◇2000年5月号◇

[見出し]
「うずのしゅげ」の小耳
演劇はこころを癒すか?
−竹内敏晴に学んだこと−

賢治は喜劇派?

2000.5.1
「うずのしゅげ」の小耳


以前、PTAの係りをしていたことがあります。 学級委員が集まって、文化祭で販売する小物をつくる作業をしていたとき、 あるお母さんがこんな打ち明け話をされました。
「この子ら、死ぬということに淡泊なのかもしれんわ。 こないだ、わたしがしんどうて寝ていたとき、 『もしわたしが死んだらどうする?』って聞いてみたの。そしたら、なんと答えたと思う? 『お母さん、四引く一は三やなあ』って言うのよ。 たしかにわたしが死んだら家族は三人になるけれど……」と、 お母さんは割り切れなさ半分、笑い半分という複雑な表情をされたのでした。
「もし自分が死んだら」という、遊びに本音をすこし振りかけたような問いかけを、 高校生の息子に引き算にされてしまったお母さんの少々なさけない気持ちがすこしは分かって、 そのことをきっかけにわたしもいろいろ考えさせられました。
生徒には機会をとらえて死についての話をすることにしています。 自分の母が死んだときも、しばらくしてこころの余裕ができたとき、そのことを話しました。 わたしにとって母を見送るとは、どういうことだったかを。
宮沢賢治は、最愛の妹、としが死んだとき、その魂を天上に送るために銀河鉄道を発想したのでした。 だから、「銀河鉄道の夜」は妹の死を昇華するための物語りなのです。
そんな賢治の悲劇を題材に「『銀河鉄道の夜』のことなら美しい」という脚本を書き上げました。 でも、まだ何かもの足りなさを感じています。だからかも知れません。 その母親の打ち明け話をいまだに反芻していることがあるのです。 死=引き算という彼らのこころの「計算」に触れて感じたもやもやは まだまだ整理し切れないのですが、しかし 、とりあえずは知的障害をもっているということで、 身内の死においても親族の悲しみの輪といったものから疎外されかねない彼らに 機会あるごとに死について話していくこと、なにはともあれそれだけはやる価値のあることだと考えて いるのですが、 いかがなものでしょうか?


2000.5.1
演劇はこころを癒すか?
−竹内敏晴に学んだこと−


「劇をやる」となると「ことば」と「からだ」が素材になります。
ことばの「もの」としてありようを、比喩としてではなく、 ほんとうに手触りをもった「もの」としてのありようを竹内敏晴は縷々説いています。
背をむけて立っている数人の中のある人に狙いを定めて呼びかける。 そうしてことばをぶつけることで相手を振り返らせる。そんな訓練だってあるのです。 ことばは「もの」のように軌跡をえがいて、相手にぶつかっていくのです。
そんな竹内の世界では、反対にからだがことばをもちます。
「子どもに対応する場合に、まずからだが何を語っているかが読みとれなければ 、ことばなどというものは成り立って来ようがない。」(「子どものからだとことば」)
わたしなりの恣意的な理解でいえば、そんなふうにことばの「もの」性、 「もの」としてのからだの「ことば」性の素直なありようを基本に、竹内は、 人のからだとことばのゆがみを救いだそうとしているのです。 それがまた障害をもった子どもたちのからだとことばの 個性的な拘りを解きほぐすヒントにならないはずがありません。 演技指導をしていて、竹内のレッスンをやってみることがあります。 発声練習で、舞台から飛んでいく声の軌跡をボールの軌跡のように比喩することもあります。 竹内の想像力に憑かれてしまっているのです。
障害をもった生徒たちのことばとからだ、それはどくとくのありようを見せる場合があります。 場面緘黙、オーム返し、おなじ言い回しの繰り返し、からだの揺れ、自傷、……。 そんな彼らが劇に取り組むのです。
たくさんの観客にみつめられて、その視線に負けないで、 むしろその視線をおしかえすように自分の台詞を叫び、観客席にまで届かせる、 これは、それまでほんのちいさい声を自分の足下にぽとんと落としていた生徒にとって、 自己というものの解放以外のなにものでもないのではないでしょうか。 おおげさに言えば、劇はなにか癒しの働きさえしているようにも思えるのです。
そんなふうなことを考えたのは、じつは竹内敏晴の本を読んでいたからなのです。 手作りの思想、てびねりの思想(?)のおもしろさです。一度読んでみてください。
「ことばが劈(ひら)かれるとき」(思想の科学社)
「劇へ−からだのバイエル」(青雲書房)
「からだが語ることば」(評論社)
「子どものからだとことば」(晶文社)
『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社新書)
「日本語のレッスン」(講談社新書)
その他多数


2000.5.1
賢治は喜劇派?

賢治はつぎのような四つの劇を書き残しています。
「饑餓陣営」「ポランの広場」「植物医師」「種山ケ原の夜」
「饑餓陣営」は、「賢治のイフはめんだうだ」で引用しているように、 前線で飢えた兵隊がバナナン大将のお菓子で作られた勲章を食べるという筋立て。 そんな形で軍隊の権威主義を揶揄した内容の喜劇です。
「ポランの広場」は、まつりをもりあげるための一幕もののドタバタ喜劇といったふうのもの。 鼻もちならない「山猫博士」が、小学生ファゼロに因縁をつけて決闘さわぎをおこしたまではいいが、 こっぴどくやられるという寸劇。
「植物医師」は、病院を開いたばかりの植物医師、爾薩待(にさつたい)の失敗談。 陸稲が枯れはじめたと言ってつぎつぎに相談にくる農民に金をとって方策を与えたのはよいが、 結局陸稲が枯れてしまいねじこまれてしまうという筋の、これもドタバタ喜劇になっています。
「種山ケ原の夜」は、種山ケ原の夜、草刈りたちの火を囲んでの夜話。 話しているうちに眠り込んでしまうと、夢幻の中に樹霊が現れる。 樹霊は物語り、踊るするうちに、寝ていた雷神を踏んづけて起こしてしまう。 一同は、雷神の怒りの雷鳴に目が覚めて、明けの明星を仰いで、 ふたたび草刈りに出かけるという筋立て。方言台詞はわかりにくいが、 異様な雰囲気が醸される中で、樹霊たちとの対話は自然でもあり、 また喜劇的なものであるとも言えます。
それやこれやを考えあわせると、賢治劇の本質は喜劇にありといえるかもしれません。 あるいは、劇作家を喜劇派と悲劇派に分類すれば、賢治はまぎれもなく喜劇派に入るでしょう。 賢治は、しかし喜劇派ばかりではありません。詩においてはじゅうぶんに悲劇的でした。 最愛の妹としとの別れをよんだ「永訣の朝」など悲劇というしかありません。 また、童話でも「グスコーブドリの伝記」など、結論は暗くはないとしても、 悲劇の装いを持っているといえるかもしれません。しかし、賢治は、 劇作においては喜劇しか書きませんでした。 どうしてでしょうか。集団の劇だったからではないか、 というのがわたしがひそかに考えていることです。 悲劇には、悲劇的な性格が悲劇をまねくという型があるような気がします。
それに対して、集団の劇は、 その基調低音は喜劇にならざるをえないのではないでしょうか。 これについては、まだまだ考える余地があります。 そんな考えを持ち出してきたのは、実はわたしの経験から考えても、 養護学校の集団で演じる劇を想像すると、どうしてもお笑いが基調になってしまうのです。 笑いがあるかどうかで、 観客の劇を受け入れる寛容さとでもいったものがずいぶんちがうような気がします。
分かっていただけるでしょうか。ある劇が、自分たちが演じるものとして、 あるいは観客として養護学校の生徒に受け入れられるかどうか、それには笑いと、さらに言えば歌、 その二つが重要なポイントではないかとひそかに考えているのです。どんなものでしょうか。 自分でもさらに考えを深めていきたいし、 養護学校で劇の指導をしてこられた先生の意見を聞きたいところです。


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