒が、
太古、人が海の果てに瀑布を想像して描いた絵を飽きずに眺めていた有様を詠んだものです。
彼を見ている自分の暗い気持ちが表れているでしょうか。
家出せし遅滞児探し蓮池に牛蛙きく鳴き処(ど)しらずも
生徒が行方不明になって探しにいくということがよくありました。
そのときある寺の蓮池のどこかで牛蛙がさかんに鳴いていました。
一言の二言の台詞気に病みて爪噛みはげしき自閉のいのち
文化祭で劇をするとき、一人に一言か、二言の台詞が課せられます。
それでさえ苦にして爪噛みがはげしくなる生徒がいるのです。
紙すきの野草の残る一枚の粗き賀状を児にわたしおり
野草をつかって紙すきをして年賀状をつくりました。
山葡萄の朱にそまりたる手を忌むと銀杏雌株になすりつくるは
遠足の時、山葡萄の汁が手について、潔癖に銀杏の木になすりつけている、
そんな様子でしょうか。
削ぎ削ぎしするどきやじりを手に取りて危うき遊びを自閉児はなす
早老いの時のかなしみダウン児の星見る空にくらき藍満つ
ダウン症で望遠鏡で星を見るのが趣味という生徒がいました。
いまでもときどき駅で出くわしたりするのです。
そんなとき、つい「星をみているかい」と聞いてしまいます。
すると彼は獅子座流星群のことなど、教えてくれるのです。
これはしかしとてもかなしい歌なんです。
つぎは自分でいくぶん気に入っている歌です。
伎芸天の黒きみおもてあるなしの風のすべらよ細き指まで
朱の唇(くち)に秘仏のおそれほの見えて救世観音はただものでなし
斑鳩の五百枝(いおえ)の河に黄花あふれ救世観音の暗きに溺る
花影濃く陶板地図の冷えてあり 二上(ふたかみ)の陰(ほと)王陵の谷
馬蹄形の門閉じられき 遊園の冬のプールに降る宇宙塵
獄中歌読み下しつついかなごの遅き朝餉(あさげ)に釘煮を喰らう
このくらいにしておきます。あらためて読んでみて、
何とむずかしい歌が多いことか、あらためて感じてしまいました。
いまならもうすこしやさしく詠むのに、というのが感想です。
集中して詠んだのは、いまから十年くらい前なので、それから考えると、
すこしは成長したのでしょうか。
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