◇2000年6月号◇
[見出し]
特集 演出秘話
「賢治先生がやってきた」の一連の劇は、養護学校の生徒による、
あるいは養護学校の生徒とボランティアの人たちの共演による上演を想定して
書き下ろしたものですし、また、実際に高等養護学校の文化祭で舞台にかけてもいます。
もちろんその際は自分で演出しています。
真理は細部に宿る、という考えがあります。
生徒や教師と一緒に舞台を作り上げていく中でこころに残った様々な細部を、
すぐに忘れ去ってもおかしくないようなことなのですが、
わたしにとっては大切な思い出なのであえて書き留めておくことにしました。
「賢治先生がやってきた」
「ぼくたちはざしきぼっこ」
「イーハトーブへようこそ」
「寅さんの『実習生、諸君!!戦後五十年だよ』」
2000.6.1
「賢治先生がやってきた」
これは1997年秋の文化祭で(高等養護2年生40名足らず)上演しました。
「賢治先生がやってきた」の最初の場面。
幕が開くと、美術室に賢治が描いた「月夜のでんしんばしら」の絵が立てかけてあります。
大きい額縁の前に、月夜のでんしんばしら役の学年で一番背の高い生徒が固まって立っている。
生徒たちが、「ふしぎな絵だな」とそれに見入っているとき、
突然月夜のでんしんばしらが絵から飛び出してきて、「わたしは月夜のでんしんばしらであります。」
と口を利いて生徒たちをびっくりさせるという趣向でした。
そのためには月夜のでんしんばしらは額縁の前で固まっていなければなりません。
そのことを厳しく注意していたのですが、なかなかできないのです。
すぐにへなへなと動いて、へらへらと笑ってしまうのです。
予行の時もできなくて、ビデオを映している教師に注意されていました。
そして、本番。幕が開くと、月夜のでんしんばしらは、またしてもへらへらと笑いながら
電柱の横棒にしつらえた腕を動かしていたのです。
絵の「でんしんばしら」が突然動いて生徒を驚かせるという趣向がどこかへとんでいってしまった
のはいうまでもありません。
賢治先生は台詞が多いのですが、この学年には一人で覚えきれる生徒がいなくて
、実際の上演では、四人の生徒が分担して演じました。
そのために序幕として、賢治先生役に4人の生徒が名乗り出て、
校長先生の仲裁で分担するという場面を付け加えました。
混乱させないために賢治先生にはいつも帽子とマントを着用させてトレードマークにする
というふうに工夫したのですが、それでも分担というのはもう一つという感じは否めませんでした。
やはり一人の生徒が演じられるにこしたことはないようです。
「賢治先生がやってきた」の筋は単純です。「賢治先生はふしぎな先生だな。
ふしぎな絵を描いているし、詩も書く。作曲もする。農業も教えるし、トマトや夜鷹とも話ができる。
いったい何の先生なのかな?」と、生徒が追求してゆく。それが筋です。
賢治劇の大切な大道具である夜空の背景は美術の教師が、生徒といっしょに描き上げてくれました。
模造紙を貼りあわせた大きな紙に、黒いポスターカラーで色を塗り、そこに星を貼り付けていく。
星は、金紙や銀紙のパンチ屑でした。天の川はそれらを密度濃く貼り付けました。
貼ったのは、主に生徒たちです。糊をつけて貼り付けていく。なかなか楽しい作業でした。
できあがった背景はたいへんよくできていました。予行でつかってみて、
スポットライトで照らしながら、背景の紙をすこし揺らすと、
きらきら輝いてとれもすばらしい効果をあげるということがわかりました。
本番は背景をゆらゆらと揺すったのはいうまでもありません。
「賢治先生はふしぎな先生」だということで、生徒たちは興味津々、
賢治先生から危険な実験なので覗いてはいけないと
禁止されていた理科室を覗いてしまうのです。
そこで、生徒たちは銀河鉄道に引き込まれて宇宙まで連れて行かれます。
なんやかやがあって、結局賢治先生に助けられて、生徒たちは地球に帰還するのですが、
しかし、銀河鉄道の秘密を知られた
賢治先生は去っていかなければなりません。「夕鶴」などに見られる、
昔話の「見るなの座敷」のパターンです。
そこで大団円、銀河鉄道の登場となります。銀河鉄道をどうするかは、
「銀河鉄道の夜」を劇化するのには避けて通れない
なかなかむずかしい問題です。
結局銀河鉄道はジェットコースターのイメージで表すことにしました。
生徒たちが椅子に座って並び、すわった姿勢のままで椅子を持ち上げて、
上下左右にウェイブをして、ジェットコースター「銀河鉄道」の上下や蛇行を表すことにしました。
実際に演じてみて、結論としては、いまのところこれしかないと考えています。
銀河鉄道は美術と理科の教師が夜遅くまでがんばって作ってくれました。
体育館のギャラリーに張り渡した線をつたって宇宙に上っていく仕掛けでした。
飛ばしものは何度かこころみています。「寅さんの『実習生、諸君!!戦後五十年だよ』」
のときも、空襲の場面ではB29を体育館の端から端まで斜めにとばして、
空襲警報を鳴らし、爆発音とともにストロボをたいて煙をだし、
電柱を折り倒したりしたのでした。
それにくらべれば銀河鉄道は、そんなにむずかしくないと思っていました。
銀河鉄道の汽車から煙をだそうということになりました。とりあえずは、当日の朝、
ドライアイスを買ってくる手はずを整えました。さて、本番。煙は煙突からあふれるようにして、
車体を卷いて下に流れたのでした。銀河鉄道はさっそうと煙を吐いて天に上っていくはずでしたが、
さて理科室の窓から現れた機関車は煙を下に纏いつかせて、
ゆるゆると這いあがっていったのでした。思惑のはずれた銀河鉄道になったのですが、
暗い客席からは煙の行方など見えなくて、それなりの銀河鉄道にはなっていたようで、
その仕掛けに拍手が湧いてほっとしました。
「賢治先生はふしぎな先生」の歌はそのとき生まれました。
単純な中に、快い起伏もあり、
それでいて生徒にも歌いやすい、ということでとても気に入っています。
これまでの記述からも想像されるように、大道具、小道具、衣装、背景、作曲、
音響とわが「高養スタッフ」はすばらしい技能集団なのです。
日頃から同僚と「養護学校の教師はなによりも一芸が必要」と話し合っている、
その一芸が寄り集まって、生徒たちの演技を下支えしているのだと感じています。
深謝あるのみです。
2000.6.1
「ぼくたちはざしきぼっこ」
これは1999年秋の文化祭で、(高等養護3年生50人ばかりで)上演しました。
この劇の発想のもとには、生徒たちはそれぞれの家の「ざしきぼっこ」なのではないか、
という考えがあります。
ざしきぼっこ役ははじめから狙いを付けていた生徒がいました。
声が大きく台詞も力強く言えるので、彼ならと期待していたのです。
だから彼が自分から名乗り出てくれたときは、ありがたかったのです。
彼は理解力もあり、記憶力もそこそこで、ざしきぼっこ役は彼しかいませんでした。
しかし、彼の記憶力は奇妙なものでした。日常の理解力や記憶からは想像できないことなのですが、
三年経ってもまだ名前を覚えていない教師がいるといった奇妙さなのです。
担任の名前は確かに覚えていますが、わたしはどうだったでしょうか。
しかし、彼はまじめに取り組んでくれました。
彼がみんなをひっぱっているというのが演出に付き合ってくれた教師の感想でした。
それでも四十あまりの台詞は覚えきれませんでした。
練習の終盤、彼にはそれがかなりプレッシャーになってきたように思えました。
ざしきぼっこはほうきを持っていました。
それでそのほうきにカンニングペーパーを張り付けることにしました。
彼はそれをお守り代わりに、まあ、時々はちらちらと盗み見ながら本番を乗り切ったのです。
もちろん客席からそれが見えていたことはいうまでもありません。
しかし、そんなことはなんでもないことでした。
彼は努力のかいあって充分に賞賛にあたいする成果をあげたのでした。
劇の終わり近くで、賢治先生の一行が去っていくとき、「あっ、夜だ。」という生徒の台詞で、
背景の絵がめくれて、夜空に変わる仕掛けがしてありました。
「たちまち夜になった。」というのがつぎの台詞でした。
予行のときはうまくいったのに、本番では背景を支えていた紐が、
背景をつるすポールのワイヤーにひっかかってめくれかけたまま止まってしまったのです。
わたしはフットライトの操作で舞台の前にいて指示を出したりしていたのですが
、そのときは頭の中が一瞬真っ白になりました。生徒はバックの背景を指さしたまま固まっています。
さすがにつぎの台詞を言いませんでした。台詞をつないで次に行くか、すこし待つか、
わたしの頭はフル回転していました。背景が斜めにすこしめくれかけたままもがいていました。
舞台そでで教師が必死に努力している様子が見えるようでした。しばらく待ちました。
背景がすこしずれました。脈がある。もうすこし待ちました。するとするっとめくれて、
するすると背景が変わっていきました。客席から「ほー」という声がもれ、
拍手がわき起こりました。星に銀紙をはりつけた背景のみごとさへの驚きもあったのでしょう、
やっとめくれたという安堵と、その努力にたいする応援の気持ちも含まれていたかもしれません。
客席は味方していてくれました。わたしは、そう感じてほのぼのした気持ちになったのです。
担当の教師は、うちあげのとき、必死でもがいていた様を打ち明けてくれました。大笑いでした。
後半、ざしきぼっこの地球脱出を阻止すべく、
つぎつぎにアニメの人物やら水戸黄門などやら登場します。
これは生徒の希望によるものです。
劇の脚本を書き始める前に生徒を集めて希望を聞いたのです。
「吉本新喜劇」「ドラえもん」「水戸黄門」「恋愛もの」……
これはむずかしい、と思いました。落語の三題話以上の難題でした。それで、
これらの人物がつぎつぎに登場する場面を考えたのです。狂言の「唐人相撲」が念頭にありました。
そもそもこの劇自体が狂言仕立てになっているのは、読めば分かっていただけると思います。
吉本新喜劇のパチパチパンチの島木の役を割り振った生徒が昼休みに
「ぼく、いやや」とねじ込んできました。話し合いをして、裸にはさせない、
という条件で折り合いがついたのですが、ひごろのひょうきんさに似ず
彼の演技は最後まで恥ずかしさをふっきれなかったようです。
古畑仁三郎の生徒もそうでした。そもそも古畑を登場させようと考えたのは、
彼が昼休みの時間、僕が副担をしている教室に来て、
彼の好きな女生徒の前で古畑のものまねをしたのです。それがあまりに上手だったので、
「文化祭の劇でそれやってみるか?肝心のときになって逃げないかな」
と念をおして役を作ったのでした。
しかし、本番ではそのものまねがいつもの彫りの深さを発揮できていなくて、
口先だけのものになっていたのは残念でした。
チャーリー浜を演じた生徒は、ぼやき漫才が得意といった生徒で、
ギャグをいろいろ考えてきて、練習では笑いの渦だったのです。実際に採用したギャグも、
どこかから採ってきたのか、自分で考えたのか、よくできていたと思います。
ドラゴンボールの孫悟空が登場してカメハメ波を発射する場面があります。
カメハメ波は空気砲を想定していました。空気砲をご存知ですか?
段ボール箱に十数センチの穴を開けておいて、その箱の中を煙で充たして、
両側からぼんとたたくとドーナツ型の煙が飛び出てくるのです。空気だけなら、
見えない空気のドーナツが飛んでいくわけです。煙なら煙のドーナツが飛び出て来るのです。
夏休みに家でドライアイスの煙を使って実験をしてみました。
数メートルならドーナツ弾は充分に飛ぶのですが、はたしてそれが客席から見えるかどうか。
その手のことが好きな教師に相談したところ、煙を出す方法をいろいろ工夫してくれました。
実験もしてくれたようでした。予行のときは、煙玉のゴルフボールを使ってやってみました。
コンとたたくと煙がでてくるやつです。コンペの開会式とかで使うものらしいのです。
ゴルフクラブで打つと煙を出しながら飛んでいくという仕掛けになっています。
舞台袖で教師がゴルフボールをトンカチでコンとたたいて、
生徒が持つ段ボール箱に放り込む手はずでした。しかし、それが、片方は発火したが、
もう一方は発火しなかったらしいのです。空気砲の闘いは成立しませんでした。それに、
煙が薄くて空気砲のドーナツ玉ははっきり見えなかったのです。失敗でした。
そのわりには煙たくて、舞台のあちこちで生徒たちが咳込んだだけでした。
しかたなく本番では筒状のクラッカーを買ってきて、ボンというふうに紙テープを飛ばしたのでした。
金糸、銀糸がパッと散ったわけです。
生徒が突然の破裂音にかなり驚いていたのは言うまでもありません。
劇中では、井上陽水の「傘がない」、それにオリジナル曲の「賢治先生はふしぎな先生」と
「ぼくたちはざしきぼっこ」の3曲が歌われます。
「賢治先生はふしぎな先生」は、「賢治先生がやってきた」のテーマ曲です。
こんども作曲は同僚のY.I.さんにお願いしました。
「思いっきり演歌調でいきましょう」というY.I.さんのことば通り、
できあがってきた「ぼくたちはざしきぼっこ」は、ユーモラスな演歌そのもの。
演歌振りが得意な生徒もいて、その生徒を中心に本番では振り付けも
しておおいにもりあがったのでした。
2000.6.1
「イーハトーブへようこそ」
1997年から1999年にかけて、性教育の男子グループで脚本の読み合わせをして、
それをもとに性について考えたことがあります。
「性教育を人形劇でやったら……」ということはまえまえから考えていて、同僚にも話してきました。
人が演じると生々しすぎるような性のあれこれでも、人形劇ならあっさりと演じきることができる
のではないか、
というのがそもそもの考えです。
高等養護学校の性教育は十分に具体的でなければならないのです。
わたしの前任校であるろう学校でもそうでした。
してはいけないことは即物的に指導しなければなりませんでした。
しかし、具体物を示すだけの性教育でいいのでしょうか。具体的であって、かつ優しく(易しく)、
人間味のある個性的なことばで語られる性教育というのが理想のような気がするのです。
彼らは卒業後どのような性生活をおくるのでしょうか、あるいは、おくらざるをえないのでしょうか。
そのことを考えたとき、一生独身を貫いた「賢治先生」こそが、彼らにそのことを語るに
ふさわしい人であるような気がどうしてもしてくるのです。
そんなわけで「イーハトーブへようこそ」ができあがりました。内容については、
まだまだ検討の余地があると思っています。意見を聞かせていただきたいところです。
人形劇の設定になっていますが、まだ上演したことがないので、実際どんなものになるか、
想像もできません。ただ、はじめに書いたように性教育の時間に脚本の読み合わせという形で
生徒といっしょにやってみたことがあるだけです。
最初のときは、「賢治先生がやってきた」で賢治先生を演じた生徒の一人がそのグループにいて、
そのときも彼に賢治先生の役を割り振りしました。しかし、
彼は、自分のことを「うち」と呼んでいて、男子生徒にラブレターを出すような、
「性同一性障害」といってもいいくらいの生徒でした。
注文の多い料理店の場面で賢治先生がマスターベーションのルールに言及する箇所など、
恥ずかしがって口ごもりを装って飛ばし読みしたくらいでしたが、
演じている生徒のくすくす笑いなどもあって、後の話し合いの雰囲気はつくれたようでした。
男子生徒用の性教育劇といったようなものになっていますので、
いろいろ問題も多く含んだ作品であると自覚しています。はじめから男女別行動にするなど、
ジェンダーフリーどころか、
ジェンダーに二重にからめとられたといったふうで、恥ずかしい気がします。
ただ、彼ら、男子生徒の将来の性生活を考えたとき、
マスターベーションをどこかで肯定しておかないといけないと考えています。
意味を十分に理解できないものには、肯定した上で、できれば最低限必要なルール
について話をしなければなりません。
理解力に長けたものは、罪悪感に苛まれたり、
また本物ではない偽のセックスしか経験していない、
と引け目を感じるということだってあるかもしれないからです。
性教育の時間によく「二人のセックス」(いわゆる男女のセックス)と
「一人のセックス」(マスターベーション)を並記して、
どちらも優劣はないという話をすることがあります。しかし、わたし自身それでいいのか、
という逡巡があります。
賢治先生はどう考えるのでしょうか、それが問題です。
そんなことも含めて、ご批判をいただければ、
それを受けて改訂していきたいと考えてはいるのですが……。
わたしは見ていませんが、同僚で人形を使って性教育をやられた例もあり、
また影絵のテクニックをもっておられる方もいて、いろいろな試みを育む土壌はあるのですが、
とりあえずは劇の中身をどうにかしていくことが先決のようです。
なお、性教育については次号においても特集を組んでいく予定です。
何か意見があれば、お聞かせください。
2000.6.1
「寅さんの『実習生、諸君!!戦後五十年だよ』」
(脚本は、「うずのしゅげ通信」のバックナンバー、
読者サービス映画券に掲載してあります。)
これは、1995年秋の文化祭で(高等養護3年生50名足らずで)上演しました。
例のごとく寅さんが柴又に帰ってくる。めずらしくケーキのおみやげを買ってきた、
という伏線があって、次のようなやりとりがあります。
ひろし 兄さん、こんどの旅はどうでしたか?
寅さん 不景気、不景気。商売、あがったりだ。
ひろし 夜店も不景気ですか?
寅さん 不景気の大安売りよ。ここにも「ふケーキ」、
あっちにも「ふケーキ」(とケーキをならべる)。これじゃあ、まるでクリスマスのお菓子屋だね。
イブの売れ残りケーキの大安売りよ。
このやりとりは、ドタバタの受けではなく、ほんとうに台詞として受けました。
寅さんの演じてくれたのは、自閉的傾向があって、視線が合わないのですが、
とびっきり記憶力のいい生徒でした。彼が頭角を現したのは、
1年生のときサッカー部と教師の試合で、放送室に陣どって実況中継をしてからです。
アドリブ満載でアナウンサーと解説者の二役をみごとに演じたのでした。だから彼への配役は、
最初に脚本があって抜擢したというより、もともとが彼を寅さんに想定して、
彼ならこれだけの台詞でもこなしてくれるだろう、とうことで書き上げたものでした。
他のものはせいぜい2、3の台詞が限度なのですが、彼ならいくつだって覚えられるのです。
すこし小太りの風体も寅さんにうってつけでした。案にたがわず、
彼は一晩で脚本をまる暗記してきました。生徒の名列表も、漢字、出席番号も含めて、
1時間もあれば丸暗記できるのですから、ふしぎでもなんでもないのです。しかも、
彼は自分の台詞だけではなく、脚本を一冊全部丸ごと暗記していたのです。
練習がすすんでくると、まわりの生徒も徐々に台詞を覚えてきます。
台詞を覚えても、きっかけがつかめない生徒もいます。すると、
彼は他のものの台詞にキューを出すようになりました。台詞を忘れたりしたら
、助け船をだす。キューをだす。大奮闘です。しかし、
そのキューがだんだん目障りになってきました。でもいくら言っても聞き入れないのです。
愛嬌で嫌みもないのですが、やはり他の生徒も自分で判断してほしいのです。
しかし、結局直りませんでした。本番にも彼はキューを出し続けて、
客席からも丸見えでした。もっともそれも楽しかったのですが……。
生徒たちは戦争中のことなどだれも知らないから、その勉強からはじめたのです。
親もわたしと同年代、戦争を知らない世代です。戦時中の生活を映したフィルムなども見て、
千人針や出征風景など、そんなところから学んでいきました。
高等養護学校では歴史の授業はありません。歴史を教えられない生徒からすれば、
戦争のことなどを学ぶいい機会でした。
空襲の場面は、教師の腕の見せ所でした。
体育館を斜めに横切って張り渡された針金をつたって、1メートル半はあるB29が飛来して、
焼夷弾を落とすのです。ストロボが光って、電柱が折れ、煙が出る。
「空襲だ、空襲だ」という叫び。場内は騒然としていました。
そんなこともいまとなっては楽しい思い出です。
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